エピソード0-2 明日編

 夢を見た。


 必死に俺の腕を掴もうと伸ばす手を。

 触れたくてしょうがないのに、俺はその場から立ち去っていく。

 振り返らなくても分かる。

 きっと、うずくまって泣いている。


 起き上がって時計を見ると、夕方の4時だった。

 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

「学校……まあいっか……」

 ちょうどバイトも無い日で助かった。

 さすがに今日はもう、何もする気にならない。

 もう一度ベッドに横になって目を閉じる。

 まだ、功太の匂いが残ってる気がした。

 昨日の夜のことを思い出す。

 散々女と付き合ってきたけれど、あんなにも相手を愛しいと思ったことは今まで一度もなかった。

 別れを切り出したのは俺の方なのに、未練に押し潰されそうだ。自分の……二人の選択は間違っていないって、そう思いたいのに、最後の功太の顔が頭から離れなくて、胸が痛い。

 功太は学校に行っただろうか。

 風邪ひかないといいけれど。

 外はまだ雨だった。

 とりあえず、着替えようと立ち上がる。

 功太が結んでくれた、ネクタイをほどく。


 昨日の雨が嘘のように、朝目覚めてカーテンを開けると空は晴れ渡っていた。トーストを一枚食べて、制服に着替える。

 自転車で川沿いを走る。もう二度と後ろに功太の姿はないのだと思うと、ため息しか出ない。

「行きたくねえなあ……」

 ペダルを漕ぐスピードが遅くなる。

 とは言え、ここまで来て帰るのもアレだし。

 今日はバイト行かなくちゃだし。

 なんとか奮起して再びペダルを漕ぐ足に力を入れた。行かなかったら、きっと功太に心配を掛けてしまう。


 放課後、担任に呼び出された。

「杉原、また親御さんは来られないのか?」

夏休み前の、最終的な進路を決める三者面談のことだ。

「まあ、そうっすね」

「去年も一度もお目に掛かってないぞ」

「先生、うちの事情分かってるじゃん。親だけど、親じゃないから」

 担任は去年も俺のクラスの担任だったのだ。

「さすがに、三年生の三者面談だぞ?お前には悪いが、連絡させてもらう。どうせお前、面談の話、伝えてないんだろう?」

「いいって、先生、俺ちゃんと進路決めてるから。大丈夫だから」

「そういうわけにはいかないんだよ」

 担任は、俺が父親に会いたくないことも分かっている。少し申し訳なさそうな顔をしたが、首を横に振った。

「……分かった。俺から言います」

「本当だな?」

「はい……」

そう言ったものの、連絡するのは気がひけた。

 俺の父親は、母親と俺を捨てて、別の女と再婚した。俺が小五のときだった。母親は一気に生きる気力を失って、もともと病弱だったこともあり、あっという間に死んでしまった。

