第一章 やり直しの時間③

 客間で待っていた殿下は、私の姿を見るとがおで立ち上がった。

 その笑顔を見て、ほっとあんした。ほら、やっぱり、冷たい殿下じゃない。

 そもそも冷たくなったジェイド殿下だったら、私のお見舞いになんて来るはずがない。それが分かっているのにおびえてしまうのは、やっぱり苦しんだ時間が長かったから……。

「エリアナ、元気になったみたいで良かった。調子はもういいのかい?」

「はい殿下、わざわざありがとうございます」

 殿下が困ったように笑う。

「殿下などと。いつものようにジェイドと呼んでくれ」

 その言葉を聞いてぎゅっと胸が痛む。

 巻き戻る前、殿下に言われたのだ。ある時とつぜん「今後は名で呼ぶのはひかえてくれ」と。

 学園でほかの生徒の手前そのようにおっしゃるのだと自分に言い聞かせたけれど、デイジーは名で呼ぶのを許されていた。

「……ジェイド様」

 うつむきそうになるのをこらえて声に出すと、殿下は満足そうにうなずき、私の手を引いて自分のとなりに座らせた。とびらの横にはリューファス様が控えている。彼は殿下の兄弟きようだいでもあり、学園でも常におそばについていた。将来はこのとして殿下をお支えするのだろう。

「入学式の後から体調をくずしたと聞いて心配していたんだ。良くなったと聞いてすぐに来てしまった。本当にもう大丈夫かい?」

「ええ、もうすっかり良くなりましたわ」

「それならよかった。無理をしてはいけないよ。学園で何かあったらいつでも私をたよってくれ。そうだ、リューファス」

 殿下に声をかけられた側近であるリューファス様が、他の護衛から何かを受け取って戻ってくる。

 その手には小さな花束。色とりどりの花が美しい。

「王宮の庭園から選んできたんだ」

「まあ、殿下ご自身で?」

 昔はいつだって殿下からいただく花束は一色でそろえられていた。こんなあざやかなものをいただいたのは初めてだ。

 私の手をやさしく握ったままの殿下のすいひとみは、温かさを持ってこちらを見つめている。

「……エリアナ?」

 私に久しく向けられることのなかった優しい微笑ほほえみ。けれど、記憶に残る冷たい視線が脳内にこびりついていて、なおに喜ぶことができない。

 うれしいのか悲しいのかも分からず、気が付いたときにはなみだこぼれていた。殿下が驚いて息をむのが聞こえたけれど、顔を上げることができない。

 ふいにぬくもりに包まれて、気づけば私は殿下に優しくきしめられていた。

「ごめんなさい……」

 今の殿下に、私のまどいなんて分かるはずもない。急に泣き始めるなんて、意味も分からなくてこんわくするばかりのはずだわ。

 それなのに殿下は何も聞かず、ずっと私の髪をなで抱きしめ続けてくれた。

 そう、ジェイド殿下はそういう人だった。優しくて、私に安心をあたえてくれる人……。

 殿下は私が泣きんだ頃に帰って行かれた。私を心配して無理やり時間を作り会いに来てくれていたらしい。最後まで、私がなぜ急に泣いたのか聞かずにいてくれた。

 確かにこの頃の殿下はいつだって私に優しかった。殿下にしてみればいつものように私を甘やかしてくれただけなのかもしれない。だけど、時を戻ったばかりの私の体感ではずいぶん久しぶりにれる殿下の優しさに、どうしても心地ごこちの悪さを覚えてしまう。

 同時に、巻き戻る前のあの悪夢のような日々は、やはり文字通りただの悪夢だったのではないか。長い長い悪い夢を見ていただけではないかと、そんな気持ちもいてくる。

「あの、エリアナおじようさま、またお客様がお見えですが、いかがいたしましょうか……?」

 やっと涙が止まった頃、目元を赤くした私にリッカが控えめにたずねてきた。

 私の返事を待たずに、リッカの向こうから姿を見せたのは……。

「え……?」

 すらりとした長身に、つややかなくろかみが美しい、気品あふれるその姿。

 そこにいたのは、まさかのテオドール第一王子殿下だった。

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