11. 不安な先行き

 発車した馬車はまず南門の検問所を通過した。

 検問所は冒険者である事を証明するギルドプレートを見せただけで難なく通れる。

 街の外は魔物や盗賊が蔓延る危険地帯であり、護衛の冒険者を乗せた馬車など当たり前の光景なのだ。

 門を通過した直後、遠くに森が見える広大な草原へ出る。

 見渡す限りの緑。

 まるで広大な田園風景そのものだ。生えてる草はもちろん稲ではないが。


「いやぁ、それにしてもBランクのロートさんに引き受けてもらって助かったよ。今回積荷には普段お目にかかれない貴重な魔石があったから…」


 暫く草原を突き進み、落ち着いたところで御者が口を開く。

 「いやあそんな期待されたら困りますよ」とロートは照れたように返していたが、まさかロートが最高のAランクに次ぐBランクだったとは。

 一介の行商人ですら名を知るくらいなのだから、実はロートはすごい冒険者なのでは?

 それにしても積荷に貴重な魔石があるって…タイミング的に俺がギルドに持ち込んだ魔石である可能性が高いな。


「それにサファちゃんも最近Cランクになったんだって?早々に冒険者やめて商売人になった身としちゃあ羨ましい事だよ」


「いやあ、それほどでもないですよ…」


 御者の言葉にサファも照れ隠しのように微笑んでいる。


「それに…もう一人の方は?」


 御者は手綱を握りながら振り返り、俺の方を見た。

 色んな冒険者と出会う御者としては、様々な冒険者の情報を知っておいた方がいいのだろう。


「俺はDランク冒険者のワタルと言います」


 俺は懐から鉄でできたプレートを取り出し、御者に見せつけた。

 それを確認した御者はなるほどというように肯き、また元の姿勢に戻る。

 反応からしてただの人数合わせのDランク冒険者なんて珍しくないのだろう。


「ワタルはネルスに行ったことはあるかい?」


 景色を楽しむ俺にロートが話しかけてきた。

 もちろんライラル以外の都市に行ったことがないので「ない」と答える。


「ないんだね、まあネルスは武器加工で発展してきた街だから、伝統ある武器工房なんかに興味ない人はあまりいく意味がないからね。今向かってるのは今回の依頼の主でもあるネルスの領主、ヘレー=ネルス様のお屋敷だよ。くれぐれも無礼がないようにね」


 ロートは訝しげに俺を見つめている。

 というかネルスの領主が今回の依頼の主なのか。

 依頼の内容は蜘蛛の巣の調査とダブルホーンブルの討伐だったっけ?

 まあ、礼儀はそこそこ備わっているつもりなので問題無いだろう。


「俺がなんか失礼を働きそうに見えるか?」


「見えないと言ったら嘘になるね」


 相変わらずの笑みを浮かべながら答えるロートに少し怒りを感じつつ、ロートの話を聞いて何故魔石がネルスに運ばれているのかを理解した。

 武器加工で発展している街なのだから、魔石を杖か何かに加工するつもりなのだ。

 もしかして魔石を買い取ったのはまさしくヘレー=ネルスなのではないか?

