第24話 ピアノがほしい。



なんでも、熱中してやり続けていれば道具にもこだわりたくなるというのが人間の性でして。


私にももちろんそれがあるわけです。




何が言いたいかいうと。




ピアノが欲しい。




これだけピアノ漬けの毎日を送っているのだから、家にピアノの1台くらいあるだろうとお思いの方もいると思う。






無いのだ。


うちにはピアノがない。




まぁ男の大学生の一人暮らしの家なのだから、ピアノがないのは全く普通である。


これだけやっているのだからあってもいいはずだ。




しかし、無い。


でもピアノが欲しい。




うーん…。


「ちょっとショールーム行くだけ行ってみよう。」






思い立ったが吉日。


品川にある、竪琴のマークで有名な世界的高級ピアノメーカーのショールームにやってきた。






「すごい…。」




「いらっしゃいませ、藤原様。」




こういう場では他の人に迷惑をかけてはいけないのでちゃんと予約するように親から躾けられているため、ぬかりはない。




「すいません。今日は色々試させていただくだけですけどよろしくお願いします。」




「とんでもないことでございます。


ぜひ沢山のピアノを御試奏なさってくださいませ。」




「ありがとうございます。」




対応してくれた店員さんの説明を聞きながらほぼ全てのピアノを弾かせてもらった。


そして最後にやってきたのは、コンサートピアノのコーナー。


メーカーでも最上級モデルで、世界の名だたるコンサートホールで使われているピアノだ。






「すいません、じゃあ弾かせていただきます。」




「ぜひ。」




鍵盤に手を置いた段階で違う。


ピアノが弾き手を選んでさえいるほどの雰囲気を持っている。




ピアノに弾かされるのではない。


ピアノを弾くんだという強い意志を持ってピアノを弾く。


曲目はラ・カンパネラだ。


今の自分が一番自信を持って弾くことができる曲。






ピアノの作り手の魂を感じる。


リストの気持ちを感じる。


聴いてくれている人の思いを感じる。


繊細なタッチで音が鳴り、高音はクリアに、低音は荘厳に楽器を、空間を震わせる。




人がどんどん集まってきた。


すいません、これコンサートじゃないんです。


ただの試奏なんです。






「…っ!!」


試奏で一曲弾ききってしまった。




拍手の音が聞こえる。


対応してくれていた店員さんはぽかんとしている。


そりゃそうだよね、さっきまで少しのさわりのところしか弾いてないもん。突然引き出したら驚くよね、ごめんね。




「すいません、長々と。」




「いえっ、あの、藤原様はプロの…」




「いえ普通の大学生です。音大でもなんでもなく。」




「さ、左様でございましたか…。」




そのあと色々とお話をさせてもらい、カタログをいくつかもらって店を後にする。


先ほどの店員さんが、もしかしたら後日何かしらで連絡するかもとか言ってたが理由は知らない。






続きまして、向かいましたるは中野にあります、こちらも先ほどのピアノと同様世界中で愛される、世界三大ピアノと呼ばれているピアノ会社のショールーム。




「いらっしゃいませ、藤原様。」




「本日はよろしくお願いします。」


ここでも先ほどと同じやり取りをする。




先ほどのピアノが音をピンと張ったピアノだとすると、こちらのピアノは受け止めるピアノ。


柔らかく甘い音がする。


そして、この前行ったウィーンを思い出す。


脳内の快楽物質がドパドパ出る音だ。






欲しい。


このピアノが欲しい。


切実にそう思った。






「藤原様。本日はありがとうございました。


大変良いものを聴かせていただきました。」




「こちらこそ長々と居座って申し訳ありません。


最高の体験をさせていただきました。」




「いえいえ、とんでもないことでございます。


またご縁がありましたらぜひまたお越しくださいませ。」




「はい、その時はよろしくお願いします。」






正直、心の中ではいつかここのピアノを買おうと思っている。


半分決まったようなものだ。




しかし三大ピアノのうち二台を制覇したのだから、残る一台を制覇しないという手はない。




最後にやってきたのは汐留。






「本日はよろしくお願いします。」




「藤原様、お待ちしておりました。」




「弾かせてもらうだけですけど申し訳ありません。」




「いえ、楽しみにお待ちしておりました。」




「ん?楽しみ?」




「藤原様は本日、品川と中野に向かわれませんでしたか?」




「あぁ、いきました!」




「この業界は狭いので、知り合いも多くおりまして…。」




「なるほど。」




「先にコンサートピアノから弾いてみられますか?それともアップライトから。」




「アップライトで。」




「かしこまりました。」








そして最後にやってきたのはフルコンサートピアノ。


ピアノの中には著名なピアニストのサインがたくさん書いてある。


こんなピアノを試奏させてくれるだなんて幸せすぎる。




いつものように手を構えて、弾き始めるが、一音出すとわかる。このピアノは、本当にすごい。


リストが愛したピアノと言われるがその意味がわかった。


このピアノのために作られた曲なのではないかと思う。




音の立ち上がり、和音の響き、そして透明な音。


