第26話 ステージの日。
大学からチャリを走らせて着いたのは銀座。
しかも叔父さんの店よりも少し遠い。
そう今日はバイトでピアノを弾く日だ。
「おはようございます。」
「はい、おはよう。」
店に着くとタイムカードを押す。
この店は特にバイト着などの指定はないが、一応ジャケットネクタイ着用ということなので、ちゃんとジャケットを着てネクタイも締めている。
なんなら研修の時に来た白シャツ、ボウタイも貸してくれる。
今日の私の格好は
店の雰囲気と合わせて、ダークネイビーのセットアップに白シャツとネクタイという普通のスタイルなのだが、オーナーからの評価は上々だった。
「藤原くん、今日の演奏なんだけど、弾きっぱなしなのと、時間を決めてステージ形式にするのとどっちがいいかしら?」
「自分で言うのもなんですけど、私そんなステージなんてできるような人間じゃないので、弾きっぱなしで様子見ながらやるほうがいいと思います。」
「そっちの方が難しい気がするんだけどなぁ…。」
「そうですか。
じゃあ今日は弾きっぱなしでやってみて、難しかったら次はステージ形式にしてみます。」
「うん、わかった、それでいってみよう。
知ってると思うけど必要なら楽譜はピアノの譜面台に用意してあるから。
そこにないもので引きたいのあったら教えて。
用意しておきます。」
「重ね重ねありがとうございます。
頑張ってみます。」
もう直ぐ8時なので、ピアノの前に座る。
ほんのさっきまで大学でピアノを弾いていたので指慣らしはバッチリだ。
席を見渡してみたら、前回の初ステージの時にもきてくれた人の顔がちらほら見える。
じゃあ様子見に「枯葉」から…。
ふと気づくとオーナーがバーカウンターの向こうで呼んでいる。
なんだろうと思いつつたまたま近くの壁にかかっていた時計を見て驚いた。
あっという間に2時間が経っている。
今弾いている曲でとりあえずの一区切りとして裏にはける。
聴衆の皆様から万雷の拍手でもって称賛されたのは気持ちが良かった。
「どうしました?オーナー。」
「どうもこうも。藤原くんの演奏が良すぎて帰れないお客様がたくさんいらっしゃったから一区切りつけてあげようと思って。外にも行列が…。」
「なるほど…すいません。」
「いいのよ、もうかってるから。
あなたもちょっと休憩しなさい。」
「ありがとうございます。」
オーナーの気遣いに感謝しつつ、ステージドリンクとして買ってきていたマンゴージュースを飲む。
このマンゴージュースはとてもお気に入りで、四角い紙パックに入っているタイプの業務用のものだ。
ジュースの糖分が脳味噌を癒してくれる。
糖分を摂取して、ぼーっとしているといい頃合いになったのでまたステージへ向かう。
客席へと向き直り、お辞儀をしようとするとその光景にたじろいだ。
明らかに先ほどよりも客数が多い。
前の方には椅子もあるのだが、その椅子は当然の如く埋まっているため、スタンディングのお客様が出始めている。
こんなにもたくさんの人が自分の演奏を聴いてくれる、楽しみにしてくれるというのが心の底から嬉しかった。
なので、今回は新しい試みを入れてみる。
BGMとして、ジャズの名盤、take5を流しながら一番前にいたお客さんに話しかけてみた。
このお客さんは初ステージの時の研修の時も聞いてくれてた人のはずだ。
見覚えがある。
「お客様、本日はありがとうございます。」
「えっあっ、えあっ、あっ、ありがとうございます。」
「今日はこんなにたくさんの方が演奏を聞いてくださってるんですけど、もうネタ切れでして。」
そもそも私のレパートリーはそんなに多くない。
吹奏楽時代にやっていた曲をなんとなくピアノ風にして、
なんとなくジャズ風にしているだけだ。
なんちゃってジャズともいう。
音楽歴はそこそこあるので聞いたことのある曲なら大体耳コピもできるし。
「えっ。」
ネタ切れという言葉にざわめきが起こる。
「何かリクエストはございませんか?」
一転してリクエストを受け付けるという言葉に会場が沸く。
「えっ、せっ、責任重大ですね。」
「そんなことありませんよ、お好きな曲をどうぞ。」
「うーーーん、では、『私のお気に入り』なんてできますか?」
「かしこまりました。」
いいところでBGMを切る。
「それではお聴きください。私のお気に入り。」
結果としてこの日は四曲のリクエストを受け、大盛況だった。
後日この日の盛り上がりを聞いた他の常連さんたちはたいそう悔しがったと聞く。
この日最後のお客様をオーナーとお見送りして閉店作業を行う。
ひと段落ついたところで、オーナーがご飯を作ってくれた。
「ありがとうございます。」
「まぁ余り物だからまかないと思って食べちゃって。あとこれ、今日のお給料。」
「ありがとうございます。次回も頑張ります。」
「今日はほんと大盛り上がりだったわねぇ。
入場でいうと過去一の人数ね。」
「そうなんですね、おめでとうございます。」
「おめでとうって、あんたが呼んだんじゃないの。」
「えっ私ですか?」
心当たりのないことを言われて驚く。
「藤原くんの演奏があったからよ。」
「あぁ、そういう。
そういっていただけて嬉しいです。」
「奢らないねぇ。若いともう少し天狗になりそうなもんだけど。」
「まぁ人それぞれってやつですかね。」
「ふふふっ。」
オーナーに笑われた理由はよくわからないが、賄いのオムライスはめちゃくちゃ美味しかった。
「お疲れ様でした。オムライスめちゃくちゃ美味しかったです。
ありがとうございました。」
「はい、おつかれさま。またよろしくね。」
「はい、失礼します。」
「はーい。気をつけてね。」
店を後にすると自転車に跨り、家路を急ぐ。
大して何があるわけでもないが、とにかく眠たいのだ。
マンションのオートロックを開け、そのまま自転車ごとエレベーターに乗り込む。
家の中に駐輪スペースがあるというのは本当に助かるし、安心する。
自転車を家の中の専用スペースに置き、服を脱ぎ捨て、風呂に飛び込む。
どうしてすでに風呂が沸いているのかというと、銀座の店を出た段階で、アプリから予約しておいたのだ。
最近はそこそこ主流になりつつあるみたいだ。
スマートホーム?とかいうらしい。
「あーーーーー、やっぱ湯船入らないとダメだなぁー。」
湯船につかると割と大きめの独り言が漏れる。
周りの話を聞くと、シャワーだけで済ませる人も多いみたいだが自分はやっぱり湯船につからないと落ち着かない。
湯船に浸かって、全身の筋肉を極限まで緩めるのが好きなのだ。
その方が回復も早い気がする。
「あー、寝そう…。」
湯船で寝ると生死にかかわる。
まぶたを閉じたがる目をこじ開けて、なんとか自分の前に立ちはだかるミッションを次々とクリアした。
「よし。おやすみ。」
明日はどんな楽しいことがあるのだろうか。
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