第19話 かつて勇者と呼ばれた者の末路

「それではお話しましょうか。かつて勇者と呼ばれた、その男の末路を」



 ソファーに腰かけていた夫人は、どこか懐かしくも儚げな雰囲気で天井を見上げた。


 それはまるで目から涙がこぼれ落ちないように振る舞っているかのようで、先程までの刺々しい声は消えていた。


 これはちゃんと聞いてやるべきだと考え、剣士は握っていた剣を鞘に納めた。


 そして、机を挟んで、夫人と対峙するように自身もまたソファーに身を投げた。



「勇者、と言う言葉が出てきたと言う事は、やはりあの木こりの老人が『剛腕の勇者』で間違いないんだな?」



「ええ、そうよ。それだけではないわ。あなたが“領主”だと思っている中年の貴族もまた、『剛腕の勇者』ディーヴィッドよ」



「なんだと!?」



「まあ、言ってしまえば、勇者の残留思念、意識体のようなもの。彼はこの勇者の試練という舞台装置システムに取り込まれた、かつての勇者の成れの果て。次なる勇者が現れるまで、決して覚める事のない夢を見続ける、夢と幻の狭間に揺蕩たゆたう者」



「どうしてそんなことに……?」



「それは彼が望んだことでもある」



 夫人は見上げていた天上から、視線を剣士に向けた。


 それは酷く寂しげな笑みであり、先程までの凛とした美しさではなく、儚げな哀愁漂うそれに変じていた。



「あなたは『剛腕の勇者』の末路、御存じかしら?」



「たしか、仲間達と共に邪悪な巨人王ジャールートを倒したものの、その激戦の最中に『光の盾』の二つ名で呼ばれる巫女アビシャを失う事となった。そして、他の仲間……、『影法師』に巨人王の首を託して、自身は最愛の女性の遺体と共にどこかへと消え去った」



「そうね。世間ではそういう風に言われているわね」



「数々の激闘を繰り広げ、邪悪な巨人王をも打ち倒し、最後は悲劇に彩られて消え去る。すでに五十年以上は昔の話だと言うのに、未だに伝説として語られている。俺もまた、そんな伝説に憧れる一人だ」



 そんな伝説的な人物と、まさかこの地で会えるとは思っていなかっただけに、剣士もこの点では興奮しっぱなしであった。


 しかも、不意討ち的に指南を受ける事にもなった。これ以上に無い訓練であり、僅かに残る首の“かさぶた”は勲章にも等しかった。



「その行方知れずとなった勇者なのですが、彼はこの地に流れ着いた。あるいは、勇者となったこの地に舞い戻ったと言うべきでしょうか。そして、神に願った。『どうか彼女を復活させて欲しい』と」



「聖域は神の領域。勇者として神と交信し、『光の盾』を蘇らせようとしたのか」



「ええ。ですが、神の答えは残酷でした。『復活させることはできる。ただし、等価の命を捧げよ』と。これが神の回答だったわ」



「…………! そんなもの、用意できるわけがない!」



「でも、彼は用意した。“自分の命”という、至高の価値を持つ宝を差し出して」



 あろうことか、勇者は仲間を、最愛の人を蘇らせるために、自分自身を生贄に捧げたのだと言う。


 そんな事をしても無意味であるのに、なぜそんな事をしたのか。正常な判断ができなかったかつての勇者の行動に、剣士は困惑するだけであった。



「そうして神は捧げられた勇者の魂を用い、【反魂の法】を発動させた。魂の循環を反転させ、生者を死者に、死者を生者に変えてしまう禁断の呪法。それを用いて、『光の盾』は輝きを取り戻した。『剛腕』に抱き寄せられる事を永遠に封じられて」



「バカげている! そんな事をして何になると言うのだ!? そもそもの望みは、二人仲良く過ごす事だろう!? 巨人族の騒乱を鎮め、ようやく平和になったと言うのに、それではあまりにも!」



 あまりの事に、剣士はつい声を荒げてしまった。


 命懸けで仲間を救い出すのは美談であるが、犠牲が前提で、しかも自分の遺体を恋人に晒す事を意味する。



(なんだよ! あんたの方こそ、“勇気”と“無謀”をはき違えているじゃないか!)



