第40話 夢は必ず終わる

「良い夢を見続けられるのであれば、それの方が良くないかしら?」



 悪魔の囁きは実に甘美だ。


 まして、四肢を捻じ曲げられ、その傷口を踏み付けられているとなればなおさらだ。


 律義に響く激しい痛みが、悪魔の囁きを助長するかのごとく剣士を苦しめた。


 諦めたらどれほど楽だろうか。


 悪魔の差し伸べた手を握れば、どれほど救われるだろうか。


 そんな卑しい考えが脳裏をよぎる。



(だが、そんなものはまやかしだ!)



 剣士は知っていた。雑木林でずっと木を切り続けている老人の事を。


 かつて勇者と呼ばれた成れの果て。『剛腕』の二つ名で呼ばれた英雄だ。


 剣士にとって、かつての勇者は憧れそのものだ。


 強大な敵を倒し、その勇猛果敢なその姿は、今なお伝説に語られている。


 五十年もの歳月が過ぎようとも、その英雄譚は人々の中で語り継がれ、いずれは自らもと英雄たらんと欲してきた。


 剣士もまた、そんな憧れを抱く一人だ。


 だが、現実は残酷だった。


 今や勇者を目指すための試練の聖地は悪魔の巣窟となり、餌場と成り果てた。


 かつての勇者もまた、その悪夢に取り付かれたまま、それでもなお次の勇者が現れる事を待ち続けている。


 そんな状況を知りながら、悪魔の甘言を受ける程、剣士は諦めの良い人種ではなった。



「いいか、悪魔め! 夢って言うのは、自分の手で掴む揉んであって、誰かに恵んでもらうものじゃない! まして、悪魔の誘いになんぞ、誰が乗るか!」



「でも、その肝心な手、もう潰れちゃっているじゃないかしら?」



「…………ッ!」



 女王クイーンは剣士の手を踏み付け、グリグリと踏み抜いた。


 夢を掴む手はすでにへし折られている。夢を掴むどころか、這い上がって身を起こす事すらできなくなっていた。


 幾度となく繰り返される激痛の波に、何度も意識が飛びそうになるが、それでも剣士は心の奥底から湧き出す“何か”を奮い立たせ、折れる事はなった。


 そして、女王クイーンは飽きてしまったのか、最後の剣士の顔面を思い切り蹴飛ばし、用無しとばかりにそっぽを向いて離れていった。


 それから選手交代とばかりに、今度は首無デュラハンが進み出てきた。



「ふむ……。さすがに三度目の失敗はないか。女王クイーンは巧みな話術と、夢に落とし込む術に長けている。二度の失敗が活きたようだな」



 再び脇の定位置に戻った首から、笑い声と共に発せられた。


 しかし、不思議と不快感とも嘲りとも無縁の声色であり、むしろ感心している風すらある声であった。



「ズタボロになりながらも、なおも衰えぬ闘争心。見事と言える。やはり、勇者を目指す者としては、こうでなくてはいかんな!」



 そう言うと、首無デュラハンは再び斧を振り上げ、大上段に構えた。



「剣士ラルフェインよ、最後の機会を与えよう。命乞いをしろ」



「…………」



「夢は必ず終わる。覚めぬ悪夢など、ありはしない。終わりはいつかやって来る。ただ、それは“死”か“覚醒”のいずれかだ。で、それを下せるのはこの私」



 見上げれば、斧の刃が月光に輝いていた。


 荒れが振り下ろされれば、確実な“死”が待っている。


 死ねば悪夢から逃れられる、というのもある意味では道理だ。



「まあ、あれだ。お前にかかっている呪いを解き、樹海の外に捨てる。そうすれば、運が良ければ誰かが拾ってくれるだろう。いささか格好は悪いが、帰りを待つ仲間の下へと帰ることもできよう」



「いささか……? ハンッ! 何を言い出すかと思えば……。それは“覚醒”じゃなくて、“逃亡”だろうが!」



「現実的な判断であると思うのだがな」



「勇者は決して敵に背を見せない! 勇猛果敢にひたすら前とへ進む!」



「突き進むだけが勇気ではないぞ。ならば、“死”の方で夢を終わらせるか?」



 なにしろ、すでに斧は振り上げられ、首無デュラハンは大上段に構えているのだ。


 命を、夢を、人生と共に切り落とすことくらい造作もない事であった。



「生憎と、俺は仲間達に『勇者になって戻る』と宣言して、この聖域に来たんだ。何の成果もなしにおめおめと、しかも四肢を失った状態で帰ってしまったら、格好悪い以前に、“嘘つき”になってしまうからな!」



「なるほど。嘘つきもまた、禁令違反ではある。だが、樹海の外であれば、呪いが降りかからぬやもしれんぞ?」



「いいや、必ず降りかかる。なぜなら、あんたとの決闘の最中で、俺はまだあんたから一発も貰っちゃいない! それで引く事を選択すれば、あんたとの約を違える事となる!」



「……チッ、気付いたか」



 首無は残念そうに舌打ちすると、後ろに下がっていた女王の方を振り向いた。



「こやつめ、頭はいまいちだが、気迫は本物であるし、意外と視野も広い。どうやら、今回は私の負けだ、女王クイーン



「ふふ~ん、なかなか粘るボウヤだったけど、結果的には勝たせてもらったのだし、よしとしますか」



 何やら意味深な発言が飛び出したので、剣士は訝しんで二人を見つめた。


 その返答は、女王クイーンの薄ら笑いであった。



「簡単なお話よ~。ただ単に殺しただけじゃ面白くもないから、二人で賭けをしているのよ。“挑戦者がどんな死に様を見せるのか”ってね♪」



「まあ、そういうことだ。ちなみに、今回は私が“禁令違反による天罰”でやられると予想し、女王クイーンが“何者かによる直接的な死”に賭けた。事ここに及んでは、もう禁令違反は完全に拒絶されてしまったようだし、騙しも見破られた。もう斧による一撃以外で殺せそうにないからな」



「と言う事なの♪ 勝たせてくれてありがとう、ボ・ウ・ヤ♪」



「悪趣味な……!」



 剣士は吐き捨てるように言ったが、すでに抵抗する術を持ち合わせてはいなかった。


 四肢は捻じ切れ、立ち上がることすらできない。


 地べたに芋虫のごとく転がることしかできないのだ。


 だからと言って、今更命乞いなど論外だ。


 もはや素直に死を迎え入れるより他ない有様となり、剣士は無念の表情を浮かべた。



「では、さらばだ、剣士ラルフェインよ。せめて一撃にて屠ってやろう!」



 首無デュラハンが振り上げていた斧は、音もなく振り落とされた。


 狙い違わず剣士の首を捉え、彼の体もまた“首無し”となった。

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