第18話 怪しい夫人
剣士は館まで戻ると、何食わぬ顔で門番に挨拶して敷地内へと入り、慎重に屋敷へと入っていった。
村人に襲われた経緯からも、何かしらの罠や待ち伏せの可能性があるため、剣をいつでも抜けるように柄に手を当てていた。
(気配なし。少なくとも、玄関ホールでの待ち伏せなし。夫人がいそうなのは、居間の方か)
屋敷の構造はある程度頭に入っているので、慌てず慎重に、なるべく足音を立てずに居間へと向かった。
そして、
ソファーに腰かけ、手には本を持っており、どうやら読書中であるようだ。
だが、そんな事などお構いなしに、剣士は剣を鞘から抜き、切っ先を夫人に向けた。
「あら、ラルフェイン様、お早いお帰りで。しかも随分と物々しい……」
切っ先を向けられていると言うのに、夫人は一切取り乱すことなく余裕の態度だ。
やはり尋常ではない事がすぐに分かった。
(仮にも、こちらは試練を受けにきた“勇者候補”だ。当然、武勇に秀でているのは分かり切っている。にも拘らずこの態度。勝てるという自信か、あるいは禁令により手が出せないと踏んでいるのか、どちらにせよ気に入らないな!)
状況的に謎が多い分、剣士もすぐに斬りかかる真似はしない。
あくまで必要なのは“情報”だ。
「ご夫人、いささか俺は気が立っている。色々と聞かせてもらおうか!」
明確な怒気を含んだ声だが、やはり夫人は微動だにしない。
それどころか、剣士から視線を外し、パラリと持っている本のページをめくり、読書を再開する始末だ。
余裕どころか、眼中になし、とでも言われた気分になり、剣士はますます苛立った。
「それで、何をお聞かせしましょうか? 美形揃いの村の事についてですか? あるいは、“夫”と呼んでいる男の事でしょうか? それとも、木こりの老人についてでしょうか?」
見透かしたように尋ねてくる夫人に、剣士はますます警戒心を強めた。
(何もかも見通しか! まあ、村に出かけて慌てて戻ってくれば、何があったか予想するのも簡単か!)
得体の知れない存在への恐怖が生じたが、それはすぐに消え去った。
今の剣士には、試練をやり抜くと言う意思と、如何なる難敵にも立ち向かう勇気がある。
いくら正体が掴めぬとは言え、婦女子一人に臆する事などないのだ。
一度深呼吸をして荒ぶる精神を抑え込み、そして、口を開いた。
「では、質問させてもらう。単刀直入に尋ねると、お前は何者だ!?」
「あら、嬉しい。色々と聞きたい事があるでしょうに、まず真っ先に私の事を尋ねてくれるなんて♪ 今朝の続きでも致しましょうか?」
パタンと本を閉じ、にこやかな笑みを夫人は剣士に向けた。
相変わらずの美貌の持ち主であり、その笑顔もまた美しかった。
こういう場面でなければ、思わずぐらりと言ってしましそうな魅力があった。
だが、剣士は動じない。今は“戦闘態勢”なのだから。
カチャリと剣を鳴らし、さっさと質問に答えろと無言で促した。
「せっかちな殿方ですわね~。私はどちらかというと、焦らされるような、駆け引きじみた色恋が好きですのに」
「生憎と、そんな色恋の機微には疎くてね。常に真っ向勝負だ」
「そうですかそうですか。ですが、真っ向勝負と言う割には女の扱いには慣れていない様子。城攻めをしたこともない兵士には、価値などありませんわよ」
「そりゃな。城を攻め落とすのには、何かと時間がかかるんだよ。むやみやたらと突っ込むなんてにゃ、阿呆のする事だ」
「ご老人に言われたのではありませんか? 慎重も度が過ぎれば臆病の誹りを免れない、と。最初の一歩を踏み出さぬ臆病者に、色恋の機微はさすがに分かりませんか。まあ、いっその事、あなたのパーティーの中から、誰か適当に抱けばよろしいのに。案外、少し強引に頼み込めば、一夜の逢瀬くらいどうとでもなるのでは?」
「……お前や村の姉妹と違って、あいつらは安くないんだよ!」
剣士にとって、いつもの三人は仲間であって、情婦などではない。
気安く扱うつもりも、邪な欲情を抱くつもりもない。
常に真っ直ぐな感情をぶつけ、あるいはぶつけられる存在だ。
一夜の享楽のために
それだけに夫人の物言いは、憤激ものであった。
ここで斬り込まないのは、あくまで情報収集を優先しているからに他ならない。
「で、さっさと質問に答えたらどうだ? 殺さずにはいてやるが、痛い目を見てから泣き喚いても遅いぞ」
「それが仮にも勇者の振る舞いかしら?」
「仲間をコケにされて黙っているようなら、それは勇者である以前に人として失格だ! 仲間の名誉のためにもな!」
「名誉を重んじるのは結構ですが、背負い込み過ぎるのも良くありませんわね。勇者など目指さずに、今少し気楽に人生を歩まれたらいいのに」
「それだと、ここの住人が困るんじゃないのか?」
「あ~、それは確かに。勇者を目指す者がいなくなれば、この聖域に来客は来なくなりますからね。うん、あなたもしっかり頑張ってね♪」
あくまでふざけた態度を崩さない夫人に、剣士のイライラも限度を超えかかっていた。
怒りで震えそうな手を落ち着かせるのに、神経が磨り減る気分であった。
「もう一度聞くぞ。次に答えをはぐらかしたら、その柔肌に傷がつくと思え」
「まあ、怖い怖い」
夫人はわざとらしく肩を竦め、そして、ニヤリと笑った。
その笑顔もまた実に妖艶なもので、それを見た男ならば思わず生唾を呑み込んでしまう程には美しかった。
もちろん、それは今となっては剣士には通用せず、更なる怒りを買うだけであった。
「……いいでしょう。この“勇者の試練”に関わる、悲しい悲しい男の物語、語って聞かせてあげましょう」
焦らすように述べた後、夫人の口から“元”勇者についての事情が語られ始めた。
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