⑤透音ラブ
「天使?」
「そ、天使」
良武が言うにはこういうことであった。
透音ラブにはいわゆるアンチがいない。
だがそれは明らかに不自然なのだと言う。
透音ラブは既存のDIVALOID から大きく方針転換をしているのだが、その反発すら無いというのだ。
まず、販売方法が変わった。
DIVALOIDは入力した歌詞にメロディをつけてサンプリングされた声優の声で歌声を合成するものだ。
それまでのDIVALOIDは買い切りのソフトウェアであったのに対し、透音ラブは利用権に課金する販売方法に変わった。
それまでは“あなただけの歌姫”が謳い文句だったのに対し透音ラブは“世界に一人だけの歌姫”になったのだ。
当然、既存の利用者からは反対の声が上がるものだと思われたが、そういったことはほとんどなかった。
次に歌声の変化だ。
よくも悪くも既存のDIVALOIDは機械的な合成音声でしか出力できず、自然な歌声にするには使い手のセンスと相当な労力が必要だったが、透音ラブは簡単に肉声と些かも変わらない歌声を出力した。
技術の進化といってしまえばそれまでだが、息継ぎまで再現するような生きた歌声はとても合成音声とは思えなかった。
既存の機械的な音声が良いというファンもいたはずだがやはり反対の声は無かった。
厳密に言えば、販売当初はアンチはいたのだが、すぐに居なくなったというのが正しいだろう。
嘘か信か、こういう逸話がある。
あるDIVALOID のアンチが集まる掲示板があった。販売当初の透音ラブに対しても当然アンチコメントで暗い盛り上がりを見せていた。
いつもであればファンとのレスバが始まるところだが、その時はどうも様子が違った。
あるファンが“いいからこれを聴いてみろ”と一つの音源を投稿し、それきりあらゆるコメントが絶えたのだ。
“ファンになりました”というコメントを最後に。
「まぁそんなわけでさ。誰が言い出したか分からんけどアンチすら魅了する天上の歌声! まさに天使! ってのがファンの共通認識なのよ」
「ほーん」
「反応薄っ」
期待した割には大したことがないというか、あからさまに盛られたような話に隆臣はやや辟易とした態度になってしまった。
「ま、ちょっとこれ聴いてみろよ」
良武が端末を操作して、ストリーミングの動画を流し始めた。
美声……隆臣にはそれ以外に表現する言葉が無かった。
透き通った可愛らしい歌声はなるほど魅力的であった。
これが合成音声だというなら凄まじい技術だろう。
しかし……。
「(歌詞がダセェ!! なんだ『愛して愛して愛してキュンキュン』って!? 親父の持ってた数世代前のアイドルソングでもこんな酷い歌詞じゃなかったぞ!?)」
ショートサイズの動画だったのか2分ほどで再生は終わったが美声と歌詞のギャップに隆臣の頭は大いに困惑していた。
「(わからん……わからんぞ。俺はたしかに流行りには疎いがこれが今の流行りなのか? ダサいのが一周回っていい感じとかそういうあれなのか?)」
無駄に頭の回転を上げて考えこむ隆臣に良武が訪ねる。
「どうよ? これが公式テーマソング、『ラブのラブソング』だ」
「公式!?」
「おう! めっちゃいいだろ?」
「あー……正直……」
“正直、ダサい”。そう言いかけた隆臣はふと感じた異様な気配に言葉を止めた。
食堂から音が消えていた。
学生達の話声も、食器のぶつかるカチャカチャという音も、厨房から聞こえてくる料理を作る音もしない。
誰もが手を止めて、ジっと隆臣を見つめていた。
向かいに座る良武と同じ感情の見えない真顔で。
隆臣は否定的な意見を生唾と共に飲み込むとなんとか声を絞り出した。
「正直……めっちゃいいよ。こりゃたしかに誰もがファンになる」
「だろー!!」
良武の明るい声を皮切りに食堂には普段の喧騒に戻った。
隆臣は粟立った背筋を落ち着かせ、上機嫌に透音ラブについて語る良武の話を聞き流していた。
本人でも気づかぬうちに口角を笑みの形に吊り上げて。
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