12. ロートの過去

「それで、最悪の五芒星ディザ・スターってなんなんだよ」


 朝食を食べ終わり、ヘレーが手配したエドナ洞窟行きの馬車に乗り込んだ俺は、ロートに気になっていた最悪の五芒星ディザ・スターについてを尋ねた。

 ちなみに馬車を操縦するのはライラルからネルスまでの移動でお世話になった御者と同じ人だ。


「ああ、最悪の五芒星ディザ・スターって言うのは…厄災とも呼ばれる五体の魔物のことだよ」


「その内の一体が銀鏡の蜘蛛アトロネとか言うやつなのか?」


「そう。銀鏡の蜘蛛アトロネ百万足オオムカデ女王蜂ルーラー竜王リントヴルム虚空ホロウの五体だ。これらは子供でも知っているはずなんだけどね」


 ロートはまるで思い出したくないものでもあるかのように淡々と話した。

 ロートの話を聞いた俺は、会話の中で飛び出した一つの言葉を咀嚼する。


「リント…ヴルム…」


 メルクリア大迷宮で出会った赤竜のことを思い出し、呟いた。

 そういえば俺は一体何をやっているんだ。

 ヴァルムをこの手で殺し、その場で魔王に恐れをなし、無様に屈服した。

 その後出会ったリリシア、フォーミュラさえも見殺しにし、今は魔王討伐に全く関係ないことに時間を割いている。最低だ。最悪だ。

 考えれば自分を責める言葉が泉のように湧いては尽きなかった。

 ──だが、それを仕方ないと思っている自分がいるのも事実だった。旅を通して魔王に近づければそれでいいじゃないか。

 ちがう──まるで溢れ出る感情を何か・・によって抑制されているような……そんな気がした。


竜王リントヴルムは知ってるみたいだね。だけど竜王リントヴルム虚空ホロウの二体は何百年も姿が確認されてないから、警戒すべきはそれ以外の三体なんだけどね」


 俺の呟きを聞いたロートが説明を続ける。

 竜王リントヴルムの姿が確認されていないのは当たり前だ。四百年も大迷宮の地下で魔王を見張っていたのだから。

 …右腕にはめている竜王のリングの表面をなぞる。


「そういえば…ロート、お前銀鏡の蜘蛛アトロネの話を聞いた時、目つきが変わったよな」


 俺はヘレーから銀鏡の蜘蛛アトロネの話が出たときのロートの表情を思い出した。

 憎悪に似たその表情は、まだ俺の脳裏に焼き付いている。


「気づいてたか…実は過去に銀鏡の蜘蛛アトロネに会ったことがあるんだ」


 ロートは尚も淡々とした口調で話すが、どこか苦しげなのを見逃さない。


「いやなら話さなくていいんだが…」


「ううん、この際だから話すよ。そうすればワタルも銀鏡の蜘蛛アトロネ討伐に協力してくれるかもしれないしね」


 ロートはそれを機に、自身の過去について話し始めた。



◆◇◆◇◆◇



 ライラルから数十キロ離れた大きな湖のほとりに位置する小さな村、イオ村でロートは生まれた。

 貧しいながらも仲の良い村人たちと楽しんで暮らしており、ロートは幼いながらもそれなりの幸せを感じていた。

 とりわけ心待ちにしていたイベントは年に一度開催される大きな祭り。

 豊穣を祈って行われるその祭りは、近くの村を巻き込んで行われていた。


「ねえ村長。明日のお祭りでは沢山の冒険者が来るんでしょ?Aランクの冒険者さんも来るのかな?」


 まだ八歳のロートは冒険者に憧れていた。

 両親は農家を営んでいたが、村の村長は元Bランクの冒険者であり、数々の冒険譚を聞かされていたからだ。