 父親は俺を引き取ろうとしたが、俺は断固拒否した。憎しみの対象でしかない、父親が新しく作った家族に加わるなんて、死んでも嫌だった。

 しばらく母方の祖父母の家で暮らしていたが、帰省した母の妹がふと呟いた一言で、俺は家を出ることを決めた。

 中学卒業を機に、一人暮らしを始めた。

 「保護者」は、父親になった。


 数日後、俺はまだ父親に話をしていなかった。なかなか連絡をする決心がつかない。バイトを終えてアパートに帰ると、玄関の前に誰かが座っている。

「遅い!ずっと待ってたんだけど!」

 そいつは俺を見るなり、睨み付ける。

「勝手に来といて何言ってんだ。つーか、お前、もう9時だぞ?親が心配するだろ」

「お前んち行くって言ってあるから平気」

 今度は生意気そうにニヤッと笑う。

「ねえ、早く鍵開けてよ、

 次は甘えた上目遣い。百面相か。

「気持ち悪。何の用だよ、帰れ」

「用があるから帰らないんだよ、馬鹿なの?」

 ……。悔しいけれど「確かに」と思ってしまった。

 仕方なく、部屋の中に入れる。中学生を夜中に外に出しておくわけにもいかなかった。

「お邪魔しまーす」

かえで、靴くらい揃えろよ」

 どんな教育をしてんだよ、親は。

 楓は、父親の再婚相手の連れ子で、中学三年生だ。

 はっきり言って、生意気で、ふてぶてしくて、全く可愛げも無い。

 時々こうやって押し掛けてくるのは、俺の様子を見に行くように父親に頼まれているのかと聞いたことがあるが、そんなことはないらしい。よく分からない、変わったやつだ。

「で、用って何?」

「お前の高校に俺の部活の先輩だった人がいるんだけど」

「あ、そう」

「お前、手出しただろ!!」

「……は?」

「とぼけんじゃねーよ!!付き合ってすぐ捨てただろ!?」

「……どの子?」

 正直、本当に分からない。こいつの先輩だから、俺より年下?

「ふざけんな、このスケコマシ!!ちょっと顔がいいからって調子乗りやがって!!」

 楓が俺の胸ぐらを掴む。

「……なるほどね。お前その子のこと好きだったのか」

 楓は顔を真っ赤にすると、掴んでいた手を緩めて俺から視線を外した。

「そうだよ。笑いたきゃ笑え」

「別に。ただ、俺は自分から別れないし。捨てたは誤解」

 勝手に好きになられて、勝手に別れを告げられるだけなのだ。……本当に好きなのかは知らないけど。俺はそんなのどうでもいいから。

「お前はいつも俺が欲しいもの手に入れてる」

 楓はそう言って、ふて腐れた顔をした。

 何をふざけたことを言っているんだろう。俺から家族を奪っておいて。功太までいなくなって、俺には本当にもう、何も残っていないのに。

「楓、お前、喧嘩売ってんの?」

 今度は俺が楓の胸ぐらを掴んだ。楓は真っ直ぐに俺を見て言った。

「どんどん、どんどんお父さんに似てきてるな」

 ……。

 その台詞。

 かつて叔母に言われた台詞。


「明日は父親にそっくりね、思い出してしまう」

 あの頃の俺に、ナイフのように突き刺さった言葉。


「それがどうした」

「……羨ましくて、しょうがない」

「え……?」

 楓は涙目になっている。

「俺がどんなにお父さんを好きでも……、どんなにお父さんが可愛がってくれてても……、やっぱり俺はお父さんの本当の子供じゃない。俺はお父さんに全然似ていない。お前は見るたびにお父さんにそっくりになる。ずるいよ、ずるい……」

「……」 

 そんな風に楓が思っていたなんて、知らなかった。

 あの叔母の言葉以来、俺は父親に似た容姿が大嫌いになった。俺を見るたびに、死んだ母が、祖父が、祖母が、叔母や周りの人たちが嫌な思いをしていたかもしれないと思うと、俺はどこか遠くへ行ったほうがいいんじゃないかと考えるようになった。

 そんな俺の顔を、羨ましい、と、楓は言うのだ。

「嫌いなら何で、うちに来るんだよ、お前は」

「嫌いなんて言ってない」

「憎いんだろ?」

「そんなこと一言も言ってない。俺を憎んでるのはお前だろ」

「いや、別に俺は……」

 憎しみが無いって言ったら嘘になるかもしれない。でも、楓が悪いわけじゃない。

「俺がお前を憎む理由なんて一つもない。ただ羨ましいだけ。誰にも言えないし、どうにもならないから、このモヤモヤをお前にぶつけるしかないじゃんか。だから、ここに来てる」

