第3話

 どんなに重い足取りでも歩みを止めなければ、いつかは目的地についてしまう。


 重い扉を開くと、そこは自分の家だ。


 リビングに向かうと、母が台所で料理をしており、父と和加奈はどうやらテレビを見ているようだった。


「おかえりー」


 リビングに入るなり、わざわざこちらを振り返って和加奈が言った。


「そろそろご飯だから手を洗ってきなさい」

「分かった」


 端的にそれだけ告げて、洗面台へと向かう。

 念入りに手洗いうがいをしてから、リビングに向かうと既に今日の夕食が食卓に並んでいた。


 既に他の三人は定位置に座っており、自分も空いている席に座る。


「いただきます」


 僕が座る事が合図だったかのように、他の三人も夕食を食べ始める。


 夕食を食べるのは何か特別な事が無ければ全員揃って、それが我が家の悪しきルールだ。


「この芸人さん好きなんだよね」


 テレビを見ながら和加奈が言う。


 音から察するにどうやら、ネタ番組をしているらしい。


「うーん、お母さんにはこの人の面白さが良く分からないわ」


 それに母は困ったようにして答える。


「母さんの言う通りだ、何が面白いのかよくわからん」

「えー、この人面白いって学校だと評判なんだよ。お父さん達遅れてるなー」


 母に父は同意するが、それに対して和加奈は不服そうな声を上げる。


「俺はこっちの芸人の方が好きだな」

「まあ確かにこの人たちも面白いけどさー」


 三人はそのテレビを話題にして会話をしているが、その会話の輪の中に自分はいない。


 これがいつも通りの光景だ。

 三人、プラス一人。それが食卓を囲む人員である。


「お兄ちゃんはどう思う? さっきの芸人さんと今の芸人さんどっちが面白い?」

「分からない」

「えー、お兄ちゃんもそうなの。つまんなーい」


 偶にこうして妹が無理やり輪に入れてこようとして来るときがあるが、いい迷惑だ。

 これで標的にされたらどうしてくれるんだ。


「そういえば、祥吾。最近、成績の方はどうなんだ」


 嫌な予感というのは、どうしてこれほどまでに当たってしまうのか。


 父にロックオンされてしまった。

 こうなった時に出来ることは一つしかない。


「いつも通りやってるよ」


 努めて平静に返事をする。


「いつも通りってお前な。いいか、お前は和加奈の兄なんだからもっと頑張れ。そもそもお前はだな」

「そうよ、和加奈なんて先日」


 また始まった、もはや聞きなれた説教だ。

 二人から発せられる雑音に適当に相槌を打ちながら、一刻でも早くこの場から逃げ出すために食事を続ける。


 残りを水で流し込み、ようやく目の前の食事を全て食べ終える。


「ごちそうさま」


 自分の使っていた食器を持って、立ち上がる。


「まて、祥吾まだ話は終わってない」

「部屋で勉強してくる」

「む……それならいいが」


 こう言っておけば父は言及してこないのもいつも通りだ。別に嘘はついてない。


 食器を台所まで運んでから、すぐにリビングから離れて自分の部屋の中に入る。


 そこでようやく僕はゆっくり呼吸することが出来た。

 家の中に安住の地はほぼ内に等しいが、この自分の部屋はまだましだ。

 中学に通う年代になった頃から、和加奈と部屋が分かれた。そして三人が勝手に部屋に入ってくることが少なくなった。それだけでここは天国と言ってもいい。


 雑音を聞かなくて良いように、イヤフォンで耳を塞いでから参考書を広げる。

 いつも通り授業内容の復習をしようと思っていたが、そういえば神場のために小テストを作っておかないといけないんだった。


 パソコンとかあれば便利だったが、こればっかりは仕方ない。


 前回のテストの範囲を思い出しながら、軽く問題集を作っておこう。

 数学とかみたいに参考書があるものはそれを使えばいいから、歴史だとかそういったものを作っていけばいいだろう。


 流石に実技程駄目ということは無いと願いたいが、実技の方で想像の遥か下だった神場だ。

 何があってもおかしくない、心構えだけはしておこう。


 しばらく、そうして小テストを作っていると時計が九時を示しているのに気付いた。


 どうやら、随分と集中しすぎたみたいだ。


 一通り作り終わった小テストを鞄の中にしまい、部屋を出る。

 向かう先はリビングではなく外だ。


 父と母はまだリビングで何かしているようで、話し声が聞こえる。


 玄関で靴を履いていると、リビングから和加奈が顔を出す。


「いってらっしゃい」


 それに手を上げることで答えてから、軽い扉を開き外に出る。


 放課後の時間は神場に時間を使ってしまったから、今日はいつもより効率的にやらないとな。


 ダンジョン前にある倉庫から、まずは愛用している剣を持って帯刀する。購買に売っている安物ではあるが、これが一番手に馴染むのだ。

 そしていつもつけている腕輪のスイッチを入れる。これは冒険者の腕輪と呼ばれるもので、この腕輪が防具の代わりとなる。自身の魔力を体に纏わせ、自身のシールドとすることが出来るのだ。

 体の動きを邪魔することなく、それでいて並大抵の防具よりも優秀なこの腕輪は、名前の通り冒険者にとっては必需品と言っても過言ではない。


 入り口について、転送装置を起動させる。

 この転送装置はダンジョンに元からついているもので、一度行ったことのある階層まで転送してくれるという優れものだ。更に帰りに関しても、階段付近にある転送装置を使う事で入り口まで変える事が出来るとまさに至れる尽くせりといった機能がついている。

