第一章 最悪の出逢い③

 異形市で売買されていた異形は無事、全員保護することができた。

 異形市せんにゆうの仕事を終えた朝緒は現在、如月屋の事務所けん、実家でもある如月家のしきに帰ってきている。桃は別働隊で動いていた他の如月屋従業員たちをむかえに行っていた。

 仕事現場でいささか体調をくずしてしまったので、一人だけかんの指示を受けた朝緒であったが、すでに身体はいつもの調子に戻っている。しかし、未だに朝緒の脳裏にはあの〝怪物〟の異様な殺気がこびりついて、離れなかった。

「おい! ニンゲン!」

 如月家の台所でぼーっと立ちくしていた朝緒は、ふと背後から飛んできた子どものかんだかい声にはっとする。どうやら洗い物の最中に、ぼんやりしていたらしい。脳裏にこびりついた怪物のかげを振り払うように頭を振ると、手を止めて首だけで背後を振り向く。

「その呼び方やめろって言ったろ。俺は朝緒だ。……で、なんだ?」

「この屋敷、広すぎる! 外に出られない! おれを閉じ込めて、またおれをどこかに売り飛ばす気だな!? ここから、出せ!」

「ダメだ。半異形のお前は、色んなやつらにねらわれ過ぎる。引き取り手が来るまで、大人しくしてろ。あと、もうお前をどこかに売り飛ばす事なんざ、俺たちがさせねぇよ」

 朝緒は再び視線を手元にある洗い物に戻す。子どもは、どこか疑うような眼でだまり込むと、鼠のゆかたたいた。

 その子どもは、朝緒たちが潜入した異形市で保護した〝きゆう〟と呼ばれるようかいの半異形だった。加えて肉親も産まれた時からいないという子どもには帰る場所もなく、半異形というな存在を一人にしておくのも危険が多いので、一時的に如月屋で預かることとなって、今に至る。

 洗い物を終えた朝緒は、食器だなから子ども用の可愛かわいらしいわんを取り出し、少し前から冷ましていたなべの中からたまごがゆをお玉で椀に注ぐ。まだ白い湯気が立ち上ってくるそれに、切り刻んだねぎを少々盛り付けると、小さなさじと共にテーブルの上に置いた。

「よし。おい、腹減ってねぇか? 食べてみろ、美味うまいから」

 朝緒はエプロンを外しながら、部屋のすみで縮こまっている半異形の子どもへと声をける。子どもは卵粥のにおいにそそられて小さく腹を鳴らすが、すぐに腹を押さえて、そっぽを向いた。

「た、たべない! ニンゲンが作ったものなんて、信じられない……だれも、信じない! それにおれは、一人で生きていくんだ! 誰のホドコシも、受けないぞ!」

 朝緒は小皿に移した卵粥を一口味見して「毒は入ってねぇぞ」と言いながら、子どものもとまで歩み寄って、視線を合わせるように身をかがめる。

「見ろ。俺はお前と同じ、半異形だ」

 朝緒の顔に、きつねめんもんようかび上がる。顔に浮き上がる紋様は、半異形のとくちようの一つだ。子どもの顔にも、ねずみひげのような灰色の紋様がある。

 朝緒の狐面の紋様を目にした子どもは、大きな目をさらに大きく見開いた。

「それに、俺も親の顔を知らねぇ。まあ、俺の場合は赤んぼうころに拾われて、人間のじじいに育てられたから、そういうところはお前とはちがう。……だが、お前の気持ちも、少しはわかるつもりだ。異形でも人間でもねぇ、みにくいバケモノだなんだと言われる俺たちには、信じられるものが少ねぇよな」

 朝緒の言葉に、子どもは小さな手をぎゅっと白くなるまでにぎって、うつむきながらくちびるむ。ひどく心細そうな子どものきやしやかたに朝緒はそっと手を置いて、真っぐ見つめた。