 だがしかし府に落ちない点がある。

 もし今回の積荷が俺がギルドに持ち込んだ魔石だというのなら、ヘレーはどうやってその存在を知ったのだろう。

 ライラルとネルスの間は馬車で十数時間かかる距離だという。

 俺がギルドに魔石を持ち込んでから、ヘレーに魔石の情報が渡るのがあまりにも早すぎる。

 何か遠距離連絡手段として使える魔道具でもあるのだろうか。それとも高速な移動手段があるのか。

 それとも根本的に俺が持ち込んだ魔石とは別のものなのか?まあ、屋敷に着いたら聞いてみよう。


 それからというもの、特に何も起こる事なく数時間が経過した。

 ロート曰く、この辺りの森にはあまり攻撃的な魔物はいないので警戒すべきは盗賊のみと考えていいらしい。

 今回この馬車には貴重な魔石が積荷として乗っているので、情報を掴んだ盗賊たちが襲ってこない可能性はゼロではないという。


 ちなみに積荷の魔石を一目見たいとサファが言い出し、御者の許可のもと確認した青色の大きな魔石は俺が今日ギルドに持ち込んだ物で間違いなかった。

 得意げに「それをギルドに売ったのは俺なんだぜ」と御者に教えたらとても驚いていたが、入手場所などを深く聞いてくることは無かった。


 やがて日も暮れ、辺りは闇に包まれ始める。

 一度休憩のため馬車は立ち止まり、俺たち4人は馬車から降りた。

 日が完全に落ちてしまう前に近くの森から薪を調達して焚き火を開始し、御者は馬の手入れを始め、ロートは背負っていた大きめのリュックサックから鍋や食材などを取り出してサファが調理を始める。

 なんとも手際が良い限りで、俺はそれを邪魔しないようただ眺めるだけだ。

 手慣れた様子の二人を横目にくつろいでいたが、この二人はいつから一緒にいるんだろうなんて考えが浮かんできた。

 同い年のように見えるし、もしかして二人は幼なじみなのだろうか。

 それとも最近ロートがサファをナンパしたのか。

 はたまた手練れの冒険者であるロートにサファから声をかけたのか。

 まあどうでもいいっちゃどうでもいいが、気にならないと言えば嘘になる。


「どうしたんだいそんなにニヤけて」


 突如、頬を緩ます俺の顔をロートが覗き込んできた。

 俺はとっさに顔を戻し、思い切って二人の関係について聞いてみる。


「いやあ、二人はいつから付き合ってんのかなあと思って」


「なっ、ただの冒険者同士の知り合いくらいの関係だよ。知り合ったのも最近だし…」


「そ、そうですよ、いきなり何言い出すんですかワタルさん!」


 急に焦り出すサファとロート。

 サファに至っては被っていた帽子で顔を隠しながらそっぽを向いてしまった。


「そうなのか」


 お熱い関係だこと、と内心では思いつつこれ以上突っ込まないことにした。

 この調子で変に弄くり回し関係を悪化させたら恨みを買いかねない。


「はい、できました!」


 暫く経って香ばしい匂いを漂わせ始めた鍋の料理をまだかまだかと待ち続けていた俺にとって、完成を告げるサファの声は待ち望んでいたものだった。

 昼食に食べたカツ丼はすっかりエネルギーとして吸収され、自身の胃が次の食べ物を望んでいることに生命の神秘と戦慄を覚えつつ、スープが入ったお椀を受け取る。

 御者も含め焚き火を囲むように席についた俺たち四人は、いただきますの合図で一斉にスープを口にした。


「この世界にも『いただきます』はあるんだな…」


 焚き火のパチパチという音にかき消される程の大きさで呟いた俺の言葉が三人の耳に届いた様子は無かったが、俺はこの世界が地球…いや日本とどこか似ている点があることを感じ始めていた。

 魔物の大半は地球にいた生物に近い形状をしているし、何より書き文字は違うが言語が日本語だ。

 いつかこの謎も解けるのだろうか。


 ──何度かのおかわりを繰り返し、やがて鍋の中身は無くなった。

 時間の経過とともに焚き火の勢いも衰え、夜も深まり始める。

 食事に満足して就寝…といきたいところだが見張りとして交代に起きていなければいけないらしい。


「じゃあ、近くの小川で食器と鍋を洗ってくるね」と立ち上がって森へ向かうサファを見送り、ロートと二人で見張りのシフトを決める。


「俺は深夜まで起きてるから、四時くらいで交換でいいか?」


 まず俺が提案する。

 正直深夜まで起きているのは慣れっこだ。

 まあフォーミュラの隠れ家で叩き直された生活リズムがどう働くかはわからないが。


「いいよ。じゃあ四時に起こしてね」


 一瞬にしてシフトを決める会話が終わったが、サファを待つ時間にロートは先程の俺のからかいのせいか、俺にサファとの出会いの経緯を語り始めた。


「あの…さっきの話だけど…ワタルは俺とサファがいつぐらいから一緒に行動してるか気になったんだよね?」


「まあ、そうだな。なんか二人の手際の良さを見たら気になってな。別に勘違いしてないから気にすんな」


「いや、別にいいんだ。俺はサファのこと……好きだし」


「えっ」


 ロートの隠し気もない告白についつい素っ頓狂な声をあげてしまった。

 しかし何故それを俺に話す気になったのか。


「俺とサファが出会ったのは一ヶ月くらい前だ。ライラルのギルドで一人うろたえてるサファを見つけてね。Dランクで一人でやれる依頼が無かったらしく、人見知りなサファは困っていたんだ」