 俺は何も言えなかった。分かるようで、分からないような。でも、自分だけ悲劇のヒロインぶっていた気がして、ものすごく恥ずかしく思えてきた。

「先輩まで取られるとは思ってなかったけど」

 楓はそう呟いて、立ち上がった。

「帰る。言いたいこと言ったからスッキリしたし。お母さんに迎えにきてもらお」

そう言ってスマホをポケットから取り出した。

「あ、楓」

「何?」

「あいつに言っておいて。来週、三者面談があるって」

「……しょうがねえな、覚えてたら言ってやるよ」


 楓が帰ると、静寂がまた功太を頭の中に連れてくる。

 本当にこれで良かったのか、おかしくなるくらい自問自答して、後悔して、自分の決断を正当化して……。でも、どうしようもなく、苦しい。

 俺には他に守りたいものなんて無いから、功太との関係を自分の思うままに突っ走ることだって厭わなかった。でも、功太は違うじゃんか。

 功太は、父親がいて、母親がいる、普通の家庭で育った人間で。俺と付き合うことでどんな影響があるか分からない。平穏な家族を壊してしまうかもしれない。そんなの辛すぎる。

 それでも俺が功太を守る、なんて、簡単じゃないこと、綺麗事なことくらい、分かってるから。

 分かってるけど、功太のことが好きで好きでしょうがないんだよ。俺が女だったら良かった?功太が女だったら良かった?出会わなければ良かった?

 あの夜も……、間違いだった?

 どうしたら良かったのか、どうしたらいいのか、ねえ、誰か、誰か、教えて。

 どうして隣に、功太はいないの。


「建築学科?そうなんですね……」

「やはりお話は聞いていませんでしたか?」

「そうですね、すみません……」

「ご家庭の事情もおありだと思いますが、もう少し息子さんと向き合って頂けますか?……とは言え、成績は文句の付けようがありませんし、充分合格圏内だと思います。塾にも行かないでバイトもして……、素晴らしいですよ、教師に対する態度に少し難ありですが」

「それは、何となく想像出来ます」

 ……。そこは分かるのかよ。

「愛嬌の範囲ですけどね。可愛い生徒です」

「ありがとうございます」

 楓はああ言いながらも、ちゃんと伝えてくれたらしい。仕事の合間に時間通りに父親が現れた。

 三者面談が終わり、静かな校内を二人で歩く。

「まさかお前が成績がいいなんてな」

「まあ、勉強嫌いじゃないし」

「……この高校で良かったのか?」

「ここはバイトOKだから決めた。大学の金は自分で払うから。今までどうも」

「いや、それは……」

「もういいから。楓だけ見ててやってよ」

「お前だって俺の息子だ」

「言える立場じゃないだろ」

「……」

「じゃあ。今日はありがと」

 校庭に出ると、俺は足早に校門に向かった。

「明日」

 後ろから名前を呼ばれる。俺は振り向かずに返事をした。

「何?」

「建築学科を選んだのは、お母さんのためか?」

 なんだよ。

 覚えてるのかよ。

「別に。じゃあ俺、自転車だから」

 そのままふたりで校門を出て、俺は父親の背中を見送った後、自転車置場に向かった。

 歩きながら、胸の奥がきゅうっと締まって、気を抜くと涙が出そうになった。 

 遠い、昔の記憶。

 俺も忘れていた記憶。あの家を見て思い出した記憶。まさか父親が覚えていたなんて。

 バイトに行く途中にある、花がたくさん育てられている、洋風の家。海外のドラマに出てきそうなお洒落な白い家。初めてその家を見た時、まだ家族三人で暮らしていた時の母親の言葉を思い出したのだ。

「俺、ペット飼いたいな」

「マンションでペットは飼えないのよ」

「じゃあお家に引っ越そうよ。ねえ、いいでしょ」

「明日、そんな簡単なことじゃないのよ、引っ越しって」

「何で?ねえ、お父さん、引っ越ししようよ」

「明日はどんな家がいいんだ?」

「俺は、庭がある家がいいなあ。犬と走り回って遊びたいから、広い庭!お母さんは?」

「そうね、大きくなくてもいいかな。三人で暮らせたらそれで充分。でも、少し贅沢を言っていいなら……」

「なになに?」

「可愛らしい、童話に出てくるような家が夢かな。お花がたくさん咲き乱れて……」

「犬も飼っていいよね?」

「もちろん」

「じゃあ、俺が建ててあげる。お母さんの夢の家。俺が叶えてあげるよ」

「本当に?楽しみにしてるわね」

「うん!」

 今更俺が家を建てたところで、母親はもういないけれど、家族なんていないけれど、それでもその白い家を見た時に心に決めた。世の中の誰かの希望を叶えてあげられる家を作れたら、と。

