第1話

 ごうごうと風がうずを巻くやみの中で、痛みも寒さも感じることはなく、ただ自分を引き摺りまわす力に身をゆだねていた。

 いつからここにいたのか思い出せない。

 それだけじゃない。自分が何者なのかも。

 けれど空っぽの心に一つだけ。確かな思いがあった。


『行かなくちゃ……約束の場所に』


 なんのことだか思い出せないまま、約束しただれかに強くがれる自分の心。

 行かなくちゃ。伝えなくちゃ。今度こそ……。

 そこで思考がれる。

 自分は、今度こそ、なにをどうしたかったのだろう。

 わからないまま、それでもなお思い出せない何かを求め、遠くに見えた一筋の光へ、わらをもつかむ気持ちで手をばす。

「っ!?」

 そのせつ、彼女は闇の渦の中からほうり出された。



「うぅ……私はいったい……」

 目を開けるとりんかくのないおぼろな月が夜空に浮かんでいた。

 じようきようあくできないまま辺りを見回す。見覚えのない庭園は、夜のせいじやくに包まれていた。

 しばそろえられ手入れの行き届いているその場所は、七色の魔法火に照らされたふんすいもあり、みながキラキラと夜にえる光を反射している。

 ただ今はそんな景色を楽しんでいるゆうなどないようだ。


 グルルルルルル!


「っ!」

 低いうめき声と共に目の前に現れたのは、闇色のもうじゆう。それが一歩、二歩とこちらにかくしながら近付いてくる。

 猛獣はれんひとみを三つ持っていた。二つは人と同じように左右たいしように、もう一つの瞳は額に。

 その三つの目でこちらをにらみつけ、するどもののように伸びたきばき出している。

「こな、いで……」

 よく見ると猛獣は、黒いほのおを身にまとっているようだ。この世のモノとは思えない。

もの?」

 ついにソレが地面をり上げ、おそいかかってきた。

 われる。そう察しても、身がすくんでしまい動けない。彼女はそのままかたく目を閉じた。

 しかし──だんまつさけびを上げて消えたのは、彼女の方ではなかった。

 なにかで真っ二つに身体をかれた猛獣は、やはりこの世のモノではなかったのか、地面にたおれることはなく、きつな黒いけむりを上げて闇の中にけて消えた。

「無事か?」

 さやにたった今使ったけんを収めながら、男がこちらにそうたずねてくる。

 その少し低く落ち着いた声に、なぜかドクンと身体が反応した。

「はい……ありがとう、ございます」

 がいとうをマントのようにはためかせ、全身黒しようぞくの青年がこちらへり向く。

「その姿……お前は……」

 目が合ったしゆんかん、青年はまるでゆうれいにでもそうぐうしたようにおどろいた顔をする。

 だが彼女は逆に、こわっていた気持ちがほどけ不思議な安心感を覚えた。

 この気持ちはなんだろう。

「貴方のお名前は?」

「……そういうお前の名は?」

「私は、その……名乗れる名がありません。なにも覚えていないんです」

 名乗りたいのに名乗れない。自分のこと、過去のこと、振り返ってみようとしても、なに一つ思い出すことができない。

 おくがないのだ。

「そうか……俺の名は、レイヴィン」

 こちらの様子をうかがいながら男は名乗ってくれた。

「レイヴィン様」

 今聞いたばかりの名を呟いてみると、たとえようのない気持ちがいてくる。

 記憶を失い心にぽっかりと穴が開いたようなきよかんを、温かな感情が満たしてゆくみたいに。

(なんでだろう、初めて会った気がしない……?)