「ああ。大体の冒険者は今日の夜から泊まっていくらしいぞ。ロートも冒険者を目指すのだろう?ならいろんな話を聞いてみるといい」


「わかった!」


 ロートはすっかり腰が曲がってしまった村長を尊敬の眼差しで眺める。

 歳を取りながらも率先して祭りの準備をする村長の背中から、勇敢な冒険者の面影を感じ取っていた。


「ロート、明日はお祭りなんだから、あなたも準備を手伝いなさい」


「はーい」


 厳しいながらも慈愛に満ちた育て方をしてくれた両親の言うことはきちんと聞き、仕事も卒なくこなす。

 ロートは村人たちから多大な信頼を得ていた。

 だがそんなロートを気に食わなく思っている存在もいた。村の悪ガキたちだ。

 早朝、剣術の訓練をしようとするロートの木刀を隠したり、ひどい時には村の畑を荒らしてロートのせいにしたりなんかしていた。

 もちろんロートは幼いながらも怒りを感じていたが、大人たちは理解していた様だったのであまり気にすることはしなかった。

 そんな中祭りの準備が完了し、村を訪れた冒険者たちが集まっている広場に行こうとするロートに、悪ガキの一人が近づく。


「おいロート、どうやら明日の祭りで使うルコの実が足りないらしいぜ。お前森まで取りに行ってこいよ」


 悪ガキはロートの前に立ち塞がり、悪戯っぽく笑う。


「え、夜の森は危ないよ。明日の朝早くに行けばいいじゃないか」


「は?ちげえよ。ルコの実といや酒のつまみだろ?冒険者たちが夜通し酒飲むのにいるんだよ。お前も冒険者から話聞きたいんだろ?だったらルコの実を持ってけば話を聞かせてもらえるかもしれねえじゃん」


 悪ガキの珍しく納得のいく話にロートは感心した。

 確かに初対面の冒険者にいきなり話を聞きにいくのは気まずい、と。


「わかったよ…じゃあ取ってくるから大人に居場所を聞かれたらそう言ってくれよ」


「わかったわかった」


 ロートは家から松明と木の実を入れるための籠を取ってくると、そのまま薄暗い森へと向かった。

 この森はあまり危険な魔物は存在しない。

 そのためこの周辺には村が多いのだが、ロートは初めて訪れる夜中の森にどこか不気味さを感じ取った。


「おーい、うまくいったぜ」


 ロートが森へ向かったのを確認した悪ガキは、茂みに隠れていた仲間二人を呼ぶ。


「よくやった。これからあいつを蜘蛛洞窟へ閉じ込めるぜ」


「へっ、楽しみにしてた祭りに参加できないあいつの表情、早く見たいな~。ま、閉じ込めるから見れないんだけど」


 ギャハハと笑う悪ガキたち。

 蜘蛛洞窟というのは森の奥で見つかった蜘蛛の巣だらけの洞窟のことだ。

 蜘蛛の巣以外には何もないので、近付くものは誰もいない。

 今回悪ガキの一人が森からルコの実を蜘蛛洞窟内に続くように並べて置いてきたのだ。ロートがその跡を辿り洞窟内に入るように。

 蜘蛛洞窟の入り口はとても巨大であり、薄暗闇の中ではあまり近くに行ったことがない者なら気づかず中に入ってしまうだろう。

 洞窟内で途方に暮れるロートを想像した悪ガキ三人組は子供とは思えない程悪意に満ちた笑みを浮かべた。


「それで?どうやってロートを閉じ込めるんだ?」


「えーと、洞窟内に小さな分かれ道があっただろ?あそこにおそらくロートは入る。何せあの先には大量のルコの実を置いたからな!それでその中にロートが入ったのを確認したらあの巨大石を置いて、入り口を塞ぐんだ」


