第2話
その日の夜。
約束通りアンジュは大人しくレイヴィンに憑依していることを条件に、これから彼が向かう場所へ、同行することを許された。
『それにしても、
レイヴィンの身体を通し、彼と同じ目線で移動する馬車の中から城下町を
整備された道に
『豊漁祭の季節だからな。本祭は明日から三日間、最終日まではこんな状態だ』
今の時期は観光客が増えるので
そのうち大通りを過ぎ薄暗い林を抜け、静けさに包まれた道を進み続けると、遠くの方に城の高い
『もしかして……あのお城が目的地ですか?』
『そうだ。あれはウェアシス城』
『お城のパーティーに参加できるなんて、レイヴィン様は
だが爵位を持っている人間が、
『少し前から
『それって、お城に盗みたい物があるから……とか?』
『まあ、そんなところ』
確かに一国の城ならば、目も
でも……やはり失った
『レイヴィン様は、どうして
『泥棒じゃない。怪盗だ』
言い直されてしまったが、アンジュからすればどちらも大した
『
まだ若いし、強いし、地頭も良さそうだし、そのうえ顔も良い。真っ当な働き先なんて、いくらでもありそうだが。
『そうだな。でも……今のところ、怪盗が俺の天職だ』
盗む
『今まで、どんな物を盗んできたんですか?』
『この世に眠る
『い、曰く付き? お金になりそうな高価な芸術品とかじゃなくて?』
どんな
『俺はとある協会に所属する怪盗だからな。金のために動いてるわけじゃない』
彼の所属する協会は、禁術の宿る危険な魔道具などが出回らないよう、裏で取り
それを聞いてアンジュは、少し肩の荷が下りた。
話を聞く限り、弱者から
それどころか彼の行いは、世の中の
それなのに悪と決めつけ、先ほどは失礼なことを言ってしまったと反省する。
『……ごめんなさい』
『なんだよ、急に』
『なにも知らないで、泥棒呼ばわりして』
しおらしい態度で謝罪すると、レイヴィンは別に気にしてないと笑ってくれた。
『お前の反応は間違ってないよ。協会からの任務には、人に言えないような
危険物を回収しているからって、
(それってどんな任務なのか、もっと深く聞いてもいいんだろうか……)
『この先を今聞くのは
『えっ!?』
今のは心の中だけに留めた
そんな話をしているうちに馬車は門番の検問を受け、広い城の
ウェアシス城が見えてきた。
パーティーは
馬車から降りたレイヴィンは、離宮の前で再びパーティーに参加するための検問を受け、会場の中へと通された。
『わぁ、
離宮に入り赤
『いったい
レイヴィンが本日の主役の名前を言おうと口を開きかけた時だった。
「
会場に
白銀の
レイヴィン曰く、彼こそがこの国の王、ジョザイア・ノースブルック・ウェアシスらしい。
「もうすぐ豊漁祭もある、楽しんでいってくれ」
国王から集まった人々への軽い挨拶が終わると、会場が賑わいを増してゆく。
そんな中、ゆったりと王座に着いたジョザイアの
『空席が二つもありますが……』
『ああ……第一王女のローズと、今日の主役セラフィーナの席だな』
『なるほど。そのセラフィーナ
特にセラフィーナは、今日の主役なのにと、アンジュは不思議に思う。
レイヴィンは
彼の
『レイヴィン様?』
呼びかけても、彼は
その時、主役の登場だという声と共に、わっと会場が盛り上がり、レイヴィンも声のした方へ
アンジュの視線も、彼と同じ一人の女性へと向けられた。
華やかな人々の中でも
美しい
「セラフィーナ姫、やはり
貴族の青年たちのヒソヒソ話がアンジュの耳にも入ってくる。
「あれが噂の戦場の歌姫か」
「彼女が歌えば、戦場での我が国の勝率は百パーセントと言われる歌い手だしな」
「ただの歌い手じゃないさ。彼女はこの世界で
「もしかしたら、彼女の歌声に宿る不思議な力が、兵士たちを勝利へ導いてくれているのかもしれないな」
──歌妖術。
その言葉を聞いて、なぜだか胸がざわざわとした。記憶のない自分でも、覚えのある言葉だったからかもしれない。
それは
この世界で、魔術は精霊に
魔術師は魔石を使い自然の力を
アンジュの知識はそこまでだったが、貴族の青年たちの噂話を聞くに、その一族の里は危険な力を恐れたどこかの勢力によって
「しかし、歌姫は確か今……声を失っているのでは?」
声を失った歌姫。今は静養中のため、今回のパーティーも外交的なものにはせず、これでも人数制限を設けた
「
愛らしい声が会場に広がる。
セラフィーナは静養により声を取り
「歌姫として復活、ね……へー」
レイヴィンは、どこか
どうしてそんなに、あの歌姫を見つめているのかわからない。レイヴィンと彼女の間には、なにかあるのだろうか。
「レイヴィン先生」
レイヴィンの視線に気が付いた歌姫が、
「セラフィーナ姫から声を
「あら、なぜ?」
「昨夜の
「あ、あれは……あんな時間に押しかけてくる先生が悪いんですよ」
セラフィーナは
(な、なに? 昨夜お二人の間でなにがあったの?)
