第9話 この世は生者の世界
目の前の老人はただの木こりに非ず。
自分をも上回るほどの達人であると、剣士は考えた。
そう考えてしまうと、今までの横柄な態度を改め、謙虚な姿勢になれた。
「老師よ、あなたは一体、何者なのですか? こんな辺境でくすぶっているような方には見えないのですが?」
実際、武芸の方は剣士より上。それも遥かに上なのだ。
なにしろ、振り下ろしからの薙ぎ払いを剣士に浴びせながら、剣士はその刃が肌に触れるまで気付く事が出来なかった。
一連の流れが自然過ぎて、認識するのに時間がかかってしまった。
なにより、一切の“殺気”すら放たずに、必殺の一撃を入れてきた。
本気なら、間違いなく首を刎ねられたのは疑いようもなく、それだけにその秘密を知ろうと、剣士もまた必至だ。
「……元はお前と同じ、旅の冒険者だ。現役はとうの昔に引退して、今はこうして木こりをやっている」
「……それは嘘だな。いや、情報を伏せている、と言った方が適当か」
「そう言える根拠は?」
「あの抜け目のなさそうな領主が、これほどの逸材をただの村人として領内に置いておくとは思えない。老師も何らかの役目を与えられた役者なんだろ?」
剣士はすでに試練は始まっているものと考えている。
今は山で行われるであろう“本試験”に進めるかどうかの、“ふるい”だと見ていた。
そういう意味においては、奇麗すぎる村を忌避したり、あるいは老人の姿に油断して迂闊に近付いた点では、落第を言い渡されても抗弁の仕様もない。
(だが、下がると言う選択肢はない! これ以上の無様は晒せない!)
剣士の脳裏に浮かぶのは、温かく送り出してくれたパーティーメンバーだ。
数々の冒険をこなし、互いに信頼し合える掛け替えのない仲間だ。
その仲間達が『勇者の試練』を受けて“本物”になって来いと背中を押した。
それに応えないのは、勇者云々以前に、一人の人間としての矜持が許さない。
そうした鬼気迫る一念が通じたのか、老人が初めて視線を合わせてきた。
「小僧、実力不足を指摘され、実際に危うき目に会いながら、それでもなお高みを目指すと言うのか?」
「そうだ。あの山の頂に何があるのかは知らないが、それでも俺は行く。なにしろ、俺が“本物”になって帰って来るのを、仲間が待っているからな。これ以上の醜態はなしだ。勇者になって凱旋する、それ以外の道はない!」
「“勇気”と“無謀”の区別がつくと言ったのはお前自身のはずだが?」
「如何なる難敵にも臆することなく立ち向かってこその“勇者”だろ?」
剣士の意志は固まっている。
どこか心の隅にあった慢心もまた、先程の老人の一撃によって
二人はジッと見つめ合い、そして、老人はおもむろにゆっくりと手に持っていた斧を振り上げた。
斧を持ち上げての大上段で構え。やはりただの木こりとは思えない鬼気迫る迫力に、剣士はまたも危うく後ずさりしそうになった。
だが、先程とは違う。不意を討たれることもないし、警戒心はガチガチだ。
振り下ろそうが、薙ぎ払おうが、対処できる自信はあった。
そんな剣士に向かって、老人は一度気を緩めてから口を開いた。
「今からこの斧を、お前に向けて振り回す。そうさな……、先程同様、首辺りを狙ってみようか。さて、お前はどうする?」
「普通にかわす。振り下ろし直後の硬直を狙って、一撃を入れる」
口上が終わる前に、剣士の手は腰に帯びた剣の柄に置かれていた。
先程のようにはいかないと言わんばかりの態度だ。
回答に満足したのか、老人は一度首を縦に振った。
「ふむ……、勇猛果敢であるし、腕に自信があるのもよし。では、質問を変えよう。もし、その繰り出された一撃を防ぐこともかわすこともできず、首筋に直撃したとしよう。どうなるか?」
「そりゃ、死ぬわ。首は人体の急所の一つだしな。そんな薪割り用の斧と言えど、何の対処もなしに直撃したら、普通に致命傷だ」
当たり前の話だ。
なまくらであろうとも急所への一撃など、致命傷になるのは明白であった。
「だからこそ、“防具”が存在し、あるいは攻撃をかわしたり、あるいは防ぐためのための“技術”がある。まあ、それすら飛び越えて傷を受けた場合は術士に“治癒”してもらう」
「自らの腕に自信があり、仲間もまた信頼している、ということか」
「あんたなら分かるんじゃないか? 元は同じ冒険者だったんだし」
目の前の老人の腕は達人のそれを遥かに凌駕している。
この人の旅仲間となると、これまた相当な腕前だと剣士は思ったのだが、老人の反応は微妙だった。
おもむろに空を見上げ、どこか寂しそうな眼をしていた。
「……爺さん?」