 しばらく自転車を漕いでいると、その家が見えてきた。一人の女性が楽しそうに花に水をあげている。

 功太の友達の家。

 功太が話してくれた時の切なそうな声を思い出す。きっと、功太にとって大切な友達だったんだろう。

 あの時、本当は自分の将来の夢を話そうとしていたんだけれど、なんだか言いづらくなってやめた。そもそも死んだ母親の思い出話なんて暗いし、しなくて正解だったかもしれない。

 表札には「三上みかみ」とあった。

「あの」

水やりに夢中なのか、気付かない。

「あの!」

「えっ、あ、はい、私?えっと、どちら様?」

 驚いた顔で俺を見ている。そりゃそうだよな。思わず声を掛けてしまった。……気まずい。

「あ、いや、あの、いつも花が素敵だなあって……」

 完全にヤバい。不審者みたいだ。

「本当?どうもありがとう」

 その女性は優しく笑ってくれた。

 この家の雰囲気にぴったりな人だ。

「俺、杉原明日と言います」

「杉原さん?」

「功太の……有沢功太の友達で」

「え、功太くんの?」

 さっきよりさらに明るい顔で笑う。

「同じ高校なんです」

「そうなんだ。功太くん、元気?」

「はい」

「そう、良かった」

「ここが功太の友達の家だって聞いて」

「あ、うん、そうね……」

 少し顔が曇った。何か事情があるな、と察した。

「連絡しても返事がないって……」

「そうね……」

「すみません、勝手に俺が気になって。功太が寂しそうだったから」

「功太くんに頼まれたわけじゃないのね?」

「はい、余計なお世話なんですけど……。本当に突然来て迷惑だって分かってるんですけど……」

 やっぱり気まずい。当事者でもない俺がいきなり押し掛けるなんて、どうかしている。

 沈黙が流れる。

 ああ、俺って本当に馬鹿!!

 無神経!!

 俺が首突っ込む資格ないじゃん!!

「ごめんなさい!帰ります!」

「待って!」

「え?」

「杉原くんなら、話してもいいかもしれないと思って……」

「え……」

「少し重い話だけど、大丈夫?」

「俺が聞いてもいいんですか?」

「あなたには知っていてほしい気がするの」

「分かりました」

「功太くんにはここに来たこと……」

「言いません」

「息子には、お友達に……特に功太くんには言わないように言われてるから……」

「はい」

「うちの息子はね……」


 空にゆっくり雲が流れる。

 今日は風があって、涼しい。

 学校の屋上は俺のお気に入りの場所の一つだ。

 放課後は人気ひとけもあまりなくて、静かでいい。ベンチに座って空を仰いだ。

 ここ数日、色々な感情が目まぐるしく駆け回って、少しメンタルに来ている。

 功太のこと、楓のこと、親のこと、功太の友達のこと。

 ちょっと、疲れた。

「杉原くん、ちょっといい?」

 突然、知らない女子に話し掛けられる。

 まあ、よくあることだし、想像はついた。

「私と付き合ってほしいんだよね。好きなんだ」

 何組の誰なのか。

 話したこともないのに、好きって何。

 外見だけで人を好きになれるの?

 付き合う、っていったい何なんだ。

 俺はため息をついた。

「付き合わない」

「え?」

「だから、付き合わない」

 ごめん、とか、悪いけど、とか、言いたくない。別に俺、悪くないし。

「……あっそ」

 彼女はめちゃくちゃ俺を睨み付けて、走って階段を下りていった。断らないって思ってたんだろうな。それは、今までの俺のせいなんだけど。

 だって、どうでも良かったんだよ、それでその子が満足するなら。俺にとってどうでもいい人だから。でも、もう誰にも触れたくないの。俺の最後は功太なの。このまま、体が覚えている功太の感覚に誰も上書きしたくないの。

