⑧ 多頭
扉一枚隔てるだけで採光窓からの明かりの届かなくなった階段は1段下るほどにどんどんと暗くなっていくようであった。
隆臣はスマートフォンのライトをつけると下に向かう血痕を照らし辿っていく。
血痕は地下一階で階段を外れそのまま廊下に進んでいったようだ。
階段を降りてすぐの天井には“手術室”と矢印つきの案内表示がついていた。
隆臣は廊下の奥へライトを向ける。
大した明るさの無いスマートフォンのライトではあまり遠くまでは照らせないのか、廊下の奥はひどく暗く、よく見通せなかった。
隆臣はおっかなびっくりと廊下を進んでいく。
遅々とした足取りの為か廊下がやけに長く感じられた。
ようやく見えてきた廊下の突き当たり、手術室であろう扉の前に佇む人影が見えた。
見慣れた後ろ姿……千草だ。
千草はびくびくと痙攣するような動作を繰り返していた。
「あ、姉貴?」
千草は隆臣の呼び掛けに反応すると、首から上だけをグリンと180度回転させ、虚ろな目を向けて「隆臣」と呟いた。
途端、千草の身体がガクリと膝から崩れるように倒れた。
しかし、首はそのまま位置を変えず虚ろな目で隆臣を見つめている。
倒れた身体の、頭の切り取られた断面からダクダクと溢れる血液が病院の廊下の滑らかな床に広がっていく。
千草の首には何か灰色の細長いものが繋がっており、そのまま天井あたりまで持ち上がった。
さながらそれは“ろくろ首”のようであった。
「は? え?」
呆ける隆臣を追い詰めるかのように、手術室の扉が内側からこじ開けられるように開いた。
千草と同じように首から上だけになった両親の頭がグネグネと上下しながら出てきた。
「隆臣」「隆臣」「隆臣」
家族の首が隆臣の名を呼ぶ。
混乱の中、隆臣はズリズリと手術室の中から“ナニか”が這い出てくる音を聞いた。
“ソレ”は無数の頭だった。
千草の頭、両親の頭、千草の友人の頭、他にも隆臣の知らない人間の頭、頭、頭。人間以外の頭、頭、頭。
灰色の流動する粘液のようなモノからいくつもの頭が突きだして、細長い触手に繋がってグネグネ、ウネウネと蠢いていた。
頭のいくつかは萎れたように干からびていたり、苦悶の表情を浮かべたり、不明瞭にブツブツと呟いている。
まるでイソギンチャクのように大量の頭を生やした奇妙な灰色の粘液でできたような“化け物”は手術室から這い出してくると廊下いっぱいに広がった。無数の頭が延び上がるように不規則に蠢めいている。
隆臣は硬直し、その様子を眺めていることしかできないでいた。
不意に、不規則に蠢いていたすべての頭が隆臣へと向けられピタリと動きを止めた。
『『隆臣』』
50は下らないであろう頭の口が一斉に隆臣の名を、呼んだ。
「うあ゛ああああああああ?!?」
背筋がゾクリと粟立つ。
隆臣は踵を返すと遮二無二走り出した。
隆臣はオカルトこそ信じていたが、あんなものは完全に理解の埒外であった。なによりもその見た目があまりにも恐ろしい。
恐怖に弾かれるように走り出した隆臣の足を伸びてきた触手が僅かに引っ掻ける。
イソギンチャクのような見た目にそぐわず、その動きは俊敏であった。
隆臣の後をズリズリという音が追ってくる。
それはどんどんと近づいてきていた。
つんのめって転げそうになった足を必死で踏みとどまらせ、絡みつこうとする触手を手足をバタつかせながら避け、隆臣は必死の形相で前に進む。
だが、化け物の動きは早く階段に続く扉を開ける前に触手に捕まってしまいそうであった。
リ……
隆臣の耳に微かな鈴のような音が届く。
“しかるべき時に”、サイの言葉を思い出した隆臣はポケットへと手を突っ込んで暗い色の鈴を取り出した。
「鳴れよ! 鳴ってくれええ!!」
隆臣が走りながら、叫びながら揺らした鈴は小さな見た目からは想像できないような重く美しい音色を響かせた。
りぃん りぃん ろぉん ろぉん
鈴は鳴るたびにその音色を深く低いものに変えていく。
緊張からか、隆臣の足は縺れ、今度こそ転倒しそうになった。
しかし、浮いた隆臣の身体を“闇”が受け止めた。
「ずいぶんと早い再会だね、タカオミ」
目の前の闇から沸きだすように顕れたサイが隆臣を抱き止め、蠱惑的な微笑みを浮かべていた。
挿し絵
https://kakuyomu.jp/users/Yutuki4324/news/16818093076344272275
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