アップライトでさえその特徴は顕著だったのに、コンサートピアノならなおさらである。




音の響きが、脳髄を刺激する。


気持ちがいい。


ここ数ヶ月長いことピアノを弾いているが、一曲がこんなに短く感じたのは初めてだった。




終わるなと思う気持ちを抑えられないが、曲の終わりは来る。




「…はぁ。」




知らず識らずのうちに息を止めてしまっていたのかもしれない。


久々に息をした気がする。




自然発生的に起こった拍手に包まれる。




「噂に違わず素晴らしい演奏でございました藤原様。」




「いえいえ。そんな…。」




「願わくば、また藤原様の演奏が聴けることを楽しみにお待ちしております。」




「今日はありがとうございました。


考えさせていただきます。」




「ぜひ、よろしくお願いいたします。」






もし、最後のピアノを弾いたことがなければ、2台目のピアノで即決だっただろう。


しかし三台目を知ってしまったからには迂闊に決めることはできない。








「ちょっと弾いて楽しむつもりが余計にドツボに…。」




あー、ほしいほしいほしい。


ピアノが欲しい。








その日からはピアノが頭を支配する。


そんな折に叔父から天啓がもたらされた。




「もしもし。どうしたの?」




「あ、もしもし、ヨシ?


突然なんだけどさ、知り合いがピアニスト探してるんだけど、やる?」

なんでそもそも私がピアノにドはまりしてるのを知ってるんだ?

と思ったけどウィーンに音楽旅行するって言ったときその話したか。


「えっ、どういうこと?」




「ピアニストさんやめちゃったんだって。


とりあえず今日行ってみて、弾いてみて。」




「突然すぎるでしょ。」




「よろしくー。」






叔父が突然なのは今日に始まったことではないので仕方ないと割り切りつつ、叔父から送られてきた店の住所を頼りに向かってみる。






場所は銀座の一等地にある雑居ビルの地下だった。






カランコロンというドアベルとともにドアを開き、挨拶をする。




「おはようございます、藤原です。」




「おぉー、突然でごめんね。


今日はよろしくお願いします。」




「いいんですか?自分で。」




「あの人が自信満々に推してくれたからね。


あの人の目に狂いはないよ。」






なぜか叔父の知り合いには、叔父のことを全面的に信頼している人が多い。

天性の人たらしなのかもしれない。




「わかりました。精一杯努めさせていただきます。」




「とりあえず時間は20時から24時でお願いしてもいいかな?」




「かしこまりました。」




「時給とか聞いてる?」




「いえ、何も。」




「一応とりあえず今日は時給三千円で考えてます。」

4時間で1万2000円か。

割はいいな。

練習がお金になるという感覚に近い。



「わかりました、よろしくお願いします。」




「じゃロッカー案内するね。」




「はい。」




制服を貸してくれたのだが、その制服が、白のウイングカラーシャツに黒のボウタイで、黒のベストというオーセンティックなバーテンダースタイルだった。


そして、服に着替えてピアノの癖を知るために練習させてもらった。

ピアノに案内されて、確認すると驚いた。



2台目に中野で弾いたものだ。


「これは運命だろうか。」


指が走る。音が空間を満たしていく。


残響が心地よい。音の海に身を沈める。


「さて、やってみますか。」






結論から言うと、その日は大盛り上がりだった。


自分としても雰囲気を邪魔しないように、ゆっくりと雰囲気のある曲を選んでいたつもりはある。


そうすると、なぜかピアノ周りの席からうまってきた。


そして、最初こそ男性の客が多かったのだが、夜が更けるに連れて女性客が増えてきて、最終的に自分のソロリサイタルみたいになったのだが、結果オーライだろう。






「お疲れ様。今日は本当にありがとうね。」




「オーナー、お疲れ様です。


こちらこそあんな名器を弾かせてくれてありがとうございました。」




「いえいえ。


はい、これ今日のバイト代。」




「ありがとうございます。


あれ?額おかしくないですか?」




「3000円は研修給だよ。


今日見て、研修は必要ないなと思ったから、時給6000円。交通費とかその他諸々合わせて3万5千円。もう終電ないしね。」

アッツ!

激熱やん!

このバイト死ぬまで続けたい。




「ん?終電無い?」

時計を見ると1時を過ぎていた。


確かにもう終電を過ぎているので、普通ならタクシーで帰るところだが、自分は自転車である。


いくら何でもさすがにもらい過ぎているような気がしたので返そうとすると、感謝の気持ちだからと固辞されてしまった。

他の子には払っているのに君だけ払わないわけにはいかないと。

律儀だ。このオーナー。

自分としては好きなメーカーのピアノが弾けてお金にもなって、最高でしかない。






結局週に2回、ゴルフバーがお休みの日と、自分のレッスンが入っていない日にこのお店でピアノを弾くことになった。

大体、週7万×4週の月28万円の稼ぎだ。


あのピアノを買うために小さいけれど大きな一歩を踏み出した。






大学一年生にして、なかなかの稼ぎっぷりだが来年の税金が怖いのでしっかりと貯金しておこうと思う。

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