「誰も信じられない。げて、かくして、疑いながら生きていくしかない……それでも、これだけは忘れるな。俺は絶対に、お前の味方だ」

「……え?」

 不安にらいでいた子どもの視線が、朝緒をおそる恐る見上げた。朝緒はその視線に、不敵なみでこたえる。

「何かあっても、何もなくても。いつでもウチに来い。俺をたよれ。その代わり、将来お前がデカくなった時にでも、借りを返せよ?」

 きっとそんな言葉をかけられたのは初めてだったのだろう。朝緒の言葉にひどくおどろいたように固まってしまった子どもの姿に、幼少期の自分の姿が重なる。

 それは、幼い朝緒が人間にも異形にも「かいぶつ」とののしられ、自身が半異形であることをのろっていた頃。朝緒を拾った〝父〟がかけてくれた言葉だった。

 不敵な物言いのくせに、か強く心を揺さぶって熱くさせる。ひたすらに信じたくなるような言葉。誰かを信じてもいいのだと、半異形として生まれてしまった自分を、ゆるしていいのだと。そう思わせてくれる言葉──子どもは声を上げて、泣きじゃくった。

 子どもは鼻をすすってしゃくり上げながらも、朝緒に何度もうなずいて見せる。朝緒はそんな子どものなみだと鼻水にれた顔をていねいぬぐいで拭って、肩を軽く叩いてやると立ち上がり、テーブルの椅子いすを引いた。

「食うか?」

「……くう」

「おう。ゆっくり腹に入れろ」

 子どもは目を擦りながら、とてとてとけ寄って来て椅子に座る。そして、おぼつかない匙の持ち方で、朝緒が作った卵粥を小さく口にした。

「……! うまい!」

「当然。おかわりもある。腹いっぱい食え」

 子どもは目をかがやかせて、卵粥を息をいて冷ましながら、美味おいしそうにほおってゆく。その様子をしばらく満足げにながめていた朝緒だったが、ふと、ろうにつながるとびらが二度ノックされた。

「そのまま食べてろ」

 朝緒は、食事に夢中になっている子どもに軽く声を掛けると、扉を少し開けてその間からするりと廊下へけ出した。

 扉の前には、桃と一人の少女がいた。朝緒は桃と少女へかすかに目を見開いて見せる。

「もう帰って来てたのか。クラゲ、桃」

「うん。桃さんたちといつしよに、たった今ね。お待たせ、朝緒」

 朝緒に「クラゲ」と呼ばれた少女の名は、うみつきさくこしまで届くなめらかなうぐいすちやの長いかみを一束の三つ編みにした、すずしげで美しいおもちの弥朔は、朝緒の一つ年下のはら見習いである。

 弥朔は朝緒の背後で微かに開いている台所の扉に目を向けながら、小さくたずねた。

「半異形の子は、落ち着いた? 雨音先生と桃さんは、朝緒一人に任せておけばだいじようだって言ってたけど……」

「ああ。心配いらねぇ。今は大人しく飯食ってるとこだ」

 朝緒の答えに、桃はニヤリと笑みを浮かべた。

「な? 言っただろ、クラゲ。しかも、半異形のぶくろまでつかんじまうとは。朝緒の料理上手もここまでくると末恐ろしいな」

「……そうですね。桃さん」

 弥朔は桃に頷きながら、長いまつふちどられた目をせて、小さく鼻から息をらす。

 桃は「それはそうと」と目をまたたかせ、朝緒の背後に向かってあごって見せた。

「すげー腹減ってんだけど。朝緒、俺の飯は?」

「……」

 朝緒は桃の発言に半眼になりながらも、長いめ息をいて台所へもどる。そして、だなからまだかいふうしていない食パンのふくろを丸ごと取り出し、こちらを不思議そうに振り返った半異形の子どもに頷いて見せた。

