第5話 エルフ、ではなく連、慰める。

「お、菜々女」


「……おはようございます」


「おお。あれは我がいた世界でも見たことあるぞい。確か、自分に黙って娼館に通い詰めた夫を睨む妻と同じ顔じゃ」


「ありがたいご解説助かるよ」


 紫砂との同衾を目撃された翌日、朝番で顔を合わせた菜々女の顔は、険しいものだった。


 汚いものを見せた俺が悪いのはわかるけど、勝手に部屋に踏み入った菜々女にも問題はあると思うんだけどな。


 あの日、俺は菜々女の後を追ったけど結局見つけられず。電話もラインもフルしかとされる始末。


 とぼとぼと肩を落として自宅に戻ると、何故か嬉しそうな顔の紫砂が出迎えてくれた。


「引き継ぎ確認したらカウンター周りの準備進めますね、八雲野マネージャー」


「お、おう。頼んだ」


 いつもの『やっくん!』っていう軽口がない時点で、機嫌のほどが窺える。

 ていうか敬称すらマネージャー呼びに変わってるし。


 おかっぱボブくらいの長さで切りそろえられた綺麗な黒髪を纏った顔が、普段の愛くるしさとは無縁な雰囲気を醸し出していた。


「まあ、そういう時もあるのじゃ。女の数が男の甲斐性という言葉も我の世界ではあってな、重要なのはどう手綱を握るかじゃ。気を落とすでない」


「なんで俺は見た目ガキンチョなエルフに慰められてんだ」


 まるでいたずらをした我が子を叱る母親みたいな生暖かい目で、ラピスは俺の背中を何度か叩いた。


「で、我は何をすれば良いのじゃ?」


「そうだな……」


 妙に勤労意欲にたぎっているラピスに、いくつか仕事を教えた。

 一日の売・粗・アウト・稼働数の見方。加えて事務所のパソコンの扱い方。

 ホールコンの操作方法。

 簡単な設備トラブルの対処法。


「POSの開店処理とレシート補充、景品棚の整頓終わったので、台チェック入ります」


「……はい、よろしく」


「おお、怒っておるの!」


 インカム越しに聞こえる菜々女のご機嫌斜めな声を聞いて、ラピスは無邪気に笑う。そういうの、性格悪いんだぞ?


「む? 連よ、この台だけ真っ暗なんじゃが」


「ああ」


 ラピスが指差すパチンコ台のシリンダーに台鍵を突っ込んで、セル盤部分を台枠からずらす。


「ああ、やっぱりな」


「何がわかったんじゃ?」


「昨日、ラムクリ忘れたんだな」


 電源を立ち上げると、案の定というか、確変が残った状態の液晶表示が目に入った。

 俺は、ラピスにレクチャーしながら、台の状態の見方とリセットの仕方を教える。


「ちなみにこれを残したまま開店したらどうなるんじゃ?」


「ワンチャン営業許可取り消しかな」


「ヤバすぎじゃろ!?」


 物証がなければ問題はないが。

 と言いつつ、今どきはスマホ一台あれば録音、録画が簡単にできるから、油断できないんだけどな。


 ていうかワンチャンって言葉が通じるのか。

 さっきパソコン操作教えた時も随分手際が良かったし、昨日一昨日でスマホ使った影響か?


 俺は、ラピスの学習能力の高さに驚きながら、残りの開店準備を勧めた。


「つーわけで。月半ば、ド平日で大して原価も使えない日だから、パチンコは海水物語、スロットはピエロに充ててる。プラス新台も他よりはマシだから、営業中は今言った機種に稼働をつけられるように心掛けてくれ」


「はい。了解しました、八雲野マネージャー」


「ひぇ」


「ちょ、ちょっとちょっと八雲野さん! ななちゃんに何したんですか!?」


「なんで俺だってわかるんだ君たちは」


 開店前の朝礼の時間、オープンスタッフの二人から、菜々女の異変について質問攻めに合う。ついでにラピスのことも遠い外国の親戚だとか、適当に説明した。菜々女の機嫌が異常気象過ぎて、ラピスの件は大して突っ込まれなかった。


