⑩彼女が来た

 ジ、ジジ、という僅かなノイズを発した後、蓄音機はピタリと沈黙していた。


「(何も、起こらないの……?)」


 そのレコードは、さる伝手から英理が手に入れた曰く付きのレコードであった。


 かつてカリフォルニアの地で起きた凄惨な事件。

 その発端となったあるセレモニーの様子を録音していたというレコードは、静寂をもたらすのだという。


 どう見てもブランクのレコードに、英理は眉唾物だと感じていたが、持ち帰って試しに針を落としてみればどういうわけか、微かに鐘の音が聞こえるのだ。


 話の種程度にしかならない、実は見えないように溝が彫ってあるのだろうと笑われるような、そんな安っぽいオカルトグッズに過ぎないレコードを英理は今鳴らすべきだという確信があった。


 きっとこのレコードが忌々しい歌を止めてくれるという確信が。


 しかし、現実には何も起こらなかった。

 英理の顔が絶望と焦燥に歪み、絶え間なく響く歌の振動が身体を侵蝕してくる感覚に吐き気が込み上がる。

 いよいよ英理が狂気に飲まれそうになった瞬間であった。


 英理の視界は闇に閉ざされ、同時に鐘の音が響き渡った。


 ガラン ガラン ガラン


 歌と呪詛を塗り潰し、鐘の音だけが聞こえる。

 英理は暗闇に包まれ、意識を手放した。


 ∴ ∴ ∴


 鐘の音が聞こえる。

 俺を呼んでいる。


 隆臣はベランダの引戸を勢い良く開け、部屋の中に飛び込んだ。


 隆臣を迎えたのはハッキリと聞こえる鐘の音と、スクリーンの前でサイリウムを目に突き入れようとしている良武であった。


「どけ!!」


 スクリーンの前を陣取る良武を隆臣は力いっぱいに突き飛ばした。

 良武は吹き飛ばされ、頭を壁に強かに打ち付けると崩れ落ちて起き上がらなかった。


 隆臣は良武を気に留めることなく、スクリーンを食い入るように見つめた。


「あ、あぁ、あぁあ」


 何故、忘れていたのか。

 そんなことはどうでもよかった。

 記憶の空白が、埋まっていく。


 彼女と出逢った異界、低く魅惑的な声音、冷たい手、恐ろしい怪物、重ねた唇の感触。

 すべてが昨日のことのように思い出される。


 気づけば鐘の音は止み、闇の渦巻くステージに、彼女はいた。


 漆黒のドレスに身を包み、グランドピアノの椅子に腰かけて蠱惑的な笑みを浮かべている。


隆臣は熱のこもった声でその闇の名を呼んだ。


「あぁ、サイ。なんて綺麗なんだ……」


彼女の名はサイ。久遠寺崔。

静寂と闇、そして破滅をもたらすモノだ。






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