9. 異世界の街で
背中に感じるゴツゴツとした不快な感覚に俺は飛び起きた。
どうやら昨日はいつの間にか眠ってしまったらしい。
起き上がり、自身の無用心さに呆れながらも腰に付けた麻袋から石版や魔石が無くなってないことを確認して、微かに照らされた空間内を見回す。
一ヶ月死ぬ気でトレーニングをした訓練場や、トレーニングで疲れた体を癒した風呂場、そして密かに成長を楽しみにしていた家庭菜園。
その全てが消し炭と化し、フォーミュラと一緒に過ごしたあの場所の面影はどこにも感じられない。
よく見ると空間の所々で水が噴出している場所が確認でき、そこがもともと風呂場やキッチンであったことが理解できた。
それならばと水源に駆け寄り、手で水を掬って飲み込んでみる。
疲れ切った肉体と魂に染み渡る冷えた水の心地良さに、思わず息を深く吐いた。
さて、今後は何をしようか。
水を飲んだことで落ち着いた頭で、思考を巡らせ始める。
レヴィオンを倒す為にするべきこと。
それは強くなることだ。
明確に強くなったことを実感するためには…レベルを十まで上げるべきだろう。
しかし昨日迷宮の魔物から取り出した魔石を幾らか取り込んだにもかかわらずレベル上昇の気配は見えなかった。
今の自分のレベルは六。きっとレベルは上に行くほど上がり辛くなるはず。
迷宮にこもってレベル上げに専念するか?
いいやそれは非現実的だ。
何故なら腹が減ったから。思えば昨日の昼から何も食ってない。
だがこの場には粉々の岩くらいしか物が無い。
そう、帰る場所も無くなった今、食料も確保できず料理もできない俺がすべきことは生きるために人里に出ることなのだ。
そういえばフォーミュラが迷宮の入り口に都市があると言っていた。
都市に行ったら飯を食いたい、異世界の文化を堪能したい、日光を浴びたい!
考えれば次から次へと思い浮かんでくる欲望を一度抑え、俺は早急にゼレス大迷宮の入り口を囲むように発展しているという迷宮都市を目指す事に決めた。
都市に行って飯を食う。これを一先ずの目標としよう。
「行ってくる」
満足するまで喉を潤し、体を洗い、穴を出ようとする俺の呟きに返答する者はもういない。
だが、俺はそこに艶やかな白髪を風に揺らし、微笑む少年の姿を見たような気がした。
◆◇◆◇◆◇
フォーミュラの隠れ家を出てから数十時間が経過し、俺はゼレス大迷宮の三階層まで到着していた。
ゼレス大迷宮の逆走攻略は思いの外トントン拍子に進んで行たのだが──、
「お前、ここで何をしている?」
地上まで後少しといった所で、非常にまずい事になってしまった。
どうやらレヴィオンが作った穴に対する調査隊とやらがギルドからここゼレス大迷宮に派遣されているらしい。
なんとその間、迷宮都市からゼレス大迷宮に出入りする際は許可を取らなければならないのだそうで、軽装で地上付近をぶらぶらしている見慣れぬ俺に目をつけた調査隊は、俺の周りを取り囲んで聞き込みを開始したというわけだ。
正直今は人と話したくなどはなかった。
話す気分ではなかった。
が、なんとか人前で話すモードに気分を切り替える。
「ああ、俺はあの穴が開いた日も迷宮内にいたんですよ。今は入り口に戻るための帰路についてるんです」
「本当か?何故穴が開いてすぐ戻らなかった?その装備を見るにあまり深くには潜ってないんだろう?」
調査隊はジロジロと俺の装備を見回し始めた。
今はすっかり乾いてしまったが俺の服にこびりつく返り血を見て多少表情に疑問の色を浮かべているが、特に言及はしてこない。
魔物の返り血に汚れた冒険者など、珍しい存在ではないのだろう。
「まぁ、はい。地図を無くしてしまったんですよそれで戻れなくて…」