 もう、一生、功太だけ。


 功太を意識し始めたのはいつからだったろう。

 初めて功太を見た時は、本当に女の子かと思った。華奢で、小さくて、睫毛が長くて。

 一目惚れ……?いや、初めから恋愛対象として見ていたわけじゃない。でも、一緒にいられたらいいな、とは思った。マイナスイオンでも出てるのかと感じるくらい、功太を見ると自然とニコニコしてしまっていた。居心地がいい、というか、自分をさらけ出せる、みたいな。うーん、けどそれは春日も同じかな。

 そもそも今まで同性に恋心を抱いたことなんてないし、考えたこともない。じゃあ功太は何が特別だったんだろう。分からないけれど、少しでも長く功太と一緒にいたかった。そしてだんだん、自転車の後ろに感じる体温を一人占めしたいと思うようになった。独占したかった。

 夏祭りで無邪気に笑う功太を見て、「ああ、好きだな、俺、功太のこと」と思った。金魚を掬うその横顔が世界で一番可愛かった。このまま功太を連れて帰りたいと思った自分にゾッとして、気持ちを飲み込んだ。嫌われたくないから。

 自分はおかしいんじゃないかと何度も何度も考えた。功太は男だぞ?同性に恋愛感情を抱くなんて信じられなかった。自分自身に絶句した。絶対にバレたら駄目だ。

 昔、焼きそばパンが売り切れで大騒ぎした俺のために、功太は自分の弁当に入ってた焼きそばをコッペパンに詰めてくれたことがある。あの時、嬉しくて思わず功太に「大好き」って言って抱き付いちゃって、あとで「やってしまった」ってめちゃくちゃ後悔した。気持ちがバレたんじゃないかって心配で、バイトも身が入らなかった。

 自分で自分の想いを隠すために、変わらず告白をされたら付き合っていたけれど、常に頭にあるのは功太のことで、どんなに考えないようにしようとしても無理だった。

 だってさ、次第に気付いてきたんだよ、功太も俺を好きなこと。何となく分かるんだよ。嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。だけど、どうしようもなく怖くもなった。

 その怖さって、結局何だったんだろう。恋人になったら、いつか別れが来るかもしれないから。功太の人生を壊してしまうかもしれないから。

 でも一番の理由は多分……、俺の手で功太を汚すのが怖かったんだ。功太に触れたいと思う自分が汚いと思っていたから。それは頭を撫でるとか、ハグするとか、じゃなくて、それ以上の……。その思いが抑えきれなくなりそうで怖かった。功太の気持ちに気付いてからは余計に辛かった。気を抜くと、タガが外れてしまいそうで。

 だから、功太があの夜「最後だから、後悔したくない」って言った時、泣きそうになる程嬉しかった。功太もずっと同じだったんだって。

 本当に本当に幸せで、もう何もいらないと思った。

 それなのに……。

 別れを押し通した自分の弱さに腹が立つ。

 後悔しかないよ、功太。

 本当に馬鹿だよ、俺は。


なんとなくバイトをこなして、なんとなく勉強をして、気付けば夏休みが明けた。

「お、久しぶりじゃない。元気だった?」

 ヨーコちゃんがバシバシ俺の肩を叩く。

「まあ、なんとか」

「受験生だし、大変だよねえ。でも、だからこそしっかり食べないとね!はい、焼きそばパン」

「いや、コロッケパン」

「えっ?」

「コロッケパン一つ、と牛乳」

「えええええっ?」

「だから、コロッケ……」

「何があったんだい?悩み事かい?辛いのかい?いやいやいや、天変地異だわ……」

「は?」

「イケメンくんが焼きそばパンを食べないなんて、世界の終わりだよ……」

「はあ?何言ってんの、早く、ヨーコちゃん、コロッケパンと牛乳!!」

「あ、うん、そうね、そんなときもあるわよね……」

 なんとか落ち着いたヨーコちゃんがコロッケパンと牛乳を差し出す。そっか、そんなに俺「焼きそばパンな生徒」だったのか。そりゃあそうか。焼きそばパンしか買ったことないし。にしても、そこまで動揺されるとは。