 巨大石とは三人があらかじめ見つけておいた、なんとか三人で動かせそうな大きな石のことだ。


「え、でも一日中何も食べなかったら死んじゃうんじゃない?それはさすがに…」


「そのためのルコの実だろ!俺は優しいからな!」


「さすがだぜ!じゃあ蜘蛛洞窟へ先回りしようぜ」


「「おう!」」


 団結した三人組は蜘蛛洞窟へ向かう。これから起こる残酷な運命など知らないで。



「なんか今日はやけにルコの実の集まりがいいなあ」


 松明片手に呟くロートのカゴには既に半分程度のルコの実が集まっていた。

 まるで何かを誘導する様に転がっているルコの実をおかしいとは思ったが、幼いロートは特に考えず、そのルコの実を辿った。

 数分、数十分と時を忘れるほどに森の中を突き進んでいく。

 少年にとって探しているものが次々に見つかる快感は計り知れないものだ。

 そのままどんどんとルコの実を辿っていったロートは、自身が蜘蛛洞窟内に足を踏み入れていることに気づかなかった。それ程までに没頭していた。

 洞窟内の分かれ道に差し掛かっても尚ルコの実を追う。

 分かれ道の先で大量のルコの実を見つけたロートは歓喜の声を上げつつも、突如聞こえた悲鳴のような声に驚いた。


「今誰か叫んだよね…」


 確かに複数の子供の悲鳴が聞こえた気がする。

 それと同時に飛び立つ数話の鳥の羽ばたきも。

 だけどこの森にはそれほど凶暴な魔物は存在しないはず。

 村には今は冒険者もいるし、心配しなくてもいいはずだ。

 ──と、ロートはあまり気にしないことにした。


「ここ…蜘蛛洞窟じゃん!」


 ルコの実を一通り拾い集め終わったロートは、頬を撫でた粘着質の糸に気づき大きな声をあげた。

 その声は奥の空間へと反響していきだんだん小さくなっていく。


「急いで戻らないと…」


 誰もいない暗闇内で、独り言を出してしまうのは恐怖を紛らわせるためだろう。

 先ほど聞いた悲鳴も相まって恐怖の感情が渦巻き始めたロートの意識に、突然聞き慣れた声が飛び込んだ。


「ろ、ロートか…?」


 声は掠れてしまっているが洞窟に反響してでも聞き取れる。

 それは紛れもなく村長の声だった。

 村長がこの洞窟の奥にいる。それならば安心だと、ロートは村長を探すために洞窟の奥へ向かった。


 ずんずんと洞窟を突き進んでいくたび蜘蛛の巣の数は夥しくなっていく。

 だがしかし、蜘蛛の巣は道を塞ぐほどではなかった。

 幼いロートは、それが『何か大きな存在が通った跡』であるということに気がつかない。


 暫く歩き村長の呻き声が聞こえる方へ近づくと、空間を隅々まで見回してなんとか大人一人入れそうなほど空間が隅にあるのを見つけた。

 きっとそこに村長はいる。呻き声は確かにその空間から聞こえてくるのだ。

 歩みを早めたロートの推測は正しく、見慣れた老人は空間内に横たわっていた。


「村長…?」


 恐る恐る尋ねるロートの声は、広い蜘蛛洞窟内に不気味に反響する。


「ろ、ロートか…ここにいてはいけない。ライラルの……ライラルの方へ逃げるんだ…」


 苦しげに息を鳴らしながら呻く村長を心配して、ロートはその肩に手をおく。

 だが、そうして掌に伝わった不快な感覚に、思わず手を退いた。


「こ…れ…、血?どうして…」


 掌にベットリと赤い血がこびりついていた。

 それも乾きかけの赤黒い血だ。

 不思議に思い松明を村長の腹部へと近づけると、一気に村長の姿が鮮明になる。


「う、うわぁぁぁぁあああ!!!」

 

