第2話 演奏会に来てみた。
演奏会は一言で言うとすごかった。
大学の受験勉強で、音楽からしばらく離れていた体を呼び覚ますには十分以上の刺激があった。
私はすぐにでも音楽に浸りたくなって体がウズウズしてきた。
特に、実季先輩のピアノは天下一品だった。
おそらく自分よりもっと音楽に詳しい人や実季先輩本人はまだまだだと思っていると思う。
音楽には終わりはないから。
音楽は極めようと思えばどこまででも極められる。
ある曲の苦手なところが弾けるようになったかと思うと、他のところが気になる。
他のところを直すとまた他のところが気になる。
音楽家は自分の演奏に満足してしまうとそこで終わってしまう生き物なのだ。
でも私は実季先輩の演奏が大好きだった。
初めて聞いたが、あんなに楽しそうで悲しそうで嬉しそうで、弾き手の感情と作曲者の感情が直に伝わってくる演奏は初めてだった。
実季先輩はちっこい先輩から憧れの先輩にランクアップした。
いつか肩を並べて共演したいなぁ。
ピアノに影響を受けたので私の新しい趣味はピアノにすることにした。
そうと決まれば練習室に行ってみようということで、行動を開始した。
忘れる前にちゃんとラインで、『最高でした!!!!』と感想を送っておいた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
練習室は、メインキャンパスの総合人間学部に併設されており、6号館にある。
ちなみに外国語学部はだいたい5号館で講義を行うらしい。
1〜4は教会施設らしく、神学部だったり講演に使われたりするらしいので、あまり用事はなさそうである。7号館以降は運動会のグラウンドだったり他のキャンパスだったりするのでよくわからない。
6号館に入るとすぐに館内地図があったので練習室を探す。
「お、案外近いじゃん。」
地図通りにてくてくとしばらく歩き、いざ着いた練習室棟は棟と呼ぶにふさわしく、別個の建物になっていた。
3階でメインの建物と渡り廊下でつながっていて、練習棟の建物自体は5階建て。
で、その全てが練習室になっている。もちろん小さい多目的ホールも完備している。
「豪華だなぁ…。さすが名門私立。寄付金の額も半端じゃないんだろうなぁ…。」
私は受付で学生証をかざして、一番小さい二階のピアノ室に向かう。
受付で説明されたが、5階の練習室のピアノは全てグランドピアノとなっており、基本的にはコンクール出場など大会を控えた学生が優先的に使えるらしい。
普段の練習ではあまり占拠しないようにとのことだった。
ピアノ室に入ると、ピカピカに磨き上げられた黒のヤマハのピアノが目に入った。
「おぉ、ヤマハ……!!!」
私が中学時代に使っていた楽器は、学校所有のヤマハのアルトサックスで、高校の時にはセルマーというメーカーのアルトサックスだった。
セルマーについては、高校に合格した時に、高校でもアルトサックスを続けると父に言うと買ってくれたものだ。
父曰く、
「高校でも続けるならセルマーのアルトサックスが一番お前にあっていると思う。だから次の日曜日に買いに行くぞ。」
父はなぜかいろんなものに詳しく、たくさんのことを見守ってくれているように思う。私はそんな父を尊敬している。
ヤマハといえばもちろん日本を代表するモノづくりのスペシャルメーカーだ。
世界の第一線でたくさんの素晴らしいものを作り続けている。そんなヤマハを初心者のうちから扱えるとはありがたいと思いつつ鍵盤を抑えてみる。
ポーン。
しっかりと乾いた軽い音がなった。
いい音。
これはCの音だ。
アルトサックスではラの音にあたり、ピアノではその音をドと表す。
私は自分でピアノを鳴らしたということにとてつもない喜びと達成感を感じた。
吹奏楽部の頃はキーボードには触れるが、ピアノに触れることはあまり無い。
ピアノがある曲もたくさん吹いたが、それはパーカッションの生徒やピアノに自信のある生徒が担当した。
ドの音を鳴らしたはいいが、何をすればいいのか。
とりあえずドやレといった音を鳴らし続けるのも芸がないと思い、手持ちのスマホでピアノ初心者がまずするべき練習を検索してみた。
するとどうやら指の体操と呼ばれる練習曲があることに気がついた。
「こりゃあ最高。楽譜も無料でダウンロードできるみたいだし。
いっちょやってみますか。」
そんな私がダウンロードしたのはハノンと呼ばれる練習曲。1〜60番まであるらしく、ダウンロードにえらい時間がかかった。
「え、見にく。」
画面が小さくてめちゃくちゃ見にくい。
パソコンでダウンロードした。
大学生といえばこれでしょ。Macbook。
これはおじいちゃんとおばあちゃんが買ってくれた。
入学祝いだ。
大学内はWi-Fiが無料で使えるのでありがたく使わせていただく。
ダウンロードが完了すると、早速1番から弾いてみる。
1番から10番
「余裕余裕。サックスの運指で鍛えたから、指の筋肉はだいぶついてるみたいだね。」
たどたどしくも2~30回ほど連続で引き続けていると問題なく弾けるようになった。
11番から20番
「うん、難しいのは何個かあったけどまだまだ難なく弾きこなせるね。」
こちらも2~30回でつっかえることなくしっかりと音が出せるように。
21番から30番
「あれ、指が回らなくなってきたぞ。
いや、でもまだいける。」
この辺でちょっと休憩して指をほぐして、ストレッチだな。
歯ごたえがだいぶでてきた。
これはちょっと苦戦して5~60回は弾いたかな。
31番から40番
「お、だいぶ回る回る。
筋肉疲労が取れてきた。」
21番から30番の練習で鍛えられた私に死角はない。
41番から50番
「難易度がインフレしてきた」
51番から60番
「ゆびがもげる」
5時間ほどかけて60番まではなんとか弾ききった。
外はもう暗くなっている。
上手くなるためにはこれをやり続けるのは効率が悪い…。
とりあえず1〜10と、難しかったやつだけ集中して練習しよう。あとネットで練習するのにお勧めされたやつ。
最初は音が軽かったり、つまずいたりしたものも、ネットでお手本を聴きながら、注意するべき点を調べながら、録音した自分の音を聞き比べたりして練習して行くとだんだんと形になってきた。
満足のいく出来栄えになったときには、すでに夜の12時を過ぎていた。
弾き始めの頃はたくさん聞こえた練習室棟からわずかに漏れるピアノの音はもうすでに自分のものだけになっていた。
「あ、帰ろ」
私は急いで荷物をまとめて練習室を出た。
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