もちろんそれは嘘だが、変に長引いて麻袋の中身を見られたら困る。
今、俺の麻袋には石板と三つの魔石、それに魔族が残した青い液体が入っている。
石板をごまかすのは容易いが、魔石はどうしてもごまかすことができない。
あのサイズの魔石は迷宮でも下層に行かなければ手に入らないので、俺の証言と矛盾する事になってしまうのだ。
「そうか。一応紋章を見せてもらおう」
「紋章を?何故ですか?」
「あのレベルの穴を開けられるのはレベル九以上ってとこだ。それなら紋章を見せてもらうのが手っ取り早い。まあ、迷宮の壁を破壊できるなんて前代未聞だがな」
「なるほど。わかりました」
少し躊躇ったが了承し、紋章を展開させた。
その紋章はもちろん灰色のままだが、レベルを表す小円だけが六つ蒼く輝いている。
「
調査隊は、予想通り見慣れぬであろう
下手な言い訳は返って不信感を生んでしまう可能性があるが…
「俺は生まれつき魔力が無いんだ」
あまり良い言い訳は思い浮かばなかった。
とりあえずこれでこの場は乗り切れるだろう。俺の言っていることが嘘か本当かは確かめる術がないと思うし。
調査隊三人組は生きてて
「そうか…それは残念だな。それでレベル六とは…随分頑張ったんだな。まあわかった、これを持っていけ」
結局、世界には知らないことが溢れていると結論づけたらしく魔法が使えない俺に同情したのか俺の肩に手をおいて、ゼレス大迷宮の地図を手渡してくれた。
魔法が使えないということはイコール迷宮を貫く大穴を作ることも不可能だということ。
俺は特にこれ以上突っ込まれる事なく聞き取りが終わった事に胸をなでおろしつつ、地図を受け取った。
「もし何か発見したならギルドまで報告してくれ。じゃあな」
調査隊はそう言うと、四階層へ続く階段へ消えていった。
おそらく調査隊は満足な結果を得る事なく帰るだろう。
何故なら穴を作り上げた本人はこの場にいないし、その共犯者である魔族たちは最下層で眠っているからだ。
調査隊が最下層まで行くとも思えない。
穴を作り上げたのは魔王であると教えてあげた方がよかったか?…いや信じてもらえないだろうな。
そこからはあっという間だった。
調査隊にもらった迷宮の地図を見ながら階段へ向かうだけ。なんなら道を示す看板のようなものも所々にあった。
上層なため強い魔物に会うことも無い。
すぐに第一階層へと辿り着き、地上の物と思しき光を漏らす階段を目の当たりにする。
高鳴り始める鼓動を抑えつけて階段の一段目へと足を踏み出し、そのまま一気に駆け上がる。
「おぉ…」
階段を登り切った直後に目の前に広がっていた光景に思わず感嘆の声が漏れた。
流石、ゼレス大迷宮の入り口があるってだけで発展してきた迷宮都市だ。
ステンドグラスから差し込む温かな太陽光。
絢爛華美に装飾された壁、天井。
どうやら大迷宮への入り口は建物の中に存在するらしい。というか入り口を囲むように建物を作ったのか。
辺りには重厚な装備に身を包んだ調査隊と思しき人員が肩を並べており、その威厳ある風貌がこの空間と妙にマッチしている。
まるで教会に来たかのようで物珍しげに辺りを見回していた俺は、俺を呼ぶ声に気づくのが遅れた。
「おーい、あんちゃん。こっちに来てくれ!」
声がした方を見るとカウンターが設置してあり、そこには無精髭を生やしたおっさんが座っていた。
呼ばれるがままにそのカウンターへと向かう。
「なんだ?」
「あんちゃんは制限がかかる前に迷宮に入った冒険者か?」
どうやらこのおっさんが迷宮に出入りする人々について確認しているらしい。
「ああ、そうだ」
「調査隊の奴らには会ったか?もし会ったなら何か証拠となる物を貰ってるよな?」