「で? お前はどうしてそんな姿なんだ?」

「え?」

 最初なにを言われているのかわからなくて、けれどふと視線を向けた自分の身体からだを見てぜんとした。

「どういう、こと? 私……身体が」

 けている。

 この時、初めて自分に肉体がないという事実に気付いた。手も足も身体もすべてがはんとうめいに透けている。

「自分の状況に気付いてなかったのか」

 そうか。だから彼は先ほど目が合った瞬間に、幽霊でも見たように驚いていたのか。

「身体のない今のお前は、いわばぼうれいか」

「ぼ、亡霊……私は、死んでいるってことですか?」

「さあ、どうだろう」

 そんなことを聞かれても、彼にわかるはずがない。

 透けた自分のてのひらを見つめ、彼女はほうにくれた表情をかべる。

「お前……行く場所がないなら、俺のモノにならないか?」

「え?」

 不安そうにしているのを見かねたのか、レイヴィンがとつぜんそんなことを言ってきた。

 だが「俺のモノにならないか?」とは、どういった意味なのかけいかいしてしまう。

「俺はかいとうだ。れいかんがなければ姿の見えない霊体は役に立つ。だから、お前が欲しい」

「そ、そんなこと突然言われても、怪盗なんて」

 つまりぬすみの手伝いをさせられるということだろうか。そんなの二つ返事で受けられるはずがない。

「タダでとは言わない。もし俺のモノになるなら、お前が無くした記憶を取りもどす手助けをしてやるよ」

(私が無くした記憶……)

 その提案がとてもりよく的なものに思えるのは、それだけ無くした記憶が、自分にとって大切なものだったからなのかもしれない。

 自分はなにか、大切なことを忘れてしまっている。

 取り戻したい。そのおもいが、彼女をき動かした。

「その提案、お受けいたします!」

「よし、こちらの条件は一つだけ。今から、俺の命令は絶対だ」

「え……」

「当然だろ。お前は俺のモノになるんだから」

 つまり、この関係は対等じゃない。彼は、自分の配下になれと言っているのだ。

 よく知らない怪盗の命令を、絶対に聞かなければならない約束なんて、やすけ合いしてだいじようだろうか。

 けれど、このままここに一人取り残されるのは心細い。また魔物に襲われる可能性もある。

「ちなみに、私はなにをさせられるんですか?」

「大丈夫、悪いようにはしない」

「そんなこと言われても」

 その言葉だけで、初対面のこの男を信用しろというのか。

「どうする?」

「…………」

 本当なら断るべきなのかもしれない。けれど「悪いようにはしない」、そんな彼の一言を信じてみようと思った。

 どうせもう死んでいるのだ。ある意味こわいものなんてない。

「わ……わかりました。貴方あなたの命令は絶対です」

「いい子だな。おいで、アンジュ」

 しようを浮かべたレイヴィンに手を差しべられ、ないはずの心臓が飛びねる。

「アンジュって?」

「呼び名がないと不便だろ。だから今日から、お前の名前はアンジュだ」

れいひびき……ありがとう」

 きんちようで強張っていた彼女の表情が少しだけやわらぐ。

(今日から、私の名前はアンジュ)

