第13話 プラチナチケット

真夏の空気がすぐそこまで来ているということを否が応でも感じさせる、七月のある日。


必修の授業でよくペアを組んでいたことから仲良くなった女の子、望月緋奈子さんが声をかけてくれた。




「吉弘くんさ、最近よく自主休講してるけど、テスト大丈夫なの?」




「えっ。」




「テスト。」




「テスト???」




「そう、テスト。」




しまった完全に忘れていた。


七月はテストがある。


しかも自分は、学費全免で大学に通っているため、優秀な成績を取る必要がある。

成績が下がると学費を払う必要が出てきて、今の家を退去させられる。




「その様子だと完全に忘れてたみたいね。


とりあえず、授業かぶってるやつのレジュメは送ってあげるね。」






「ありがとう。お詫びと言っちゃなんだけど、これ。」




「えっ、あ、これ。」




「そう、学祭のコンサートチケット。」




「そんな!いいの!?」




「えっ、学祭のチケットくらいで?」




「今これプレミアもののプラチナチケットよ。


なんでも放課後のピアニストとかいう異名をもつイケメンが出るとか出ないとか…。」




うわはずかしー


放課後のピアニスト、留年の危機とかはずかしー。


単位出ませんでしたとかはずかしー。


しかもあなたの目の前でレジュメもらってる人放課後のピアニストですよ。


はずかしー。






「あれ?吉弘くん風邪?なんか顔赤いよ?」




「ちょっと最近思わしくなくてね…。」


すいません嘘です。


放課後のピアニストとか言われて恥ずかしがってるだけです。




「そうなの…。


じゃ体に気をつけないとよ?


テストはもう3週間後なんだから。」




来た!


3週間あればなんとかなる!


これでも要点はちゃんと把握してるんだ。




「とりあえず頑張ってみるね。」




「あ、あと言いにくいんだけど、このチケットまだ余裕あったりする?」




「え?うん、まだもう少しあるけど…。」




「じゃ、吉弘くんの授業の過去問とレジュメ全部用意してあげるからあと3枚ほど都合つくかな…?」




「いや、悪いよ!そんな!


こんなチケットでそこまでしてくれるだなんて…。」




「いや、私の友達にチケット手に入らなくて泣いてた子何人かいてね…。」




「そんなに…?」




「そう、そんなにチケ難なのよ…。」




「じゃあ全然大丈夫だよ!


はい!どうぞ!」




とりあえずカバンにはまだ20枚ほどチケットが残っていたので、少し多めに5枚ほど渡しておいた。




「えっ!こんなに!?


もしかして関係者?」




「まぁ、そんなとこかな!


だいぶ前に、さばいてねって何枚か先輩に渡されて…。」




「そうなんだ…。


でもさばききれそうでよかったじゃない!


今転売サイトで一枚10万とかっていうのも出てるみたいよ?」




「10万!?!?


それは許せないな…。」




「でしょ?すごい悪質よね。


でもそれくらい人気のあるチケットだからきっと捌けるわよ。」




「そうだね。


まずは運営に話をして転売サイトのチケットを駆逐するところから始めてみるよ。」




「お願いね!」




「こちらこそお世話になります!」




「任せといて!」






ちなみに望月さんからは、その日の夜にレジュメと過去問が全てPDFでメールに送られてきた。


仕事がとても早い。




メールには、友達みんな喜んでたという文面もあり、演奏を楽しみにしてくれている人の存在を近くに感じられて、より気待ちが引き締まったので、その日はめちゃくちゃ練習した。








次の日。






たまたま構内で望月さんを見つけたのでお礼を言うことにした。






「望月さん!本当にありがとう!


おかげさまでテストは何とか乗り切れそうだよ!」






「そんな昨日の今日で調子のいいことを。」




「ほんとほんと!


これでも要点を押さえて割と勉強してたんだよ?」




「ほんとに〜?


でもこちらこそありがとう。あんなプラチナチケットもらえるなら、それくらいお安い御用よ。」




「そんなに楽しみにしてくれるなんて、きっとみんな喜ぶよ!」






「私も楽しみにしてるからね!」




「お願いします。」




こう言う反面、自分でハードルを上げてしまったことに少しばかり後悔しつつ、その場は別れ、日々の講義を消化する。






講義が終わった後はいつも通りの練習をこなすと、時間はすでに夜の12時前。


一つのことに没頭すると時間を忘れてしまうのは悪い癖だとわかってもその時間が幸せなのでそれを止める気も起きない。






「帰りますか。」




自転車をこぎながら家に帰る道すがら、自分には大学の中に男友達がほとんどいないというのは何とかしたほうがいいんじゃないかと、ふと思った。




自分には年が少し離れた姉と母、仕事で家を空けがちな父という四人家族で育ったため、割と女の子の育てられ方をした。




世の中の弟は大体が姉のおもちゃである。


そのことに気づき、受け入れ、むしろ感謝さえするようになったのは高校に入ってからだったか。






あれよあれよという間に中学では吹奏楽部に入り、部員数50名ほどで男は自分一人という環境に身を置いて3年。


何事も問題なく過ごせたことは自信につながった。


高校では多少改善されたものの、自分がいた吹奏楽部は部員数200名弱の大所帯。

その中に男子生徒はわずか3人という環境。


お陰でその3人の絆は海よりも深くなった。




女の子の多い環境と聞けば大抵の男子は喜びそうなものだが、実態はそうではない。


男も女も本質はそう変わらないのだ。


あと、余談ではあるが実際にモテるのは確かだった。

角が立つからみんなには言わないけどね。



そんな状況で生きてきた自分は、女の子と暮らす方がよほど楽だった。

であれば多少はもう仕方ないとして諦めるのが得策か。




そのような結論が出たところで家のエントランスに着いたので、そのままエレベーターで自転車ごと部屋に上がる。






部屋で自転車の基本的なメンテナンスをすると、広い玄関に置きっぱなしだが今日は壁に取り付けてある自転車のラックに愛機をかける。






「今日はこれだなぁ。」




最近お取り寄せグルメにはまっており、日本各地から様々な料理を取り寄せている。

そんな私が取り出したのは松坂牛のフレークだ。


大トロのような油感と、熱々のご飯にかけた時に、コメの熱で少し溶けた感じがたまらなくうまい。




あらかじめ予約して炊いておいた熱々のご飯を丼によそい、その上に松坂牛のフレークを豪快に散らす。




今日はさらに贅沢に、お取り寄せした高級卵の黄身だけを上に落とす。


黄身が手でつまめるほどに弾力がある卵だ。


味ももちろん濃い。




そこに、福岡の有名な和食屋さんが出している出汁醤油をさっとかける。




それを持ってリビングのダイニングテーブルに置く。


黄身を崩しながら、ご飯をほぐし、出汁醤油と黄身、松坂牛、米が良い塩梅に混ざったところで一思いに口の中に叩き込む。


「殺人的なうまさだ…。」




意識が飛びかけるが、グッとこらえてさらに一口二口と食べ進める。




「ごちそうさまでした。」




食べ終わると食器を片付けて風呂に入り、一日の疲れを落とすと、すぐに寝る。

練習で夜更かしすることが多い自分が睡眠時間を確保するためには迅速な行動が求められる。




「おやすみなさい。」




明日はどんな練習をしようかと考えているうちに眠りに落ちる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る