第一章 最悪の出逢い②

 朝緒と桃は、廃墟の四階まで上がってきていた。

 しかし、異形市の競りが行われる場にしては、みように警備がうすでひと気もない。実際、四階に来るまでほかの階も一通りたんさくしたが、異形市の仲買人たちの一人すら見かけなかった。朝緒は四階のフロアにつながる扉の前まで辿たどり着いて、いぶかしむ。

「……どうにも、様子が変だ。ここまで仲買人がいねぇとは……俺はもっと、競り場に着くまでに無法者共の相手で骨が折れるもんだと思ってた」

 朝緒の疑問に、桃はどこか楽しげに笑いをこぼした。

「そりゃあ、おまえ。仲買人どもは全員集まってんだろ、競り場に」

 どこか確信めいた言葉に、朝緒はまゆを寄せて桃を振り返る。

「どういうことだ?」

「競り場で、何かしらさわぎが起きてるってこと。そのおかげで、下のひかえ商品の警備は手薄になったうえ、その他の場所にも競り場の騒ぎにられて人員がけてねぇんだ──直前になったが、おとり役に〝新人〟を呼んどいて良かった。ずいぶん手間が省けた」

「新人」という言葉に朝緒は目を見開く。そういえば、桃のすいせんで近々、〝如月屋〟に新しい従業員が入るという話を少し前に聞いていた。桃の言う「新人」とは、おそらくそのことだろう。

 どこか得意げな桃に「新人がこの仕事にかかわっているなど聞いていない」と文句を言おうと口を開きかけたところで、扉の向こうから聞こえてきたじゆうせいによって遮られる。

 桃は、今までかべていたけいはくみを収めて目を細めると、朝緒の前へと出てきて四階フロアへと続く扉の取っ手に手を掛けた。

「……急いだほうがいい。じゃねぇと、下手したらおくれになる」

 桃のかたい声に、朝緒も険しい顔をして頷く。

「ああ。異形市の無法者共が暴れてんだろ。事前に聞かされてないのが気に食わねぇが、新人一人には荷が重い。早く、新人のもとへ」

「いや、手遅れになるのはの方な」

 桃の不可解な言葉に「ああ?」と首をかしげる朝緒。桃はそんな朝緒をり返ると、めずらしくしんみような顔をして朝緒へと静かに言いつけた。

「朝緒。おまえ、新人の前では何があってもようにはへんするな。競りに出されてる異形どもに何があろうが、絶対にやめとけ」

「はあ? 何でだよ。異形たちにもしものことがあるなら、俺は」

「そん時は俺が出る。だから、とにかくおまえは変化だけはやめろ。いいな?」

 を言わせないような、桃のめつに見せないするどい一瞥を受けて、朝緒はしぶしぶながらも頷く。それを見た桃は打って変わって「よし。じゃ、行くぞ」と、またころりといつもの軽薄な笑みを浮かべ、目の前のとびらから四階フロアへするりと大きな身体からだを難なくしのび込ませた。朝緒もそれに続き、扉の向こうへとばやく身をすべり込ませる。

 扉が閉まるのと同時に、また銃声が遠くから鳴りひびいた。朝緒は眉間のしわさらに深くして、先に入った桃の方を見やる。しかし、桃は既にろうはるか向こうへと走り去っていた。

「あのバカ……! 単独行動は厳禁だって、いつも言ってんだろ!」

 朝緒は短く息をくと、遠い桃の背中を追いかける。廊下を走りけながら、朝緒は四階フロアは映画館になっていることに気が付く。銃声も近づいてきているため、おそらく、このどこかのスクリーンがある大部屋が競り場となっているのだろう。

 そんなことを考えていると、桃が「SCREEN4」と書かれた大部屋の中に入っていく姿がすぐそこまでせまっていた。朝緒も扉が派手にかいされている大部屋の前までくると、こしに差した刀のつかに手をえ、先にいる桃に声をかけながら中へと入る。

「おい、桃。何やってる」

「怪物観察」

 朝緒の問いに返ってきたのは、またもや不可解な言葉。既に大部屋の中にいる桃は、競りに出されている異形たちを見て、そんなことを言ったのだろうか。朝緒は、相変わらず人でなしな桃の発言にあきれて、悪態を吐く。

