第14話

 昼休みになり、神場に放課後和加奈と会って欲しい旨を伝えようとした時だった。


「ちょっといいかしら」


 こちらから話しかけるよりも先に、神妙な顔つきの神場から話しかけられる。


「ちょうどよかった、僕からも用事があったからさ」

「そういうことなら私の用事から終わらせてもいいかしら?」

「もちろん」

「それなら、ついてきてちょうだい」


 神場に付いていくと、そこは多目的室と書かれている部屋だった。


「ここに入ってちょうだい」

「別にいいけど、ここは何の部屋なの」


 部屋の存在は知っているけど、使い方までは知らない。亜人関係の部屋だと、学校側が説明していた気がするけど。

 中に入ると多目的室というよりは、保健室と言った方がしっくりくる内装だった。何個かの椅子と机。それに何故かベッドやシャワールームまで完備されている。


「よし、それじゃあそこに座りなさい」


 言われるがまま、椅子に座る。

 ただ神場はどうやら椅子に座るつもりはないようで、自分の後ろに回った。


「今度は吸いすぎないよう気を付けるわ」


 そんな言葉と共に、首元にチクリとした痛みが走る。

 ああ、そうか。食事か。

 そういえばエンゲージした影響で、僕の血しか吸えなくなったんだなと思い出す。


 数秒間、そうしていると神場が大きく息を吸ったり吐いたりするのが聞こえる。

 どうやら吸い終えたらしい。

 殆ど痛みもないし、これなら多少吸われても問題は無さそうだ。


 後が残っていないか確かめるために、試しに手を首元に当てて見るがやはり先日と同じように傷がついているような感覚はない。


「これぐらいなら、大丈夫かしら?」

「うん、フラッときたりはしないね」


 軽く体を動かしてみるが、特に倦怠感もない。この程度なら血を吸われても大丈夫だろう。


「これが適量ね、覚えておくわ」

「そういえば、この吸血って毎日するの?」

「休みの日以外は出来れば毎日お願いしたいわね。もちろん一日一食で十分なんだけど、いいかしら?」


 妙にしおらしい様子で、神場は尋ねる。

 次の試験には大した影響がないとはいえ、将来的に見れば吸血はした方が神場の実力が上がるらしいし、出来るだけ回数は増やした方がいい。


「分かったよ。それなら昼はこの多目的室に来るってことでいいのかな?」

「ええ」


 この多目的室の事もようやく分かった。

 吸血鬼の食事みたいな、亜人にとっては必要でも他の人達に見られたくない行為を行う場所なのだろう。

 サキュバスやインキュバスなどの人の性的なものを食料にしているものなどはその最たる例だろう。


「それで、貴方のようっていうのはなんなのかしら?」

「ああ、うん。実は今日の放課後に、妹が神場と会いたいって言っててさ、それで出来れば会って欲しいなって」

「え、貴方の妹ってことは、宮地和加奈よね。な、なんでそんな人が私なんかに」


 名前を出しただけで、神場はガクガクと震えている。


「大丈夫。怒ってるわけじゃないと思うから」


 その言葉に神場はホッと一息をつく。


「ただ、そのもしかしたら神場が僕の事を騙したんじゃないかって疑ってるんだよね。だから、もし魅了を使ったことがバレたりしたら大変な事になる……かもしれない」


 最後は言葉を濁しはしたが、大変な事になるのはほぼ確実だろう。

 ただそうなってほしくないという願いからか、断定することが出来なかった。


「まあ、分かったわ。そもそも魅了の事は話すつもりないから大丈夫よ。……多分。……大丈夫よね?」

「僕はそう思いたいけどね」


 和加奈が暴走し出したらもう誰も止められない。

 僕に出来ることと言えば、そうならないよう精々祈るぐらいのものだ。


「それじゃあ放課後蒔苗の工作室で会う予定になってるから、心構えしておいてね」

「ええ、分かったわ」


 多目的室を後にして、自分も食事にしようと食堂の方に急ぐ。


 この時間からだと既に人がごった返しているだろうから、次からは食堂ではなく購買でパンでも買うことにしよう。そう心に決めた。




 放課後になるなり、すぐに神場に話しかける。


「それじゃあ、いこうか」

「え、ええ。いいわよ、やってやろうじゃない」


 それに何故か緊張したような表情で彼女は答えた。


「とりあえず失言しないように気を付けよう。そうしたら、僕と蒔苗でフォローするから」

「本当よね? 信じるわよ。嘘だったら絶対に許さないから!」


 今までにない勢いでこちらに詰め寄ってくる。

 それほどまでに和加奈のことが怖いのだろう、まあ気持ちは分からなくもない。


「まあ、お世話役としてなんとかするさ。きっと」

「そこは断定しなさいよ」

「最善は尽くすよ」


 合言葉を言ってから工作室に入ると、これまたいつものように棒付きの飴を舐めた蒔苗が出迎えてくれる。

 本当いつでもあの飴舐めてるよな、もしかしていくら舐めてもなくならない飴を発明しているのだろうか。普通に考えれば無数の飴をストックしているだけだろうけど、蒔苗のならありえるかもしれないと考えてしまうのが恐ろしい所だ。