「…そこでロートからサファに声をかけたと?」


 つまりまだロートとサファはまだ出会って間もないってことか。意外だな。


「そう。そこからずっと二人で依頼をこなしてきたんだ。結構相性が良くて、たくさん依頼をこなしてきたからサファは最近Cランクになったんだ」


「なるほど、じゃあ一目惚れってわけじゃなくだんだん好きになってきたって感じか?」


「いや、実は一回サファとは昔会ってるんだ。まあサファは気付いてないみたいだけどね。その時かな、少し意識し始めたのは」


「へえ……で、俺にこの話をした真意は?」


「単刀直入にいうと、俺はネルスでの依頼が無事終わったらサファに告白しようと思ってる。これからも一緒にいようってね。その手伝いをして欲しいんだ」


 恥ずかしげもなく淡々と語るロートに尊敬に似た念を覚え、またロートの真っ直ぐとしたその態度に素直に感心した。

 できるだけ力になってやりたい。


「手伝いって?」


「まあ既に・・一人にはお願いしてるんだけど、それは……」


 話の続きをしようとしたところで突如、森の中から一斉に鳥たちが飛び出した。

 と、同時にサファのものと思われる大きな悲鳴が辺りに響きわたる。


「「何だ?」」


 突然のことに驚き、俺とロートは一斉に立ち上がった。

 辺り一体が震えたように感じ、思わず身震いする。

 こんな話を聞いた後だ、急いでサファの元へ向かわなければならない。

 ロートの話の続きが気になったが、今はそれどころじゃない。

 

