第12話

 目が覚めると、そこは知らない布団の中だった。


「どこ、ここ」

「やあ、よく眠ったかい?」


 目を覚ますと蒔苗がこちらを覗き込んできた。

 辺りを見て察するにどうやら、ここは蒔苗の工作室のようだ。気絶した僕を誰かが運んでくれたのだろう。


「僕はいったい何を」


 こうなるまでの記憶を思い出す。

 確か、神場とエンゲージして……ああ、そうかそのまま意識を失ったんだった。


「何か不調とかないわねよね?」


 神場も心配そうにこちらを覗き込む。どうやら彼女も付き添ってくれていたみたいだ。


「ちょっと頭がクラクラするけど、それぐらいかな」

「ただの貧血だ。ちゃんと食事を取って寝てれば、すぐに良くなるさ」

「ということは気を失ったのは?」

「そこの馬鹿が血を吸いすぎたせいだな」


 呆れたように蒔苗は神場を指さした。


「ち、違うのよ。その、なんというか、いつも飲んでいるのより美味しくて、その止めどころが分からなかったというか、なんというか、そう、違うの!」


 何が違うのかさっぱり分からない理屈を神場が述べる。

 それは吸いすぎたと何が違うのだろうか、まあ深く言及したところでしどろもどろな回答が返ってくるだけだろうからこれ以上の追及は辞めておこう。


「そういえば、どうして蒔苗は工作室に来たんだ?」

「鍵なんて簡単に開けられるさ、この辺りは私の庭みたいなものだからね」


 蒔苗は革で出来たキーリングの穴に人差し指を通して、これ見よがしに回す。

 その先には一切おうとつのついていない鍵がついている。あれがマスターキー的な役割を果たして開けることが出来たということなんだろう。


「いや、そうじゃなくて、なんであのタイミングで入ってこれたのかってこと」


 そう、余りにもタイミングが良すぎたのだ。

 まるであの場を見ているかのようなタイミングの良さだった。


「ふむ、それは乙女の秘密ということで納得してもらえるかな」

「流石にそれは」


 更に追求しようとすると、蒔苗は何も言わずにただ満面の笑みでこちらを見つめる。


 どうやら話すつもりはないとのことらしい。

 まああの工作室か僕達を監視する何かがあるんだろう。そういったものを作るのは蒔苗の得意分野だし、あったとしても可笑しくない。


「とりあえず、これで実技の試験は問題ないんだな」


 エンゲージをすることで強くなる、それは神場から説明があったことだった。

 つまり、これで二つあった難関の内一つは突破したことになる。


「何を馬鹿な事を言ってるんだい。そんなわけがないだろう」


 だが、そんな希望は明日の天気でも語るような淡々とした口調で蒔苗によって打ち砕かれた。


「いいかい。そもそもエンゲージとは、吸血鬼と人間が種族を変えないままに結ばれるために、産まれた契約だ。そこに別の効能を求められても困る」

「え……じゃあ、なんでこんなことを」

「まあエンゲージすれば強くなるというのは、結果だけ見れば間違ってない。

 エンゲージをした相手からの吸血というのは、通常の吸血よりも効率的に魔力を吸引することが出来るようになる。これは相手一人の血を吸血することに特化するよう吸血鬼自身が身体を作り替えることに起因するんだが、言ってしまえば多少効率的に強くなれるようにはなる。ただそれだけだし、即効性はない」


 どういうことなんだと神場の方を見てみれば、彼女も蒔苗の説明を聞いて驚いたような表情を浮かべている。

 あ、君も知らなかったんだね。


「急激に強くなるわけじゃないのか」

「ああ、そうだとも。君たちが今目標としている次の試験までで考えれば、殆ど効果はないと言ってもいい」

「……もしかして無駄足?」

「少なくとも、次の試験だけで考えるならそうだね。ただ将来的な神場の戦力に関しての話をするなら悪い選択ではないと言える」


 頭を抱える、どうしてこんなことになっているのか。


「嘘よ。だってエンゲージすれば強くなれるって、書いてあったもの」

「君がどんな資料を見たかは知らないけども、さっきも言った通り長い目で見れば確かに強くなれる。ただ短期的に見れば効果はないね」


 神場も僕と同じように頭を抱えてしまった。


「……まあ、そのあれだ。私にとっても想定外だったように、君たちにとっても想定外だったことは分かった。ただまあ、こうして頭を抱えていても仕方あるまい。今やるべきは、今後どうするべきか考える事じゃないかな」


 蒔苗はこの現状を変えるべく、苦し紛れにそう口にした。


「どうするって……」

「とりあえず、あれだ。その今は実技試験の方ばかり話をしているが、座学の方はどうなんだい? 確かそっちの方も基準に達してないと聞いたけど」


 蒔苗としてはこの雰囲気は居心地が悪いのか、話題を変えようと必死だ。

 ただ、その変えた話題先で再び僕は頭を抱えたくなる。


「昨日小テストをしたのだけど、結構解けてるはずよ。ねえ、宮地!」


 胸を張って答える神場だった。

 あの点数なのに本気で自信があったのか?