それは自分と出会う前のことなのか、それとも宿に連れていかれた後に、留守にしたレイヴィンが朝帰りした理由と関係があるのか。
「仕方ないだろ。
「だ、だからって……今後は自重していただかないと、困ります」
「セラフィーナ様、いかがなさいましたか?」
困り顔で
「い、いえ……レイヴィン先生とお話ししていただけですわ」
ねっと、同意を求める彼女の目を見て空気を読んだのか、レイヴィンも
「ええ。セラフィーナ姫、歌姫として復帰なさるそうで。おめでとうございます」
「ありがとう。
この城でのレイヴィンの、表向きの仕事は
それにしても先ほどのやりとりは、歌姫と薬師というより、
「レイヴィン先生、陛下がお呼びです」
アンジュが
国王からの呼び出しとはいったい何事か。しかし、レイヴィンは特に
「セラフィーナ姫の誕生日だというのに、ローズ姫は欠席か」
「いつものことだろ」
会場を出る
アンジュもなんとなく気になっていた。結局第一王女だけ姿を見せなかったことを。
レイヴィンにも貴族たちの会話が聞こえてきたのだろうか。会場を出る前に、彼がちらりと視線を向けたのは、いつまでも空いていた第一王女の席だった。
***
「やあ、レイヴィン
会場横にある
アンジュは、この場から早く
「しかし、セラフィーナ
「いやいや、それが……レイヴィン殿には、少し話したことがあるだろう。セラフィーナは、歌声に不思議な力を宿す
「ええ、確か歌妖の一族の
「ああ、それなのに。
困ったことだとジョザイアは
「セラフィーナ自身も、自分の力を失ったままで参っていてな。なんとかしてやりたい。レイヴィン殿、あの子の力を
「力を増幅させる薬、ですか」
レイヴィンは
その後も二人はセラフィーナの歌声をどうするか、なにやら話し合っていたが、アンジュの耳にその会話はもう届いていない。
何の
(っ……どうしちゃったんだろう……なんだか、息苦しい)
(な、に……?)
目の前が真っ赤に染まる──。
(イヤッ!!)
言葉にならない罪悪感と恐怖の感情から
「はぁ、はぁ……なんだったの、さっきのは……」
まだ少し気分が悪かったけれど、先ほどの部屋から離れると
だが随分と会場から離れてしまったようで、すっかりパーティーの
「あら? ここって……」
昨日初めてレイヴィンと出会った場所だった。
あの時は色々とあって気付けなかったが、どうやらここは城の
(じゃあ、私ってお城に住みつく
なにか思い出せる
ここで新たな問題に気付いた。
「あら……会場への帰り道が、ワカラナイ」
あれほど俺の身体から勝手に出るな、と念を押されていたというのに、レイヴィンに大目玉をくらうんじゃないかと想像して、サーッと血の気が引いてゆく。
(約束も破ってしまったし、このまま見捨てられちゃう可能性も……ある?)
「おい。そこの亡霊」
「ひゃい!?」
突然現れた背後からの気配に飛び上がる。
「俺はここに来る時なんて言った?」
「勝手に身体から出るなって……」
「で?」
(ひ~、やっぱり
なんだか急に
「ご、ごめんなさい。
どんな
「はぁ……急に飛び出してくから心配した。無事ならいい」
「……許してくれるの?」
あんなに命令は絶対だという約束を破ってしまったのに。意外とレイヴィンの態度は、あっさりしていた。
「今回だけ、特別な。ああ、でも……これからは、なんかあった時のための、合図ぐらい決めておくか」
「合図?」
「そう。たとえば、声が届かない喧騒の中とか、遠く
ピィーー!