「証拠となる物?これでいいか?」
俺は懐から調査隊から貰った地図を取り出し手渡した。
「よし、裏にちゃんとギルドの印がついているな」
確かにおっさんが裏返した地図には何やら印が付いていた。すなわちこの地図こそが許可証の役割を果たしていたのだ。
「行っていいぞ」
案外あっさりと許可が出たことに拍子抜けしつつ、早速衛兵が二人で見張りに立つ建物の出入り口へ向かう。
衛兵は会釈をしただけで何も言ってこなかった。
恐る恐る、開け放たれた扉の前に立つ。
ワクワクしている。
例えるならば、初めて訪れるテーマパークの入場ゲートを通る時のような、そんな感覚。
ようやく、俺は世界を旅することが出来る。
こうして俺はこの世界に来てから一ヶ月経っているにも関わらず、初めて異世界人蔓延る街へと繰り出た。
──心地よい風が頬を撫で、世界の喧騒が五感を支配する。
求めていたのは、この感覚だった。
耳をつんざくような客寄せの威勢のいい声も、もはや極限を超えた空腹を刺激する露天商が漂わせる匂いも、吟遊詩人が奏でるリュートの音色も、読めない文字で書かれた看板も、見たことない果物を頬張りながら歩く少年も、何もかも、求めていた光景だった。
外に出てまず目に着いたのは巨大な木造建築や煉瓦造りの建物群。
更にその前には商店街のようにテントが無数も林立しており、巨大な道路には複数の馬車が入り乱れている。
馬車といっても荷台を引いているのは馬に似た魔物で、更には巨大なトカゲのような生き物が車を引いているものもある。
テントの前の歩道のような場所では通行人がごった返しており、この都市が如何に繁盛しているかがわかる。
歩く。そして、街並みを五感で感じ取る。
迷宮で採れる光る鉱石。売り物の素朴な錫杖。石を蹴る子供。トカゲの腹を剥いで作ったような太鼓を叩く、耳の尖った人。全身毛で覆われ獣耳を持つ獣人。鳥の羽のようなものを持つ配達員。
それらは俺に異世界に来たという現実をまじまじと押し付けてきた。
苦節一ヶ月。
初めて見る異世界の街並みに興奮気味の俺だったが、先ずやる事は装備を整える事と飯を食う事だと言い聞かし、近くを通りかかった冒険者と思しき屈強な男性に恐れず声をかける。
「あのー。すいません」
「なんだ?」
男性は振り向くと、その二メートルはありそうな巨体で俺を見下ろした。
背中にぶら下げる立派な大剣から、この男性が中々の冒険者であると察する。
上に立ち上げるようにセットした白髪と、無精髭。
話しかける人、絶対に間違えたわこれ。と思いつつも尋ねてみる。
「あの俺はここに初めて来たんですけど、いい飯屋ってないですかね?」
「あー?お前迷宮から出てきたし冒険者だよな?冒険者ならそんな事は冒険者ギルドに聞いてくれ」
男性は俺に対応するのが面倒だと感じたのか、踵を返そうとした。
しかし、次の俺の言葉で足を止める。
「俺、冒険者じゃないんです」
「はあ?冒険者じゃない?じゃあなんで迷宮から出てきたんだ?まさか飯屋と間違えて入って、追い払われたってわけじゃないよな?」
男性は大きな声で笑い気まじりに言った。
「あー、実はそうなんですよね~」
俺は説明が面倒なので適当に返す。
だがその馬鹿げた回答に機嫌を良くしたのか、男性は更に高笑いしながら俺の肩を叩いた。
「ハッハハ!!お前面白いな。ちょうどいい、俺は今からギルドに向かうとこだったんだ。ギルド内にも食堂はある。一緒に行くか?」
「お、お願いします」
いずれ冒険者登録をする予定だったのでいい機会である。
ギルドでレストランなどの場所が聞けるのであれば、装備を売ってる場所も教えてくれるはずだ。
