第3話 なんと真子ちゃんとの再会の奇跡が訪れた

 私はいつものように、真子ちゃんの写真を眺めながら、ブログを書いていた。

 いつか、再会できる日が訪れることを夢見て。

 しかし、ちょっぴりの不安もあった。

 真子ちゃんは、五歳のときの無邪気な天使のままだろうか?

 それとも、高校中退ということもあり、苦労した挙句の果て、世間の垢にまみれているのではないか。

 ルシファーは堕天使という意味であり、すなわち悪魔である。

 神に逆らった元天使が、悪魔へと堕落した。

 だから、悪魔はまるで天使のような恰好をして、人間を誘惑した挙句、とりこにして放さないという。

 ひょっとして、天使のような真子ちゃんは、悪魔の誘惑に屈服しているのではないかという、不安が胸がよぎった。


 久しぶりに繁華街で買い物をし、電車を降りた途端、私は真っ青になった。

 なんと、肩にかけていたバッグがなくなっているのだ。

 スリの犯行に違いない。たぶん、後ろからバッグのひもを切られたのだろう。

 両手に紙袋を下げていたので、スリも金満家だと思ったにちがいない。

 

 しかし、幸いなことに定期はポケットに入っているし、バッグの中身は現金四十円と、ハンカチとメモ帳だけ。

 これじゃあ、スリもなんのためにすったのかわからない。

 まさにすり損である。

 早速、拾得物センターに連絡した。

 

 それから二週間後、拾得物センターから電話連絡があり、取りにいったら拾ってくれた人の名前が自筆で書かれてあった。

 私は目を疑った。なんと真子ちゃんの名前が記されているのだった。

 拾得した人は、落とし主から一割の謝礼をもらう権利があるという。

 私は、さっそく真子ちゃんの住所を聞いて、連絡することにした。


「バッグを拾って頂いて有難うございました。

 もしかして、二十六年昔、駅前のマンションの206号室に住んでたんじゃないですか?

 私は右隣に住んでいた、パソコンを貸したおねーちゃんです。

 覚えていたら連絡下さい。


 お礼のしるしの同封のギフトカード、どうか使って下さい」

 

 拙い文章ではあったが、真子ちゃんに再会できるかもしれないという期待をこめて書いた手紙である。

 真子ちゃんに私の三十六年間もの愛は、伝わっているでしょうか。

 いや、伝わっていなくてもいい。

 誰に頼まれたわけでもなく、私が真子ちゃんを愛したのだから。

 私は真子ちゃんに、人を愛することを教わったんだから。

 このことは、神の采配に違いないと信じている。

 しかし、真子ちゃんには、五歳のときのような無邪気さと人懐こさを持ち続けてもらいたい。


 それから一週間後、信じられないことが起った。

 なんと、真子ちゃんがバラエティー番組に出演していたのだ。

 大御所芸人が司会する、商店街訪問のロケ番組である。

 私の地元の商店街の、これまた老舗コロッケ店の前で、真子ちゃんの姿が放映されていた。

 クリクリとした大きな目は、昔とはちっとも変っていない。

 真子ちゃんは、漫才師のとなりに立っていて、新キャラ登場と紹介されていた。

「私の地元のこの町は、気さくで話しやすい人が多いです。

 このコロッケ店は、なんとローストビーフのお寿司まで売っているマルチな店です。

 あっ、私はアイドルとお笑い芸人を足して二で割ったようだと言われます」

 漫才師は、納得したように頷いたあと、笑いがでた。

 すると、スタジオでビデオをみていた大御所芸人も、

「ロケとわかってんねやろ」と言いながら、爆笑していた。

 真子ちゃんって、お笑いの才能があるのかもしれないな。

 

 なんと翌日に、真子ちゃんからの手紙が届いていた。

「おねーちゃんへ

 二十六年前に住んでいた駅前のマンションで、お姉ちゃんと出会ったことを、今でも覚えています。

 最後に会ったのは、たしか、私が小学校六年のとき、学校前で消しゴムと小物入れをプレゼントされ、写真を撮ってくれたことですね。

 そのときの写真、今でも持ってくれてます、なーんてそんな筈ないですよね。


 そういえば、十五年程前、お母さんがおねーちゃんに会ったと言ってました。

 今だから言うことですが、私はお母さんからおねーちゃんとは、話してはいけないと言われていたのです」


 まあ、無理もないや。

 私と真子ちゃんとの家庭も、お母さんの職業も別世界に近かったのだから。

 でも、真子姉妹のお母さんが、二人の子供のシングルマザーであり、孤軍奮闘、悪戦苦闘する姿は、私には真似できない強さがあった。

 まさに「女は弱し、されど母は強し」を地でいくものだった。

 私には到底真似はできない。 

 まあ、それ以前に私は夜の職業につくことすら、できないのであるが。


 私は真子ちゃんに、早速返事を書くことにした。

「私のこと、覚えていてくれてありがとう。信じられないくらいの感謝です。

 私はいつも、真子ちゃんのことを忘れたことはなかったんですよ。

 真子ちゃんの写真を、いつも机に飾っています。

 その当時、人見知りだった私にとって、真子ちゃんの人懐こさは、私の心に住み着いた天使のようでした。


 できたら一度会いたいです。

 私はいつも地元のキリスト教会ー駅前のスーパーマーケットの西側にあるーに通っています。

 礼拝は毎週日曜日の十時半からです。

 私は、毎週通っていますので、できたら教会でお会いしたいですね。

 真子ちゃんの笑顔がいつまでも健やかでありますように」


 しかし、真子ちゃんはキリスト教会に来てくれるだろうか?

 もしある新興宗教は、キリスト教会には行ってはならないと言われている。

 真子ちゃんは、どうであろうか。

 

 目を閉じると、真子ちゃんとの思い出が浮かんでくる。

 OL時代だった頃、女性課長ーといっても社長の実の妹であるがー「早く仕上げてくれ」とうるさく厳しい注文をつけられていた私にとって、真子ちゃんの存在は救いの天使のようだった。


 夜中の二時が、真子姉妹の母親の帰宅時間なのであるが、きまって「管理人さんに文句言われないようにして」と怒鳴る声、姉の玲子ちゃんと真子ちゃんの泣く声が、目覚まし時計の如く、聞こえてくるのだった。

 管理人さんは、そんな親子を寛大に見守ってくれていたことが唯一の救いであった。


 私は、幸か不幸か大した恋愛もせず、結婚の話もお流れになっていた。

 ひとつは、私にはシングルマザーになる勇気と資格がなかったからである。

 ときおり、クリスチャンの先輩から

「あなたは神様に愛されている、神様はあなたに対して、計画をもってらっしゃるのよ」

 牧師からも「あなたほど神様に愛されている人を、見たことはない」と言われることもあった。

 まあ、結婚だけが人生ではない。

 女囚は全員が男絡み、半数は既婚者だという。

 私の周りの独身者は、女性も男性もみな、仕事をして親の介護をしている。

 私は神様と共に歩み、いや神の使命を果たすことが、生きるべき道だと思っている。

 

 

 

 

 


 


 

 


 


 

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