「あの子と最近一緒じゃないんだね」

「え?」

「小さくて可愛らしいあんたの友達。校内で見かけてもいつも一緒だったのに」

「ああ、まあ、別に……」

「そういうこともあるか、ごめんごめん、じゃあね」

 ヨーコちゃんがバイバイ、と手を振る。余計な気を遣わせたみたいだ。

「えっ、えっ、えっ!?どうした明日、コロッケパンだなんて!!」

 思いふけっていると、後ろからバカデカい声がした。

「お前もかよ、春日、うるさい」

「いや、だって、毎日焼きそばパン食ってるヤツが急にコロッケパンなんてビックリでしょ」

「お前こそ珍しいね、ひとり?彼女は?」

「今日休みなのよ。だから一緒に食べよ、明日ちゃん。俺も買ってくるから待ってて」

 春日って、うるさくて時々ウザいけど気を遣わなくていいし、ラクだし、なんだかんだ言ってイイヤツだし、面白いし。

「でも、別に独占欲は無いんだよなあ……」

「は?」

 戻ってきた春日の顔を俺はまじまじと見た。

 うん、違うわ、やっぱ。

「いや、何でもない」

「こわ。どんな目で俺を見てんのよ、キャー」

「はあ……」 

 俺はため息をついた。

 さすがに残暑の屋上は暑すぎるので、誰もいない家庭科室で昼飯を食べることにした。

「教室じゃ積もる話もゆっくり出来ないからねー」

「何だよ、積もる話って」

「見てよほら、綺麗じゃん?」

 春日が指を指す。

 窓の外の花壇には向日葵がたくさん咲いていた。

「何で焼きそばパンじゃないの?」

 春日がサンドイッチを食べながらコロッケパンを指差す。焼きそばパンを食べると功太を思い出すから、だんだん食べるのが辛くなってきて……とは言えなかった。

「別にいいだろ」

「別にいいけどね。もともと変なヤツだから」

「お前に言われたら終わりだわ」

「何で功太と一緒にいなくなっちゃったの?」

「会うたびに聞くなよ」

「いつまで経ってもお前ら暗い顔してるし、聞いても言わないし、大泣きされるし……いや、ゴホン……、何で俺だけ除け者なのよ」

「そういうわけじゃないけど」

「功太なんて生きてるんだか死んでるんだか。ずっと無表情でさ。話し掛けにくいわ」

「……」 

「お前、まさか、お前……」

「何?」

「ついに功太に手を出したんじゃ……」

 思わず牛乳を吹いてしまった。

「きったねえな!!牛乳吹くイケメン初めて見たわ!ほら、タオル!」

「お前が変なこと言うから!」

「何でそんなに慌ててんのよ?図星?」

 ニヤッと顔を覗き込まれて、思わず目を反らした。

「んなわけねえだろ!」

と言いつつ、心臓はバクバクしている。当たらずとも遠からず……うぅ。

「功太はその辺の女子より可愛いからねえ。女に飽きたらず、ついに……」

「ふざけんなよ、馬鹿野郎」

「あはははは!!冗談冗談」

 本当に冗談で言ったのか、実は見透かされているのか、読めない。春日にはそういうところがある。ニヤニヤしながら背中を擦ってくる。

「ごめんごめん、大丈夫?」

「くそ……」

「そういや昔も似たようなことあったわ」

「え?」

「あ、中学の時ね。お前みたいにずっと功太と一緒にいたヤツがいて。なんていうか、友達って言うより、あいつ、功太の護衛みたいだったわ」

「護衛……」

「ものすごく功太を大切にしてるっていうか、守ってるっいうか。まあ、普段からちょっと変わったヤツだったな。浮世離れしてるっていうか……いや、違うな、なんか今思うと精神年齢がやたら高かったのかも。当時は不思議な感じがしてたんだけど。花が好きでさ、自ら花壇の世話してた。そんなヤツ、普通いないじゃん?中学生でさ」