 心の中で元・勇者に悪態付く剣士であったが、声にも表情にも出さないで置いた。


 憧れの本物の勇者が側にいて、その偉大なる英雄の末路がこれでは、あまりにも報われなさすぎる。


 聞かれてしまえば、よりあの老人を傷つけてしまう。


 そう感じればこその沈黙だ。



「栄光あれど、報われない勇者。彼のたった一つの願いすら、叶うことは無かった。ただ一つ、この聖域と言う例外を除いて」



 夫人は腰かけたまま大きく両手を広げた。


 さあ、私を見ろ。周囲を見ろ。全てを目と頭に焼き付けろ、と。



「この聖域! ここだけは別! ここは世界から隔絶された空間であり、彼の願いを叶えてあげられるよう、“私”が舞台装置システムに手を加えたの。もちろん、神の許しを得ての話だけど」



「……そうか、ご夫人、あなたが『光の盾』なのですね!?」



「そう、私が『剛腕の勇者』ディーヴィッドの犠牲によって復活した、『光の盾』アビシャなのよ」



「なるほど。つまり、お二人でこの聖域を、“勇者の試練”を管理していると言うわけですか」



「まあね。名前もそれと分からぬよう、彼はザムエール、私はエインシュートと名前を変えた。そして、この聖域と言う夢の中でだけ、夫婦として過ごしている。試練の中に登場する役者ではあるけれど」



 どこか寂し気な夫人の声や評定に、剣士は複雑な感情を受け止めた。


 なにしろ、夫人は夫のことを“残留思念”と言ったのだ。


 文字通り命を懸けて自分を蘇らせ、その後はこの聖域を漂う幽霊のような状態になった夫を見つめながら、夫婦の役を演じ続けているのだ。


 愛する人と共にある喜びと、夫婦としての生活が“ごっこ”の領域から出ていない事の虚しさが、さながら渦を巻いているかのようであった。



「なら、ご夫人、森で会った老人はどういうことで?」



「彼は聖域の“監視者”であり、同時に“試験官”でもあります。なので、あなたのような勇者候補がやって来ると、まずは“中年”の姿でお出迎え。そして、“老年”で器の良し悪しを探る。例の村の中にも“少年”の姿で紛れて、物陰から様子を窺っていることもあるわ」



「なるほど。年齢を自在に変えられるわけか。それなら同一人物とは分からない。よくできているな、ここの舞台装置システムは」



 さすがは神が作り出した勇者を選定するための聖域だと、却って納得した。



「そして、私は“管理者”として、聖域全体を中心点である屋敷や山から見守っていると言うわけです」



「なるほど。あの姉妹が『ここの領主は女』だと言ったのは、そういう事か」



「ええ。ですが、夫には認識阻害の術式がかけられていて、やって来た勇者候補以外には認識できないようになっているのです。なにしろ、幽霊みたいなものですから」



「門番は?」



「あれは人間ではなく魔法人形パペットです。出来が良いので、余程注意深く見ないと、普通の人間と見た目は変わりませんよ。彼が領主であり、そこにいるかのように動くよう設定・・されていますから」



「かぁ~、さすがだな。勇者の相方ともなると、とんでもない術士だ」



 剣士は素直に感心した。


 聖域の管理運営のみならず、完全に擬態させた人形まで用意しているとは、とんでもない腕前だと感じ入った。



「あら、私が『光の盾』と呼ばれる所以は御存じ?」



「ん~。確か、あらゆる攻撃を弾く防御結界を出せるとかなんとか」



「それは少し誇張だけど、だいたい合っているわ。防御系の術式には自信があってね。種類も豊富よ。単純に攻撃を弾くものから、幻覚を見せて空振りさせたり、あるいはデコイを用いたりね。それの応用よ、門番の件は」



「なるほど~。俺のパーティーの神官は防御系より、治癒系が得意だからな~。ちょっと煽ってみるか、昔の大英雄の相方の名前を出して」



 話してみれば、夫人の背負う業、あるいは勇者の覚悟を知る事が出来た。


 だが、肝心の“試練”についての話はまだだ。


 もっと聞く必要があると、剣士はなおも夫人の話に耳を傾けるのであった。

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