第8話 木こりの老人
ひどく魅惑的な山村を離れ、剣士は村から少し離れた雑木林まできていた。
“逃げ”という勇者にあるまじき選択をしてしまった事を後悔したが、取り返しのつかない
「そう、これは逃亡ではない! 次に至るための“転身”!」
などと強がって叫んでは見るものの、やはり少々後ろめたい。
先程の光景を聖地の管理者である領主が見ればなんと言うか、そこは悩みどころであった。
スコーンッッッ!
突如として鳴り響く音を、剣士の耳が拾った。
雑木林の奥から聞こえてくる、テンポを刻むように一定間隔で鳴り響く音だ。
(これは、誰かが木を切っている音か)
故郷の田舎村を出てから三年、村にいた頃は毎日聞いていた音だが、冒険者となってからはなかなか聞かない音に、どこか懐かしく感じてしまった。
音のする方向に進むと、一軒の小屋と山積みにされている木材。そして、斧を握り、真っ直ぐ振り下ろして薪を作っている木こりの老人が目に入った。
年季の入った熟練者である事は一目瞭然であり、切り株の台の上に木材を置いては、正確に中心に斧を叩き込み、先程のいい音を響き渡らせていた。
「おおい、爺さん、ちょっといいかい?」
剣士は馴れ馴れしくも老人に話しかけた。
だが、老人は急な来客には目もくれず、お構いなしに斧を振り下ろした。
「誰だ、お前さんは? 見かけん顔じゃが……」
見向きもしなかった割りには、知己ではない余所者だとは察したようで、己を振り下ろしながらも応えてくれた。
剣士は薪割りに邪魔にならない位置に立ち、話を続けた。
「俺の名前はラルフェイン。旅の冒険者だ。人呼んで、『電光の剣士』だ。噂に聞いた『勇者の試練』と言うのを受けに来た」
「なるほど、そういうことか。なら、今は晴れの日を待っている段階か」
「さすが地元民。説明なしでも分かるか」
「試練を受けに来る奴なんぞ、年に何度もあるからな。特に珍しくもない」
老人は振り向きもせず話し続けるが、木を切る手は休むことは無い。
しかも、喋りながらでも狙いは正確で、次々と木を真っ二つにしていった。
「それで爺さん、試練の内容ってどんなのだか知っているか?」
「情報収集か。それなら村に行け」
「そこなら行った。んで、禁令を破らせようとする魅惑的な場所だったから、さすがに引き上げたぜ」
「……不合格」
老人はきっぱりと言い切り、再び斧を振り下ろしていい音を響かせた。
だが、心なしか、不機嫌さが混じるような音に剣士は感じた。
「おいおい、爺さん、そりゃないだろ。俺も爺さんに比べりゃ若造だが、これでもそれなりに場数を踏んだ冒険者だぜ? “勇敢”と“無謀”の違いくらいは心得ているぜ」
「それは違うぞ、小僧。“慎重”も度が過ぎれば、“臆病”の
老人の言葉に剣士は何も言い返す事が出来なかった。
完全な正論であり、言葉に詰まった。
(確かに自分は勇者になるために試練を受けに来たのだ。爺さんの言う通り、俺はなぜ、あの場面で“逃げる”を選択した!?)
慎重に動いたと言う点では間違いない。
だが、館で領主から色々と話を聞き、山が晴れる日まで情報収集すると決めたのは、他でもない自分自身だ。
ところが、危うしと感じて村を避けてここに来てしまった。
老人の言う通り、臆したと言われては返す言葉もなかった。
「よいか。危機に際しては下がるのも当然、一つの手ではある。お前の言うように、“勇敢”である事と“無謀”である事は、別を付けておかねばならん。だが、情報収集すると言う本来の目的を忘れ、非武装の村娘相手に“魅惑的だから”と言う理由で身を引くなど、情けない限りではないか」
老人はなおも手を止めず、一瞥もくれず、木を切り続けた。
だが、剣士にとってその響く音は、どうにも胸に響くのであった。
重いと感じる程に、老人の言葉と木を切る音が重なり合い、剣士を見得ざる重しで圧迫しているかのように感じた。
「でも、禁令の事があるじゃないか。ここらじゃ、女の子とキャッキャウフフするのは厳禁なんだろ!?」
「だったら、多少の誘惑なんぞ跳ね除ける強靭な精神を持て! そんな未熟な心構えと中途半端な覚悟で挑むようなら、“奴”の餌食になるのは目に見えている。試練は諦めて、五体満足の内にさっさと引き上げるがいい」
「…………! “奴”って誰の事だ!?」
「聞くだけ無駄だ。どうせ“奴”の眼前に出る前に、途中で網に引っかかる。さながら、蜘蛛の巣に絡まる羽虫のごとく、な」
老人の意味深な言葉を吐くも、それが何なのかは一向に教えてくれない。
だが、重要な情報を持っていそうなのは確かなので、剣士は食い入るように一歩踏み出した。
その時だ。首筋に冷やりとした“金属”の感触。
一瞬遅れて感じたそれは、老人の持つ斧だった。
刃が首筋にいつの間にか押し当てられており、僅かに触れた皮膚から赤い液体が肩に向かて垂れていた。
「な……!?」
「ワシが本気なら、今のでお前の首が飛んでいたぞ。そんな腕で“奴”に挑もうなど、おこがましいにも程がある。よくもまあ、恥ずかしげもなく『電光』などと言う二つ名を背負っておるな。反応が遅い!」
そう言うと、老人はまた木を切る作業に戻っていった。
剣士は茫然として、動く事が出来なかった。
(そんなバカな!? 俺が一切、反応できなかっただと!? ……そうか、いつの間にかこの爺さんの動きをずっと追って、“慣らされて”いたんだ。振り上げ、振り下ろす。それの延々繰り返し。だが、足を一歩踏み入れて、相手の間合いに不用意に踏み込んだ)
まんまと隙だらけの状態で油断し、相手の術中にはまってしまった事を悔いた。
老人の言うように、未熟だと言わざるを得ない。
(クソッ! 何が『“勇敢”と“無謀”の違いくらいは心得ているぜ』だ。今の不用心な一歩は、明らかに無謀に入るものだろうが!)
何も出来ない。何もさせてもらえない。そして、死んだ。
少なくとも、目の前の老人が本気だったら、間違いなくやられていた。
なんと言う無様だと、剣士は自分で自分を心の中で罵った。
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