「花……」

「俺も仲良かったのになー。今みたいにちょっと除け者感あったわ、俺」

 花が好きな、功太を大切に思う、功太の友達。

 そんなの、あいつしかいないだろ。

「三上……?」

「えっ?明日、百々もものこと知ってるの?」

「いや、知らないけど……、バイト先の近くにある家が花だらけで凄くて、功太に言ったら、友達の家だって……」

「そうそう、あの白い花御殿!三上百々の家!」

「功太が連絡取れなくなったって言ってて」

「そうなんだよ。誰が連絡しても返ってこないし、誰も百々が行った高校知らないし、完全に音信不通。謎すぎるんだよな」

「へえ……」

 何も悟られないように、春日の方を見ないようにした。約束したから。

「あ、もしかしてお前、妬いてる?」

 春日が俺の顔に指を指してくる。

「はあ?」

 思わず大きな声が出てしまった。

「あはははは!ウソウソ、冗談だってば!そんな怖い顔しないでよ」

 腹を抱えてゲラゲラ笑っている。

「ったく……」

「あはは、腹痛いって」

「……なあ春日、そいつ、功太の、友達……なんだよな?」

 馬鹿なことを聞いてしまった。何言ってんだろう、俺。ものすごい後悔が襲う。春日は少し上を見て、「うーん」という顔をした。

「友達、だろうね、少なくとも功太は」

「どういう意味?」

「百々は……どうかな、勝手に決めつけてもね、本人に聞いたわけじゃないから」

「……」

 なんだよそれ。

 でも、お前がそう思ったなら、多分、そうなんだよ、きっと。

「明日」

「んー?」

「どうでもいいけど、いや、まあ、良くないんだけど、とにかく俺は功太と明日には笑っててほしいわけ。友達、だから」

 春日はそう言って、ニヤッと笑った。

 もう全部気付いているのかも知れない。

 こいつだったら、それでもいっか。

 春日だったら……、春日がいれば、功太に笑顔が戻るような気がする。

「春日、功太はお前に任せるわ」

「なかなかの重大任務……」

「頼んだ」

「俺が断れない人間なの知ってるくせに。いけずな人」

「はいはい」

「じゃあ俺先に戻るわ、彼女教室で待ってるから。あ、タオル洗って返してね」

 そう言って春日は手を振りながら出ていった。

 ん?

 彼女、休みじゃなかったのかよ。

 ……そういうとこなんだよな、あいつ。


 時間はあっという間に過ぎて、受験も終わり、あとは卒業を待つだけとなった。

 無事に希望の大学に合格し、父親に「合格祝いをしたい」と言われたが、断った。楓には、「お母さん、ご馳走作るってはりきってたのに」と怒られた。そのメールに「祝われるほど勉強に苦労してないから」と返信したら、「コロス」と返ってきた。ご馳走を作る時間があるなら、息子をしっかり教育してもらいたい。

 寒い中、ひとりで歩いているとものすごく寂しくなる。功太に会いたくて会いたくてたまらなくなる。そんな時に限って春日からくだらないメールが来る。あいつにはセンサーでもあるのか。

