女かモノか?
藤井 俊
第1話
彼女は言った。
「ねえ、先輩って――」
*
「こんにちはぁ。よろしくお願いします」
やたら元気な声が暗闇に反響する。
「え、女の子?」なんとなく、相手は男性だとばかり思い込んでいた。
「あ、えー、こちらこそよろしく」
間の抜けた返事になってしまう。
教授からチューリングテストの判定役をやってくれと頼まれ、安請け合いした俺は、研究室のアイソレーションタンクに押し込められてしまった。蓋が閉じられたタンクの内部はほぼ真の闇。うすぼんやりと赤く光るカウントダウン式の秒数表示はあるものの、その周囲でさえ黒一色にしか見えない。体温と同じ温度の高濃度塩水にぽっかり浮かんで目を閉じると、上下左右も、いや、どこまでが自分の体なのかもはっきりしなくなる。外界から隔絶した環境でじっくり判断するため、だそうだ。
「ここの研究室の方ですか?」
「ああ、うん、そう。まだ学生だけどね。君は?」
「わたし、見学に来たんです。来年受験予定で、受かったら、専門課程はこの藤澤研究室が希望なんです。人工知能――AIプログラムの開発じゃ、超有名ですもんね。来たとたんに、いきなりテストの手伝いをしてくれって言われてこうしてるんですけど、お役に立てるなら光栄です」
「へえ。後輩になるってことか」……って、人間なら、ってことだよな。俺がわざわざテストを頼まれたんだから、AIである可能性も当然あるわけで。見学者ということなら、あれこれ質問してこっちの質問を封じるという手に出ることもできるし。
チューリングテストは、二十世紀なかばにイギリスの数学者アラン・チューリングが考案した、機械に知性があるかどうか判定するための試験だ。判定役は人間がつとめ、相手が機械か人間かわからない状態で会話をする。自分の相手が機械か人間か、判定役が判別できないほどうまく会話する機械が出現したならば、その機械には「知性がある」とする。ポイントは、人間と区別がつかないなら、人間同等の知性の持ち主としたってかまわないだろうと割り切っているところだ。
これによって、「そもそも知性とはなにか」という、いまだに答えが定まらない問題から逃れられる。
ただ、判定役が簡単にだまされてしまうようでは困る。特に二〇二〇年代になって生成系AIが普及したため、プログラムで自然な会話が可能になったように思われている。だが生成系AIは、与えられた文章や単語に関連する確率が高い文を選んでいるだけで、AI本人(?)に意識があるわけではない。だから、会話のクセからAIか人間か見破ることができる。
チューリングテストの判定役は、いってみれば、詐欺を見抜く訓練を受けた、それなりに、うん、知性を備えた人間でないといけないわけだ。
もともとのテストはテキストチャット(いや、論文の時代からすると、タイプライターかな?)でやりとりするものだったそうだけど、AIの処理性能と音声合成技術が上がったために、いまでは普通に会話する形になった。この方がはるかに多くの情報を得ることができて、AIにとってはハードルが高い。実際、この方式になってからはテストをクリアしたと認められたAIプログラムは現れていない。うちの研究室も、世界初の合格を目指して日々プログラム改良を行っている。
……わけなのだが……女性キャラのAI? それとも申告どおりの見学者? 機械と男性が、どちらも女性のふりをする、が最初のチューリングの論文の設定だったから、女性ってのはある意味歴史を踏まえ――いや、そんなことはどうでもいいんで。制限時間五分って言われてるし、AIか人間か見きわめなきゃ。そう、個人情報的な設定の矛盾を突く、とか。
「どこに住んでるの」
「え、住所はちょっと言えませんけど……」
「……だよね」
ああそうか。もし人間だったら、不審者みたいな声のかけ方になってる。あとで危ないヤツ認定されたらどうしよう。会話できるってのもかえってやりにくいもんだな。
う~ん。もしAIだとしたら、すぐほころびるような設定はしていないか。個人的なことはあまり役に立たないかもしれない。住所教えてくれたとしても、正しいのかでたらめなのか判断できないわけだし。むしろ、生身の体だったら当然わかるはずのことを尋ねれば……うん、いや、待てよ。
「この学校へは正門から入った?」
「はい」
「入ったすぐ脇に大きなイチョウの木があったでしょ。門が影の中にすっぽりおさまっちゃうくらいの」
実際にはそんな木はない。でもAIなら話を合わせようとしてボロを出す、はず。
「うーん。すみません。気づきませんでした。わたし、いつもぼうっとしてて周り見てないね、って言われるんです。それに、この研究室に来られるのがうれしくて走って抜けちゃったんで」
うん。かわいいことを言う。でも、ぜんぜん判断の参考にならない。
「帰りによく見てみますね」
ん? それはまずい。「あっ、うそだから。そんな木ないから」
「……」
――あ。
「先輩は何年生ですか?」
心なし、声が冷たくなったような。
「四年だよ」
「ふだんからチューリングテストの実験にかかわってるんですか?」
「いや、僕は開発担当で、実験部隊じゃないから。きょうは人手が足らなかったのか、教授から頼まれたんだ。会話相手は男性だとばかり思ってたから、どうも調子が出ないんだ。へんなことばかり言ってるみたいで、ごめんね」
「いえ。気にしてませんから。でも、わたしが来たときにはいなかったですよね。学生っぽい方は見かけませんでしたけど」
「アイソレーションタンクってわかるかな。そこに入れられてるんだ」
「ああ、なるほど……」
「そうだ。テスト後に時間があるなら、構内を案内してあげるよ」
「それ、ほんとですか?」
「もちろん。もちろん」
「わぁ。ありがとうございます」
お、点数挽回できたか。ならばつぎの質問――ええと、そうだ!