 どうしてこんなものがダンジョンにあるのか、ダンジョン研究会とかでは様々な憶測が飛び交っているらしいが、便利なので僕としてはどうでもいい。


 今夜向かうのは二十八階だ。

 自分が今二十九階まで潜るのが限界なことを考えると、魔物の強さだけで考えてみれば相当ギリギリのラインだ。ただあの場所は自分が使える魔法と相性がいい。

 採算の事を考えなければ、安全に敵を倒す事が出来る。


「それじゃあ、頑張りますかね……」


 二十八階に向かうと、辺り一面が真っ暗になる。

 この階層は特別暗いのだ。ただその暗闇がちょうど良かった。


 それを確認してすぐに、闇纏いの魔法を唱える。


 するとそれだけで、さっきまでは一切見通せなかった暗闇が見えるようになり、自身の身体が闇と一体化するのを感じる。


 その状態で、しばらく歩いていると目の前に左手に剣を持ち、右手に盾を持って二足歩行しているドラゴンの姿を見つけた。


 あれがこの層のモンスター、リザードマンだ。


 この暗闇でも目が利き、その優れた聴覚で敵を見つける。遠距離には炎のブレスで攻撃し、近距離もその手に持っている武器で行う、更に全身を硬い鱗で覆っており、生半可な攻撃は通らないと非常に厄介な相手だ。


 ただこいつにも弱点はある。


 それは闇纏いを発動さえしていれば、こちらに気付かないというものだ。つまりこの魔法さえ覚えていれば、一方的に先制攻撃を仕掛けることが出来る。


 後は鱗に攻撃を防がれないように、一撃を叩き込むことが出来ればこいつを楽に倒す事が出来るというわけだ。


 ただこの鱗がまた厄介で、僕の無詠唱魔法ではどうあがいても貫くことが出来ない。

 そして闇纏いの効果中であっても声を出せばリザードマンにこっちの存在を気づかれてしまうため、詠唱魔法も使えない。


 だからこそリザードマンへと近づいてから、懐に入れておいた魔法陣を取り出して至近距離でその魔法を唱える。

 魔法陣が消え去る代わりに、その魔法陣に記されていた魔法が発動する。


 中級魔法の五連雷槍だ。


 通常であれば、五つの雷で出てきた槍が扇状に飛んでいく広範囲を攻撃する雷属性の魔法であるが、零距離で唱えた場合すべての槍が一点に命中する。


 手持ちの中で一番火力の出る、その魔法はリザードマンの腹に穴を空け、声を上げることもなく魔石に変えることに成功する。


 よし、この調子で倒していこう。

 五連雷槍の魔法陣はまだ二十五個程ストックがあったはずだ。とりあえず全部使い切るのを目標にするか。




 十八匹目を倒した瞬間、壁を越えたような感覚がした。

 壁を超える、これは冒険者用語である。

 魔物と倒した際に、その魔物を倒した人物は魔素というものを吸収しているらしく、その魔素が体に一定量たまると体が強く生まれ変わるらしい。

 原理も良く分からないものだが、壁を越えた瞬間というのはなんというか体感で分かる。力が溢れてくるような、自分が自分ではなくなったかのような、そんな感覚があるのだ。

 壁を超えれば超える程強くなるその様子から、レベルアップと言い換えられることもある。


 壁を越えれたならちょうどキリも良いかと思い、転送装置まで向かって入り口に戻る。


 集めた十八個の魔石を魔石回収用の機械に入れて、清算を待つ。

 モニターの左下の時刻を見ると、時刻は十二時だった。


 リザードマン達は群れを作らない。

 その為相手を見つけるのに時間が掛る事、それとちゃんと零距離で五連雷槍を唱えないと鱗を貫通出来ない為発動に慎重にならざるをえないのがこの体たらくの真相だ。


 全く自身の能力の無さが恨めしい、前者はともかく後者に関しては完全な実力不足だ。


 やがて精算が終わり、使用した魔法陣の金額には及ばない程度の額が精算機から出てくる。

 リザードマンの魔石であれば、魔法陣に使用する特殊な紙代よりも多い金額が本来支払われるのだが、こうして報酬が少なくなっているのは理由がある。


 このダンジョンは学校が運営しているダンジョンなのだ。


 これは別に学校がぼったくりをしているというわけではなく、このダンジョンには五十層までは特殊な結界が貼ってあるのだ。


 大昔に大魔法使い様が貼ったとされる結界で、結界内で重傷を負った場合入り口まで転移されるという仕組みがある。

 この結界があるからこそ、即死さえしなければ学生は比較的安全にダンジョンに潜ることが出来るわけだ。ただその変わりとして、その大切な結界の維持に魔石が必要になるため魔石を格安で買い取ってその維持コストに当てているとのことらしい。

 学生が取ってくる魔石程度では当然賄えておらず、寄付や補助金などでなんとかやっていけているとどこかで聞いたことがあったような気がする。


 さて今から帰って、シャワーを浴びたら今日の授業の復習をしてから寝よう。


 二時ぐらいには終わるだろうから、四時間は寝れる。

 使用してしまった五連雷槍の魔法陣のストックは朝学校についてからと神場に小テストを解いてもらっている間にでも作ればいいか。


 そんなことを考えらがら家に帰る。


「おかえり」


 帰ってすぐに和加奈がわざわざリビングから顔を出してくる。

 何時ものように満面の笑みを浮かべているが、気味が悪い。あれならまだ能面を被っていた方がましだ。


「ただいま」


 ただ無視をするわけにもいかず、挨拶だけを口にして逃げるように自分の部屋に向かった。

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