ラジオ体操開発局
藤井 俊
第1話
「ラジオ体操は一九二八年にはじまり、当時は国民保健体操という名称でした。第一体操、第二体操、それから一般にあまり知られていませんでしたが、第三体操も戦前に作られてます。第一、第二は二回変更されていて、現在のものは三代目の体操になります。第三は二代目どまりでした」
「ほう」
「実はこの、第いくつという数字の部分は、難易度の順になっているんです」
「レベル一、二、三みたいな感じですか?」
「そうですそうです」
「なるほど」
雑誌記者の戸部は、『ラジオ体操開発局』という耳慣れない場所の取材を編集長に命じられた。テレビのクイズバラエティで最近紹介され、一部で話題になっているらしい。
小さいころに教わり、ほぼ誰もが意識しなくとも体を動かすことができるラジオ体操。第一と第二は一九五〇年代にいまの形になったが、実は第三も存在した、というのが番組の内容だった。
そして、第三以降、現在も新しい体操を開発しつづけている組織として画面に登場したのが、このラジオ体操開発局だった。
開発局は都下の緑多い場所にぽつんと建っていた。五階建てくらいあるそれなりに名大きな建物だが、改装などは行なわれていないらしく、古びたホテルのような印象だ。ロビーに迎えに来た局の人間は
「いや、衰退とか言われてますけど、テレビの影響力はまだまだたいしたものですね」
紹介されてから、見学者がいっきに増えたといい、酒田は笑った。「わたしも体操を開発する技術の側の人間なんですけどね。こうして説明役にかりだされているわけでして――」
確かに平日にもかかわらず、ロビーはかなりの数の訪問客でにぎわっている。
戸部はロビーのすみで酒田から概要の説明を受けていた。
「とうぜん、第三よりさらに難易度の高い体操もいくつもある、開発済みだということですよね」
「そうですそうです」酒田は深くうなずくいた。「そのあたりの詳しい部分が、テレビだと時間の関係で観てもらえませんでした。雑誌社さんということで、活字メディアでじっくり取り上げていただくとありがたいです」
「わかりました。こちらとしても拝見できれば願ったりです」
「わかりました。いまは……と、ラジオ体操第八がちょうど練習時間ですので、そちらをご覧いただきましょう」
「八、レベル八ですか。そうとう難しいということですよね。一般人にはとても無理な内容ですか?」
「いえいえ」
酒田は顔の前で手をふった。戸部を先導して、ロビーから二階へつづく階段へむかいながらつづける。
「やや難しいのは確かですが、第一から順にやっていけば、しだいに身体能力が高まってこなせるようにプログラムしてあります。運動生理学の観点から構成を考えるのが本来のわたしの業務なんです。かっこつけていわせてもらえば、人間の可能性を引き上げる仕事だと考えています」すこしだけ胸をはった。
「さあどうぞ」
階段をのぼりきり、酒田が開いてくれた扉をくぐる。
「けっこう広いですね」
ダンスのレッスンスタジオのような、十メートル四方ほどの板張りの空間。そこでピアノ伴奏に合わせて三人の男性が体操をしていた。
「いやいやこれでもぎりぎりなんですよ」酒田がいう。
「手の指を組んで~っ」
伴奏にかぶって運動の内容を指示する号令が響く。これが聞こえるとラジオ体操って気がしてくるなと、戸部は思った。
「――腕を肩から大きく回して腕縄跳び~っ」
演者はジャンプしてひざを曲げると、つないだ両腕を振り下ろし、足の下を通過させた。
そのまま背中側から腕を上げていき、縄跳びのようにくるくると腕を回してジャンプをくり返す。
「肩の関節を柔らかくし、体のバネも強くする運動です」酒田が解説する。
「ううむ」柔らかくするというより、柔らかくなければ無理じゃないかと思いながら戸部はメモをとる。
「Y字バランスから助走をつけて
だんっ!
