第10話

「これ、解いてきたわ」


 昼休みになるなり、神場からなにやら紙を渡される。

 それが昨日渡した小テストの解答だと理解するまでに数秒の時間を要したのは、昨日言われた蒔苗の言葉に対して、答えを出せていないからなのだろう。

 ダンジョンから家に戻ってからも、そのことばかり考えてしまった。


 冒険者になることは諦めたほうが、神場の為だ。


 その言葉を否定することも出来ず、自身が面倒を見続けるという覚悟も結局出来ないまま、僕はこの時間を迎えていた。


「どうかしたのかしら」

「……ああ、ごめん。何でもないよ」


 考えごとに集中してしまい返事を忘れた自分に、心配する様な目で神場はこちらを覗き込む。


「ちょっとこれ採点してくるから、また放課後に」


 今は神場と会話したくなかった。

 どの面下げて、神場と話をしろと言うのか。


「わかったわ」


 了承の返事が来たのを確認して、僕は逃げるようにして図書館に向かう。


 図書館に逃げ込んで、神場が解いた小テストを見る。

 そこには一切の空欄が見当たらず、すべての問いに対して答えが書いてあった。

 分からないなりに必死にこの小テストに神場が向き合ったのだろう。選択問題なんかは、何度も消した痕跡がある。


 ……採点するだけなら問題ないだろう。


 ここで採点してもしなくても、神場が追試に受かる確率は変わらない。

 そう自分に言い聞かせ、採点作業を開始する。




「これは……全然だめだな」


 全て採点を終えたが、その結果は散々だった。

 途中で大体想像はついていたが、神場の点数は壊滅的だった。合っている問題といえば、選択問題程度のものでそれ以外の問題は殆ど全滅。

 空白が無い状態で提出して、これは逆に才能かもしれない。しかも書いてある内容は、でたらめに埋めているわけではなく神場としてはちゃんと考えている痕跡があるのにこれなのだから、手がつけられない。


「これなら安心だな」


 ……思わず口にしてしまった独り言に耳を疑う。


 僕は神場の座学の点数が低い事に安心し、内心で喜んでいたのだ。


 違う、そんなはずはないと自分に言い聞かせようとするが、一度自分で気づいてしまったこの感情は簡単には消えてくれない。


 思考が纏まらない中、昼休みの終わるチャイムが鳴った。


 授業に遅れるわけにはいかない。


 解答を持って、教室に戻る。

 神場がこちらの方を見ていた気がするが、その視線に気づかなかったふりをして席について、授業が始まるのを待つ。


 しばらくその視線を無視していると、教師がようやく入ってきた。

 授業が始まると、流石に黒板に集中しているようであの視線を感じることは無かった。




「蒔苗のところにいく前にちょっと話がしたいのだけど、いいかしら」


 いつの間にか午後の授業も終わっていたようで、神場から放課後になるなりすぐに話しかけられる。


「話って何」


 出来るだけぶっきらぼうな口調でそれに返す。


「それは着いてから話すわ。まずは工作室に行きましょう?」


 ただ神場はそんな僕の態度も見て見ぬふりして、強引に話を進めてくる。


 工作室は中から鍵を掛けれる仕組みになっており、使用している間は他の人が入ってくることを防ぐことが出来る。

 本来、作業に集中するために付けられた機能ではあるが、誰かに聞かれたくない話をする際にも有効だったりする。


「分かったよ」


 否定できるだけの言い訳を見つけることが出来ず、僕は神場についていくことにした。


 工作室へ入る、元々狭い部屋と言うこともあり、少し手を伸ばせば神場に触れてしまうような距離感ではあるが彼女は気にした様子はない。


「それで話っていうのは」


 壁の方を向き、彼女の表情を見ずに済むようにしてから、水を向ける。


「一つ、お願いがあるのよ」

「お願い?」

「ええ。きっと今、貴方は私の事で悩んでいるんだと思う。その、自分で言うのもなんだけど、かなりのポンコツだし、きっとどうしたらいいのか分からなくて悩んでいるのよね。魅了の魔法だって使えなかったし。せっかく銃で戦えると思ったらウルフに負けかけるし」