 喉が引き裂かれるような絶叫が、ロートの口から溢れ出た。


 ──腹に大きな風穴が開いていた。


 穴から臓器が無残にも飛び散り、白色の蜘蛛の糸を真っ赤に染め上げている。

 それだけではない。辺りには右腕や右足が散らばって蜘蛛の巣に絡まっていた。

 生きているのが不思議なくらいに見える村長は、どこか若返っている・・・・・・ようにも見える。


「逃げ…ろ……」


 掠れゆく村長の声。

 だがしかしその声はロートの耳には入らない。

 今まで見たこともない悲惨な光景は、幼い少年の心を完全に抉り取った。


「あ、ああぁぁ…!」


 ロートは逃げた。苦しむ村長を置き去りにして走った。

 せっかく集めたルコの実が入った籠も投げ出して村の方へ一直線に。奇しくも、それは村長の願いだった。


 村長をあんな姿にした犯人はあの場にいなかった。

 つまり、今は森の中か──村にいるということ。

 お母さんは?お父さんは?冒険者たちがいるからきっと…きっと大丈夫だ。自分に言い聞かせる。

 焦燥、祈り、恐怖。そのすべての感情が脳内でかき混ざって混沌としていく。

 ロートは自分が行っても足手纏いになることはわかっていたが、それでもじっとしてなどいられなかった。


「ああっ!」


 何かにつまづき、勢いよく転倒する。

 来る時に通った道だ、こんなところに障害物があるはずがない。自分が何につまづいたのか確認しようと振り向く。

 その先では信じられない光景が広がっていた。


 首だった。

 ルコの実を取りに行くよう促した少年の首だった。


 よく見ると四肢が弾け飛び、辺りに鮮血を撒き散らした死体が三体転がっている。

 まるで食い破られているかのような死体群に、戦慄する。

 それはいつもロートに絡んできた三人組の亡骸で、ロートは自分が聞いた悲鳴の正体を理解した。


「な、なんで……僕と遭遇しなかったんだ」


 ロートは何故自分がこの惨事を作り上げた張本人と出会わなかったのかを考えた。

 起き上がりながら記憶を辿ったロートは、自身が洞窟内に入った時にルコの実を追って一度脇道に逸れたことを思い出す。

 自身の悪運の良さを痛感しながらも、走ることを再開した。

 異変を感じ空を見上げると、村の方から漂う黒い煙が目についた。

 確かに村の方向から炎の灯りの様なものが窺える。

 ──やっぱり元凶は村にいるんだ。

 折角準備した祭りが、大好きな人たちが、村が破壊されてたまるものか。

 息巻いたロートは自身の脚に鞭打って全速力で村へ急いだ。

 時には泥にぬかるみ、不規則に生える木の根に絡まって転び、血反吐を吐いてもそれでも脇目も振らず走った。


 そこまでしてようやく辿り着いた村を目にしたロートは、あまりの惨状に崩れ落ちた。


「は、ハハハ」


 膝をついて崩れ落ちたロートは、目の前に広がる光景にもはや恐怖を超えた感情を生み出していた。


 村の建築物には大量の蜘蛛の巣が散らばり、それを介して火が至るところに引火している。もちろん、自分の家にもだ。

 広場に広がる死体の数々も残酷に燃え上がり、死体が燃える特有の匂いを撒き散らしている。

 村に来ていたはずの冒険者たちも地面に散らばって血や臓器を垂れ流しており、悲惨な光景に拍車をかけていた。


 この惨状を作り出したのは一匹の巨大な蜘蛛。


 ただの一匹の魔物にこの村は壊滅させられたのだ。

 絶望の淵に沈むロートだったが、現在その蜘蛛と対峙している一人の冒険者の姿を確認してその瞳に光を戻す。


「グライトだ…」


 Aランク冒険者、『不滅の炎』。グライトだった。

 それはロートにとって紛れもなく憧れの存在、物語で聞いた英雄だった。

 ロートの呟きが聞こえたのか、グライトもロートの存在に気づく。

 グライトは一人の少女を抱えているのか、戦闘に集中できてない様子だった。


「オラァあああ!」


 突如グライトが気合に満ちた声を張り上げ、目の前の巨大蜘蛛を叩き飛ばす。

 と思えばすぐさまロートの前まで瞬発し、抱える少女をロートに託した。


「こいつを頼む。ライラルまで行けば大丈夫だ」


「で、でも、俺なんかじゃ…」


 ロートは目の前の英雄を見て迷った。

 少女を抱えて逃げるよりも、この人の側にいたいと。


「これを持ってろ。そうすれば安心だ。お前をきっと守ってくれる」


 グライトはポケットから小さな小瓶を取り出し、ロートに託した。

 小瓶の中ではメラメラと力強い炎が燃え上がっている。


「これは…?」


「俺の紋章魔法アイデントスペルで作り出した炎だ。俺が消そうと思わない限り決して消えない。だからその灯りを頼りに街まで向かうんだ、早く!」


「えっ、これ勝手に瓶が空いちゃったらどうなるの?」


「大丈夫だ。その瓶の蓋には俺の力でも開けられないくらい強力な封印がかけられてる。…まあお前が命をかけてでも開けたいって願ったら開けられるかもしれんがな。それよりも早く行くんだ!」