 俺は神々封殺杖剣エクスケイオンを装備し、森に駆け出そうとしたが──ロートはそれを制止して「馬車を頼む」とだけ伝えてきた。

 確かに、もしも相手が盗賊だったとしたら複数人いる可能性が高い。

 盗賊たちが馬車の元から護衛となる冒険者を引き剥そうとしているならば、俺とロートの二人が森へ向かってしまえば相手の思う壺なのだ。


「わかった」


 ロートの意を汲み取り俺は馬車の元へ駆け寄ったが、それを見てロートはサファがいる森へ恐るべきスピードで駆け出した。

 ロートが森の中へ消えたタイミングで御者に馬車内で待機するよう告げる。人質にとられでもしたら厄介だ。


「あの…一体何が起きたのでしょうか?」


 サファの悲鳴が聞こえてからというもの、御者は少し震えて怯えた様子だ。

 御者にとって荷物運搬は信用などにも関わること。

 もし失敗して信頼を失ってしまえば食い扶持を失ってしまうので無理もないだろう。

 怯える御者を横目に森の方へ目を凝らしていた俺は、剣を持った人影がこちらに近づいてくるのを確認した。

 ロートが倒されたなんてことはないと思うが、どこか不安が残る。

 しかしサファを襲った相手が、手に負えない凶暴な魔物などでは無かったので良かった。


「おい、大人しく魔石をよこした方が身のためだぜ?」


 人影は大声で簡潔に要求を述べた。

 狙いは案の定魔石。

 星明かりで顔を確認できるくらいまで人影は近づいてきた。

 ──ああ、そういうことか。

 その顔を見てなぜ盗賊がこの馬車に魔石が積まれている事を知っていたのかを理解する。


「お前…ずっと狙ってたんだな」


 目の前まで来て視認できた男は魔石買取の際に俺に絡んできた三人組冒険者のうちの一人だった。

 おそらくもう二人はサファとロートの所にいるのだろう。


「当たり前だろ!あれだけの魔石を目にして欲しくならないわけがねぇ!ロートのやつが厄介だったが…あいつは馬車にお前を残して女の所に行くと思ってたぜ?」


 男は下品に笑い出した。自身の予想が的中して心底上機嫌なのだろう。


「ロートは無理だが俺なら一人でも余裕だということか?」


 どうやら俺はロートよりも格下だと思われているらしい。心外だな。

 これでも最強の魔王と対峙したことがある男なのだぞ。まあ対峙しただけなのだが。


「ああ!お前今日冒険者になったばっかりだろ?それに魔法も使えない愚図だ!レベルが六なのは少々驚いたが俺に勝てるかなぁ!?」


 男は声を荒げると同時に紋章を展開させた。レベルは俺と同じく六。

 紋章魔法アイデントスペルを使って早々に方をつけるつもりなのだろう。

 とりあえず神々封殺杖剣エクスケイオンを構え戦闘態勢を整える。

 あの距離で魔法を使うのであれば遠距離型の魔法または自身にバフをかける肉体強化系の魔法の可能性が高い。いずれにせよ厄介だ。

 どちらがきても良いように身構えたが、男が行使した魔法の予想外の効果に絶句した。


「俺の紋章魔法アイデントスペルは『俺が身につけたものを不可視にする』魔法だ!剣だけじゃなく服まで見えなくなるのは厄介だが…見た者を殺しちまえば問題ねぇ!」


 目の前ではおっさんが全裸に剣を構えたポーズで活気だっている。

 これまでこの男がどれだけ苦労してきたのか、そしてこの男が盗賊まで堕ちてしまった理由を知ってしまった気がした。

 しかし剣が見えないというのは中々厄介な事ではある。


「行くぜぇ!!」


 威勢の良い声とともにこちらへ駆け出した全裸の男。

 男が繰り出した不可視の一閃は俺の腹部に一直線へ向かって行ったが、俺は男の腕の動きをよく見て、なんとか刀身で受け止めた。


「やるじゃねえか!……これは、どうかな!」


 二撃、三撃と繰り返される剣撃になんとか対応していきながら男の対策を考える。


 相手の装備が目に見えない以上、装備の隙間などの弱点を見つけることが難しいので中々反撃を取ることが難しい。

 俺が黙々と男の剣撃を捌いていく中、突如剣を止めた男は一度俺から離れ、距離をとった。

 二十メートル程の距離を開けて、男は何やら笑みを浮かべているように見える。

 男は少なからず、不可視の魔法だけで俺を倒せると思っていたはず。それを全て弾かれたというのにこの余裕?──違和感。


 何か魔法を使うのか?

 そんなはずはない。

 男は既に『装備の不可視化』という紋章魔法アイデントスペルを使用しているので、遠距離の魔法が飛んでくることはないはずだ。

 なら何故あの男は一度俺から距離を取ったのか?仲間の援護待ち?

 いや、見渡す限り仲間はいない。

 もし男の仲間が魔法を使おうとしているならばこの暗闇では紋章の輝きですぐにわかるはずだ。

 なら魔道具でも使うつもりなのか?──いや、魔道具を持つくらいの盗賊がこんな魔石なんかを狙うはずがない。

 魔道具は一つ売るだけで一生遊んで暮らせるほどの代物だというからだ。

 考えられる限りで、魔法を使わずに遠距離で攻撃する方法。それは……弓だ。

 端から弓の存在は隠していたようで、その可能性に至るまで随分と時間を使ってしまった。


 察した俺の表情を月明かりで確認したのか、男はニヤリと口角を上げ「死ね」とだけ呟いていた。

 ──大丈夫だ。きちんとよく見れば神光支配ハロドミニオで防ぐことができる。

 相手の紋章魔法アイデントスペルの性質をよく考えれば必ずできるはずだ。

 男は俺の予想通り、背中から弓を取り出して矢を放とうとする動作を見せた。俺はその男をよく見ながら意識を集中させる。


 …今か!