 今日の僕の様子を見て、勘違いしているらしい。

 確かに彼女の成績は頭を抱えるに値するが、それでも今抱えている問題に比べれば大したことは無い。


「……まあ、そうだね」


 ただ、僕はその勘違いに乗ることにした。

 その方が都合が良い、わざわざ否定して根掘り葉掘り聞かれるよりは百倍マシだ。


「それで私一つ方法を思いついたのよ! 全部を解決する方法!」


 弾むような声で神場は言うが、疑わしいものだ。


「その方法って」

「エンゲージっていうのだけど、知ってる?」

「……聞いたことないな」


 おそらく吸血鬼特有の魔法や儀式の内容だろう。

 吸血鬼や獣人などの亜人の特徴というのは授業で、簡単に習ったぐらいでその各々の種族について詳しくは習わない。

 こうして他種族と関わることになると思っていなかったため、わざわざ学ぶ必要性を感じれなかった。その結果、授業で習った以上の知識は持っていなかった。


「えっとね、エンゲージっていうのは、人間と吸血鬼の相手で出来る契約みたいなものよ。人間側に特にデメリットはなくて、その契約した相手から吸血した際に吸血鬼が強くなれるの」

「その相手になれと」

「そうよ。その際に直接吸血する必要があるのだけれども、まあ献血みたいなものよ。もしかして、注射とか苦手だったりするのかしら? それならちょっと怖いかもしれないけど、大丈夫。一瞬のことだし、痛くしないよう私も頑張るわ」


 なるほど、彼女の言いたいことは理解した。

 つまりそのエンゲージの契約して、僕が血を吸われれば神場は強くなることが出来ると。

 この方法で強くなることが出来るのであれば、彼女は一人でも冒険者をやっていけるだろうし、彼女の将来について僕が心配する必要はない。


 彼女が言うことが本当なら、今の僕の悩みも全部解決の万々歳、画期的な解決策だと言えるだろう。


 それにきっと彼女は嘘はついていないだろう。

 短い付き合いではあるが、こんな時に嘘を付くような人物ではないと思っている。

 だからそのエンゲージとやらをすれば、実技試験に関しては問題なく解決することが出来るに違いない。


「なるほどね。それは確かにいい方法だね」

「でしょ? だから私とエンゲージしましょう」


 神場は確かに嘘はついていないだろう。

 ただ同時にすべての事を話してはいない。


 というのもこのエンゲージ、余りにも都合がよすぎるのだ。


 そんな方法があるなら、僕に頼む内容は最初からエンゲージして欲しいというもので良いはずだし、僕以外の人間に頼む方法だってあったはずだ。

 吸血鬼だからという理由で何か言われるかもしれないが、金銭や道具などを対価とすれば条件を呑んでくれる相手だっているだろう。


 それをしない、いや出来なかった時点でこの契約には何か問題があると思っていい。


「それで吸血鬼側のデメリットは」

 

 神場は人間側にはデメリットはないと言っていたが、吸血鬼側にあるはずのデメリットについて一切言及していなかった。

 だからきっと神場があえて説明を省いたこの部分にその原因があるのだろう。


「そんなことどうでもいいじゃない、大丈夫よ。私に悪影響があっても……」

「教えて欲しい」


 神場に悪影響があっても、彼女の勝手そう割り切れたらもっと楽なんだけどな、本当。


「……他の人の血を吸えなくなるわ」

「ならずっと僕が血をあげないといけないって事?」


 血は吸血鬼にとっての主食だ。


「あ、いや、一応家畜の血とかで代用は出来るので大丈夫よ」


 怒られている子供の様に声を震わせながら、言葉を慎重に選んで神場は僕の質問に答える。


「嘘だよね。いや、厳密には嘘というわけでもないのかな、それはずっと代用できるものなの?」


 息を呑む音が聞こえた。


 そうだ、蒔苗は確かに言っていた。

 人間の血を吸うのは、血液としての成分と流れている魔力を食事として食べていると。家畜の血には魔力が流れていないはずだ、そのため血液の成分は取れたとしても魔力は食べれないのだ。