「こんな時にまでふざけやがって……ろくでなしのしようわるろうが」

 朝緒は短い階段を早足でけ上がった。

「な……」

 大部屋全体をわたすように立っている桃の隣に来て、朝緒は言葉を失った。

 一方桃はにも楽しそうに、ひゅうと口笛をいて、のんに大部屋全体へぐるりと視線をめぐらせる。

「やっぱ、とんでもねぇ新人だな。あのきようけんは」

 競り場に集まっていたと思われる、三十人近くの仲買人や買い手の無法者共は、座席のあちこちに力なく散らばってされていた。相当激しいらんとうがあったのだろう。所々、かべや座席は破壊されている。

 しかし、たおれた無法者共の中心に、たった一人。だれかが、静かに立っていた。

 かた下辺りまで伸びたつややかなくろかみに、スーツの後ろ姿。朝緒と同じくらいの身長と体格からして、おそらく男だろう。両手には二ちようけんじゆうにぎられている。

(あいつが、例の新人か……?)

 朝緒はそのおそろしくいだ背中に、だかてつもないいやな予感を覚えた。

 スーツの男は、真っぐにスクリーンの方をぎようしている。そこには、競りに出されていた数人の異形たちが、こおり付いたようにあおざめて固まっていた。だが、そのうちの一人の異形の女がふるえながらも意を決した様子で立ち上がり、男へと歩み寄って、話しかける。

「……そ、そこを退いて私たちを通せ、人間。でなければ、お前を殺す」

 ゆらり。男のみぎうでかすかにれる。男かられ出る殺気を感じ取った朝緒は、反射的に駆け出していた。

 バン。銃声がとどろき、異形たちは悲鳴を上げてその場にうずくまる。とつに男の背後から体当たりをした朝緒によってわずかにだんどうれ、異形の女に向けられたじゆうだんはスクリーンだけをつらぬいていた。

(こいつ、対話を求めてきたまるごしの相手に、銃を……!)

 男の行動に信じられない思いをしながらも、朝緒は異形の女に短くった。

「こいつに近寄んな! げろ!」

 異形の女は悲鳴を上げて、再びスクリーンの方へと転がるように走ってもどってゆく。

 男は朝緒の体当たりを受けてもなお、身体自体はいつさい動かず、腕が少しぶれただけで。変わらず片手で銃を異形に向けていた。

「おい、てめぇ! いい加減にしねぇか! おびえてる丸腰の連中相手に、いったい何考えてやがる!?」

 そのまま背後から男をこうそくしようと素早く腕を伸ばすが、逆に男によって右腕を取られてしまった。あわせて、ひどく冷たく、無機質な声がするりと耳に入る。

「うるさい。じや

 男は朝緒の腕を背負うように、恐ろしく強い力で引っ張った。

「は……」

 朝緒が声を上げる間もなく、一本背負いの形でゆかたたきつけられると。続けざまに腹へもうれつりが入って、朝緒は異形たちのもとまで吹き飛ばされた。

「が……っは……!」

 朝緒は咄嗟に腕で蹴りを受け止めて、ちよくげきけた。しかし、吹き飛ばされたひように背中を壁で強打し、数秒息がまって、身体を丸めて激しくむせる。全身の骨がきしみ、嘔吐えずく朝緒の身体は微かに震えてしまう。

 そんな中でも朝緒は、確かに感じていた。あのスーツの男が音も無く、こちらに近づいてくる気配を。

「う、うぅ……あ……」

 倒れ込んでいる朝緒の視線の先。少しはなれた場所に一人、ねずみ尻尾しつぽに、顔に灰色のもんようが浮かんでいる人間の姿に近い異形の子どもが震えながら固まっていた。おそらく、ようからして朝緒と同じ半異形の子どもであろう。

「ごほっ……っか、は……ク、ソが……! お前ら、もっと遠くに、逃げ」

 朝緒がいつくばりながらも、今にも泣き出しそうな半異形の子どもや、ほかの異形たちにかすれた声をしぼり出したのと同時に。目が回りそうなほどの勢いでむなぐらつかみ上げられ、下腹部を片足のかわぐつみつけられる。