俺は男性と二人、数分人波にもまれて他の建物とは一線を画する巨大な木造建築へと辿り着いた。
「着いたぞ、ここがライラルの冒険者ギルドだ」
「ライラル?」
聴き慣れぬ単語に疑問符を浮かべる。
それに男性は驚いたように声を荒げた。
「お前今いる都市の名前も知らないのか!?お前どこから来たんだ?そしてどうして検問に引っかからなかったんだ?」
「検問?」
「この街に入るために門番にやられただろ?この都市で何やるかとか聞かれて…冒険者なら迷宮に行くですぐ通れるんだが、都市の名前も言えないやつが商売人でもないんだろ。そんな怪しいやつをあの門番共が通すと思えん。お前何もんだ?」
男性は俺に懐疑の念を向けたようだった。
確かに、ただでさえ今この都市は大穴騒ぎで混乱している。
今いる都市の名前も知らない者を怪しむのは当然の事だろう。
「いやだなあ、しがない田舎もんですよ。旅人みたいなもんです。ハハハ」
背中に嫌な汗がつたる。
ここで異世界から来ましたなんて言ったら何時間拘束されるかわからない。
それどころか頭のおかしいやつとして見世物小屋送りにでもされたら最悪極まりない!
「旅人にしては軽装なんだよなあ。お前そういえば迷宮から出てきたよな?ゼレス大迷宮に抜け穴はない。まさか新たな…」
「いや、なんか最近記憶が曖昧で…ギルドってなんか凄い建物ですね」
まずいと思い慌ててお茶を濁す。
ハーマゲドンの谷の抜け穴からゼレス大迷宮に入った事がバレたらまずい事になる。
きっとその抜け穴を見つけた経緯なんかを聞かれることになりかねない。
大迷宮の入り口は一つだけとは限らない。
俺がゼレス大迷宮にハーマゲドンの谷底から侵入したように『抜け穴』と呼ばれる侵入口が存在する。
フォーミュラ曰く、ゼレス大迷宮は抜け穴がない唯一の迷宮として知られており、ハーマゲドンの抜け穴を知っているのは現時点ではフォーミュラしかいないのだそうだ。
今俺がいる街──ライラルは、ゼレス大迷宮の唯一の入り口が存在するからここまでの発展を遂げた。
つまり、この街にとって抜け穴の存在はあってはならないのだ。
「まあギルドは冒険者たちの家みたいなもんだからな。この都市が発展してきたのは冒険者のおかげみたいなもんだし。とりあえず中に入るか」
なんとか話を逸らせたことに胸を撫で下ろしつつ、そのまま男性とギルド内へ足を踏み入れる。
ギルド内には仕切りに区切られた多数のカウンターが設けられており、そこで忙しなく職員と思われる人たちが歩き回っていた。
その前に広がる空間にはいくつもの机と椅子が設置されており、そのほとんどが埋まってしまっている。
本来なら今頃ゼレス大迷宮に挑んでいる冒険者がいるはずなので、入場制限された今、いつもよりは賑わっているのだろう。
壁に置かれた巨大な掲示板には多種多様な張り紙が貼られており、その前には張り紙を吟味している人々でごった返していた。
あれが依頼ってやつだろう。
いかにも〝ギルド〟という景色に、思わず綻んでしまう。
「おい、気持ち悪くニヤけてどうしたんだ?そう言えばさっきの続きだが…」
男性が話を戻そうとしたその時、冒険者たちの喧騒をかき消して階段の方から大きな声が聞こえた。
「おーい!ダガル!ギルマスがお呼びだぜ!!!」
どうやらこのギルドのマスターがダガルという者を探しているらしい。
一瞬、空間は静寂に包まれる。
これによって出来た時間で言い訳を考えようと頭をフル回転させたが、それは徒労に終わった。
「わりぃ、マスターに呼ばれちまった。頑張れよ、田舎もんの旅人さんよ」
どうやらダガルという人物は目の前の大男のことのようだった。