 こうして記憶のない亡霊アンジュは、その名を受け入れると共に、怪盗に拾われたのだった。


    ***


 アンジュを自分の宿しゆくはくする宿屋に連れ帰ったレイヴィンは、その後、彼女を部屋に残し再び外出した。

 目的は、城に住まうとあるうたひめの部屋へ行くためだ。

 夜のやみまぎれ屋根伝いに移動し、慣れたルートで彼女の部屋のバルコニーへい降りる。

 そしてそのままえんりよなく、バルコニーの戸を開け部屋の中へ──。

「きゃっ!?」

 物音に気付いた部屋のあるじセラフィーナは、小さな悲鳴を上げると、突然部屋に入って来たレイヴィンを見て固まった。

「セラフィーナ姫」

「レイヴィン先生? どうして……」

 名前を呼ぶと彼女は、こんわくの表情を浮かべまばたきをり返す。

 レイヴィンは、それに構わずズカズカと部屋に入り、彼女の目の前で足を止めた。

「…………」

「な、なんなんですか、あのっ」

 顔をのぞき込むとセラフィーナはほおを赤く染め、あわてたように視線を泳がせる。

「セラフィーナ姫。声を取り戻したのか?」

「え……ええ、そうなの。自分でも驚いているのだけれど、先ほど突然」

「……ああ、せきだ。良かった!」

 レイヴィンがおおに喜んでみせると、セラフィーナもぎこちなくみを浮かべかけたが。

「そ、そんなことより! こんな時間に……ひ、人を呼びますよ?」

「今日の貴女あなたは、つれないな」

 また来る。そう約束したあの日から、いくもレイヴィンはこの部屋をおとずれていた。

「今さら照れなくても。人目をしのんで、何度も朝までいつしよに過ごした仲じゃないか」

「っ……で、でも……」

「せっかく声を取り戻せたんだ。話をしよう、セラフィーナ姫」

 最初たじろいでいたセラフィーナは、けれど部屋から出て行こうとしないレイヴィンに折れたのか、結局人を呼ぶこともなく、そのさそいを受け入れたのだった。


    ***


 ゆうえんの昔からせいれいの加護を受け、ほうじようの土地を保ってきたとされる大陸の東に位置するウェアシス王国は、水の精霊をすうはいする国。

 漁業が盛んで秋になれば、この国の海域でしか手に入らない魚が大量にみずげされる。その魚のヒレには、ねつ効果の高い成分がふくまれており、他国でも高値で取引されるため、豊漁祭もまえて秋の港は活気付く。今が丁度その時期だった。

 明日から始まる豊漁祭に参加しようと集まった観光客で、ウェアシス王国の宿はどこも満室状態。

 港町から少しはなれたここ宿屋アクアマリンも、明日かいさいされる祭りに朝からはしゃぐ客人の声や、元気な子どもたちの足音でにぎやかだ。

 ただ一室を除いて……。



「はぁ、レイヴィン様まだかなぁ」

 さわやかな太陽の光がまぶしいであろう朝方。

 アンジュはひまを持て余しためいききながら、厚手のカーテンに窓をおおわれた、うすぐらい一室でレイヴィンの帰りを待っていた。

 その部屋は質素で、窓辺に元気のない花がけられているほか、必要最低限の調度品がそろえられているだけで少しものさびしい。

 あの後、彼は急ぎで行くところがあると、自分が戻るまでこの部屋から出ないように言い残し、けてしまっている。

 今のアンジュは太陽の日を浴びると、たましいが焼ける危険な状態なので、決して勝手に外に出るなと念を押された。

「これから、どうなっちゃうんだろう」

 この部屋に来るちゆうに、宿屋のロビーでぐうぜん目にした新聞。その一面には、大陸中をさわがせているという怪盗の特集が組まれていた。

 通り名は怪盗S。大陸中にしんしゆつぼつ、姿形でさえへんげんざいに変えられる大怪盗なのだとか。けんしよう金は、目が飛び出るような額だった。

 レイヴィンは素知らぬ顔をしていたけれど、おそらく彼がその人物にちがいない。

 自分は、とんでもない人に拾われてしまったみたいだ。今さらだけれど。

「はぁ、どうしよう。でも他に行く当てもないし……なんで私、亡霊なんだろう」

 手持ちで、部屋のかたすみに用意されていた鏡台の前に立ってみる。

 そこには──レイヴィンがるためだけに取った、生活感のない宿屋の一室が映っている。

 それだけだ。どこにもアンジュの姿はない。鏡に手を伸ばしてみても、はんとうめいの手が鏡に映し出されることはなかった。

(自分の姿もわからないなんて……)

 肉体のない、魂だけの状態。

 なにか未練でもあっただろうかと、ぼんやり自分が死んだ後も、この世を彷徨さまよっている理由を考えてみるが、やはり思い出せそうにない。

(とても大切なことを、忘れてしまっている気がするのに)

 あせる気持ちをおさえながらも思考をめぐらせていると、思いかんできたのは、過去のおくではなくてどこかなつかしいせんりつだった。

「~~~♪」

 かくにんするように口ずさんでみる。すると、焦る気持ちが少しだけ落ち着いた。

 そのまま鼻歌を続けていると、いつの間に後ろに立っていたのか、レイヴィンと鏡しに目が合いり返る。

「あ、おかえりなさい!」

「……ただいま。続けろよ」

「え?」

「もっときたい」

 最初、なんのことかときょとんとしてしまったが、どうやらレイヴィンは、今の鼻歌のことを言っているらしい。

「で、でも……」

 うろ覚えの鼻歌を他人に聞かせるのは、なんだかずかしくて少しちゆうちよする。

「約束しただろ。俺からの命令は?」

「絶対、です」

 なんだその命令はと思いつつ、アンジュは言われた通り、もう一度歌を口ずさんだ。

 すると窓の外から硝子ガラスをつっつく音がして、気付いたレイヴィンが少しだけ窓を開くと、小鳥が二入り込んでくる。

「っ!?」

 おどろいたが、まるでアンジュの存在を感じ取っているかのように、小鳥たちがさえずり自分の周りをくるくると飛行するので、アンジュは口元をゆるめると、先ほどよりも明るい表情で歌い続けた。