 視界に飛び込んできた矢が俺の身体に当たる前に、その部位にオーラを集中させる。


 コッ。


 そんな軽い音を立てて、まるで壁に向かって投げたスーパーボールが反射するように男が放った矢は俺の体から弾かれた。

 そしてすぐさま一直線に、驚きの表情を浮かべる男まで駆け出す。


 男の紋章魔法アイデントスペルは男が身につけているものを不可視にするというもの。だとしたら弓から放たれた『矢』は身につけているものとは言えないだろ、という俺の予想は的中したのだ。

 つまり、男の元から離れた矢は視認して、防ぐことができる。

 矢程度なら凝縮した神光支配ハロドミニオをあてがうことで防げるのはフォーミュラとの訓練で確認済みだ。

 神光支配ハロドミニオは目に集中させることで動体視力を向上させることもできる。だからこそ出来た芸当。


 動揺したのか男は焦った手つきで弓から手を離し、剣に持ち替えようとしたがもう遅い。

 一気に間合いまで詰めた俺の一撃はしっかりと男の脇腹にクリーンヒットした。

 もちろんその一撃は剣の腹によるものであるため、男が両断されたわけではない。

 神光支配ハロドミニオを纏った神々封殺杖剣エクスケイオンであれば変に曲がったり折れたりする心配もないし、これからも使う予定の技だ。


「ふぅ」


 数十メートルふっ飛ばされて気絶している男の元へと駆け寄り、その姿を確認して一先ず胸を撫で下ろす。

 気絶しても男の魔法が解けなかったら、という最悪の想像が杞憂に終わったからだ。

 流石に見かけだけだとしても、全裸のおっさんを担ぐのは気が引ける。


 こうして無事に戦闘は終わり、俺は男を担ぎ上げて馬車へ戻った。

 思えばまともに対人戦闘をして勝利を収めたのはこれが初である。


 時を同じくして、男を五人・・担いだロートも森から戻って来た。

 後ろにはサファもついてきており、無事なことが確認できた。

 なんと男には他にも仲間がいたようで、そいつら全員をロートの方へ向かわせたらしかった。

 にしても俺は一人でロートは五人か…

 少し悔しいが二人以上いても対応できるか不安だったこともあり、素直にロートを凄いと心の中で褒めておく。


「やあ、無事だったみたいだね」


「そっちもな」


 盗賊六人組を縄でキツく締め上げながらお互いの無事を確認する。

 やはりロートは凄腕の冒険者と見て間違いなさそうだった。


「こいつらどうするんだ?」


「うーん、この辺は馬車通りが多いからライラルまで向かう馬車を見つけたら連れてってもらおうか」


 ロートの言葉通り、しばらく待つとこちらに向かう馬車の姿が見えた。進行方向からしてライラルに向かっているのは間違いない。

 大きく手を振ってその馬車を止まらせたロートはその馬車がライラルに向かう事をきちんと確認すると、盗賊六人組の経緯を説明して、その馬車に搭乗する他の冒険者たちに六人組を託した。手柄はその冒険者たちにあげてしまうらしい。