「惜しいのう。妙な先入観を持っておったら、魔法で洗脳してやったんじゃが」


 物騒な台詞を口にしていたので、何事もなくて良かったと安心した。


「いらっしゃいませー!」


 シャッターを開けて、店を開けると、菜々女はさっきまでの無表情が嘘みたいに、愛想を振りまいて客を招き入れた。


 さすがに、仕事中は切り替えるか。

 俺は、そんな風に表層だけ見て、楽観してしまった。


 人間の感情はそんなに簡単に割り切れるものじゃないのに。


「おい! どういうことだ! 金返せこの野郎!」


 だから、菜々女が普段なら絶対にしないミスをする可能性だって、ゼロじゃなかった。


 俺は、その程度の予測をしておくべきだったと、菜々女が客の男性から詰められるシーンを目撃しながら、そう思ったのだった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――



「失礼いたしました、お客様。どうなさいましたか?」


「どうもこうもあるか! コインの残高が減ってんだよ!」


 顔面蒼白の菜々女は……使い物にならないな。


「対応はこっちでやるから、ホールよろ」


「あ……ごめん、なさい」


 テンパリオブテンパリって感じだな。


 とりあえず俺は申し訳無さそうな表情を作って謝罪した後、詳しい状況を客に尋ねた。


「一万入れて貸出二回押しただけのコインを他の台で使おうとしたらエラーが出たからさっきの女に見せたら、前日コインだから精算するとかわけのわからないこと抜かすわ、挙句の果てに残高五百円しかないとか言い出すわで、困ってんだよ」