 気づけば巨大蜘蛛は体勢を整え直し、こちらに向かってきている。

 剛毛に覆われた体に八つの目。この世のものとは思えないほどの不気味さに、震慄する。


「早く行け!!!」


 グライトの怒声で決意が固まり、ロートは少女を抱えて街まで走りはじめた。

 村からライラルまではおよそ十キロ。

 途中でライラル行きの馬車に拾われなかったらライラルに到着する頃には夜が明けていただろう。


 疲れ果てたロートは馬車内でグライトに託された少女を見た。

 これまで村内で見たことがない少女だった。きっと近くの村の子供だろう。そう仮定し、少女の顔をじっと見る。

 少女は恐怖に引きつったような顔をしており、おでこには火傷の跡が見えた。



「───着いたぞ、ライラルだ」


 いつの間にか眠ってしまったのか、ロートは御者の声で目が覚めた。

 感謝を言いながら馬車を降りるとそこは冒険者ギルドの前。

 必死の形相で少女を抱えたままギルドに駆け込んだロートは、深夜で人が少ない冒険者ギルド内で叫んだ。


「ぼ、冒険者さん!イオ村が巨大な蜘蛛に襲われたんだ、助けてください!!!」


 血塗れで、ぐったりとした少女を抱え込んだ少年を、冒険者たちは深刻な目で見つめた。

 冒険者たちが知る巨大な蜘蛛とは、一匹しかいなかったからだ。


「君、イオ村から来たんだね。それで蜘蛛っていうのはどんな姿をしていたんだい?」


 ギルドの職員がカウンターを離れ、ロートの元まで駆け寄り優しく声をかける。

 その表情には半信半疑の念がこもっているようにロートの目には映ったが、構わず話を続けた。


「八本足に八つの目、家くらいに大きな体。今はグライトが戦ってる。早くしないとグライトもやられちゃうかもしれない!」


 ロートの話を聞いた職員、それに周りの冒険者たちは目を丸くした。

 疑惑は確信に変わり、一斉にギルド内は慌ただしくなる。


銀鏡の蜘蛛アトロネが出た!手の空いている冒険者は早急に準備せよ!!」


 ロートに蜘蛛の特徴を聞いた職員が声を荒げる。

 こんな子供の話を信じてくれて早急に対処してくれる冒険者たち、そして職員にロートは感謝の目を向けた。


「それで、この子は?」


 職員は再びロートの目線に立ち、ロートが抱えていた少女を受け取る。


「多分隣村の子、名前は知らないけど…その子の親も生きているかどうか…」


 そう呟いたロートの脳裏には自分の両親の姿が映った。

 厳しいながらも大切に自分のことを育ててくれた両親。

 冒険者に憧れるロートの夢を笑いもせず、貧しいながらも木剣を買ってくれた両親。

 お父さんの、お母さんの笑顔が、一緒に過ごした日々が、鮮明に思い出されていく。


「あ、あぁぁあ…ああぁぁあああ!!!!」


 目の奥が焼けるような思いを感じ、思わず叫びとなって出てくる。

 頬を滴る水が視界を、世界をぼやけさせていく。

 強くなりたい、助けられなかった自分が憎い。絶対にあの蜘蛛を殺す。僕が、いや俺が。この手で、必ず。


 泣き崩れるロートを、暖かい腕が抱きしめる。

 その腕の中で少年、ロートはだんだんと世界が薄れていくのを感じた。