三人がぴたりとそろったタイミングで着地する。オリンピックを観ているようだ。
音楽がしだいに盛り上がって終盤に入ると、演技の難度もさらに上がっていく。
「伸身のイエーガー一回ひねり~っ」
「あれ、今のは鉄棒の技じゃ……?」
「きちんと順を追って鍛えていけば、鉄棒などなくてもできるのです」
「はあ。それはすごいですね」
「でしょう」
酒田は深くうなずき、「あ、ほら、今のクエルボ跳びは跳馬の技ですよ。ね、跳馬だってなくても大丈夫でしょう?」
「ああ、ほんとですね」
「ちなみに、体操競技の床運動は一辺十二メートル、跳馬の助走にいたっては二十メートルほどもあります。わたしが広さがぎりぎりといった意味がわかるでしょう」
「なるほど」
開発局の歴史について、資料室でも詳しい説明を受け、ロビーにもどった。
「どうもお疲れさまでした。いかがでした」
酒田が飲み物をわたしてくれた。
ひとくち飲んで、のどがひどく乾いていたことに戸部は気づいた。
「いや、正直驚きました。人間の可能性ってのはほんとにすごいもんですね」
「ありがとうございます。そういっていただけると開発のしがいがあります」
酒田は満足そうに深くうなずいた。
「そういえば、テレビの体操とちがって、演者が全員男性でしたが、あれは?」
「完成から間のないうちは、内容に習熟するまで男性スタッフが行なうことが多いです。ただ、ラジオ体操はこどもからお年寄りまで誰もができなくては困るわけですから、当然女性の演技スタッフもいます」
「そういうことですか」
“人体の可能性をひらく! ラジオ体操”
そんな記事タイトルが頭にうかぶ。
あいかわらずロビーは混雑していた。社会見学なのか、小学生くらいの一団が列になってかたわらを通過していく。
そろいの帽子のうしろすがたを見ながら戸部はふと気になってたずねた。
「ところで、さっきの第八とか、見せていただいたものは誰でも希望すれば見られるんですか」
「ええもちろんです。まだ開発中のものを除いて、ネットでも公開してますし」
「そうですか……」
だとすると――すばやく計算する――このままでは記事としてはちょっと弱いかもしれない。話題になったので、かなりの数の人間が知識を得てしまったようだ。内容の詳しさという武器はあるが、なにかもっと知られていない新鮮味のあるネタがないと。
「あの、いまおっしゃった、開発中ってやつですが、それを見せていただくわけにはいきませんか」
「いや、それは……」酒田がいいよどむ。
「いずれにしろいつかは公開することにわけですよね。公開に合わせる形で記事化することも可能です」
そう約束しても、公開後にはじめて知る他社には一歩も二歩も先んじられる。
「うーむ」
「大きな特集にできますよ。開発局のさらなる発展にもお力ぞえできるかと」
「……」
悩んでいるようだ。広報スタッフなら、どう懐柔しても、ダメなものはダメと断ってくる。ことばはやんわりとしていても、だ。だが酒田は技術スタッフといっていた。
「興味本位でなく、開発の意図や技術的な側面も含めたしっかりとした記事にするつもりです。社名にかけてうけ合います。ご信頼ください」
戸部はひといきにまくしたてた。いちおう大手とよばれる出版社に所属している。こういうときに知名度を利用しない手はない。
「……そういうことでしたら。」
よし。
「ではこちらへどうぞ。あ、これを首にかけてください」
IDカードを渡され、ふたたび酒田の案内をうける。
今回はエレベータで最上階へ上がった。『関係者以外立入禁止』の標識を横目に進む。通路が途中で壁で仕切られている。
「IDカードを壁わきの読み取り部にかざしてください」
酒田と先頭を入れ替わり、言われたとおりカードを使うと、壁の一部が横にスライドして開いた。通り抜けるとすぐまた閉じてしまう。
「いちどにひとりずつしか通れないようになっています」つづいて通過してきた酒田が告げた。
通路の突き当たりの扉の前で酒田は立ち止まった。
「ここが開発場所です」
「ちなみに、第なん体操なんですか」
「第十五になります――ある意味、局の命運をかけて開発中です」
「命運……?」
戸部が首をひねる間に酒田は両開きの扉に手をかけた。
コンサートホールのような分厚い扉が開くと、流れてきたのは華やかなオーケストラ曲だった。ただ、部屋の大きさは第八と同じくらいで、例によって三人が体操をしている。
「えらく豪華な曲じゃないですか!」
「ええ。外部の作曲家にお願いしました」
なるほど、さらに一般層にアピールしていくのかとメモしかけて、戸部は首をひねった。曲調に聴きおぼえがあるような気がする。
「これ、ひょっとして――」映画音楽で有名なアメリカの作曲家の名を告げる。「――スター・ウォーズのテーマとかの」
「そうですそうです――」肚をくくったのか、酒田のことばにも陽気な調子がもどってきた。
「――よくおわかりで」
「いや、SFはけっこう好きで、映画も観るので……」
「体操の内容を局内でプレゼンしたときに、曲はぜひこの人でと強硬に主張する者がいましてね。かなり費用もかかるし、正直どうかなと思いました。でも感心してくださる方がいるなら、よかった」
「いや、ほんと驚きました」
そう応じながらも、体操の内容ということばから、戸部は三人の動きにあらためて注意をむけた。
「腕を前へ伸ばして――」
オーケストラ曲でも、やはり号令は健在らしい。
「あ、そこは、ちょっとよけたほうがいいですよ」
酒田にひじを引かれて、戸部はよろけるように一歩横へ移動した。
「――手のひらから
ジュッ!