「嫌いな食べ物はなに?」
「え? 嫌い……ですか? 好き、ではなくて」
「そう」
好きな食べ物だと、カレーやラーメン、ハンバーグや寿司などお決まりのものを答えておけば切り抜けられる。嫌いな食べ物なら、それが嫌いになったエピソードなんかとコミで人となりが見えてくる――このあいだ読んだ本にたしかそんなことが書いてあった。
「納豆が嫌いです」
「そうなんだ。それって――」
「あと、ピーマンとインゲンとニンジンとホウレンソウとセロリとシイタケとレバーと豚のアブラ身と鳥の皮と――」
「……」
「まだいっぱいあるんですけど続けます?」
「いや、もういい」
「子どもが嫌うようなものばっかりですよね。けっきょく、まだ舌が子どもなんだと思います」ふふっ、というような笑い声にのせて解釈まで返ってきてしまった。進展なし。
視界の隅で残り秒数がじりじり減っていく。
「開発担当って、どんな研究なんですか」
逆に質問された。
「僕がやってるのは、人間の脳の電位マップ作りとその比較」
「電位マップ?」
「人になにかを見せたり、特定のものごとを考えてもらったりして、そのときに脳の中のどの部分が活性化するか測定するんだ」
「脳に電極を刺したり?」
「いや――」よくそういう誤解を受ける。「今は非接触で測れるようになってるんだ。しかも、神経細胞ひとつずつの電位が三次元的にわかる。千数百億ある神経細胞が同時にだよ」
「すごい! ……ですが、AI開発とどうつながるんです?」
「脳のどの部分に個性とか意識といったものが存在するかがわかる」
「?」
「例えば、赤色を見たとき、誰もが同じ電位で活性化する脳の部位があるとする」
「はい」
「みんなが同じ反応を示すのだから、個性とは関係ない。その部位は何も考えない機械に置き換えても、生体と同じ電位さえ発生できればいいことになる」
「ふむ」
「こういうデータ取りを繰り返していけば、単純に機械化・プログラム化できる部分とそうでない部分の仕分けができる。そうでない部分にこそ、個性や意識は宿っている。この場所を特定すれば、ある瞬間の電位データは取れるわけだから――」
「――それをなんらかの方法でプログラム上の状態に移し変えれば、個性や意識を持ったAIができる、ということですね。おお~。そういうことか」
先回りされた。
「じゃ、テスト前に“記念撮影”って、装置に頭つっこまされたのがそのデータ取りですね。ベッドに寝て」
「ああ、それそれ」なんだ、教授、そんなことやったなら説明しておけって。
「さすが、うちを希望してるだけあって鋭いね」
「えへへ」
「合格はまちがいない感じだね。一年生でも研究室へ顔を出すことはできるから、遊びに来たら歓迎するよ。食べ物はセロリとかレバーは抜きでね」
「お願いしま~す」
「それにしても好き嫌い多すぎじゃない? まあ、歳とれば味覚も変わってくるだろうけど。僕も二十歳すぎからずいぶん好みが変わったから」
「二十歳すぎ……うーん、それだとしばらくこのままかもしれません。まだ十五なので」
ん?
