第一章 最悪の出逢い①

 おそろしいほど静かに建ち並ぶはいきよビルの群れ。の光もさえぎられたそのすきに、いまだ冷たい春風がするどき込んできて、ほこりっぽいそこを歩く、少年の珍しいプラチナブロンドのたんぱつを強く撫でた。

 空よりも濃く、海よりも淡い。あざやかな青色の眼をした少年は、ただでさえ鋭い目つきをさらに険しくして、けんしわを寄せる。

「……やっぱ、くせぇ。甘ったる過ぎて鼻が曲がる」

 少年──如月きさらぎは、片手で鼻をおおっていらちのままに、前を歩く男へ苦言をていする。

もも。お前、仕事前までどこに居やがった」

「あー。俺をめて食べさせてくれる、やさしくて親切な人のとこ」

「桃」と呼ばれた人並み外れた長身の男の名は、おちがみ桃。その顔だけで勝手に三食が差し出され、どこひとはだが自ら群がってくるような。まさに〝しよう〟という言葉を全身で体現したかのような、たんせいな顔に似つかわしくないくつきような体格を持つ、赤みがかった黒髪の男。

 桃は、淡いカラーレンズの丸眼鏡の奥にある、泣きぼくろが三つ散った眼を妖しく細めて、朝緒を振り返った。

「そういやあの人、こうすい好きだったな」

 朝緒は桃の言葉に、心底あきれた顔をして小さく息を吐くと、早足で桃を追いしてゆく。

「また愛人のところかよ……このクズのヒモ男」

「だーから、愛人じゃねぇって。つーか、愛人の意味わかって言ってる? もうすぐ高校二年生のマセガキ朝緒くん」

 朝緒はいつものように桃のちようはつを無視すると、仕事の目的地を目指し、しばらく桃より先を歩く。しかし、ふと足を止めた。そのまま近くのものかげばやく身をかくして、己の腰にげている二本の刀の内、一本のつかへと手を掛ける。

 朝緒のすぐ後ろへと回って、同じように身を隠した桃が、わずかに身をかがめて短くたずねた。

「どした」

「……におう」

「香水。そんなにハマったんなら、もらってこようか?」

ちげぇわ! お前と同じ、くずろうの匂い」

 朝緒は桃に小声で返しながら、そろりと物陰の向こうをのぞく。すると、少し先にある向かい側の廃墟ビルの裏口に、ひとかげが出入りしているのがかすかに見て取れた。

「異形……何人ものあやかしたちのようを、あそこから感じる。あれが、らい人の言っていた〝ぎよういち〟の現場で間違いなさそうだな」

 異形市。それは〝異形〟と呼ばれる、ようかいおにせいれいといった人ならざる者たちが、人間の間で売買されるようなとくほうこうが行われる場を指す。

 本来異形とは、人間をおびやかす恐るべききようにんしきされているが、ごく一部の力の弱い異形たちは無法者共によってさらわれて、悪徳な人間に飼われることもある。

 異形に関する問題やなやみ事を解決することを仕事としている〝祓い屋〟の朝緒と桃は、依頼人から仕事を受け、異形市へのせんにゆうのためにこの廃墟ビル群をおとずれていたのだった。

 桃も、人影が行きう廃墟ビルの裏口を見つけたのか、朝緒のかたを軽くいた。

「もう見つけちまったか。相変わらず、鼻がよくく。朝緒、グッボーイ」

「犬あつかいすんじゃねぇ、バカ。それより、さっさと潜入の準備だ。段取りは忘れてねぇだろうな?」

 半眼で視線をした朝緒に、桃は小首をかしげて見せる。

「俺が売人役。で、朝緒が異形市に出される商品役だろ? わーかってるって。にしても、俺みたいな善良そうな人間が、あやしい売人に見られるかね」

「お前ほど怪しい男はいねぇだろうが」

 朝緒は軽口をたたいている桃から視線を外し、青いひとみを閉じると、深く静かに息を吸い込んだ。呼吸と共に、みるみるうちに朝緒の鼻筋、ほおじり、額へと青色のもんようかび上がってくる。まるで〝きつねめん〟のような顔となった朝緒は、桃を横目でいちべつしてあごを振って見せる。桃はそれにうなずくと、朝緒から三歩ほどあと退ずさってきよを置いた。

 桃がはなれたのを確認して、朝緒はくるりと身軽に宙返りをした。すると、宙をう朝緒の姿がじよじよに変容し──その身体からだは美しいきんもうに包まれ、鮮やかな青色の瞳は更に大きく、らんらんときらめく。そうして地に足が着いた時には、おおかみほどの大きさをした金毛青目の〝狐〟の姿へと変化していた。