 しようてんが合った視線のすぐ先には──〝かいぶつ〟がいた。

 チリリ。

 怪物の右耳にある二連の銀色ピアスがぶつかり合って、すずやかに鳴く。

 いつしゆん、女ともまがうほどのじようだった。伸ばされた、艶のあるぬれいろかみ。線の細いりんかくに、しくもはかなげで、あさぎり揺蕩たゆたうような美しさをまとった顔立ち。

 しかし、朝緒にはそれが怪物にしか見えなかった。冷え切った灰色のからは呼吸さえ許さないと言わんばかりのまされた殺意の切っ先がき出しになっており、全身があわ立った。朝緒をずたずたに切りいてくる。

 人間らしさなど、じんも感じ取れない。こんなおぞましい殺気を放つ生き物に、朝緒はそうぐうしたことなどない。だからこそ、まぎれもない〝怪物〟だと本能的に察知したのだった。

 カチャリ。

 きようれつな殺気にまれて息さえできずにいる朝緒の額に、銃口がきつけられた。怪物は、無機質な声で朝緒に宣告する。

ねむれ」

 銃声と共に、視界が真っ白に染まる──が、朝緒のすぐそばで、聞き慣れた低音の男の声が小さく笑う。その低い笑い声がまくを打った瞬間、意識が飛びかけた朝緒の視界に、色が戻った。

「退け、狂犬。こいつは〝如月屋の人間〟だ」

 そこには、朝緒に突きつけられていた銃口を片手で逸らし、怪物のスーツの胸倉を逆手で掴んで、朝緒から押しのけている桃の姿があった。

 怪物は桃の手をはらおうとするが、逆手であろうと桃の大きな手はどうだにせず、怪物のネクタイごと胸倉をめ上げる力を更に強くした。

「落神」

 怪物が、涼しげに目を細めて桃を呼ぶ。

「……そこにいる異形共は、ぼくにこうげきする意思があった。つまり、害悪異形。殺していい?」

。そいつらは今回の仕事の保護対象。それに今のおまえは〝異形殺し〟だけじゃなく、〝はら〟でもあるだろうが。一人でも殺してみろ。如月屋の店の名に傷がついて、おまえウチの店長に地の果てまで追っかけられ、じいさんになるまでふういんされるぞ?」

 桃の言葉に怪物はしばらくちんもくを置くが、人形のごとき無表情のまま一つまばたきをすると、銃をスーツの下にあるホルスターへとしまう。そこでようやく桃も、胸倉を掴んでいた手を離して、怪物を解放する。そのまま怪物は、朝緒と桃に背を向けた。

「まあ、いい。いつかは全部、殺すから」

 たんたんと言い残して、怪物はその場を後にした。

 朝緒は遠ざかってゆく怪物の背中をぼうぜんと見つめていたが、不意に、あの怪物から向けられた強烈な殺意と、生々しい〝死〟の感覚を思い出して。大きく身体からだを震わせながら、胃の内容物をすべてぶちまけた。

「ごほ、ごほっ! おぇ……っは、は、は……う、あ!」

 自分はたった今、死んでいたも同然だった。

 いまだに、あの怪物に植え付けられた、大きく深いきようぬぐい去れない。全身の血の気が引いて、冷水を頭からかぶったかのようにひどく寒い。恐ろしくて、こわくて、死にたくなくて。呼吸の仕方さえ忘れてしまったようだった。

 地に頭をこすりつけて、震えながら恐怖に苦しみもだえている朝緒の背中を、桃がゆっくりとさする。

「悪い、朝緒。あいつの殺気はじんじようじゃなかったな。……息をすることだけ考えろ。ゆっくりでいい」

 桃の手の動きに合わせて、朝緒は何とか呼吸の仕方を思い出してゆく。

 おぼろげな意識の中。桃が小さくつぶやいた言葉が、のうに焼き付いて離れなかった。

「異形を恐れる人間、人間を恐れる異形。そんで、あのきようけんを見てると。やっぱ恐怖の対象とは、どうやっても共存できないもんなのかもな」

 桃のその言葉は、否定したかった。いつもの朝緒なら絶対に否定しただろう。しかし、今の朝緒にはどうしても否定できなかった。なぜなら、あまりにも強大すぎる恐怖に呑まれた朝緒は、心底思い知ったからだ。

 桃に「狂犬」と呼ばれていたあの〝怪物〟。あんな恐ろしい怪物のそばで生きてゆくことなど、とうていできやしないのだと。

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