「おや、随分と緊張しているようだけど、そこまで気にしなくていいさ。今日行うのは君がどの魔法に向いているかのデータを取るだけだからね」


 神場が緊張しているのを、初級魔法関係のことだと勘違いした蒔苗が優し気な音色で語りかける。


「神場が緊張してるのはそうじゃなくて、今から和加奈と会うからなんだ」

「ああ、なるほど。確かにあの人物と会うならこれほど緊張するのも……って、ちょっと待て、今なんて言ったんだい?」

「え、和加奈と会うって」


 そこまで変なことを言っただろうか。


「いや、その前だ。今からと言わなかったか?」

「ああ、うん。和加奈が蒔苗の工作室で会うことにしようって言ってたから」


 僕がそう口にすると、蒔苗の顔が蒼白になる。


「待て待て待て、それは不味い。どうして君はそのことを報告しなかったんだ」

「いつも事前の報告なんていらない、用があるときのみ連絡しろって言ってるのは君じゃないか」

「いや、まあそうだが。くそ、自分のせいか。いや、そんなことはどうでもいい。まず宮地、君は妹に電話したまえ」

「どうして?」

「私は彼女にこの部屋に入る方法を教えていないからだよ!」


 珍しく焦ったような口調で、蒔苗が言い切った瞬間だった。


 入口の方から凄まじい爆発音が聞こえてくる。


「……ああ、遅かった」


 それと同時に、蒔苗から表情が抜け落ちる。


 何が起きているのか理解できない僕は、神場と顔を見合わせるがどうやら彼女も理解出来ていないようで困惑している。


「やっほー、お邪魔します」


 そんな中、この場に似つかわしくない底抜けに明るい声を出しながら、和加奈は工作室に入ってきた。


「もう茉白ちゃんったら、前回より扉、難くなってるじゃん。おかげでちょっと手こずっちゃった」


 和加奈は屈託の無い笑みを浮かべながら、おそらく扉だったものを持ち上げている。


 ようやくこの状況を理解した。


 蒔苗の工作室の扉は特別性であり、たとえ学園中が灰になるような事態になってもこの扉は残ると蒔苗は自慢げに語っていたはずだ。

 つまり、和加奈はそれ以上の魔法を持って扉を壊したということに他ならない。


「……流石だな」

「もう、やだなー。お兄ちゃん! そんなに褒めても、何も出てこないよ」


 頬を赤らめながらそんなこと言う、和加奈に対して僕は恐怖以外の感情を抱けなかった。


「この部屋にはもう来ないって言ってたはずだけど」


 絞り出したような声で、蒔苗が尋ねる。


「うん。そのつもりだったけど、吸血鬼さんとお話するのにここがちょうどよかったからね。お兄ちゃんもこの部屋に良く入ってるし、人も来ないだろうから良い場所かなって」

「……そうか、そうだな。うん、君に入ってくる方法を教えなかった私が悪いのか」


 お互い笑みを浮かべてはいるが、その笑みから見える印象は対照的だ。

 同じ表情のはずなのに、ここまで違って見えるか。


「それで、貴方が吸血鬼さん?」

「は、はい。私が吸血鬼の神場姫乃です、産まれてきてごめんなさい!」


 この惨状に委縮してしまったのか、神場は一瞬で土下座して許しを請う。

 ……僕もあんな迫力ですごまれたら土下座するだろうな、多分


「謝らなくていいよ、私は訊きたいことがあるだけだもん」


 ただその程度で手を緩めるような和加奈ではないようだ。

 目は笑っているが、そのほかのパーツが一切笑っていない。


「お兄ちゃんを騙そうとしてないよね?」

「はい、それはもちろん! 宮地さんには、良い様にしてもらってますし、騙そうだなんてこれっぽっちも思ってません」

「本当に?」

「本当ですとも!」

「それはお兄ちゃんに誓って言える?」


 なんだその僕に誓って言えるかって、聞いたことないぞ。

 そこは神様に誓ってとかじゃないのか、普通。


「えっと、その、はい。もちろんです!」

「……うん、嘘じゃなさそうだね。ごめんね、お兄ちゃん。疑っちゃって」


 先ほどの迫力が嘘に思える程気持ちの良い笑顔をこちらに向ける。

 その変わりようがより一層、気味が悪かった。


「ああ、うん。分かってくれたなら良いんだ。それと謝るなら、神場の方に」

「うん、分かった。ごめんね、姫乃ちゃん。怖がらせちゃって」

「いえ、大丈夫です。私が勝手に、怖がっただけですので」


 神場は一切土下座の姿勢を崩そうとしない。


「そっか、それならいいんだ。もしもお兄ちゃんに変な事しようとしたら……分かってるよね?」


 背筋が凍るような冷たい口調で、和加奈は言い放つ。


「もちろんです!」

「うん、分かってるならよし。ごめんね、茉白ちゃん、うるさくしちゃって」

「いや、いいさ。気にしない、だから早く出て行ってくれないか。さっきから震えがとまらないんだ」

「うん、そうするね。じゃあね、お兄ちゃん。また家で」


 スキップしながら、和加奈は外に出て行った。


 台風が通り過ぎて行ったように、工作室の中には静寂が訪れた。


「……とりあえず、扉を応急で治してくる」


 蒔苗がしょぼくれた様子で、入り口の方に向かう。

 知らなかったとはいえ、悪いことをしたな。どう落とし前をつけるべきだろうか。


「嘘つき! 何が怒ってないよ! それに、全然フォローしてくれないし! 本当殺されると思ったんだから!」


 目に大粒の涙を浮かべながら、神場が僕の胸を何度も叩く。


「ごめん」


 何とかするつもりだったのだけど、それ以上に和加奈の雰囲気が恐ろしくて何も口出しできなかった。

 神場の怒りも当然のことだろう、甘んじて受け入れるほかない。

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