ギルドマスターに呼ばれるくらいの人ならば、この冒険者ギルドとも密接に関わっている可能性が高い。
そんな人に根掘り葉掘り聞かれたら説明が面倒なことになっていたはずなので助かった。
「あの、本当にありがとうございました」
俺はとりあえず男性に頭を下げる。
「お前礼儀正しいな。それに付け込まれないようにしろよ?この街は俺みたいに親切なやつばかりじゃないからな。それじゃあ」
男性は俺に別れを告げるとそそくさと階段を上ってギルドの二階へと消えていった。
俺はそれを見届け、空いてるカウンターの一席へと向かう。
「あの、冒険者登録ってここで出来ますか?」
目の前ではギルド職員の中年女性が何やら忙しなく書類をめくっていたが、構わず声をかける。
度が強い眼鏡、四十歳後半といった顔の皺。
俺に気づいた女性は俺の前にB5サイズの紙を、
「冒険者登録ですか?では先ずこちらの書類に氏名を書き込んでください」
と無愛想に差し出してきた。
それには何やら文字が書かれている、それはやはり異世界の文字で俺には読むことができない。
女性にどこに名前を書くのか聞き、示された場所に片仮名でアイザワワタルと書き込んだ。
この世界の人々の名前は漢字で書けるような名前じゃないから片仮名で書いた。
書き終わった紙を女性に見せたが、女性はやれやれというように紙を一度カウンターの隅に追いやり、また新たな紙を取り出した。
「すいません。私が書きますので、お名前を教えてください」
ああ、しまった。
書かれている文字が日本語とは別の文字なのだから、片仮名が通じるはずがないのか。
それでも日本語が通じるというのはなんとも妙な話だが…
「あ、すいません。俺の名前は相沢ワタルです」
「ワタル?聞かない家名ですね。それに家名を持ってるようには見えないんですが…」
困惑の表情を浮かべながら紙に俺の名を書き込もうとした女性の手を、慌てて止める。
どうやらこの世界には家名を持つものと持たないものが存在し、自分の名前は家名の前につけるらしい。
そう言えばリリシアやレオールドがそのように名乗っていたことを思い出す。
相沢とワタルの前に一拍置かないで名前を告げていたら、もしかして俺の名前はアイザワワタルとして登録されていたのだろうか?
「すいません間違えました。名前がワタルで、家名はありません」
「間違うようなものではないと思うのですが…?まあいいでしょう。紋章を見せてください」
「紋章を…?」
人が多いこの場所で自分の紋章を展開させるのは正直躊躇われる。
珍しい
全く、最初の冒険者登録から苦労の連続である。
「どうしたのですか?冒険者登録において紋章を確認する事は必須項目です。紋章の紋様は十人十色ですから、個人確認に最も適してる媒体なのですよ」
「わかりました…」
俺は観念して胸前に紋章を展開させた。
直径三十センチほどの灰色の紋章は相変わらず紅く輝く事はない。
案の定、職員の女性はその紋章に驚いたように目を丸くしたが、俺の紋章に目が釘付けとなったのはその女性だけでは無いようだった。
それは新人冒険者の強さが気になるのか、俺の冒険者登録を横目で見ていた冒険者たちだ。
ギルド内は喧騒に満ちていたが、数秒後にはそれを凌駕する哄笑や嘲笑に満ちた笑い声が漂い始める。
「おい、あの新人見ろよ。死人は冒険者登録なんてできないんだぜー?ハッハハ!!!」
なんて声も聞こえてくる。
しばらく羞恥と怒りの感情が渦巻いて茫然とする俺だったが、女性の声で我に帰った。
「すいません、登録は完了しました。これをどうぞ」
ため息を吐く俺に、申し訳なさそうに俯きながら女性は登録が終わった事を告げ、鉄で作られたプレートを差し出した。
