第17話
「おかえりー」
家に帰ると、いつもの調子で和加奈が出迎えてくれる。
今日、蒔苗の工作室の扉を壊したのと同一人物とは思えないほどの気楽さだった。
「そろそろご飯だから手を洗ってきなさい。今日は、ちょっと豪華にしたからね」
ちょっと豪華にした、母のその言葉に悪態をつきたくなる気持ちを必死に抑えながら、手洗いで時間を潰す。
リビングに戻ると、既に夕食が並んでいる。
どうやら今日のメインはステーキらしい。なるほど、確かに豪華な夕食だ。育ち盛りの男子学生である、僕としてもステーキという夕食は本来喜ぶべきだろう。
ただこれが振舞われている理由を考えると、逆にため息が出てくるほどだ。
「今日、和加奈がコンビニで強盗をしていた人達を捕まえたらしいのよ。だから、お祝いというと少し変だけど、ご褒美ということで」
それはまあ、なんというかご愁傷様だ。
主に強盗をしていた犯人側が。
まさか強盗をしにいった先で、化け物に出会うなんて彼等も思っていなかっただろう。
「流石は俺の娘だ」
得意げに父は頷いているが、おそらく父はそういった際に動くタイプではない。
精々、警察に秘密裏に通報する程度が関の山だろう。大分偏見が入っているかもしれないが、大きく外れてはいないだろうという確信がある。
「私は当然のことをしただけだもん」
和加奈は平然とそう言ってのける。
「その強盗犯って元冒険者の人らしいの。そこそこ実力があって有名な人だったらしいんだけどね、素行の悪さで首になったらしいわよ」
「けしからん奴だな。全く」
元冒険者とはいうが、和加奈にとっては赤子と対して変わらなかっただろうことは想像に難くない。
「いいか、祥吾。お前は兄何だから、和加奈の事を見習ってだな」
「……分かってるよ」
ああ、始まった。
どうせ来るとは思っていたが、今日は随分と早かったな。
「いいや、お前は分かっていない。確かに勉強の方は少しは頑張っているようだが、実技の方はまだまだじゃないか。今何階まで行ってるか言ってみなさい」
「二十九階」
そう答えると、父はわざとらしくこちらに聞こえるようにため息をつく。
「お前なあ。普通その時期なら三十階には行けるはずだろうに、その階層で止まっているのはお前の甘えだぞ。和加奈を見習え、もうすでに二百階まで潜っているんだぞ」
「すいません」
「謝罪の言葉なんて求めていない」
今日の父は随分とヒートアップしているようだ。仕事場で嫌な事でもあったのかもしれない。
「まあまあ、お父さん。それぐらいにしましょうよ。せっかくの場何ですから」
ただ空気がこれ以上悪くなるのを嫌ったのか、母が止めに掛かる。
「む、ただなあ、祥吾の態度は目に余る。俺が若い頃はもっとなあ」
「でも、本当に大変だったんだよ! まだ七月も序盤なのに暑いからさアイスでも買おうと思って、コンビニ寄ったんだ。そしたら強盗の人達がいて『金を出せ!』って言ってたの」
「あら、まあそんなことが」
和加奈が事件の際の話をし始めたおかげで、僕への注目はなくなった。
ずっとこのままだったら助かるんだけどな、本当。
「ごちそうさま」
それ以降僕に話題が戻ってくることもなく、いつものように早々に夕食を食べ終え、自室へ向かう。
そんなつもりは無かったのだが随分と勢いがついてしまっていたようで、自室の扉がバタンと音を立てて閉まる。
不味いな、何か言われるか?