「魔石を食べれば、多分魔力分は補えるはずよ」

「本当にそんなこと出来ると思う?」


 その質問に対して、神場は沈黙で答えた。


 僕は吸血鬼に詳しくないが、答えられないということはそう言うことなのだろう。


「魔石での代用は無理と」

「でも、その一か月に一度ぐらい血を貰えれば何とかなるわ」


 一か月に一度か、それなら確かに何とかなるかもしれない。

 献血だと思えばいい、そう思えばいい。


「分かった、それなら……」


 肯定の返事をしようとして、思い直す。


 もしこんな方法があるのなら何で、蒔苗はこの方法を僕達に教えなかったんだ?


 こんな方法があるなら、あんな風に僕に忠告することもなかったはずだ。


 なんだ、何を見過ごしている?

 何か大切な事に気づけていない、そんな予感がする。


 ……ああ、そうだ。


「それって、期限はいつまでなんだ」

「……一生よ。私が死ぬまで、その契約はなくならない」


 やっぱりそうなんだろうなと思っていた。


 これなら蒔苗が忠告していた理由も納得がいく。


「それなら僕が死んだらどうなるんだ?」


 僕が死んだときどうなるか、それについては一切言及されていない。


 吸血鬼というのは僕達よりも長寿な種族だ。十八程度までは人間と同じ速度で成長するが、そこでしばらく成長が止まる。詳しい寿命は知らないが、千年生きている吸血鬼がいるという程には長寿だったはずだ。

 当然、人間である僕は神場よりも先に死ぬ。そうなった際に、この契約がどうなるのか説明されていない。


「私も死ぬわね、けどそれの何が問題なのかしら」


 ふっきれたのか、神場は場違いな程に陽気な物言いをする。


「いいのよ。貴方が死んだ後のことなんて考えなくても、どうせ冒険者になれなかったら私は死ぬのだから。貴方は私の願いを叶えてくれただけ、そこに何の問題もないじゃない」


 僕だってこの学園にいるんだ。将来は冒険者になるつもりだ。

 冒険者と言うのは危険がつきものだ。自分自身だけの命ではないと、自覚したうえで冒険者を出来るだけの覚悟があるとは言い切れない。


「でも、そんなの……」

「大丈夫、貴方は何も悪くない。何も気にしなくて良いのよ。馬鹿な吸血鬼が勝手にやった事、ただそれだけよ。だから何も悩まずに、エンゲージして頂戴」


 そうだ、そうだよな。

 やるべきことをするだけだ。それで彼女が不利益を被っても、僕は関係ない。そう、僕は何も悪くない。


「分かった。エンゲージするよ」


 頭に靄が掛かったようにちゃんと考える事が出来ない。

 ただ、それに抗う気力もなく、ただ神場の言う通りにすることにした。


「嬉しいわ。こちらを向いて」


 神場の方を見ると、彼女は恍惚とした表情を浮かべていた。


「そうしたら、次は屈んでちょうだい」


 言われた通り、屈むと彼女が抱き着いてくる。


 屈んだおかげで、僕の首元が彼女の口と同じ高さにある。


「少し痛いかもしれないけど、我慢してちょうだい」


 僕は抵抗することもなく、力を抜く。


 ……これで良かったんだよな、いや、良かったんだ。

 これで、全部解決するんだから、そのはずだ。



 全てを受け入れたその時、閉まっていたはずの扉が突然開いた。


「おっと、それは流石に見逃せないな」


 そこには何時ものように棒付きの飴玉を咥えた蒔苗の姿があった。

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