 怒りのピークを過ぎたのか、若干ではあるけれど落ち着きを取り戻した客の今の感情は、憤りというより困惑に近い。なんで? という感じだ。


『のう、連よ』


『あ? だからインカムを……って、俺がそういう場合じゃねーな』


『うむ。我はTPOをわきまえるエルフの女王じゃからな!』


『そんな単語まで覚えてんのかよ……』


 エルフの学習能力恐るべし。


『困り事なら我が片付けるぞ?』


『魔法を使わない。力技じゃない。この条件を満たすならやってくれ』


『ちっ』


『大人しくホール見ててくれ。あと、菜々女の様子も。もし、よっぽどあいつがテンパってるようだったら、最悪魔法の使用を許可する』


『おい』


『何だよ』


『過保護』


『うっせ』


 などという思念通話を終えた俺は、再度客に頭を下げて時間をもらい、裏とりのためにモニタールームに引っ込む。


「や、やっくん」


「なんだ、もう許してくれたのか?」


「それは、許さないけど」


「許さないんかい」


 ガクッと肩を落としながら、俺は再生と巻き戻しを繰り返しながら、カメラの録画データを眺める。


「あの、私、その、何がどうなってるか、わからなくて、だから」


「あー、なんか懐かしいな。お前のそのきょどきょどしいやつ」


 まだ菜々女のケツが青かった頃、事あるごとに泣きながら俺に助けを求めてきた頃を思い出す。


 初めてパチンコを打ちに来た日もそうだった。


 菜々女は、他人の俺がびっくりするくらい、なにかに怯えていた。


 こんなにかわいくて、陽気で、配慮ができるんだから、もっと自信持って生きればいいのに。


 とか、しょっちゅう思ってたな。


「ふーむ。なるほど」


「げ、原因、わかった?」


「ああ。ずばり――犯人はお前」


「や、やっぱり……」


「だけじゃないわ」


「……え?」


 念のため三度録画データを確認した俺は、該当コインの使用停止処理をした。


「諸悪の根源は昨日閉店後に各台にコイン補充したクローズのスタッフかな」


 開店直後、菜々女を叱りつけた客が座っているサンドのコイン返却口の拡大画像を見せた。


「あ……これって……」


「そう。まだ客が一万円突っ込んでないのに、返却口にコインが出てる」


 つまり、昨日閉店間際までパチンコ売ってた客が取り忘れたコインが、今日の朝まで放置されてたって寸法だ。


「当然客は気づかず金入れて遊んで、移動しようと思って返却口に出ていたコインを取った」


 自分のじゃない、誰のかもわからないコインをな。


「迂闊だったなー。普段の菜々女なら、朝の台チェックの時に気づけたろ」


 該当台は、朝に菜々女が確認を行ったコーナーに設置してある。


「最悪、客から話を聞いて取り違いには気づけたんじゃないかな」


「あ……ごめん……ごめんなさい……わたし……」


「だーかーらー」


 びくっと、俺が右手を上げると菜々女の身体が震える。


「お前のせいだけじゃねーって言ってる。そもそも朝の責任者は俺なんだから、チェック漏れも俺のせい。信用しきってお前に全部任せてた俺の怠慢だよ」


「う……うぅ……やっくんのばかぁ……ええかっこしぃ……」


「お前このタイミングで泣かれたら俺が悪者みたいに――」


「おはようございまーついに八雲野さんが里市芽さん泣かした!」


「思われたじゃねーかよ」


 遅めインのスタッフが出勤してきたタイミングで、俺は見事女泣かせのレッテルを貼られた。


 どうにでもなれと思いながら、えずきながら肩を上下させる菜々女の頭を撫でる。


「さて、ちょっくら説明してくるか」


「あ……でも、結局コイン、どこかに行ったまま」


「置きっぱなしで席離れた隙にパクられたからな。でも、そっちも解決するだろ」


「え?」


「八雲野さーん。精算機エラー出てます、対応お願いしまーす」


「こんな風にな」


 ホールスタッフからインカムで連絡が入る。


 カウンター脇の精算機を映すカメラの映像を見ると、


 そこには、さっきの客のコインを盗んだ人物と同じ顔が映っていた。


「はいはい、おまたせしましたっと……客は?」


「なんか、焦った様子で行っちゃいましたけど」


「ま、そりゃそうだわな」


 無事目当てのコインを回収した俺は、待たせていた客に事の経緯を説明して、最後にもう一度謝罪を重ね、無事に事態を収拾した。


「……あの」


「地縛霊みてーにこっち見てんじゃね―よ」


 トラブルもありつつ迎えた昼休憩の時間。


 気まずそうな顔で俺の方を見つめる菜々女と目が合った。


「今日、時間、ある?」


「まあ、暇だよ」


「そ。じゃあ、家、行くね」


「おう。おう?」


 どうせつまんねー謝罪だろ。


 なんて思い込んでた俺は、何故わざわざ菜々女が俺の自宅まで押し寄せるのかまで考えなかった。


 怠惰は重罪だと知ったばかりだっていうのに、本当に学習しない男だ。



「……お詫び」


 俺の前には今、そう言って下着姿になって恥ずかしそうに俯く菜々女がいたのだった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――


 

「待て待て待て! なんでそうなる!?」


「だ、だって、私がお詫びに差し出せるものなんて、これくらいしかないし」


 いやまあ変だと思ったよ?


 なんか妙に覚悟決まった顔でコンビニで色々買い込んでたし、帰宅するなりシャワー借りるとか言い出すし。


「ガキが無理するなよ」


「こ、子供じゃないもん!」


「顔真っ赤にして『子供じゃない!』ってアピールするやつは大体子供だよ」


「……あの人とは寝たのに、私とは寝れないんだ」


「ぐほっ」


 飲んでた酒吐き出した。

 例によってラピスは何故か不在だし、なんて空気が読めるエルフなんだか。

 こういう時こそ家にいろ!


「紫砂はいいんだよ」


「なんでよ!」


「そりゃ……待て待て、違うだろ。お詫びなんていらないって話だ」


「ちっ」


 危うく流されるといらねー話をするところだった。


 俺はその後も引かない菜々女を説き伏せて、なんとか服を着せることに成功した。


「ちょっと同僚とその知人の裸見たくらいで、そこまで不機嫌にならなくてもよかったろ。緑保留外したくらいのもんだろ?」


「私にとっては虹保留スルーしたくらいの苛立ちだったの!」


「そりゃやばいな。裏物か遠隔だから通報したほうがいいぞ」


 大昔の機種だと確定じゃないやつがあった気がするから、一概にそうとも言えないか?