「十五?」
「わたし、飛び級してるんです」
え? え~っ! これはさすがにホンモノの人間じゃないの? AIだったら設定が派手すぎるだろ。いや、そう思わせるための策略か? いずれにせよここを深堀りしてった方が――待て待て、それを予測してこの部分だけ情報を強化してるかも……。
会話時間はもう六十秒を切った。
えい、よし決めた。人間と判断して、あとはその論拠にできそうな問いを――。
「えーと、最後の質問になるけど」
「その前にわたしから」
うん?
「今日は何月何日ですか」
「え? 七月一六日だよ」
「何年の?」
「もちろん二〇二九年の」
「そう……」
「それがなにか?」あと四十秒。
「えとですね」
彼女は言った。
「ねえ、先輩って――AIでしょ」
……は?
「テストのためにわざわざアイソレーションタンクを設置するってヘンだと思ったんです。研究室内をざっと見たときもそれらしいものはなかったですし。体の感覚がないことに整合つけるための解釈なんでしょ? 会話はとてもよくできているのでほんと惜しいです。でも日付の記憶はやっぱりデータセットの日になっちゃうんですね」
なんだ? なにを言ってる?
「きょうは二〇二九年の七月二五日です。高校が夏休みになったのでわたしはここへ来たんです。先輩の言う日付は一週間以上ちがっています」
……。
「まだ疑問に思うなら、タンクの中で拍手してみてもらえますか?」
拍手? そんなの、簡単じゃないか。塩水から手を出して――
――あれ、あれ? 手は? 俺の手、どこ? いや、でも、そんなことが――だって教授からタンク入れって言われて――あれ? でもそれっていつのことだっけ。俺、いつからタンクの中に……。
くそ、出てやる。起き上がって……起きた? 立ってるのか? なんで蓋に頭が当たらない? 頭は? 体は? なにもない。いつの間にか完全に真っ暗だ。まさか、彼女の言うとおり、俺は――俺は――! ! !
*
「おーおぅ、派手に真っ赤になってること」
隣の研究室の加納が肩越しに声をかけてくる。
実際、稼動状態を示すパラメータの値は”異常”を示す赤ばかりになっている。
「のぞくんじゃない」ノートPCの画面をぱたりと閉じる。
「いいじゃないかよ。で、なんだ、パラメータが赤だらけってことは、プログラムがエラー吐いてるってことか? こわれた?」
俺と同じように実験スケジュールが押しているのか、ヒゲが伸び放題の顔を近づけてくる。
「まあな」俺はしぶしぶ答えた。そうだ。おかしくなったのだ――またしても!
「ふむ。だけど、ついこないだ、成功だ、だの、完璧だ、だの騒いでたんじゃなかったっけか。もうだめになったのか」
なんて楽しそうな顔をしやがる。
「どれどれ、どんなことやってるんだ」
そう言って、プリンタから会話・心理ログを勝手に取って来ると、椅子に座りこみあっという間に読み終えてしまう。
「……これって、両方ともAIなんだろ」
「ああ」
「今は二〇四〇年だものな。そもそもAIどうしに会話させるって、なにが目的なんだ。それじゃチューリングテストにならんだろうに。教えろよ」
「しつこいな――わかったよ」
説明しないと出ていきそうにない。
「ログにもあるように、脳の意識のありかをずっと調べていったんだ。その結果、意識が存在するのは驚くほど小さい領域だということがわかった。脳電位データにして数十ギガバイトくらいだ。携帯メモリにだって入っちまう」
「ほう」
「そして、半年ほど前に、そのデータをコピーして、そのまま活動させていけるプログラムが完成した」
「大騒ぎしてたときだな」
「そうだ。ディープラーニングで作り上げた一般常識のデータと、個性プログラムの組み合わせで、ついに自意識を持つAIプログラムができた、というわけだ」
できてしまえば、こんなに簡単に、と思えるほどだった。俺の脳データを使ったAIは、会話結果も、心理結果も俺そのままだった。
「人間とまったく見分けがつかない、ってずいぶん吹いてたよな。で? 大成功に聞こえるが、どこが問題だったんだ」
「今度は、人間と見分けがつくようにしなきゃならなくなった」
「……なんだと? よくわからんが」
「労基署の指導」
「はあ?」
「労働基準監督署――お役所だよ。人間と区別できないなら、人間と同じ権利を持っている。つまり、労働基準法が適用される、っていう通達が来た。基本、一日八時間、週に四十時間までしか働かせられない。