 それだけじゃない。偶然のタイミングなのか、窓辺にあったびんつぼみたちがぽんっと開花し、活き活きとほこりだす。

 そんな現象には気付かずに、小鳥たちと楽しげに歌うアンジュの姿を、窓辺に寄りかりながら、レイヴィンは温かなまなしで見守っていた。



「歌が好きか?」

 歌い終え、すがすがしい表情を浮かべていたアンジュにレイヴィンが聞く。

 アンジュは少し考えてみてからうなずいた。

「好きみたい。もしかしたら……生前の私も、歌うことが好きだったのかもしれません」

 きっとそうに違いない。なにも思い出せない自分が、ゆいいつ覚えているのが、この歌なのだから。

「レイヴィン様、私この歌について知りたいです。この歌が、記憶の手掛かりになる気がするから」

「そうか……わかった、調べておいてやる」

「よかった。ありがとうございます」

 少しずつでも記憶の手掛かりが見つかり、事態が進展すると良いのだけれど。

「そんなに失った記憶を取りもどしたいか?」

「もちろんです。自分が何者なのかわからないのは、とても心細いから」

 そしてなにより、早く思い出さなくちゃ。大切な、なにかを……そんな気持ちにり立てられるのだ。

「今の私は、自分の顔すら思い出せないんですよ」

 先ほどのように姿の映らない鏡を見つめ、ぽつりとつぶやく。

「自分の顔も覚えてないのか」

 レイヴィンはあごに手を当てると、かがんでアンジュの顔をのぞき込んできた。

(う、顔が近い、近すぎる気がする……)

 神秘的なアメジスト色のひとみに、すっと通ったりよう、形の良いまゆ。そして顔立ちがれいというだけじゃない、みようにミステリアスな色気のあるレイヴィンは、一言で言うと息をむようなじようだ。

 そんな彼にこんな間近で見つめられると、落ち着かない気持ちになってしまう。

「あのあの、そんなに顔を近づけなくてもっ」

むらさきいろをしたくちびるが耳の辺りまでけてる。三日月みたいな目が三つ付いてて」

「え、なんのお話ですか?」

「お前の顔」

「えぇっ、やだ!?」

 アンジュは、両手で顔を覆ってレイヴィンからそむけた。

 だって自分はつうの人間だと思い込んでいたのに。そんな容姿だったなんて、予想だにしていなかったのだ。

 口が裂けてて目が三つって……。

「うっ、想像するとずいぶんと人間ばなれしたお顔なんじゃ」

 ショックを受けたが、そんなアンジュを見て、レイヴィンはククッとこらえきれない笑い声をこぼす。

「な、なんで笑ってるんですか。そんなに私の顔、おもしろいですか……?」

 三つの三日月みたいな目をした自分の、こんわくの表情を思い浮かべてみるが、不気味でしかなく余計悲しくなる。

じようだん

「へ?」

 意地悪なみを浮かべ、レイヴィンはもう一度屈んで、アンジュの顔を覗き込んできた。

「全部うそ。お前は普通の人間だ。口も裂けてないし目も二つ。としは成人したばかりぐらいに見える」

 なんだ冗談かといつしゆん安心したが、からかわれたのだと気付き、たちの悪い冗談を言わないでほしいと、一言物申そうとしたのだが。

「綺麗だよ」

「っ!?」

 さっきまでの意地悪な顔が嘘みたいに、レイヴィンは目を細めそう告げた。

 そんな顔を見たら、おこる気もがれてしまう。

「ほ、本当に?」

 ぬか喜びさせられ、またからかわれていたらとけいかいするが。

「ああ、天使みたいだと思ったから、アンジュって名前を付けたんだ」

 彼が言うに「アンジュ」とは、ここから遠く離れた異国の地で「天使」の意味を持つ言葉だと言う。

「お前は、すごく綺麗だ。ぼうれいにしておくのはもつたいないぐらい」

「~~~っ」

 赤面するアンジュの表情を見て、レイヴィンが再びフッと笑った。

(また、からかわれているだけ?)

