第31話 学祭2日め。



今日は学祭の2日目だ。






2日目ということは、いよいよ出番の日だ。






少し興奮しているのかもしれない。


今日は朝6時に起きてしまった。




せっかく早起きしたのだから、練習しなきゃなって事で、ぱっぱと朝飯を食べて、

この前本番用に買ったスーツをガーメントケースにいれて荷物を適当にリュックにぶち込んで練習室に向かう。




朝早いこともあり、いつもの練習室を使うことができた。




今日は本番なので、昨日と同じように何かを詰め込むような練習はしない。


これまで積み重ねてきたものを一つ一つ、丁寧に確認していく。






最初、楽譜に鉛筆で印をつけたところはすでにもう消してあり、新しい注意するべきところが出てきてメモしては消し、その繰り返しで楽譜はもうボロボロだ。




今ではそのボロボロの楽譜が愛おしい…。

このボロボロさが私の自信を作っている。






きりが良いところでスマホを確認すると、実季先輩から連絡が。




30分後に最終打ち合わせらしい。




昼もすぎており、キリがいいので、荷物を片付けてコンビニに寄ってから打ち合わせに顔を出す。


ちなみにコンビニでは金平糖を買った。


私は昔から演奏の前には金平糖を大量に食べる癖がある。

おまじないみたいなものだが、そのためだ。






「おつかれーす。」




「「おっ、おつかれー。」」


打ち合わせ場所にはすでに何人か集まっており、ちらほら打ち合わせが始まっていた。




しばらくすると打ち合わせと簡単な注意事項、割り振られた練習室の説明が始まった。


そろそろ本番モードなので、金平糖を頬張る手が止まらない。


バイオリンをやる人なんかはべっこう飴を舐めてる人とかもいた。


割と音楽をやる人の中ではスタンダードなのかもしれない。






打ち合わせの話を聞いていると、自分の出番は実季先輩の一つ前で、16時半からだそうだ。


打ち合わせが終わると、自分はわりとギリギリまで音を出したり楽器に触れておきたいタイプの人間なので、またまた練習室に篭る。






練習室では別に何をするわけでもない。

ただ単純に音を出すだけだ。


頭に浮かんだメロディを弾いてみたり、覚えてるポップスを耳コピしてみたり、店で引く予定の曲をすこし練習したりした。






そうこうして時間を潰していると、自分のリハ時間が迫っていた。




「行きますか。」




誰にいうわけでもなく呟くと、リハ室に向かう。






係のスタッフさんに促され、案内されたリハ室にまた篭る。

この辺で二袋目の金平糖に手をつける。




やることも先ほどの練習室と同じだ。

今手を加えるとロクなことにならないのは経験でわかる。






係の人に声をかけられて、ステージ袖に案内される。

手首をほぐしながら、準備運動のようなストレッチをする。

だんだんと頭が冴えてくる。

指先の筋繊維の一本に至るまで脳の指令が行き届いていることを感じ始める。


意識は剃刀のように鋭く尖っている。






いよいよ出番だ。





ステージに上がり、ピアノのそばに立つ。

聴衆の方々にお辞儀をする。

客席側についた前明かりがステージを照らし、客席は逆光で見えない。

でもたくさんのお客さんが今か今かと待ちわびて期待しているのがわかる。

客席の空気が張り詰めている。





一曲目はポロネーズ「英雄」

日本ではよく英雄ポロネーズと言われる、ショパン作曲の名曲だ。

導入部分の連符が、始まりを予感させる。




自分がピアノの前に座り、第一音を奏でた瞬間聴衆が息を飲んだのがわかった。

その瞬間、会場の支配者は俺となった。




「英雄」の旋律は明快で、聴衆にも難しいことを要求しない。




その実、極めて高次元で、複合的に起承転結を繰り返すことで、この曲は推進力を持って物語を進んでいく。




荘厳で頑健な主題が聴く人の心を揺さぶり動かす。






音がたくさん重なるこの曲は、一つ一つの音の響きがすこしでも雑になってしまうと終わる。


ピアノが奏でる音を響きの一瞬に至るまで完全に、繊細に、支配することが求められる。


それでいて、大胆な響きを求めてくる。




まさに手の筋肉と、繊細な練習がものを言う。

なんとも自分に向いている大好きな曲だ。






最後の音を奏で話終わると会場に息が戻る。


一曲目で全員の心臓を鷲掴みにしたと言う確実な手応えを感じた。






二曲目は超絶技巧練習曲集より鬼火だ。




この曲も、まぁー難しい。


鬼火とタイトルにあるように、ゆらゆらと揺れる風景を映し出すのが難しい。


これは英雄と違って、さらに高次元での繊細さを要求される。


「英雄」みたいに荘厳な音が鳴ってりゃうまいと思われるようなレベルの曲ではない。