「殆ど正解してなかったよ。合ってたのも、選択問題だけだったし」

「ええ、嘘よ! 私ちゃんと全部解答欄埋めたもの」


 信じられないと口を覆うが、この事実に信じられないのはこちらの方だと言ってしまいたくなる。


「その埋めた解答が殆ど間違ってるんだよ」

「そんな……」


 まるでこの世の終わりを知った時のような表情を浮かべるが、大体想像がつくだろうに。


「勉強してない……と言うわけでは無いんだろう?」

「ええ、もちろん。ちゃんと勉強してるわよ、ほらこれ」


 そういって神場が鞄から取り出してのは見慣れた……いや、見慣れてないな、なんだこの参考書。

 表紙は確かに見覚えのある参考書なのだが、何故か僕が持っているものよりもかなり分厚い。


「ほら、ちゃんとこの通り勉強してるんだから」


 神場は開いたページに、自分の手をばんと叩きつけた。

 そこにはカラフルな付箋が所狭しと張られており、元の文章を見ることが出来ない。


 そのあまりにもな惨状に蒔苗と目を合わせるが、彼女は肩を竦めるばかりだった。


 下の方はどうなっているのかと思い、付箋をめくるとその惨状に再び頭を抱える。


 一言で言えば目に悪い。


 文章のほとんどが蛍光ペンによって色付けされており、色がついてない所を探すほうが早いレベルだ。


「ああ、それは大事なところに線を引いてるのよ。勉強するときっていうのは、そうすると効率が良いんでしょう。だから私もそうしてるの!」


 胸を張って語る、神場の様子に頭が痛くなる。

 大事なところに線を引く。確かに勉強方法としてよく言われる方法だ。この方法は結局どこが大切なのかというのを考えること事態に意味があり、これでは何の意味も持っていない。


「なんだかもう諦めたくなってきたんだけど、エンゲージを無かったことに出来ない?」

「流石の私でも無理だね。まあ、その気持ちは痛い程分かるが、これでも食べて元気を出せ」


 蒔苗は未開封の棒付きの飴を取り出し、こちらに手渡した。

 彼女なりの励ましなんだろう、今はその優しさが嬉しかった。


 貰った飴玉を、口に入れすぐにかみ砕く。

 少しだけ冷静になれたような気がした。


「そんなにおかしいのかしら」


 ただ当の張本人は何が駄目なのか気づいていないようで、不思議そうに首を傾げている。


「……とりあえず、僕の参考書を貸すからしばらくはそれで勉強しよう。マーカーを使うのは禁止で」


 こんな参考書を見ていても、目が滑るばかりで勉強どころではないだろう。


「禁止って、これが良い勉強方法って聞いたわよ?」

「うん、それでも禁止。しばらく蛍光ペン自体使うのを辞めてみようか」


 まだ見てはいないが、参考書がこのありさまならノートも同じような形になっていることは想像に難くない。

 とりあえず、蛍光ペンを使わせない所から初めていく必要がありそうだ。


「分かったわ」


 威勢のいい返事が返ってくるが、いったいどれほど分かっているのか疑問だ。


「まあ、君が面倒みると決めたんだ、頑張りたまえ」


 頭を抱える僕に対して、蒔苗は呆れたようにそう言うのであった。




「そういえば、二つ言っておかないといけないことがあったわ」


 軽く勉強方法を教えた後、今日はもういい時間だから解散しようとなった。そして蒔苗の工作室から出た時、突然神場が口を開く。


「なに?」

「まずはまた魅了を掛けてごめんなさい」


 神場は一瞬土下座の姿勢を作ろうとしたが、昨日言われたことを思い出したのか、その場で頭を下げる。


「別に気にしてないよ。一度掛けられてるし、一回も二回も誤差みたいなものだよ」

「……ありがとう」

「それで二つ目っていうのは?」


 顔をあげた、神場は真剣な表情を浮かべていた。おそらく、この二つ目というのは、本題なのだろう。

 これ以上に厄介な話は出来れば勘弁して欲しいんだけど。


「蒔苗が色々言ってたけど、別に私はあんたにそういう感情を持ってるわけじゃないから。勘違いしないでようだい」


 あんな真剣な眼差しでいうものだから、どんな厄介ごとかと思えば、ずいぶんと拍子抜けな話だ。


「なにをいまさら、それぐらい分かってるよ」


 流石にそれぐらい自分でも理解しているし、そこまで自惚れてもいない。

 数日程度話をしただけの異性に惚れられるなんてことはないだろうし、僕がいわゆるイケメンなら話は別だが、残念ながらそんなことはない。


「強くなるために仕方なくでしょ」


 エンゲージはあくまで、強くなる手段としてしょうがなく結んだ契約だ。

 吸血鬼にとっては結婚と言っても、今回の場合なら偽装結婚とでも考えるのが妥当だろう。


「ええ、そうよ。だからあなたと私の関係は恋人とかでは無くて……えっと先生っていうのも何かしっくりこないわね。私とあなたの関係ってなんなのかしら」

「冒険者仲間ってわけでもないからね」


 流石に彼女と自分の実力には差がありすぎる。

 今のまま冒険者仲間になったところで、お互いが不幸になるだけだろう。


「まあ、お世話役ってところでいいんじゃない? 君が世話される側でさ」

「確かに、間違ってないけど、もう少しましな言い方がないのかしら?」

「別に言い方なんて、関係ないし何か良い言い方が思いついたらそれでいいよ」


 神場としては何か思うところがあるようだが、名称にそこまでこだわらなくてもいいと思う。


「うーん、まあいいわ。お世話役って事にしといてあげる」

「どうしてそこで上から目線なんだよ」

「だって、お世話役と世話される側って語呂が悪いんだもの」

「それなら、君がもっといいのを考えればいいじゃん」

「思いつかないから、妥協してるのよ!」



 こうして僕は、この落ちこぼれ吸血鬼のお世話役に正式になったのであった。

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