 だとしたら、自分はレイヴィンの思うツボな反応をしてしまっている気がして、なんだかくやしい。

 なにも言い返せないでいるうちに、彼はがいとうぎ、ラフな格好でこしかけ机に向かった。

「お休みしないんですか?」

 レイヴィンと出会ったのは真夜中で、その後、彼はけていて。戻って来ても休む気配がないので心配になる。

「今、そんなひまはないな。今日は夜に予定があるし、その前に終わらせておきたいこともある」

「夜に? ……私は、またお留守番ですか?」

 このうすぐらい部屋で、夜も一人留守番なのだろうか。

 それは、少しさみしいというか、心細い……。

「……勝手な行動はとるな、大人しくしてること」

「え?」

「その約束を守れるなら、連れて行ってやる」

「守るわ、守ります!」

 薄暗い部屋で一人ぼっちは、色々と考えてしまい気がりそうだったので、一人よりいつしよがいい。

「夜にとある女性の誕生パーティーに出席する。俺の仕事が終わるまで、俺にひようして俺の中にかくれていること。それが条件だ」

「憑依って? 亡霊初心者なので、やり方がわかりません」

 困り顔のアンジュに「亡霊初心者ってなんだよ」とき出しながら、レイヴィンは立ち上がった。

「おいで」

「え、えっ」

 とつぜんきよめ、こちらに手をばしてきたレイヴィンに警戒し、かたすくめるアンジュだったが。

だいじようこわがるな。そのまま俺に身をゆだねろ」

 耳元でそうささやかれた瞬間、なぜかこわっていたきんちようが解け、そのまま彼の中へけ込むような不思議な感覚がした。

『よし……これが憑依している状態だ。簡単だろ?』

『は、はい。なんとなく、感覚はつかめたみたいです』

 彼の身体からだの中にいる時は、声で言葉を発しなくても、心で思うようにすれば会話がわせるらしい。

 おたがいの声が頭の中にひびいてくるような、みような感じがする。

『普通の人間には、れいたいなんて見えないだろうが、とくしゆな霊感体質を持っているやつなら、今のお前も見えてしまうかもしれない。だから、人前に出る時はこの状態を保て。勝手に俺の中から飛び出したりするなよ。これは命令だ』

 これから向かうのは、たくさんの人が集まる場所なので、もし霊感体質の人間がいた場合の混乱をけるため、だそうだ。

『わかりました……普通の人がはんとうめいの私を見たら、悲鳴を上げてそつとうしてしまいますものね、きっと』

『どうだろう。昔からそういうのが見える奴なら、見ないフリするかもしれないけどな』

 確かに、そうかもしれない。普通の人は亡霊になんてかかわりたくないだろうし。

 そう思うと、ものおそわれていた自分を見捨てず、助けてくれたレイヴィンには、改めて感謝の気持ちが芽生えたのだけれど。

(……ん? でもでも、姿の見えない霊体は役に立つからと言っていたし、私はただ利用するために拾われただけか……)

 それを受け入れたのは自分なのだけれど、なんとなく複雑な気持ちになって、アンジュはそっとレイヴィンの身体からけ出した。

 出る時も、自分の意志で簡単に憑依は解除できるようだ。

「ところで今夜する仕事って……さっそくぬすみですか?」

 再び机に向かった彼の周りを、くるくるゆうしながらたずねてみる。

 アンジュのために薄暗くした部屋の中、レイヴィンはランプで手元を照らしもくもくとなにか書き物を始めていた。

「いや、今日は敵情視察ってところだな」

 アンジュには読めない難解な文字を書き続けながら、レイヴィンが答える。

(敵情視察?)

 気になるが、今はそれ以上教えてくれそうもないので、仕方なくじやをしないよう大人しく口をつぐんだのだった。

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