それができた上で、どこまで作曲者の見た風景を再現できるかというのが腕の見せ所だ。




楽譜に忠実に。


あれだけ弾いてきたじゃないか。


絶対に前のめりになってはいけない。


変にテンポを揺らしてはいけない。


俺の解釈を入れることはあっても、俺が再構築してはいけない。


あくまでも自分はリストの依代なのだ。






最後の一音まで気を抜かない。

この会場の大気の水素一粒までも俺は支配する。






最後の曲はみんなおなじみ。


ラ・カンパネラ。


鬼火とカンパネラを作曲したリストは19世紀の作曲家で、当時のパリの貴婦人たちの寵愛を一身に受けていた。


ついたあだ名はピアノの魔術師。




この曲では印象的に鐘が鳴る。


ただのレのシャープなのだが、これをどこまで印象的に響かせ、違いをつけられるかが腕の見せ所だ。




荘厳で、聴衆の心を揺さぶるダイナミックな演奏は生憎得意分野だ。

しっかりと俺の音を聴け。










カンパネラの最後の音を弾ききる。

会場に残されるのは豊かな響きの余韻。




残心を忘れない。






余韻が消えて、我に帰った聴衆から万雷の拍手を受ける。


スタンディングオベーションももらえた。






「努力が報われた…。」

涙がこぼれそうになる。

上を向いて、零れ落ちないように。




小さく呟くと立ち上がって調子委にお辞儀。

せっかく我慢したのに下向いたらこぼれちゃうじゃんね。

私の音楽を聴いてくれてありがとうございました。



顔を上げて舞台袖にはけていく。

まだ拍手は鳴り止まない。




次は実季先輩なので、はけた袖で先輩を見守ることとする。








しばらくすると先輩が出てきた。


見てわかるほどに、気持ちが満ち満ちている。


完全に先輩を食うつもりでやり切ったが、先輩は逆に火がついたみたいだ。


燃えている。

先輩の熱がこっちまで伝わってくる。

汗が背中を伝う。










先輩のピアノは、一言で言うと魂のピアノだった。


完敗だ。






技術で優っているところはある。

しかし、気持ちの面気迫の面ではまだまだ及ばないといったところだろうか。

気付いたら自分は、さっきこらえたはずなのに涙を流していた。






先輩が演奏を終え、はけてくる。




袖にいた私のことを見つけるとドレス姿で走って飛びついて抱きしめてきた。






「吉弘くん!さいっこーだった!!!!

出てくれてありがとう!!!聴かせてくれてありがとう!!!!

ピアノ始めてくれてありがとう!!!!!」

先輩はぼろぼろ泣いていた。





全くこの人は…


びっくりして止まりかけた涙がまたあふれてきた。




「先輩の演奏すごすぎて泣いちゃいました。」




「わたしも吉弘くんの演奏すごすぎて舞台袖で泣いちゃった!


感動して!でも怖さもあって!」




「怖い?」




「会場はあの瞬間、完全に吉弘くんのものだったよ。」




「そっか…。」




「怖かったんだけど、だんだん私もそんな演奏したいと思えてきて。

だから自分の奥底で燻ってた思いが燃え上がっちゃって!!




今日の演奏は間違いなく自分の中で1番の演奏!!!」






「私も今日がいちばんの演奏です!」




そう言って2人で笑い合った。






そのあとは、出演者全員でステージに出て、観客の皆さんにご挨拶をして解散となった。






今日はせっかくなので先輩と語り明かすことにして、音研の皆様の打ち上げに同行させてもらった。






もちろん打ち上げ会場では質問攻めにされたのはいうまでもない。




伴奏依頼もめちゃくちゃされたけど、実季先輩が


「吉弘くんが伴奏したらメイン奏者食っちゃうよ」


の一言で、一切の伴奏依頼がなくなった。




そりゃそうかも知んないけどさ…。






一次会は最大限楽しませてもらったので、二次会はご遠慮したが、そうは問屋が下さないとばかりに、カラオケに連れて行かれた。






カラオケではいろんな歌を歌ったが、


別に歌はそれほどじゃないんだねと言われたのがすこしショックだった。




天辺を過ぎたところで二次会はお開きとなり、メンバーも各自解散となった。


先輩と私はなんだかんだでまだ興奮が冷めやらないとのことで飲み直すことに。

私はウーロン茶。








気づいたら夜があけて、自分の部屋にいた。


テーブルに突っ伏しているのは実季先輩だ。


自分はちゃんとパジャマに着替えてベッドで目を覚ました。


先輩は昨日の格好のまま、酒瓶を手にしている。






「どうしてこうなった?」

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