 どうしても堪えきれない時は、ひたすらベッドの中で泣いた。気付いたら朝になっていて、ものすごい空腹を感じる。腹が鳴る。そんな自分に笑ってしまう。


 卒業式当日、朝からすでにボタンを取られ、何とも言えない気持ちになった。

「追い剥ぎにあった気分」

「なんかあんまり羨ましくないな……、大丈夫?式出れんの?」

 隣の席のクラスメイトが同情して苦笑いしている。

「えー!?もうボタンないじゃん。杉原くん、ネクタイちょうだい」

「やめろって!式出れねーじゃん!!」

 前の席の女子を必死に制止する。

「じゃあ予約しとく!」

「終わったら別にいいけど。いらないし」

「やった!他校の友達に売り付けよ!」

 ……。

 お前が欲しいわけじゃないのかよ。


 最後のホームルームも終わり、式も終わって、みんなが校庭で友達や後輩や先生と別れを惜しんでいる。

「明日!」

 春日が後ろから肩をツンツンしてきた。

 俺と写真を撮ろうと集まっていた女子を「はいはい終わり~」と周りから追い出す。

「あらま、見事に何も無いじゃん。さすが色男は違うねー」

「売れるらしいよ、俺のもの」

「そりゃ何割かもらわないと。……ってそんなのはどうでもよくて」

「何?」

「功太がひとりで帰っていった」

そう言って校門の方を指差す。

「そう……」

「もう最後だよ。最後。それでいいの?」

「でも……」

「それでいいの?」

「……よくない」

「よくないよね?」

「だけど……」

「寂しそうな背中だったわ。あれは、俺じゃ無理」

「……」

「明日」

 春日の、俺の顔を見る目が変わる。

 今まで見たことないような、真剣な目。

「行け、早く」

 俺は一度深く深呼吸をして、自転車置場に走った。


 まだ咲きそうもない桜並木の途中に功太の後ろ姿を見つけた。いつも以上に小さく見えた。

 この道を通ることも、もうないだろう。

 俺は自転車を道端に停めて、功太を追い掛け、卒業証書の入った筒で軽く頭を叩いた。

 パコーン。

 功太がびっくりした顔で振り向く。

「なーにひとり寂しく歩いてんの」

 極力明るく振る舞ってみた。気を緩めたら泣いてしまいそうで、強く筒を握って我慢した。

「明日だあ……」

そう言うポカンとした功太の顔が可愛くて思わず吹き出してしまった。

「何だよ、その顔。鳩が豆鉄砲食らった顔!」

 笑ってる俺を見て、功太も笑う。

「やっぱり、明日、ボタン全然無いね」

「あー、朝全部取られてさ。式前なのに。ブレザーの前安全ピンで留めて式出たんだぜ?」

「さすが明日……」

そう言って功太は少し笑いながら目を反らした。

 その顔が切なすぎて、思わず抱き締めてしまいそうになる。

 やっぱり好きだ。めちゃくちゃ好き。

 功太のことが世界で一番好き。

 功太はどうしたらいいか分からなそうな表情で川の方を見つめている。その隙に、俺はそっと功太のブレザーのポケットにボタンを入れた。

 ひとつだけ、どうしても誰にも渡したくなくてとっておいたのだ。

 これは俺のエゴ。

 やっぱり俺のことを忘れてほしくなくて。

 最低だって分かってる。

 別々に生きようって、俺が言ったのに。

 それでも、俺のこと、忘れないで、お願い。

「功太、元気でいろよ」

「明日もね」

 功太も泣くのを堪えて、俺を見上げる。

「今度会える時はちゃんと笑って会えるといいな」

「そうだね……。笑えるといいね」

そう言う唇が震えている。

 ダメだ。これ以上こんな功太を見ていられない。胸が苦しくて、辛い。

「功太、バイバイ」

 精いっぱい笑ってみる。

 大好きだよ。

 ずっと。

 俺は停めていた自転車を走らせた。

 後ろから功太が叫んだ。

「明日、バイバイ!」

 俺は振り返らずに手だけ振った。

 きっと功太は泣いているだろう。それを見てしまったら、俺はまた功太の元に戻ってしまう。

 抱き締めてしまう。

 俺はただひたすら前を見てペダルを漕いだ。

 バイバイ。

 バイバイ。

 バイバイ。

 愛してるよ、功太。

 やっぱり出会えて良かったよ。

 功太を好きになったこと、後悔なんてしたくないよ。

 バイバイ。

 バイバイ。

 バイバイ。

 どうしよう、涙で前が見えない。

 角を曲がって、自転車を止めた。

 もう後ろを振り返っても、功太はいない。

 もう、これからずっと、功太はいないのだ。

 今夜もまた、泣きながらベッドに潜るだろう。

 

 きっと、それでも、朝は来る。

 

 




 

 




 

 





 


 




 










 

 





 

 



 









 





 

 



 





 


 




















 


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