そう思って身構えてみるものの、下から何か声がする様子はない。
聞き逃したのか、それとも何か言うつもりはないのか分からないがありがたい。
イヤフォンを耳に付けてから、自分のノートを取り出す。
明日は金曜日。冒険者学校は一応、土日は休みという形を取っている。そのため明日までに神場に勉強用の資料を渡しておきたいのだ。
あの成績からいって、もはやテストの範囲を全部網羅するというのは諦めたほうが良い。
山を張った、今回の追試専用の資料を作成するべきだろう。神場が言うところによると、十教科の千点満点で二百点取れれば合格になるらしい。基準としてはかなり低い気もするが、今の神場にとってはそれでも高い壁だ。
さて、頑張って作っていこう。
しばらく、追試ようの資料を作っていると、扉から控えめなノックの音が聞こえてくる。
もっと高いイヤフォンにするべきだったかもしれない、ちゃんと曲も流しているのにノックの音が聞こえるとは。
ただまあ聞こえてしまった以上、返事をしなければもっと面倒な事になるだろう。もしノックの相手が部屋に勝手に入って来た時、ノックが聞こえなかった演技が出来る程、僕は器用ではない。
「だれ?」
イヤフォンを外してから、返事をする。父がまた小言を言いに来たのだろうか。
随分と不機嫌そうだったしな、ありえない話ではない。もしそうなら面倒だな。どうでもいい薄っぺらな説教を聞かされるのは、苦痛以外の何でもない。
「お兄ちゃん、私だよ。和加奈、ちょっと中に入ってもいい?」
ただそれよりも最悪な人物が扉の前にはいたようだ。これなら父が来てくれた方が、まだ幾分かましだ。
「……いいよ」
妙に嫌な予感がした。
和加奈と言えば思い出されるのは当然今日の放課後の事、もしかして神場とエンゲージしてることがバレたとか?
「ごめんね。そのいつもダンジョンに行ってる時間なのに、お兄ちゃんが外に出てないから心配で」
時計を見てみると、確かに時間は既に夜の十時を回っていた。
ああ、なるほど。それで不審に思ったということか。
確かに、僕は冒険者学校に入って以来、毎日夜にはダンジョンに向かっている。そんな人物が今日に限っていかなくなったら、体調不良などを疑うのも当然だろう。
「今日はやりたい事があって、ダンジョンに行けてないんだ。体調不良とかじゃないよ」
「そっか。そのやりたい事ってもしかして、姫乃ちゃん関係の事?」
「まあ、そうだね」
僕としては体調不良とかではないことを確認したならすぐにこの場から去って欲しいのだが、そんな気配は一切見えない。
「お兄ちゃんにとって姫乃ちゃんってそんなに大事なの? ただの友人のはずなのに?」
むしろ和加奈は追及するようにそう尋ねる。その眼には光が一切宿っていなかった。
「……大事というか、今やらないといけないんだよ」
「それって何?」
こちらを見つめる目は冷たい。
ここから逃げ出したい衝動に駆られるが、それと同時に和加奈からは逃げれないだろうなとどこか冷静に判断する自分がいる。
「あいつの追試の対策だよ」
「追試?」
「言ってなかったか? 僕はあいつが進級できるよう面倒を見てるんだ」
そう言うと、和加奈は鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべる。
「ええ、言っていないよ、そんなこと! 私がお兄ちゃんとの会話を忘れるわけないもん。絶対に言ってないよ!」
その自信は何処から来るのかと聞きたくなるが、下手に首を突っ込んで藪蛇になっては目も当てられない。
「そっか、お兄ちゃんが面倒見てるんだね」
「まあ、そうなるかな。そもそも友人じゃなくて、あいつの進級のために協力してるだけだから」
「そっか、そうなんだ。ごめんね、私勘違いしてたみたい」
先ほどの威圧感は何処へやら、和加奈は満足げにネコのような伸びをする。
「私にも出来ることがあったら何でも言ってね。私も姫乃ちゃんの為に頑張りたいから」
今日の放課後、神場に詰め寄った事なんて無かったかのように、長年の友人を思う様に和加奈は言う。
「ああ……、うん。何かあったら頼むよ。それで話ってのは終わり?」
「うん、邪魔してごめんね」
「別にいいよ」
そう言ってすぐにイヤフォンを付けてから机に向き直る。
これ以上話すつもりはないという意思表示だ。
そのおかげか、それともこれ以上話すことは本当になかったのかは分からないが、和加奈が部屋を出て行く音がイヤフォン越しでも聞こえた。
和加奈に頼れば、もっと簡単に神場は追試に受かることが出来るかもしれない。
何か僕の想像を超えたような方法で、神場を合格に導くかもしれない。
ただもしそうなるとしても、僕の答えは一つだ。
「誰が、お前の手なんか借りるかよ」
吐き捨てた言葉は誰に届くこともなく、消えていった。
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