「何度見てもきないな、朝緒のへんは。さっきまでは、妖気なんぞじんも感じねぇただの人間だったってのに。今はどう見てもようだ。流石はめつにお目にかかれないはんぎよう

 半異形とは、所謂いわゆる人間と異形、両者の血を引く子を指す。桃の言う通り、朝緒は人間だけでなく、いにしえより大妖怪として数々の伝説を残す異形──〝妖狐〟の血も引く、半異形だった。

 目を細めて、感心したように朝緒をじっくり見下ろす桃。朝緒はそんな桃の足を、己のふかふかな一本だけの尻尾しつぽで強く叩く。

ぐち叩いてないで、さっさと首輪をつけろ」

「おー。ずいぶんだいたんなプレイをごしよもうで?」

「ぶんなぐるぞ!」

じようだん。冗談だって。あとただでさえデカい声でえるな。奴らにバレるぞ」

 毛を逆立てる朝緒をなだめながら、桃は事前に持ってきていた首輪を朝緒の首に巻いて、それについているくさりをリードのように持った。

 妖狐となった朝緒を連れ立って、ようやく異形市の現場へと歩き出した桃は、思いがけずといったように片手で口を押さえて小さくき出す。

「これ、やっぱ……犬の散歩」

「いい加減、そのふざけた顔面にみつかれてぇか……?」

かんべん。俺の衣食住を支えるいのちづなに、ぶつそうなこと言うなよ」

 きばき出しにして、のどおくうなる朝緒にも構わず、桃は目的の廃墟ビルの裏口へと歩みを進めた。裏口前には、人相の悪い男が一人立っている。桃は恐ろしいほど端整な顔に人好きのする笑みをり付け、男へと気さくに話しかけた。

「どうも。あんたがここの市の窓口か?」

「……しようかい状は」

 男はけいかいした様子で桃をにらみ上げながら、しわがれた声で尋ねる。

「ああ、それ。この通り」

 桃はポケットから一枚のこうを取り出し、それを親指ではじいて男へと投げてわたした。

「異形の灰でできたコイン。模様もここ、二条の異形市の印だろ?」

「異形の灰でできた」という言葉に、桃の背後にいた朝緒は並々ならぬけんを感じて、無意識に低い唸りを上げる。

 硬貨をたんねんに調べた男は一つ頷いて、硬貨をふところにしまうと、桃へと顎をって見せた。

「確かに。じゃあ、商品を見せてみろ」

 桃は手に持つ鎖を僅かにらして、朝緒に前へ来るよううながす。朝緒は静かに進み出て、男を鋭いで見上げた。男はしい金毛の妖狐を見下ろし、ほうと息をく。

「妖狐……毛の色もめずらしい。まあ、悪くねぇ品だ」

「おっと。ちなみにこいつはただの妖狐じゃあねぇよ? なんと、半異形の妖狐だ」

「……何だって?」

 桃の言葉に、男は明らかに目の色を変えた。男はしばらくじっと妖狐を観察していたが、疑うような視線で再び桃を見上げる。

「半異形といやぁ、つうの異形の何十倍も高い値が付く。目玉商品だ。だが、俺にはこの妖狐、ただの異形にしか見えねぇが」

「だろうな。こいつは妖狐の化け術の力が強いのか、完璧に人間と異形のどちらにも成れる。うでのある異形殺しやはらでも、そうそう見分けがつかないくらいだ」

 桃がニヤリとあやしく口角を上げる。横目でそれを見上げていた朝緒は、あまりにも様になっている桃のさんくさい売人姿に、ひそかに小さく息を吐いた。

 男は唸るように桃へと尋ねる。

「その、しようは?」

「こいつのへんを見ればいい。しかしまあ、ここでろうするのはちょっとな──市の中に入れてくれるんなら、人目につかず助かるんだが?」

 桃がこれ見よがしに小首を傾げて見せる。男は一つ間を置くと、鼻を鳴らして背後にある裏口のとびらを開けた。

「いいだろう。ついてこい」

「お目が高い」

 桃と朝緒は男に促され、裏口の扉の向こう側へと入る。入ってすぐそこには、いく枚ものじゆによって正方形型に展開されたしつこくの結界術が張られていた。

(攫われてきた異形たちのおりか)

 朝緒は妖狐のするどきゆうかくによって、その中から何人もの異形の妖気を感じ取る。ふと、背後で裏口の扉が閉じられる音が重くひびいた。はいきよの中もうすぐらくなる。

「よし。じゃあ、さっそく見せてもら……」

「はい、ご苦労さん。節穴ろう

 ミシッ! と骨がきしむ音が確かに聞こえる。言葉をさえぎられ、桃のきようれつひざりを鳩尾みぞおちにくらった男は、白目を剥いてたおれた。一方朝緒は、桃と男を振り返ることもなく宙返りをして人間の姿へともどると、桃に着けられた首輪を外しながら結界術の檻にけ寄った。