 こうしてようやく再出発の準備を整えたネルス行きの馬車は、先行きに不安を感じながらも再びその歩みを始めたのだった。



「おい、起きろワタル!ネルスに着いたぞ!」


 ロートの声で目覚め、寝ぼけ眼を擦りながら世界を識別していく。

 昨日はあれから俺が四時まで見張りをし、そこから眠りについたのだ。

 今の時刻は日の昇り具合から見て午前八時と言ったところか。四時間睡眠。久々のショートスリープだったが、体調はそこまで悪くなかった。

 馬車から降り辺りを見回すと、手入れされた木々や噴水などの美しく彩られた装飾品が目につく。

 近くには立派なお屋敷の姿が見え、ここが話に聞いたネルスの領主の屋敷と見て間違いないだろう。

 ここに到着するまで一回も起きなかったとは…随分ぐっすり寝れたみたいだ。やっぱり疲れの蓄積がまだまだあるらしい。


「じゃあ、屋敷の中に入ろうか。依頼の詳しい内容はへレー様から聞くことになっている」


 ロートは魔石の入った箱を持つ御者を含む四人の先頭に立ち、屋敷の入り口へ向かい始めた。

 馬車からしばらく歩いて玄関前に立つと、ロートが扉に触れる前に華美に装飾された入り口の扉が開く。

 この世界に自動ドアなんてものはない。俺たちが来るのを察知して中から開けたのだろう。

 そのまま促されるようにして中に入ると、大きな玄関広間でメイド服を着た女性たちが六人、俺たちを出迎えてくれた。

 すげえ、本物のメイドだ。

 それになんだあのキメラみたいな彫刻は。

 見慣れぬ豪華な屋敷。物珍しさに周りをキョロキョロと見回していたが、ロートのわざとらしい咳払いによってそれは中断させられた。


「ヘレー様のお部屋までご案内いたします」


 メイドの一人がロートの前まで歩み出て頭を下げると、それに呼応して全てのメイドが一斉に頭を下げる。

 その洗練されたメイドたちの仕草に感動を覚えたが、それはサファやロートも同じようだった。

 しかしその感動を口に出せないまま、颯爽と動くメイドたちに案内されて屋敷の中央を貫く螺旋階段を登って行く。

 辿り着いた先で、メイドは一室の扉をノックした。


「お客様をお連れいたしました」


「入ってくれ」


 ヘレーのものと思われる返事でメイドは部屋の扉を開ける。

 一気に鼻を突き抜ける、古びた図書館のような心地よい匂い。

 中は意外にも机とソファー、それと幾つかの本棚が設置されただけのシンプルな内装で、俺たちは案内された椅子へと座った。

 目の前に腰を据えるこの街の領主、ヘレー=ネルスは意外にも若い男性で、黒い短髪と顎に生やした短い髭がよく似合う。

 机に広げられた地図や山積みにされた様々な資料を俺は読み取ることができなかったが、ヘレーが激務であることはわかった。


「これがご依頼の魔石です」


 御者は両手で抱えていた木箱の蓋を取り出し、ヘレーへ差し出した。

 もちろん中には俺がゼレス大迷宮で対峙したデオフライトの青い魔石が入っている。


「ほう…青、いや藍に近い色合いの魔石は久方ぶりに見たね。それでこれを入手した冒険者の情報はあるかい?」


「実は…ここに座ってらっしゃるワタル様こそがこの魔石を入手した冒険者なのです」


 ボーっと壁の装飾を見つめていた俺は、御者に突然名前を出されたことにビックリした。

 確かにこの魔石を入手したのは俺だが、何故それを知る必要があるのだろうか?


「なんと、入手した者自身がその護衛に。見たところレベルは上限値、十ではないですよね?何故この魔石を取り込まなかったのですか?」


「いや、なんか取り込もうにも取り込めなかったんですよ」


 ゼレス大迷宮の下層でデオフライトの魔石を紋章に取り込もうと四苦八苦したときのことを思い出しながら言った。


「なるほど。ではこの魔石の主を殺したのは貴方自身ではないのですね?」


「そうですね」


 俺は確かあの時、魔石を取り込めるのは魔石の主を殺した、もしくは最も致命傷を与えた者だけであると結論づけたはずだ。


「運がいいですね。貴方の口ぶりからして魔石を取り込める条件を知らないようですが?」


「ああ、生憎この世界には疎いので…」


「面白いですね。まるでこの世界以外から来たような言い分で」


「ワタルはすごい田舎者で、色々知らないことが多いらしいんですよ」


 ここでロートが会話に割って入って俺のフォローをしてくれた。

 俺とヘレーの会話が変に長引きそうだと判断したのだろう。

 魔石取り込みの条件の話を聞けなくなったのは残念だが、また後で聞けばいい。どうせ、俺が思っている通りだのはずだ。


「なるほど。ではこの街に来るのも初めてですよね?どうです。我が街ネルスにて貴方が手に入れた魔石を加工していく様を見物して行きますか?」


「いいんですか?」


 実は俺は武器加工の過程には少し興味があった。何故ならフォーミュラから暇な時に杖や剣の精錬について色々聞いていたから。

 エドナ洞窟の調査をする依頼さえこなしてしまえば特に予定はないので、是非とも拝見してみたい。


「いいですよ、しかしこれほどの魔石をどこで拾ったのですか?」


 ヘレーは身を乗り出しながら俺に尋ねてきた。

 ヘレーが統治するこの街は武器加工で発展してきた街であるため、魔石の存在は街の発展に必要不可欠。よって質の良い魔石の情報は確保しておきたいものなのだろうが、拾ったという言葉は少し心外だった。