 なんてことを考えてると、またしても目の前の小娘が泣き始めた。


「仕事で迷惑かけて……女としても魅力なくて……私、生きていけないよ……」


「だいじょぶだろ。学費使い込んだのにのうのうとパチンコ打ってるし」


「ぐす……ぐす……」


『連。連よ』


『おう、いいところに。助けてくれ』


 まるでどこかから見ているんじゃないかと疑いたくなるくらい、ナイスタイミングでラピスからのキャッチが入った。


『落ち込む娘御を慰める方法なんぞ全世界共通じゃろうて』


『なんだ?』


『抱いてやれ』


『しばらく飯抜きな』


『冗談じゃよ。マジレスすると劣等感を抱える部分にフォローを入れて適度に持ち上げてやるのが吉じゃ』


『なるほど。具体的で素晴らしいアドバイスだ。褒めて使わす』


 マジレスとか平気で使うエルフ。

 言葉遣いが気になるが言葉の中身自体はそれなりに妥当性が有りそうだ。


 俺はありがたく参考にして、菜々女に声をかける。


「菜々女。お前は仕事はできるし、女としても可愛いと思うぞ。だから落ち込む必要はない」


「……じゃあ抱いてよ」


「それはちょっと」


「ぐす……ぐす……」


 振り出しに戻る。

 所詮エルフの戯言だったか。


「損害補填するつもりがあるんなら、今まで以上に精一杯働いてくれればいいよ。つか、俺みたいなのに身体捧げてまで詫び入れる必要ねーから。そういうのは、本当に好きな相手のために取っておくもんだ」


「……はぁ」


 投資五万でようやく引いた当選期待度九割超えの激アツリーチを外した直後みたいな顔でため息をつくと、菜々女は力なく顔を伏せた。


「やっくんって、そういう人だもんね。私が馬鹿だったんだ、うん」


「勝手に落ち込んで勝手に立ち直られると、それはそれで疎外感があるな」


 目は赤いけれど、声には少しだけ張りが戻った。

 時間に勝てる万能薬はないのかね。


「んん。なあ、菜々女。本当に、お前に補填なんて求めないんだよ。だってお前にはとんでもない利益、出してもらってるから」


「え?」


「若くて可愛い女の子がいるってだけで、馬鹿な野郎のリピート率上昇に多大な貢献をしてる。それに、他の常連にも気が利く。あと、地味に落ち込んでる時、底抜けに明るいお前の笑顔を見ると、ちょっと……気が楽になるんだわ」


 最後は、言わなくてもよかった気がするけど、菜々女のためを考えるなら、恥ずかしさを我慢して言ってやった方がいい、と俺は思った。


 柄にもなく面と向かって真っ直ぐな言葉を吐いたせいか、春先だっていうのにフライング気味の夏が到来したみたいに、俺のほっぺたは熱くなっていた。


「か、可愛いって、ガキには興味ないって言ったくせに」


「可愛くないとは言ってないだろ?」


「それ、は……」


 言ってしまえば、菜々女をうちの店で雇用するのを推したのも俺だしな。

 理由? 顔が好みだから。

 本人には死んでも言えねーけど。


「だから、ほら。お前は、お前が思ってるほど、無価値じゃないんだ」


「やっくん!」


「うわっ!?」


 唐突に菜々女が俺の胸に飛び込んできた。


 風呂上がりのシャンプーの匂いが口腔内を蹂躙する。


 俺の家に備え付けてある物なのに、女の匂いと混じるとここまで破壊力増すのか。


 咄嗟に抱きしめるように腰に回した手は、彼女の柔らかくて華奢な肉体の魅力をぞんぶんに噛み締めていた。


「ありがとね! これでほんとに、元気出たから!」


「それは、良かったよ」


 久しぶりに見せた笑顔は、俺が知ってる菜々女の、お日様みたいに明るいものだった。

 

「これで私、明日からも頑張れる! やっくん、まだまだ未熟だけど、末永くよろしくね!」


「一々大げさなんだよ」


 しっしと追い払う。

 玄関まで駆けるように移動した菜々女は、ドアノブに手をかけながらこっちを振り向いて。


「――勃ってるくせに興味無いとか強がるやっくんも大好きだよ♪」


「おまっ」


「じゃあね!」


 バタンと、勢いよく閉まるドアを見つめながら、最後の最後にしでかしたチョンボを猛省する。


 ……あいつめ。さっき急に抱きついて密着したのは、俺の反応を直に確かめるためだったか。


「まあ、元気になってくれたなら、とりあえず良かったな」


 次に職場で顔合わせた時になんて言い訳するか。

 俺は眠るまでの間、悶々としながら、菜々女の顔を頭に浮かべながら言い訳を考え続けた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――



「……というわけで、雨降って地固まったみたいじゃぞ、紫砂よ」


「なんでよー!?」




―――――――――――――――――――――――――――――――――


【あとがき】


 こんにちは、はじめまして。

 拙作をお読みくださりありがとうございます。


 毎日19時に1話更新していきます(短い場合は2話まとめて更新)。

 執筆自体は完了しており、全21話となっています。

 よろしければ最後までお付き合いくださいm(_ _)m



※※※フォロー、☆☆☆レビュー、コメントなどいただけると超絶嬉しいです※※※

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