 気づけばギルドに設置されたベッドでロートは横たわっていた。

 血で汚れた手や服も綺麗になっている。

 昨日あのまま眠りについてしまったロートを、職員が運んだのだ。

 外を見れば夕日が目に移り、自分がどれだけ寝ていたのかを理解する。

 現状を確認しようと急いで飛び起きるが、昨日転んで出来た傷が傷んだ。


「やあ、起きたのね」


 突如ドアが開き、ロートを介抱した職員が顔を出した。

 ロートはすぐさま職員の元へと駆け寄り、イオ村の現状について問いただす。


「イオ村は?蜘蛛は?グライトは?どうなったの?」


「落ち着いて聞いてね。結論から言うと銀鏡の蜘蛛アトロネは倒せなかった」


 それを聞いてロートは絶望に顔を滲ませる。

 倒せなかったと言うことは、イオ村に向かった冒険者が全員返り討ちにされたのか、と。


「じゃあ…冒険者さんたちは!」


「大丈夫よ、あの後イオ村に向かった冒険者で負傷者はほとんどいない」


「じゃあなんで…」


「蜘蛛の相手をグライトがしてたのは知ってるでしょう?グライトは蜘蛛に致命傷を与えることに成功したの」


「じゃあなんで、蜘蛛を倒せてないの?」


「逃げたのよ。自身の糸を上手く使ってね」


 ロートはそれを聞いて激怒し、拳を握りしめた。

 あれだけ村を壊滅させておいて、危なくなったら逃げる。なんて卑怯なやつなんだ。


「それで…グライトさんは?」


「グライトは別の街へ向かったわ。なんでも蜘蛛を仕留めきれなかったから、君に合わす顔がないってね」


「そんな…」


 ロートはグライトに感謝していた。

 あの場にグライトがいなければ少女も自分もあの村人や冒険者たちのように、地面に散らばることになっていたからだ。


「そういえば…あの女の子は?」


「あの子は孤児院に預けたわ。少し額に火傷の跡があったけど…心の方が…いや、大丈夫なはずよ」


「そう…ですか」


 ロートは馬車で見た少女の顔を思い出した。

 儚げで今にも消え入りそうに見えたあの少女とは、もう会うことがないのだろうか。


「それで…君はどうするの?残念だけどあの村にいた人たちは誰も生き残ってない。孤児院に預けるってことはできるけど…」


「いや、いいです。俺は冒険者として生きていきます」


「えっ、いくらなんでもその歳で冒険者は厳しいよ」


「もう、決めたんです。俺は…絶対にあの蜘蛛を殺します」


 職員はロートの覚悟に満ちた眼差しを読み取り、はあとため息をついた。


「わかりました。私はライラルギルド職員のトーネ。今から冒険者登録をしてあげるから一階に降りようか」


「はい、俺はロートといいます。よろしくお願いします」


 決意新たにロートはトーネに頭を下げた。

 同時に目から大粒の涙がこぼれ落ちたが、ロートはトーネにばれないようにすぐさま袖で拭いとった。

 俺は必ず強くなる。

 お父さんとお母さん、そして村長の仇を必ずとる。冒険者となって、俺と同じ境遇の子供も救うんだ。

 そう決意したこの日から、冒険者ロートとしての活動は始まったのだった。

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