「それは…教えられないですね。お察しの通り運よく手に入れたものなので。そういえばどうやって貴方はこの魔石の存在を知ったんですか?」


 俺は魔石の入手経路を誤魔化しつつ気になっていたことを質問した。

 もし遠距離連絡用の魔道具か何かを持っているのならば、是非とも拝見したい。

 だがヘレーの答えは求めていたものとは違った。


「ギルドにお願いしてたんですよ。青以上の魔石が入ったら私が高値で買い取るので確保してくれってね。まあ、どこで入手したのかは教えられないですよね。冒険者にとって情報は価値ですから。この話はこれくらいにして、私がライラルのギルドに出した依頼の話をしましょうか」


 ヘレーはその凛々しい顔つきをさらに引き締めた。


「私が出した依頼はエドナ洞窟の調査と、周辺に住み着いたダブルホーンブルの討伐。それは理解していますね?」


「はい。なんでも最近の地崩れで洞窟の地下が新たに見つかったんですよね?」


「そう、その地下洞窟内で大量の蜘蛛の巣が発見されました。その巣を調査しに行った調査隊がダブルホーンブルにやられてね。それで君たち冒険者を派遣したんです」


「それだけなら別にDランク以上二人、一人はBランク以上などという条件を出す理由は特にないですよね?」


 淡々とヘレーに問い詰めるロートを二度見する。

 何故なら以前俺がロートと聞いた話とは異なっていたからだ。


「え、お前俺に説明する時Dランク三人以上の依頼って…」


 俺はロートと会い、この依頼を提案された時のことを思い出していた。

 確か俺に勧誘する時、ロートはDランク三人以上での依頼と言っていたはずだ。

 Bランク以上が必要な依頼は難易度が跳ね上がる場合が多いと聞いていたし、俺は嵌められたらしい。


「ああ、ごめんごめん、俺がBランクって言うと嫌味っぽく聞こえるかなって。それにBランクが一人必要な依頼って言うと尻込みしちゃう冒険者もいるし」


「そう…か、まあいい。じゃあへレーさん話を続けてください」


 俺は良いように利用されたのか…まあ気にしてないが。


「いいですか。この蜘蛛の巣の特徴は…最悪の五芒星ディザ・スター…『銀鏡の蜘蛛アトロネ』のものと一致するのです」


 ヘレーは改まったように、力強く言い放った。


「やっぱりか……!」


 銀鏡の蜘蛛アトロネと聞いたロートはこれまでの温厚な表情を一変させ、憎悪に満ちた表情を浮かべている。

 そんなロートの姿は、見ると寒気を感じるほどに不自然だった。

 何をしても笑って許しそうなロートが、こんな表情をするなんて。

 だからここはその憎悪の対象について聞いておくべきだろう。


銀鏡の蜘蛛アトロネとは?」


 魔物の名前であるのは確かだと思うが。


「おや、冒険者である貴方が『最悪の五芒星ディザ・スター』をご存知ではないと?」


 ヘレーは満ち満ちた懐疑心を俺にぶつけている。

 あまりの無知さと、それに見合わない希少な魔石を見つけたという事実。

 確かに側から見れば俺は怪しい存在だ。


「ああ、ワタルは昨日冒険者になったばかりなんですよ。最悪の五芒星ディザ・スターについては俺から説明しときます」


 再び適当な言い訳を紡ぎ出そうと思っていたが、いつの間にか平静に戻った様子のロートがこれまたフォローしてくれた。

 微笑んでいるが、その拳には力が込められているように感じる。


「つまりそういうことなのですよ。調査と行っても、その姿を確認したらすぐさま撤退して下さい。銀鏡の蜘蛛アトロネを確認できなくても、蜘蛛の巣を少し持ち帰ってくれればこちらで調査できますから」


 ヘレーの口ぶりから銀鏡の蜘蛛アトロネと呼ばれる魔物がどれだけ危険なものなのかは伺えた。

 まあ竜王や魔王を見てきた俺にとってはそんな脅威でもないだろうと高を括っておく。


「わかりました。今から向かいますので馬車の手配をお願いします」


「そう急がなくてもいいですよ。もちろん馬車は手配しますし、こちらで用意した朝食を食べてから行くと良いですよ」


 確かに起きてから何も口にしていない。

 ロートは何やら急いでいるようにも見えたが、結局俺たちはヘレーの言葉に甘えて屋敷で朝食を取ることにしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る