あま特製の解法の呪符。これさえあれば」

 朝緒は懐から兄が作った一枚の呪符を取り出し、正方形型の結界に貼り付ける。

「解」

 朝緒が片手で印を結んでよく通る声を短く発すると、貼り付けた呪符は白い光と共に弾け、結界術を展開していた何枚もの呪符が燃えてちりとなる。すると、漆黒の結界はいつしゆんで消えせ、異形たちがおびえた様子で身を寄せ合っている姿があらわになった。

 朝緒は異形たちに手を差しべ、いつもより幾分もやわらかな声をかける。

「俺たちは〝如月屋〟という祓い屋だ。あんたたちを保護するために来た。はない……」

「うわあ! 近寄るな、人間!」

 差し伸べた手は強く振りはらわれ、言葉すらも遮られた。ひどく怯えた異形たちは、朝緒にも強いけいかいしんきようを剥き出しにして、ひたすらにきよぜつする。朝緒は目を丸くして、振り払われた手もそのままに、立ちくした。

 異形市にとらわれた異形は、当然人間を警戒して拒絶する。あらかじめ想定していたことだったはずなのに、朝緒の胸の内は重くしずんだ。朝緒は動揺を、くちびるを噛んです。

「い、いやだ、人間……来るな! 来るなあ!」

「人間どもめ……なんておぞましい。おそろしい……」

 一瞬、自分が半異形であることを明かせば、彼らは安心してくれるだろうかという考えが朝緒の頭によぎったが、すぐにそれは悪手だとさとった。

『気持ちが悪い。……半異形など、産まれてはならないかいぶつだ』

 幼いころ、人間にも異形にも、おのれが半異形だと明かした時に返ってきた言葉がよみがえる。

 半異形は、古よりあいれることのなかった異形と人間の間に生まれてしまった、きんの子とされている。世のことわりから外れた存在であり、人間と異形、どちらからも〝怪物〟と見なされてしまう。それを怯える異形たちを見て生々しく思い出した朝緒は、思わず顔をしかめて目をらし、異形たちから一歩離れた。

「おい、異形ども。この場で死にたくなければ、裏口からさっさと外に出ろ」

 異形に拒絶され、明らかに本調子ではなくなった朝緒の後ろで、桃が小さく鼻から息をらす。そして、開け放った裏口の扉を親指で指し示し、あごを振った。異形たちはしばらく顔を見合わせていたが、怯えつつもみな立ち上がって、朝緒と桃をけてげるように外へと出て行った。それを見届けた朝緒は、複雑な心境ながらもほっと息を吐く。

 桃は異形たちが全員外に出たのをかくにんして、扉を閉めた。

「この異形市はすでに、ひいらぎれんの〝異形殺し〟に通報してある」

 異形殺しとは、国立の対異形防衛組織である〝がいあくぎようとうばつしきひいらぎれんごう〟──つうしよう〝柊連〟に属する隊士を指す。所謂いわゆる、異形に関する犯罪等を取りまる警察のような存在でもあるが、異形殺しはその名の通り「人間に害をす害悪異形」を殺すことがゆいいつ国から許された、軍人に近しい存在でもあった。

 一方、朝緒たち〝祓い屋〟は異形を殺すことは国から認められていない。いつぱん的に祓い屋はあくまで非政府組織のあつかいで、異形に関係するのろいややつかい事を〝祓う〟ことを仕事としていた。

 といっても、朝緒たちが属する祓い屋組織〝如月屋〟は異形市にせんにゆうし、異形を保護する仕事をけ負っている時点で、一般的な祓い屋からも大きくかけはなれてはいるが。

「だが、あの異形どもは外にさえ出しとけば、異形殺しに見つかる前に雨音とクラゲたちが何とかするだろ」

 朝緒のとなりへと桃が並ぶ。朝緒は桃をいちべつして、小さくうなずいた。

「んで。存外傷ついちゃって泣きそうな朝緒くん。次の現場には行けそうか?」

 桃が揶揄からかい混じりに、顔色の悪い朝緒へとそう声をけた。性格の悪い桃のことだ。明らかに、落ち込んだ朝緒をあおってきている。

 朝緒は沈んだ気持ちを奮い立たせようと強気に鼻を鳴らして、桃を鋭く睨み上げた。

「傷ついてもねぇし、俺は泣かねぇ。行くに決まってんだろ。仕事をちゆうで放り出せるか」

 平気をよそおう朝緒に、桃は意地の悪い顔で低く笑う。

「プロ意識がお高いことで。んじゃ、次は異形市のり場だな」

「ああ。確か上の階だって話だ。行くぞ」

 朝緒と桃はすぐに階段を見つけると、上階にある異形市の競り場を目指して駆け出した。

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