第一章 やり直しの時間①

「初めまして、僕はマクガーランド王国第二王子、ジェイドです」

 にこやかに首をかしげ、こちらを見つめる王子様。

 かがやく金色を、美しいと感じたのを覚えている。

 どうやらこれは夢らしい。殿下と初めて婚約者として顔を合わせた時の夢だ。

「お初にお目にかかります。リンスタード侯爵家がむすめ、エリアナ・リンスタードと申します」

 王子様は自分よりていねいあいさつで返した幼い少女に少しだけ驚いた顔をして、ほおを少し赤く染めると、さっきよりも強くみを浮かべた。

「君はもう立派なしゆくじよだね。僕のことはジェイドと呼んでほしい」

「ジェイド様……」

「うん。その方がいいな。僕と君は今日から婚約者となるのだから」

 その言葉に、小さな自分がうれしそうに笑う。

 数日前に開かれた殿下の婚約者を探すおうしゆさいの茶会で、ある程度いえがらや本人の資質などをこうりよされた同じとしごろの貴族れいじようが集められている中、「この中からならどの子を選んでもいい」と言われていた殿でん。幸運にも、選ばれたのは私だった。

 王子妃になりたいなどという大それた願望を持っていたわけではないけれど、やはり自分を望んでもらえるのは嬉しかった。

 こんやく者になった殿下はいつだって私にやさしくて、大事にしてくれていた。

 夢の中では小さな私と殿下が王宮の庭で仲良く並んで遊んでいる。

 王妃様が管理されているバラ園を、手をつないで歩き、私が思わずれいだとかんたんの声をらした赤いバラを、帰りに小さなブーケにして持たせてくれたことを思い出す。

 喜び、幸せに笑みくずれた私の頬に、そっと殿下が唇を寄せた。

 頬を染めた私を甘く見つめる殿下と、微笑ほほえまし気に見守る周囲の大人たち。

 小さな頃からずっと、こんな風に一緒に過ごしてきて、誰が好きにならずにいられるだろう? 少なくとも、私は殿下のことが大好きだった。

 夢のシーンが変わる。

「エリアナ、私のエリー。こっちをむいて」

「ジェイド様……」

 小さな頃からその美しさをたがえない王妃様のバラ園の中で、殿下が私の頬とこしに手を添えて甘く微笑みかけている。これは、学園に入る少し前の光景だ。

「あと三年待って君が学園を卒業すれば、やっとエリーとけつこんできるね。早く君と一緒に暮らしたい」

「ジェイド様ったら……」

「本当だよ。エリー、私はもう君がいないと生きていけない。君を婚約者に望んだ幼い頃の自分をめてやりたいよ」

「あっ……」

 殿下は腰に回した腕に力を入れて私を強くきしめると、そのまま私の頬をするりとで、くちびるれるだけのキスをした。

「愛しているよ、エリー。ずっと私のそばにいて」

「もちろんです……私もあなたをおしたいしております」

 甘く見つめあって、愛をわす私たち。

 この頃の私は、殿下の愛を疑ったこともなかった。殿下を心から愛していた。本当に幸せだった。

 けれど、夢の中ですら幸せなままではいさせてくれないらしい。

 景色が揺らぎ、ハッとして後ろをり向く。

 さっきまで私と殿下がいたバラ園に、デイジーが立っている。

 彼女が笑顔で振り向くと、そこにジェイド殿下が現れた。

 二人はかつての私たち以上に幸せそうに微笑みあい、身を寄せて何かをささやきあっている。

 いやだ、嫌だ嫌だ嫌だっ!

 現実では私はここでえきれずに立ち去った。けれどざんこくなことに、今はこの光景から目をらすことができない。これはただの夢? それとも、現実でも起こったこと?

 ジェイド殿下はそっとデイジーを抱き寄せ、優しく唇を寄せる。たまらず私の目からは涙がこぼれた。上手うまく息ができないほど、胸が苦しい。

 どうして? あんなに愛していると言ってくれていたのに。

 早く結婚したいと言ってくれていたのに。

 私を選んでよかったと、自分は幸せ者だと言ってくれたのに。

 あそこは、私の居場所だったはずなのに。

 私には、あなただけだったのに……。

 思い出の中で、私に向けてくれていた笑顔が、割れたガラスのように粉々にくだけていく。

 抱きしめあったままのジェイド殿下とデイジーがこちらを見て楽しそうに笑った。

「お前との婚約はする。お前のことなどもう愛していない。いや、愛していたと思っていたこと自体気の迷いだったようだ」

 笑いながらジェイド殿下がき捨てる。

 ああ、あなたは思い出を大事に胸にいだくことさえさせてはくれないのですね……。

 絶望に打ち震えたそのしゆんかん、気が付けばその場には誰もいなくなっていた。目の前も見えないほどに、辺りは真っ暗だ。

 ふと、くらやみの向こうから、誰かが歩いてくるのが見えた。

 顔の見えない誰かの足音だけが響いている。足音は、私のすぐ側まで来て止まった。

「聖女とは、何か」

 誰かがつぶやいた瞬間、モヤが晴れていくように、その表情があらわになった。

「聖女とは何か。考えるんだ」

「何を言って……?」

「考えて、エリアナ。君は考えなくてはいけない」

 しんけんひとみかれて何も言えなくなる。私にうつたえかけるのは、顔を合わせたことすら数えるほどしかない、テオドール第一王子殿下だった。

「考えるんだ、エリアナ。そして、私に会いに来て……必ず」

 何を考えるというの……?

 そうたずねようと口を開きかけた瞬間──。

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