そのプレートには、先ほど迷宮の入り口の建物で見たギルドの印と同じものが刻まれている。
「これは?」
「それは冒険者である事と、冒険者のランクを示すギルドプレートです。あなたのレベルは六でしたから、Dランクからのスタートとなります」
「レベルによって初期のランクが違うんですか?」
「そうですね。最初は最低のFランクから始めるのが普通なのですが、レベル五以上となるとDランクからのスタートとなります。それはとても珍しい事なのですが…」
言われてみればレベル六いうのは高い方なのかもしれない。
最初からレベル十のラスボスみたいな奴らを見てきたせいで感覚がバグってた。
「なるほどわかりました」
「依頼の受注の仕方は分かりますか?」
「まあなんとなく。あの掲示板に貼ってある紙をここに持ってくれば良いんですよね?」
「基本はそうですね。依頼完了後ですが、必ず依頼を受注したギルドに報告して下さい。たまにどこの街のギルドで依頼を受注したかわからなくなる方がいますので、忘れないよう気をつけて下さい」
「わかりました…ところでこの辺でいい装備屋ってありませんかね?」
返り血や泥で汚れた装備を見ながら、フォーミュラからもらったこの装備を洗うなどして再利用するか、新たに装備を新調するかで迷った。
急いで隠れ家を出たため、今の俺の装備は剣の訓練中に着ていた軽装。
生半可な攻撃であれば
それでもこの服はフォーミュラの唯一の形見なので、捨てるのは後ろめたかった。
「装備ですか?それならギルドの向かいにある店が良心的かと。でも全身揃えるとなると少々高いですよ?」
金の話になって自分が無一文であることを思い出した。
これでは当初の目的である飯を食べることすらできない。
「あの、魔石の買取とかって出来ますか?」
俺は麻袋に入れている三つの魔石のことを思い出した。
「出来ますよ」
「これなんですけど…」
俺は腰にぶら下げた麻袋から魔石を3つ取り出しカウンターにおいた。
「えっ!これをどこで?」
女性はカウンターに置かれた三つの魔石に驚いた様子。
「それは…秘密です」
冒険者にとって魔石や素材などの入手場所は重要な情報だ。
そう易々と話してくれるものじゃないことはギルド職員ともなると重々承知しているだろう。
にしてもこの魔石を今この場で出すのはナンセンスだったか?
職員の反応からして、もしかしたらこれほどの質の魔石は中々出回らないものであり、周りの冒険者から目をつけられてしまったかもしれない。
「そう…ですよね。少々お待ち下さい」
女性は魔石を三つ持って席を離れた。
ひとまずふーっと息を吐く。
なんだかどっと疲れた気がする。
1ヶ月以上も人里離れた場所にいたのに、急に外の世界に出たかと思えば会話の連続。
疲れないわけがない。
そのまま女性を待っていると、先ほどから俺を睨んでいた男三人組が近づいてきた。
何やら俺に用があるようである。
「おい、お前あの魔石どっから盗んできたんだ?」
「そうだぜぇ。俺たちに教えてくれたら悪いようにはしねえからよ」
盗んできたとは心外だ。
反論しようと思ったが、変に構って厄介事に巻き込まれたら困る。
よって、無視することにした。
ここは人の目も多い。下手に手を出してきたりはしないだろう。
「おいおい無視すんなよぉ~?」
更に詰め寄ってくる三人組。
手を出してきそうな勢いだったが、ここで「そこまでにしろ」と誰かが割り込んできた。
声がした方を見ると、声の主は先ほどギルドの二階に姿を消したダガルだった。
「おいおいダガルじゃねえか、なんでサブマスがこんなガキに構ってるんだよ!」
ダガルを見た三人組はそそくさと席に戻って行った。