「飯、ゆっくり食ってろ。俺が戻るまで台所からは出ないように。いいな?」

「……うん。わかった!」

 匙を持ったまま、大きく首を縦に振って見せた子どもに、小さく笑みをこぼす。そして、朝緒は台所の扉を後ろ手に閉め、廊下で待っていた桃の眼前に食パンの袋をき出した。

「それでまんしろ、暴食ヒモろう。んで、桃のバカはともかく」

「色々とひでぇなあ……まあ、有りがたくいただきますが」

 食パンを受け取って、さっそくパンの耳をかじりながらしようする桃をよそに、朝緒は弥朔を連れ立って廊下を歩き出した。

「悪いな、クラゲ。お前は俺を呼びに来てくれたんだろ」

「ううん、大丈夫。そう、とりあえず居間に行こう。如月屋に新しく入った、新人の方をしようかいしたいって。雨音先生が呼んでる」

「新人」という言葉に、朝緒はわずかに肩を揺らす。その様子に桃が目を細めるが、朝緒は険しい顔でだまり込むしかなかった。朝緒の顔色が変わったことにすぐ気付き、心配そうにする弥朔に桃が目配せをする。

「そういやクラゲ。今度の同人誌はどんなのなんだ? 俺、結構楽しみにしてんだが」

 朝緒と弥朔の後ろから掛けられた桃の言葉に、弥朔は目を光らせる。

 クールな見た目からは思いもよらない、喜びと興奮の入り混じった声で、弥朔は熱く語り始めた。

「……ふふ。次の作品も力作ですよ、桃さん。なんせ、モデルはアオ×モモですから! タイトルも〝青い果実〟って言って、お気に入りなん」

「はあ!? ちょっと待て。何考えてんだ、このアホクラゲ!」

 得意げに語られる聞き捨てならない言葉を、朝緒はせきずい反射の勢いでさえぎった。

「何だそのふざけたカップリングは!? この間まで自分と桃をモデルにした、ノーマルカプにするとか言ってただろうが!」

 たまったものではないと目をく朝緒。だんの弥朔に強くえいきようされたゆえか、言葉のはしばしすでに何かに毒されているが、そんなことは今の朝緒にはどうでもよかった。すっかりいつもの調子に戻った朝緒にほっと小さく息を吐いた弥朔は、真顔で朝緒の肩をたたいた。

「桃さんモデルの夢絵もいいけど……最近はアオ×モモがあたしの中でキテるの。できあがったあかつきには、もちろん如月屋のみんなけんぽんするから。楽しみにしてて?」

「断じてやめろ! 俺は死んでも目に入れねぇ!」

「んなずかしがるなって、朝緒。ちゃんと俺も一緒に読んでやるから。な?」

「そうだよ朝緒。あくまでモデルなんだから。モデル」

「黙れ! ……ああ、もういい! 俺は先に行くぞ!」

 朝緒は逃げるように廊下の先へと駆け出し、歩く二人を置き去って居間へと向かった。



「……ありがとうございます、桃さん。朝緒、少しは元気になってくれたみたいで、良かった」

「ああ。あいつは犬みてぇにえてる方が面白い」

 桃と弥朔はたがいに顔を見合わせて小さく笑うと、変わらず長い廊下をゆっくりと歩く。

「そういや、クラゲ。俺と朝緒だと、俺が右になるんだな?」

「はい! あたしの個人的なかいしやくではアオ×モモですね、やっぱり。揺るぎなく」

「揺るぎなくか」

るぎません。……あ。あと、あのれいな新人さんも気になりますね。ほかの如月屋のみなさんとのノーマルカプもうそうはかどるので。どんな方か楽しみです!」

「あ~……あいつ、男だぞ」

 桃のていせいに、弥朔はおどろいたように目を見開いた。

「わ、そうだったんですか。あんまり綺麗な人だったから、てっきり」

「ま、気持ちはわからなくもねぇ。それに、あいつはキレーなつらしてるが」

 桃のまる眼鏡めがねが光を反射して、その奥にある泣きぼくろの散ったひとみが見えなくなる。

しようしんしようめいきようけん──俺とおんなじ、クソみてぇな怪物だ」

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