⑬お仕置き

「なんで! こうなる!?」


 キャラ造りの訛った口調すら忘れ、紅麗華は叫ぶ。

 くゆらせていたワイングラスから跳ねた赤い滴が白いバスローブに小さく染みを作った。


 紅はタワーマンションの最上階の自室で件のライブ配信を……自身の企みの顛末を見届けようとしていた。


 推移は順調だった。

“生ける音色”に魅了させた2万の贄。

 配信も合わせれば5万を超える人間の詠唱に加え、異界への扉となる結晶体。

 お膳立ては完璧だった。

 あと少し、ほんの少しで自身の主たる偉大なる存在をコチラに喚び出せるところだったのだ。


 なのに……。


「あんな弱い触媒で“最後の破滅”が喚び出されるなんておかしいじゃない?!」


 己が破滅への道に導いた櫃田英理が妙なレコードを所持しているのは知っていた。

 しかし、かの存在を喚ぶには弱すぎる触媒であった為、気にも留めていなかったのに……。


 憤慨する紅に不意に声がかけられた。


「それは君が浅はかで物を知らないからだよ」


 紅は椅子から立上がり部屋を見回した。

 いつの間にか照明が消えている。

 そして部屋の一角に置いてあるフィギュアケースの前で物珍しそうにフィギュアの1つ1つを手にとって弄ぶ存在がいる。

 濡れたような漆黒の髪に漆黒のドレス。

 久遠寺崔がそこにいた。


「な……“最後の破滅”」

「久遠寺、久遠寺崔だ。今はそう名乗っているんだ、なぁ? “這い寄る混沌”。それとも“悪心影”と呼ぼうか?」


 紅……這い寄る混沌と呼ばれた邪神はゴクリと息を飲んだ。

 それはサイを直に目にして分かってしまったからだ。

 自身との神格の隔たりを。

 圧倒的な、存在としての差を。


 紅は慌てたようにサイの側まで寄ると膝をつき深々と頭をさげた。


「……お会い出来て光栄です。暗き静寂の御方」

「はは、なるほど賢い。勝てぬと分かったらへりくだるんだ。だがね? 私はお仕置きに来たんだよ」


 手にとっていたフィギュア……奇しくもそれは透音ラブの似姿だった。その首を音を立てて手折り投げ捨てると、サイは酷薄な笑みを紅に向けた。

 一見優雅にすら見える笑みは、しかし目はまるで笑っていない。

 その視線に込められた確かな怒気を感じ、紅はだらだらと冷や汗を流した。


「な、何故でしょう? 私があなた様に何かしたでしょうか?」

「時間稼ぎかい? まぁ私は確かに長く現界は出来ないよ。世界の方が耐えられないからね。でも今回はちょっと特別なんだ」


 あっさりと自身の目論見を見抜かれた紅だったがなんとか焦りを顔に出さずには済んだ。

 サイは「冥土の土産物に教えてあげようかな……。使い方、あっているかい?」と冗談めいた口調で語り始めた。


「君が喚び出すつもりだったアレはね? 実は私なんだ。アレと私は言わば一枚の紙の表と裏。けして交わらぬ表裏。だが同一の存在なんだよ」


「な、そんな!? じゃああなた様は……」


「あぁ、違う違う。私は君の主じゃない。言っただろう? 裏側だと。存在としては同じでも有り方がまるで違うんだ。だがまぁほんの些細なきっかけで裏返ることもあるのさ、今回みたいに」

「でもまさか、だからあんな弱い触媒で? 既に現界していたから?」


 紅の疑問に「少し違う」とサイは応える。


「本当はあれっぽっちの音に喚ばれてやるつもりはなかったんだよ?」

「なら何故!?」


 紅は企みを潰され少なからず憤っていた。

そんな食いぎみの紅の問いに、サイははにかむような笑みを見せた。

 それは恋に浮かれる少女のような笑みだった。

 紅はそんな可憐な笑顔に毒気を抜かれてしまった。


「だって、タカオミが見ていたから……」

「……は?」

「タカオミの気配がしていたから顔を出したんだ……その……逢いたくて」

「はぁ!?」


 世界を壊すほどの存在が、特異性があるとはいえまさか人間の男にここまで絆されているとは。

 さしもの這い寄る混沌にも全くの想定外であった。

 紅は呆けた声を出してしまったと同時、何故この存在が“お仕置き”にやってきたか理解できてしまった。


「だから君にとっては気まぐれだったのだろうけど、タカオミと引き合わせてくれたことには感謝しているよ。でもね?」


 サイの顔に影が、いや闇が落ちる。

 表情が全く読めなくなった顔で、ついに世界を壊す邪神は怒りを顕にした。


「お前はタカオミの記憶から私を忘れさせようとしたな?」

「ひっ」

「タカオミを何に使うつもりだったか知らないがお前は許されないことをした。罪には、罰を与えなければならないな」

「あっ、ひっ」


 世界を混沌に導く掻き回し屋、“這い寄る混沌”と呼ばれた邪神は尻もちをつき恐怖を顕に後ずさる。

 ゆるく羽織っただけのバスローブが肌け、一糸纏わぬ姿になるが恥も外聞もなく、紅は逃げ惑った。


 特別仕様の最上階は幾つかの部屋に別れていた。

 作業部屋からキッチンを兼ねたダイニングへ、ダイニングからリビングへ。

 ドタバタと逃げる紅の後を、足音も立てずゆったりと、しかし全く離れずにサイはついて回る。


 ベッドルームで追い付いたサイはキングサイズの柔らかそうなベッドに紅を押し倒した。


「やっ、いやだ……! やめて、やめてください!」

「這い寄る混沌ともあろうモノが、まるで生娘じゃないか」


 そして、サイは震える紅に覆い被さると、強引に唇を重ねた。


「ん! んぅううう!」


 悶える紅の顔を押さえ、短く口づけをするとサイは紅の上からどいた。


「ちぇ……“本体”は接続を切って逃げてしまったか……まぁいいか。これだけ脅せばタカオミにはもう手は出してこないだろう」


 サイはやや不満そうに呟く。

 ベッドの上、ガクガクと痙攣し黒く変色しながら形を崩していく紅に目をやると「ははっ」と嗤った。

 

「分け身とはいえ情けないなぁ。タカオミは耐えたんだよ? ううん、やっぱりタカオミが特別なんだな……あぁ、今度はいつ逢えるだろう? 今度はちゃんと近くに行きたいよ、タカオミ」


 もはや興味はないとばかりに紅から視線を切ると、サイは思い人に語りかけるようにしながら闇に溶けるようにしてその場からいなくなった。


「(あーあ、私のほうが先に粉をかけてたのに、ネ……余計なことしたなぁ)」


 薄れる意識の中、紅は教え子だった青年の顔を思い浮かべていたが、やがて黒い染みとなってベッドシーツに広がった。



 







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