後編 -「破摧」
こういう時、ボディソープは使うのか。頭まできっちり洗うのか。そもそも友達としていたカラオケの約束はいいのか。
時間稼ぎにしかならない自問自答を繰り返したのち、玄関の扉が開く音を聞いて僕は慌てて湯を止め、体を拭いた。
同時に、すりガラスの向こうの死角になったところで鳴る衣擦れに、手が止まる。下衆の勘繰りと言えばそうだ。幸か不幸か、弾き出していた結論はまた現実になった。
突然現れたのは、既に一糸纏わぬ姿となったレイカ。
「ちょっと.....!?」
「ダラダラ長引きそうなんだもん」
「早くシよ」
結果として、僕は一線を超えた。腰に手を添えられ丹念に舐られ、凝り固まっていた緊張も吹っ飛んでレイカは上辺の行為を進ませた。
感触を知った。暖かさを知った。絡ませる舌の柔らかさを知った。言われるがまま覆い被さった僕に、ほのかに甘い声で「動けば」と伝えその通りに、見様見真似で。
しかし思い描いていた嬌声は一度も立つことはなかった。
時折向きを変えてみたり、上に乗られてみたり。最終的にはほとんど一方的に。一度果てても若さがゆえに簡単には収まらず、彼女にとっては初々しいのであろう反応を見てはかすかに笑みをこぼしていた。
浴びたシャワーがすっかり無駄になるくらいに交わって、むせ返るような汗の匂い、どっと訪れる疲れを感じる。
一通り、といっても後にも先にも。例をこれ以上集められる気がしない。
深く息を吐き出しながら隣り合わせでベッドに寝転がっていると、詰まりながらだった言葉もすらすらと出てくるようになった。
「なんで.....僕を誘ったの?」
「...んー?セックスが好きだから」
「相性とかあるけど、気持ちいいものは気持ちいいじゃん」
「キミはどーだった?正直に」
「気持ち、よかったけど...」
なんというか、拍子抜けだった。優越感も快感も置き去りにして、こんなに軽率なことである実態を身をもって知ったことで。
期待してた出血はなかったし、彼女の口はずっとコンスタントに息を吐き出すため半開きで、猿とは程遠い慎ましやかな声だった。
もはや互いに全裸体であることを忘れて、僕はスマホに視線を移した彼女に問いかけた。
「好きだから、って....」
「こう、もっとさ...恋人と一緒にとか....」
「なんで?気持ちいいから好きだ、って言ったじゃん。キミを誘ったのもちょっと興味あっただけだよ」
「たまにいるよ、一回シたくらいで好きになって行き過ぎたことしちゃう人」
全くの図星だった。彼女が満足に至っていないことも、一度は不純に想像した制服の裏側、表情に、これまでとは一転して可愛らしさのような情を感じ取ってしまったことも。
彼女の主張を受け入れるなら、僕は期待外れで、元々の予定を潰さない方がよかったとさえ考えさせる結果を招いた相手だった。
「よかったの...?カラオケ....」
「別に。友達って思ってないよあんなの」
「私のこと、ヤリマンって触れ回ってるの聞いちゃったことあるもん」
逃れようのないことだ、僕だってそれを、そんな彼女を証拠もなく否定していた。たった一度身体を重ねただけ、それなのに恋愛感情を抱いてしまうどうしようもないサガ。
今ならその気持ちがわかる。僕は意を決して上体を起こし、レイカの肩に手を添えた。
「またしたいって頼んだら....どうする?」
「しないよ~。ヤリマンだって男選ぶ権利あるでしょ?」
「....何点だった?」
「んー...」
「65点くらい?あははっ、我ながら辛辣~」
「そっ、か」
「童貞卒業おめでと」
「...好きな人とすれば?って考えは否定しないけどさ」
「ホントに私でよかった?」
「...わかんないなぁ.......」
「....ありがとう」
「ん。お疲れさま」
それ以上の会話はなかった。彼女がスマホを手にしたまま背を向けたのを機に、僕は服を着直して逃げるようにマンションを後にした。
何故だろうか、仲間内で互いにネタにするくらい拗らせたものだったけど、いざ失うと自慢する気になんてならない。
結局は僕も、道を踏み外した。勢いに流されて己の本質を見落とした愚かな人間だ。
その日は眠れなかった。四時間ほどの休息をなんとか取ってから、気が進まないけれど登校して、しぱしぱ微睡む目を床にだけ向けて廊下を歩く。
寝ぼけているのか、三年生のフロアを間違って通ってしまった。そして教室で駄弁っているチャラついた男子生徒の会話を耳にする。
『レイカチョロくねえ?こないだマジちょっと誘ったら簡単にホテルついて来たわ!』
『俺も俺も。てかヤリマンっしょマジで。そろそろ気ぃーつけた方がいいんじゃね?』
『でも顔可愛いじゃん!ヤらせてくれるしさ、俺ら穴兄弟ってことで!』
『キメェ~!お前経由した性病とか罹ったら自殺モンだわ!』
『ワンチャン告ろっかな俺~』
自嘲、冷笑。複雑な感情を含んだ笑いが鼻から出た。快楽だけを求めて遊ばれてることも知らずに、などと考えてしまった。
ただそれを認識しているだけで、僕も遊ばれた人間の一人に過ぎないんだ。
僕が縮み上がりながらも踏んだ底の見えない
尚も僕の考えは変わらない。むしろ、なにか得難いものを心に持てた気がする。
「おはよう」
「友達」との会話混じりにレイカが僕に言った社交儀礼の挨拶は、いつも通りよそよそしくて、僕もいつも通り深く受け止めずに遠くに追いやるばかりだった。
「おはよう」
せめて僕が、彼女の嫌う人間でない様に。
【短編】薄氷(うすらい) Imbécile アンベシル @Gloomy-Manther
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