序章 婚約破棄、そして

 とつぜんのことだった。エスコートを断られた時点でいやな予感はしていた。

 三年間通った学園の卒業パーティーでそれは起こった。

「エリアナ・リンスタードこうしやくれいじよう! お前とのこんやくする! デイジーに対するお前のざんぎやく非道なこうすべあくしている! おのれおろかな行いをこうかいするがいい!」

 私はあまりのことにぼうぜんとしてしまった。

 目の前でぞうかくしもせず、厳しい視線を私に向けるジェイド・マクガーランド第二王子殿でん。それは最近ではすっかり見慣れてしまった表情だった。

 彼は私の婚約者だ。いえ、婚約者だった、と言うべきなのだろうか。

 殿下に代わりエスコートしてくださったランスロットお兄様の、私を支える手に力がこもったのが分かった。

「残虐非道な行為、とは?」

 私の問いに、殿下はますます表情を険しくさせる。

「しらばっくれるのか? 聖女であるデイジーの貴族としての身分が低いからと、ずいぶんしいたげてきたようじゃないか」

「私はそんなことはしていません!」

「認めないのか! お前がそれほどみにくい人間だったとは……そもそもほう適性もなく、どこをとってもデイジーのあしもとにもおよばないお前との婚約を、ここまで続けてきたことがちがいだったな!」

 私は思わずくちびるを引き結ぶ。学園に入学する際に行う魔力測定で、私は『適性なし』と判定された。けれど、王子になるのに魔法適性は必ずしも必要だとはされていない。

 魔法適性はなくとも、ジェイド殿下を支えていけるよう、今日まで努力を続けてきた自負がある。それなのに……。

 私をにらみつけながらそうき捨てるジェイド殿下のそばには、側近であるカイゼルとリューファス様がひかえている。

 殿下は厳しいこわいろのまま、「残虐非道な行為」とやらを一つずつ挙げ連ねていく。

 ただし、私には全く身に覚えのないことばかりだ。

「まあ、ついに殿下はご決断なさったのね」

「ほら見て、エリアナ様はこんな時でも表情を変えられないわ」

「さすが、悪役令嬢と言われているだけあってひどいものだな」

 あちこちから、そんなささやきが聞こえてくる。

 悪役令嬢? じようだんじゃない!

 それは、私につけられためいなあだ名だった。

 ほつたんは長く大流行しているれんあい小説。身分の低い男爵令嬢が聖女の力にかくせいし、その国の王子妃にまで上りめる所謂いわゆるシンデレラストーリー。その小説が流行はやるとともに、主人公の男爵令嬢にしついじく王子の婚約者が悪役令嬢としようされ話題になったのだ。

 周囲の人たちは、私のことをまるでその悪役令嬢のようだと言っているのだ。

 嫉妬で虐め? そんなことするわけがない!

 ちらりと、ジェイド殿下の後ろに隠れるようにして寄りっている人物を見やる。

 彼女はデイジー・ナエラス男爵令嬢。やわらかなちやぱつももいろひとみの愛らしい容姿。エメラルドのネックレスとイヤリング、あわい緑のドレスには金糸であざやかなしゆうほどこされている。きんぱつすい色の瞳を持つジェイド殿下の色を全身にまとっているのだ。見るからに質が良く、男爵家に準備できるものではなさそうなことから、おそらく殿下におくられたものだろう。ちようあいがその身にあるのは言うまでもないことだった。

 彼女は最近しん殿でんに聖女にんていされたと話題になっている。……そう、例の小説の主人公のように。

 我がマクガーランド王国は愛のがみアネロ様をしんこうしている。アネロ様はいちな愛と誠実を好むと言われていて、この国は高位貴族や王族であっても一夫一妻制だ。それなのに、そんな愛の国の婚約者のいる王子と、女神の使者とされる聖女がこの有様だなんて。

 デイジーはジェイド殿下のうでからみつき、全身でおびえを表すようにがらな体をふるわせて、愛らしいと評判の顔になみだかべながら、私に向かって必死にうつたえかけてくる。

「エリアナ様! 罪を認めて謝罪してください! でなければ……あなたはしよけいされてしまうわっ!」

 処刑……一体なんの罪で私を裁くつもりだというのだろう。

 あまりのむなしさに思わず少し笑ってしまうと、視界に映るジェイド殿下が少しおどろいたような顔をした。ただし彼は、愛する少女のその顔が、自分のかげに隠れたしゆんかんゆがんだちようしようたたえたことには気づかない。

 彼女のその表情を見た瞬間、苦しいほどの感情が私の体をめぐった。

 殿下の愛を失ったつらさ? 裏切られた虚しさ? それとも醜い嫉妬?

 いいえ、これはそんなものではない。

 メラッ……。

 き上がったのは、静かにらめくほのおのような感情。赤いそれよりもずっと熱い、青い炎のような。

 それは、悲しみといかりだった。

 積み重なった悲しみも全てあふれ出して、強い怒りの炎が私の心を燃やしていく。

 愛していたのに。愛していると言ってくれていたはずなのに。

 いつから私を見る目が変わっていってしまったのだろう。

 殿下の冷たい目が、私がこれまで大切に育ててきた愛を、しんらいを、粉々にしていく。

「もういい! 衛兵よ、この女をろうへ連れていけ!」

 罪状を認めず、謝罪する気配のない私に向けて殿下が大声を上げる。私に寄り添うお兄様がハッと息をんだ。まさか本当に牢へ、などと言われるとは思わなかった。

「まさか! ……っエリアナ! こんなっ、こんなことが許されるわけがない!」

 兵に引きはなされたお兄様の悲痛な声がひびく。けれど非情なことに、私に手をばそうとしたお兄様も兵に組みかれていく。

 乱暴に腕をつかまれ連行されながら、あまりの恐ろしさにこらえきれず、涙がこぼれる。

 どうして? 私が何をしたというの?

 涙にれた視界の中で、相変わらずこちらを睨みつける殿下と目が合った。

 あんなにいつしよにいたのに、どうしてこうなってしまったのか分からない。

 その光景を最後に、暗い暗いやみの中に吸い込まれていくように私は意識を失った。

 頭の奥底で、ずっとだれかが私の名前をさけんでいるような気がした。

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