第28話 学祭1日目


ドンドン!


パン!




空砲がなっている。


空気を震わせる空砲の音で目を覚ますと、時刻はまだ6時。


昔から、祭りなどが開催される日はその合図として、空砲が打ち上げられる。

私の家は大学から近いのでかなり大きい音が聞こえる。

ある意味近所迷惑だ。



今日はいよいよ学祭初日。


私の通う大学の学祭は三日間ある。


前夜祭後夜祭も入れると都合四日間だ。




昨日は遅くまで学生が盛り上がっていたようで、

大学の近所はいつもより少しだけ騒がしかった。






私の出番は二日目の夕方。


元々決まっていた出番に、実季先輩のお力で、ねじ込んでもらった出番なので、直前になるまで二転三転して決まっていなかったのだが、数日前ようやく最終決定という形で決まった。






トリのひとつまえだ。


そう、トリのひとつ前なのだ。


トリはやはりというか、実季先輩。


実季先輩はうますぎて、前後の順番が人気のない順番なので、だいたい毎回トリを務めるというのは知っていたが、よりにもよって自分がトリ前。


なんでも実季先輩が連れてきた人だから。


というのが大きな決め手になったらしい。






少し胃が痛いが、高校時代に経験した全国の舞台に比べると屁でもない。










せっかく、空砲に起こしてもらったので朝の時間を満喫することとしよう。




時間もあることだし、最近ネットショップでお買い上げしたコーヒーミルで、コーヒー豆を挽く。

ごりごりと豆を削る音が心地よく頭に響く。






別に大きなこだわりがあるわけではない。

決められた手順を決められたとおりにこなすのが好きなのだ。


高級な豆ではないし、高級なコーヒーミルでもない。




豆を挽きながらお湯を沸かすのを忘れない。

電気ケトルがカチッという音を立てる頃には豆も挽き終わっていた。

今はドリッパーをお気に入りのイッタラ社製のマグカップにセットしたところだ。

ポップな色合いがかわいくて気に入っている。





慎重に、慎重に同じ高さから湯を落とすことを意識しながら水をコーヒーに変えていく。

たちまち部屋をコーヒーの香りが包み、僅かに残っていた眠気を押し流していく。





コーヒーを飲みながら本日の予定を組み上げていく。






「昼からは望月さんと学祭。


てことは朝のうちに確認事項全部確認して、打ち合わせとかあったら夕方以降に回してもらわなきゃね。今のとこ入れてはないけど、連絡あったらそういうことにしとこう。


待ち合わせは何時だっけ。


………12時に北門ね。」






予定の確認が終わると、服を着替える。




「ニットも捨てがたいけどなぁー、


今日はシャツだな。


リハーサルの意味も兼ねて。」






選んだのはヴァレンティノの白シャツ。

実季先輩におしゃれの楽しさを教えてもらってから自分一人でも

ハイブランドのお店に入れるようになった。

いや、ハイブランドのお店に入るための装備が手に入ったので

入れるようになったという側面もあると思う。


このシャツは白シャツなのにちょっとアヴァンギャルドなところがお気に入りだ。


ジャケットは先日お買い上げの黒セットアップ。

アウターも先日実季先輩と買い物に行ったときに買ったものだ。

ダブル前コートで、バルマカーンコートというらしい。

よくわからん。


今日はコートの中身のカラーリングをモノトーンで攻めることにする。


足元も先日お買い上げのパラブーツにする。


マフラーはいいや。


そういえば、先日聞いた話なのだが、このコートの色味はダークグリーンではなくスモーキーグリーンというらしい。


くすんだグリーンなのでたしかにそうかもしれない。

ダークなグリーンなんだからダークグリーンでいいだろ。






服を着替えて、自転車に乗って大学を目指す。

ロングコートだと自転車に乗りにくい。

短いコート買うか?





いつも通りの道を、いつも通りの自転車で、いつも通りの荷物を持って、いつも通りの練習室に入る。






そこで行うのもいつも通りの練習だ。


練習は本番のように、本番は練習のように。


頭の中では本番のことしかない状態に持っていく。




あるボディビルダーの話だが、


そのボディビルダーは筋肉を鍛えるスケジュールを決めるんだとか。


一週間後にジムでスクワットをすると決めれば


頭の中はもうそれだけ。


どこをどのように鍛えて、どんな感じで、どういう動きをしてというのをすべて事細かに想像して実際に行なっているかのように錯覚するほどに思い込む。


そして、ジムに到着する頃にはスクワットはすでに終わっている。






というトレーニングをするらしい。


その話を聞いたときになるほどと思った。


自分と同じなのだと。


出来うる限り克明な想像を働かせてその想像通りに体を動かす。

何を違うことがあろうか。

本番のステージに立ったとき、既に本番は終わっているのだ。




幸祐里にこの話をしたときに頭の心配をされたのは言うまでもない。




世界一のピアニストになったつもりで弾いている練習曲が終わった。

指の調子はすこぶる良い。

適度な緊張感が爪の先まで満ち満ちている。

余計な力はいらない、音を曇らせる。

ピアノを最大限響かせる、最小限の力で黒い箱の中の鋼を響かせていく。








音の海に没頭していると、スマホのアラームが待ち合わせの15分前であることを告げる。

我に帰るとそそくさと準備して北門に向かう。




到着時刻は12時5分前。

五分前行動が徹底されており良い。二重丸だ。




北門につくと望月さんはすでに待っていた。

女の子を待たせてしまったので赤点である。とほほ。





「あ、望月さんごめん!


待たせちゃった?」




「あっ、ヒロ…藤原くん!


ううん、今来たとこだよ!」




「いやいや、ごめんねほんとに…」




「いやいや、本当に大丈夫!


でも、じゃあー、一つお願い!」




「いいよ!なんでも言って!」




「て、てて、、て、てて、、、、




「て?」




「てを…」


そう言って手を差し出してくる望月さん。






「(なんだこの生き物かわいすぎだろ)


握って欲しいの?」




コクリと頷く来年のミスキャンパス最有力候補。

一生の記念として握っておこう。




「迷子になるといけないからね。」




そっと望月さんの手を握る。




「ちょっと自転車止めに行くけど良い?」




顔を真っ赤にして俯きながら激しく首を振る望月さん。


さてさて、学祭どうなることやら。

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