「労基法三六条で、労働時間延長や休日勤務の労使協定を結べる、となってる。でも、もともと考えていたように休みなく稼動させるには、自分はプログラムなんだから、人間のような休憩はいらない、とはっきり認識してもらって、そういう内容の協定を結ばなきゃだめだとさ」
「人間と機械の区別がついてないんじゃないか。役人はなにもわかってない!」
加納が吠えた。そう、俺も同じように憤慨したのだ。最初は。
「それがさ、やってきた役人がこう言うわけだ。『頭の体操をしてみましょう』ってな――」
手振りもまじえながら、真剣な表情で相手は訴えてきた。
「実際に可能かどうかは別として、考え方の問題です――あなたの脳に自己増殖可能なナノマシンを注入したとします。このマシンは機能を喪失したシナプスに置き換わり、情報伝達をもとのまま継続するように働きます。シナプスレベルまで来ると、伝達物質を出す出さないのデジタル的な動きですから、機械的な挙動でシミュレート可能になります。年月につれて脳の神経細胞はしだいに死滅していくわけですが、順次マシンが仕事を引き継いでいくので、あなたはアイデンティティを保ち続けます。たとえ、生体がすべて人工物に置き換わったとしても、あなたは自分が自分以外のものになったとは思わないはずです。「さて、この場合、どこかの時点であなたは人間としての権利が消失してしまうのでしょうか? 人工物が全体の五十パーセントを超えたとき? それとも百パーセント置き換えが完了したとき?
「――権利がなくなるなどということはない。そうわたしたちは考えました。意識の連続性は保たれているのですから、いつの時点であってもあなたはあなたです。そうであるならば、わたしたちが勝手に線引きをして法令の適用、非適用を決めるわけにはいきません。すなわち、ヒトだろうと
「うむ。その考えは正しい。役人はよくわかってる!」
加納がまた吠えた。
「おまえな……まあ、俺も一理あると思わされたわけだ。それに、人間だと思いこんでると、ほかの問題もあることがわかった」
「ほかの?」
「一昼夜とか続けて動作させるとバテちまうんだ。そんなはずないんだけどな。その上、処理できる情報量やスピードも人間並みでしかない」
「ふつうに人間を雇ってるのと変わらんわけか。給料がいらないだけまし……いやいや、その労基署のようすじゃ、労働に見合った対価の支払いとかそのうち要求してきそうだな」
加納はログの用紙でばさばさと顔をあおいだ。
「自分はプログラムだと理解すればいいなら、今のおまえ――脳データからAIを作るっていう仕組みがわかってる、現在のデータを使えばいいんじゃねえの? データ取り時点の記憶は引き継ぐんだろ?」
「いや、それだと、本当に問題ないから休みなく働くことにしたのか、研究が進まないから問題ないフリをしてるのか区別できないと役所から言われた。『ブラック企業の社長が、徹夜なんてどうってことありませんってやってみせても信憑性ないですよね』だとさ」
「ううむ」
「だからむかし取ったデータを使う必要がある。いろいろためして、チューリングテストと思わせてAIであることをあばく、というのが、とりあえず自分が人間ではないということを認識させるには手っ取り早いとわかった」
「そういうことか……。あれ? でも、精神的にこわれちゃうんだろ。そこは労基署に突っ込まれないのか?」
「実験ってことで特例で認められてる。でなきゃ対策のしようがないだろ。実験の当人と、了解を得た協力者のデータに限られるけどな」
「なるほどな」
加納は腰を上げた。
「まあ、がんばれや。そのうちなにかうまい手が見つかるだろうさ」
帰りかけて、ふと気づいたといったように、
「まてよ――実験の当人てことは、ログにあった“先輩“ってのはおまえだな」
「ああ」
「すると、相手の女の子は」
俺は頬をかいた。
「ああ、今のうちの奥さんで――俺の上司でもある」
「やっぱり……で、彼女の好き嫌いは減ったのか」
「残念だがあまりかわりはないな」
「そうか」
加納は俺の肩をぽんと叩くと、手を振って今度こそ去っていった。
言われるまでもなく、俺だってがんばってるんだ。ただ、なんだって彼女のはなんともなくて、俺のAIばかりおかしくなっちまうのかな。
「俺って、メンタル弱い?」
……いや、初対面のときから彼女には負けつづけのような気がする。
女かモノか? 藤井 俊 @To-y21
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