ギルドマスターに呼ばれるくらいの凄い人だとは思っていたが、まさかサブマスターだったとは。
「すいません、またありがとうございます」
とりあえず礼を言う。
ダガル以外は誰も助けに来てくれる様子はなかったし、ダガルがいて本当に助かった。
「まあいい、それより話がしたいんだがちょっといいか?」
「なんですか?もうすぐ魔石の査定結果が来ると思うんですけど…」
さっきの話をぶり返されたらまずい。
折角話を逸らせたのにまさかまた言い訳を考えないといけなくなるなんて。
身構えたが、ダガルの問いは俺が想像していたのとは違った。
「お前、いつから
かなり真剣な顔だった。
思いがけない質問に気が抜けたが、気を取り直して「生まれつきです」とだけ答える。
「そうか…もしかして変な魔物に出会った記憶はないか?こう…ボロ雑巾みたいな…」
俺は脳内で雑巾が動き回るのを想像したが、そんな物を見た記憶は一切なかった。
「ないですね」
まさかリオーネやフォーミュラが言ってた魔力を奪う魔物って、ボロ雑巾なのか?
「そうか…お前も苦労したんだな。質問はこれだけだ。じゃあまたな」
ダガルは俺の肩にポンと手を置いたと思えば、踵を返して再びギルドの二階へと消えていった。
あまりのスピード感に首を傾げていたが、カウンターを見ると大きな麻袋を抱えた職員の女性が戻ってきていた。
「ダガルさんと知り合いだったんですね…納得です。これは魔石の買取料です。『青』が一つに『緑』が二つで合計七十万リピルです。……私の月収の三倍を一気に稼げちゃうなんて、羨ましいです」
女性は大きな麻袋を眺めながら、ため息まじりに言った。
「青と緑?」
「魔石の等級ですよ。最低が赤、次に橙、黄、緑、青、藍、紫って続くんです。紫なんて持ってきた日にはもうギルドはお祭り騒ぎですよ」
「なるほど…ところで魔石って何に使うんですか?杖の先端についているのは見たことあるんですけど」
俺は隠れ家で見たフォーミュラが作った武器を思い出しながら聞いた。
確か杖の先端には魔石が付いていた気がする。フォーミュラは魔法の威力が上がるとか言ってたいたが、詳しくは聞いてない。
魔石の他の使い道は気になるところだ。
杖などの武器にしか使われていないのだとしたら飽和してしまうだろうし。
「そうですね。魔石って魔力を取り込んだり、増幅させたりする機能があるんですよ。だから魔石が埋め込まれた杖を使えば魔法の威力が上がったりしますし、また砕いて煎じればポーションになったりします」
ギルド職員はにこやかに微笑んで見せた。
「なるほど、ポーション…」
もしかして魔族から奪った麻袋に入っていた青色の液体はそのポーションってやつなのかもしれない。
いや十中八九ポーションだろう。
「それではこれをどうぞ」
俺は職員から七十万リピルが入っているという麻袋を受け取った。
女性曰く給料の三ヶ月分に値するらしいので、リピルというのは日本円とあまり価値が変わらないのだろうと仮定する。麻袋を受け取ると同時に、俺の腹が小さくないた。
マジで腹が減った。
それを聞いた女性は少し笑うと、「ギルドの食堂なら二階ですよ」と教えてくれた。
「ありがとうございました。また何かあればよろしくお願いします」
職員にそう告げた後、怪しげな目つきでこちらを睨み続けている三人組を横目に階段へと向かう。
なんかギルドを出た後とかにちょっかいをかけられそうだな…
嫌な感覚を覚えつつ階段を昇りきると、そこには香ばしい香りに満ちた空間が広がっており、俺の嗅覚と食欲が最大限くすぐられたのだった。
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