レイヴィンがお手本で鳴らしてくれた指笛が、
「こうやって俺を呼べ。そうしたら、すぐに
やってみろと
「フー、フー……フーッ!」
息が
「ククッ、下手くそ」
「む、難しいです……」
「後でコツを教えてやるから、ちゃんと習得しとけよ。いざという時のために」
アンジュも
馬車に
怒っているという風でもないが、長い
アンジュはというと、馬車の中は二人だけの密室なので隠れる必要もなく、レイヴィンの
「あ、あの。パーティーは、まだ
「ああ、目的は果たした」
「目的……それって、あの
「まあ、それもある」
「レイヴィン様とセラフィーナ姫って……
二人の関係について突っ込んでもいいものかわからず、
「気になるか?」
知りたくないような、気になるような。
だが、自分なんかが軽々しく立ち入ってはいけない気もした。
「いえ、やっぱりなんでもないです」
「……ふーん」
レイヴィンは少し何か考え込んだあと、ポツリポツリと話し始める。
「セラフィーナとの出会いは、ある夏の夜だった。俺がヘマして、死に
「なにをですか?」
「セラフィーナをこの国から
「へー……って、えぇ!?」
二人の
色々あって決めたんだ、の色々に省略されている部分が、とても気になるのだが。
「ほ、本気ですか? そんな無茶なっ」
相手はこの国の、それも王女である歌姫だ。
だが今のレイヴィンからは、ふざけていたり、こちらをからかおうという意図は感じられない。本気なのだろう。
「俺を誰だと思ってる」
「……大陸中を
「そう、俺に
そう宣言するレイヴィンからは、揺るぎない強い意志のようなものを感じた。けれど、それだけではない。
(なんでそんなに、切なそうな目をしているの?)
まるで、
「でもレイヴィン様、さっきは協会の任務で、
なのに、これではまるで人攫いじゃないか。
「これは任務じゃない。むしろ……協会からの命令に
「えぇ!?」
もうなにがなにやらわからないけれど、つまり二人の駆け落ちに、自分はこれから加担させられようとしている?
「ちなみに、それはセラフィーナ姫も同意のうえで、なんですよね?」
「…………」
(な、なんでそこで
まさか、まさかとは思うが、セラフィーナの同意を得ないまま攫おうとしている?
「もしかして……レイヴィン様の
それで攫おうなんて
アンジュに
「
「ひゃっ!?」
ドンッと馬車の
「今に見てろ……俺は
自分が口説かれているわけじゃないのに。ぶつけられた想いは、
でも、だからって人攫いの手伝いとは、なんて
「逃げたい、とか考えてるだろ」
「に、逃げたいだなんてっ」
(考えてます……)
口には出せないけれど、図星だった。
なんでこの男は、言ってもない気持ちを表情だけで察してくるのだ。
「今、言っただろ。俺は狙った獲物は逃がさないって。つまり……一度拾ったお前も逃がさない」
「っ!?」
耳元で
「フッ、なんだお前、霊体のくせに耳が弱いのか」
「なななっ、からかわないでください!?」
「からかってない。本気だ」
「えぇ?」
本気とは、どこの部分を指しているのか、混乱してくるが。
なんとか冷静に話を整理するに、想いを寄せるセラフィーナをこの国から攫いたい、もとい、やはり駆け落ちの手伝いをしてくれ、ということなのだろう。
そのために、役に立つ霊体の自分をせっかく拾ったのだ。今さら
(うぅ~、どうしよう。これは相当な厄介ごとに、巻き込まれてしまったのでは?)
けれど手伝えば成功
世界を
この胸の中にずっとあり続けているのに、思い出せない大切ななにかを。
(私は、どうしても失った自分の過去を、思い出さなければいけない気がする……自分の死の原因も)
これはアンジュにとっても一世一代の
でも、胸の中にずっとある大切な何かと、リスクを
「……わかりました、逃げません。セラフィーナ姫をこの国から
アンジュは迷いを捨てて顔を上げ、真っ
「その代わり、成功報酬は私の失った記憶ですよ」
「ああ、もちろん。俺が必ず取り戻す──約束だ」
なにを思ったのか、決意に満ちたアンジュの額に、ちゅっとレイヴィンはキスをする仕草をして不敵に笑う。
肉体がないのだからあくまでもフリだ。本当に
「なな、なんでここでキス??」
頭の中を『?』でいっぱいにさせながら、じわじわとアンジュの
「利害が
「っ……」
彼にとってキスなんて、
「なんか……なんか、ずるい」
「ん? なにがだよ」
レイヴィンは、なんてことないように笑っている。こっちは、こんなにドギマギしているのに。
この色男め! と内心で毒づきながらも、もう後には引けなくて。アンジュはちょっぴり意地悪で、どこかミステリアスな怪盗と、利害の一致から協力関係を結んだのだった。
麗しの怪盗は秘宝の歌姫を所望する 桜月ことは/角川ビーンズ文庫 @beans
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