「いや、すまん。少し昔の事を思い出していた。剣士ラルフェインよ、お前はまだ未熟であるが、それでもなお試練に挑もうと言うのであれば、止めはすまい。死ぬ覚悟はあるのか?」
「ない。ないからこそ、試練を越えて、生き延びてやるさ」
「いい答えだ。せいぜい足掻け。多少泥臭くなろうとも、な」
老人はそう言うと、台座に浸かっていた切り株に斧を打ち込み、そして、剣士の肩にポンと手を置いた。
「では、試練に挑む未来の勇者に一つ助言を与えておこう」
「お聞きしましょう」
「この世は生者の領域であり、あの世は死者の領域だということだ」
「はぁ?」
老人からの助言は、助言と言えるのかどうか怪しい程に常識的な言葉であった。
生きているからこそこの世に自分がいて、死ねばあの世へと旅立つ。
本当に、“当たり前”の事だ。
「爺さん、そりゃ、どういう……?」
「生きていると感じていれば、死んでいてもそれは生者の振る舞いだ。逆に、生きていても死んだと感じれば抜け殻も同然。死んだ事と同義だ。そして、“死神”と言う奴は、そういう存在から魂を抜き取り、生きてはいても死んだものとして、あの世へ送り出してしまうものなのだ」
「死神……」
「だからこそ、何があっても“死”を思い浮かべるな。意思を保ち、身構えている限り、“奴”は決して食事を始めたりはしない」
「さっきから言っている“奴”ってのは、死神の事なのか?」
「それはお前自身の目で確かめろ。“奴”は人目を欺くのが上手い。何より、仕掛けられた罠を掻い潜り、“奴”の前に立てるかどうか、そこからが問題だ」
老人の目も真剣そのものであり、やはり生半可な試練ではないと言う事はひしひしとつたわってきた。
もちろん、剣士はそれをやり抜く覚悟を固めており、真っ直ぐと視線を返した。
「ふむ……。まあ、多少はいい面構えになったな。では、最後に一つ言っておきたい事がある」
「なんだ?」
「館の主人から禁令についての説明は受けたな? その二つ目は分かるな?」
「ああ。殺生、淫行、虚言の禁止、だろ?」
「そうだ。だからこそ、言っておく。小僧、お前は『勇者になって凱旋する』と宣言した。“勇者”とは何であるのか、良く見つめ直して試練に挑め。そして、“嘘”を付くなよ。勇者になると言った以上、ならねばそれは嘘をついた事となる」
「なってやるさ。そのために俺はここに来た。少し物見遊山な気分があったのも事実だし、そこに隙が生じたこともな。だが、もう油断も慢心もなしだ。絶対に試練を乗り越えて見せるさ!」
「気が逸るのも無理はないが、“勇気”と“無謀”の別はちゃんとつけておけ。猪突する事が、必ずしも勇猛であるとは限らんのだぞ」
そう言うと老人はおもむろに足下に転がっていた薪を拾い、それを上に向かって放り投げた。
薪はクルクルと回転しながら宙を舞い、そして、地面に落ちた。
カコンッという音共に地面に叩き付けられたのだが、剣士は気付いた。
ほんの僅かに視線を逸らしている間に、目の前にいたはずの老人がそこにはいなかった事に。
まるで煙のごとく消え去り、ただ、積み上げられた薪と、切り株に刺さったままの斧だけが、老人がいた事の証として残っていた。
静寂。何も聞こえない森の中。先程まで響いていた木を切る音も、老人と共に消え去った。
獣の気配すら感じさせない沈黙の森。
「夢か幻か……? あるいは幽霊か何かか?」
剣士は得体の知れないそれに首を傾げたが、老人は確かにそこにいたはずなのは間違いなかった。
首の圧しつけられた斧の刃の冷たさは、確かに肌が覚えている。
しかも、薄っすらついた傷跡も、指でなぞれば“かさぶた”がある。
全くもって理解不能であった。
「本当に何者だったんだ、あの爺さんは?」
剣士は切り株に刺さったままの斧を掴み、それを引っこ抜いた。
普段握らぬ斧の感触を確かめながら、何度か素振りをしてみた。
慣れていない分、少しブレてしまう。何度も何度も打ち込みながら、一切のブレを生じさせなかった老人の凄さを、改めて思い知らさせた。
「未熟……、か。確かにそうかもしれん。だがな、爺さんよ、俺には下がるっている選択肢はないんだぜ? 絶対試練を乗り越えて、爺さんの目利きが間違いだったって証明してやるよ」
こうして剣士は老人が置いていった斧を手にし、ブンブン振り回しながら雑木林を後にした。
思わぬ猛者と出会い、己の未熟さを指摘され、それでもなお前に進む事を選んだ剣士の思いは、中途半端な覚悟が消え去っており、必ずやり切ると言う意思に満たされていた。
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