いやな音をたてて、戸部のすぐ脇の壁がすこし溶けた。
こちらへ向けて突き出された三人の手のひらから、薄く煙がたちのぼっている。
「ひ、ひええ~っ」
「あ、大丈夫です。壁は補強してあります」
「なるほど――ではなくっ」
三人のスタッフも体操を中断し、心配そうにこちらをうかがっている。
戸部は手をふった。「あ、いや、けがはないです……つづけてください」
こそこそと部屋のすみへ動き、説明を受ける。
「研究をつづける中で、筋力や持久力だけでなく、体操で脳の未使用部分の活性化もできるとわかりまして。この体操はそれに特化したかたちで開発を進めています」
「体操で超能力者が誕生するということですか。あんな――」運動を再開した三人を身ぶりで示す。「――ふうに」
「指を額にかるく当てて、
いくつもおかれていた百キロ以上ありそうなバーベルが、並んでゆらゆらと浮上する。
「足をすこし開いて左右に
反復横跳びのようだが、消えてはあらわれて、部屋いっぱいに動きまわる。
「そうですそうです」酒田は深くうなずいた。「さすがに記者さんは理解がはやい」
ながめているうちに終盤にちかづいたらしい。管楽器の音が熱狂的に響く。
「腕を大きく振って、四百万年前へ
ふっ、と演者がすべて消えた。
無人になったスタジオに音楽だけが反響する。
数小節後、ジャン、というシンバルの音に合わせるように演者が出現した。だが、
「あれ? 二人しか戻ってきませんね」
「ああ~、このへんがまだ開発中というところでして」
酒田が頭をかく。「戻るタイミングを合わせるのがなかなか難しいんですよね。一人はまだ過去にいるのかと」
おーい、ちょっとストップ、と酒田が声をかけ、音楽がとまった。
「黒川はどうした?」
戻ってきた二人は顔を見合わせた。
「いっしょじゃなかったです。あいつ、まだうまく跳べないんで、ちがう場所にいっちゃったんじゃないすか」
「そうか、困ったな」
酒田は腕を組んだ。
「で、おまえたちはどうだった?」
「ばっちりです」
笑顔がかえってくる。
「なんか、手をつきながら歩いてたのが、背筋しゃきっとして普通に歩けるようになりました」
「そりゃよかった」
酒田は戸部に顔をむけた。
「せっかく過去に行けるので、むかしの動物にですね、ラジオ体操を教えてるんです」
「へ? 動物と話が?」
「ええ、思考が直接通じるようです。これも体操で身につけられる能力のひとつです」
「なるほど」
なんでもありだな。まてよ、四百万年前ということは……。
「教えた相手って、このくらいの背の……」肩の下あたりを手で示しながら、戸部は二人にたずねた。
「ああ、そうです。原始人――っていうんですかね? 猿と人の間みたいな」
いや、原始人じゃないけど、と思いながらこんどは酒田にたずねる。
「あの、タイムパラドックスとかどう処理して……」
「は? なんですか、それは?」
「いえ、なんでもありません」
「そうですか……おっ!」
酒田が歓声のような声をあげた。
その視線の先に目を向けると、三人目の演者がいつのまにか戻っていた。黒川とよばれていた男だろう。
青い顔をして、ぶるぶる震えている。
「おい、だいじょうぶか」
酒田がかけ寄った。
「はい……なんとか。どうも行き先をまちがえちゃったようで――」
「ああ、ほかの二人から聞いている。どこへ着いたんだ?」
「わかんないです。ただ、空がどんよりして、ひどく寒くて――あ! そうです。恐竜です」
「恐竜?」
「でかい恐竜がごろごろ死んでました。あの、骨とか残ってるやつです」
それはたぶん――戸部は思った――跳ぶ場所じゃなく、跳ぶ時間をまちがえたんじゃないかな。おそらく六六〇〇万年前ころへ。
「たいへんだったな。よく戻ってきた。ひと休みしてくれ」
「すみません……でも、おれ、ちゃんとラジオ体操も教えてきましたよ」
「ほう」
「ネズミだかモグラだか、そんなやつが生きてるのを見つけたんで、しっかり手ほどきしてきました。死にそうになってたのが、ずいぶん元気に動けるようになりましたよ」
「それはいいことをしたなあ」
酒田は笑顔で黒川の肩をたたいた。
記事タイトルは“すべての世界を創る! ラジオ体操”かな――二人を見ながら、戸部はぼんやりと考えていた。
ラジオ体操開発局 藤井 俊 @To-y21
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