repeat.

@moka_t

エピソード0-1 功太編

 夢を見た。


 どんなにどんなに追いかけても、その背中には手が届かない。

 届きそうで、届かない。

 きっと、見えないように、泣いている。


功太こうた、おはよ!」

 真新しい通学路の途中で、背中をバンッ!と叩かれた。

「いてて……あ、はるちゃんおはよう」

「また、よろしく!同じクラスだと良いけどねー」

「そうだね、ちょっと緊張する」

 今日から僕は高校生になる。春ちゃん、浦田春日うらたかすがは同じ中学出身だ。

「それにしても……功太は制服に着られてるわ」

「ごめんね、小さくて」

「見た目、小学生高学年」

「春ちゃんがでかすぎるんだよ」

「あはは、そうかもねー」

そう言って僕の頭をポンポン叩く。

「もう……」

と言いつつ、悪気の無い春ちゃんの笑顔は嫌いじゃない。

 乱れた髪を直して、まだ見慣れない道を進む。新しい環境は緊張と不安が入り交じるけれど、春ちゃんの明るさがそれを少し和らげてくれる。


 ドンッ!!!!!


 もうすぐ校門、という時に、さっきよりも強い衝撃が背中を襲った。

 思わず僕は前に倒れた。

「おい、功太、大丈夫!?」

「だ、大丈夫……」

 起き上がろうとすると、ぐいっと腕を掴まれた。

「ごめんごめん!前見てなかった!って…あれ?男?」

「……え?」

「小さくて可愛い顔してるから女の子かと思った。男だよね?ズボンだし」

 ぶつかっておいてなんなんだ!と、少しムッとして顔を上げると、見たこともない綺麗な顔が心配そうに覗いていた。

 だ、誰!?

「僕は男です!あの、大丈夫ですから!」

 何故だか気恥ずかしくなった僕は、腕を振りほどく。

「あ、ごめん。じゃあ」

 申し訳無さそうな顔をして、その人は校門に向かっていった。

 後ろ姿だけでも、見とれてしまいそうになる。

 あんな人、実際にいるんだな……。

「女の子かと思った、だってさ」

 からかうように春ちゃんが言う。

「春ちゃん、怒るよ」

「まあまあ。てかさ、すごいイケメンだったよな?あれ、一般人?」

「ホントだね、びっくりした……」


 結局、春ちゃんとは違うクラスになってしまった。僕はひとり、自分の組の教室に入ると、女子たちが大騒ぎしていた。

「マジでいたよね、南中の杉原すぎはら明日!」

「いた!朝見掛けたし!」

「しかもこのクラスだよ、ほら、名簿見て!」

「マジでマジでマジで、ヤバい!」

 彼女たちの後ろを静かに通って、僕は自分の名前が貼ってある席についた。

 一番後ろの、窓際から三列目。

 教室をぐるっと見渡す。

 知らない人ばかりで落ち着かない。慣れない制服も何だか心地悪い。

 一瞬、教室内が静まり返る。

「あっ……」

 急に小声になった女子たちが指差す先には、さっきの綺麗な彼がいた。

「えっと……あ、ここか」

 彼は僕の隣の席に座った。そして僕に気付くとすっとんきょうな声を上げた。

「あ、さっきの!同じクラスだったんだ!」

そう言うと、ものすごい笑顔を向けてきた。

「名前は?」

「え、あ、有沢ありさわ功太、です」

「功太か。よろしくね」

 また、笑う。そのあまりの綺麗な顔に男の僕でもドキドキしてしまった。

「あ、えっと、そちらは……」

「あ、俺は杉原明日。明日でいーよ」

「あ、明日くん」

「くん、いらないから」

「あ、うん……」

 明日にも、こっちを羨ましそうに見ている女子たちの視線にも、おどおどしてしまう。

「怪我してない?はい、絆創膏。保健室から貰ってきた」

「えっ、ありがとう。でも、大丈夫だよ」

「そっか、良かった」

 意外と優しいんだな。

「功太ーっ!生きてるー?」

「あ、春ちゃん」

 春ちゃんは隣のクラスだ。

「一人で大丈夫かなーっと思って覗きに来た。てか、隣!」

「あ、うん、さっきの」

「同じ一年だったんだ」

 明日は僕らの会話を聞きながら春ちゃんの背中をつんつんつついた。

「ねえねえ、功太の友達?」

「え?……うん、同じ中学だったから」

 急に話し掛けられた春ちゃんは少し目をぱちくりさせた。

「そうなんだ。朝から一緒だったもんな」

「ははは。……もう仲良くなったの?」

 春ちゃんが僕にささやく。

「うーん、わかんない」

 チャイムが鳴り響き、新入生は自分の教室で席に着いているようにとの放送が流れた。春ちゃんは「またね」と言って自分のクラスに戻っていった。

 横を見ると、明日は配布されたクラスだよりを読んでいた。ただそれだけなのに、ドラマのワンシーンみたいに見えた。

 女子たちも騒ぐわけだし、きっとすでに有名人なんだろう。

 明日に貰った絆創膏を眺める。何の変哲もない絆創膏なのに、なんだか特別な気がして嬉しかった。


 無事に入学式も終わり、春ちゃんと僕は帰り道を歩いていた。

「功太のクラスには可愛い子いた?」

「まだ全然分かんないよ」

「つーか、あいつがいたら誰も敵わないよな。うちのクラスの女子も騒いでたもん。南中の杉原明日がこの高校にいる!って……」

「春ちゃんだって、モテるでしょ。話上手だし」

「馬鹿だな、功太。明るくて面白いだけでモテるのは中学までなんだ」

「そうなの?」

「高校入ったら…顔なんだよ!」

「別に春ちゃん、悪くないよ」

「そんな同情はいらないの」

 はあ、と春ちゃんはため息をつく。彼女が欲しくて欲しくてたまらないらしい。中学の時付き合ってた彼女とはどうなったんだろう。

 そんな会話をしていると後ろから声がした。

「おーい、功太ー」

 振り返ると、明日が自転車に乗って、片手をブンブン振っている。

「あれ、自転車?朝歩いてたよね?」

「新入生は正門の方から入れって言われたから。裏に自転車置いてから正門に行ったんだよ」

「あ、そっか。門の前でクラス表配ってたもんね」

「そのおかげで功太と会えた」

 ニコッと笑う。

 少女漫画から飛び出してきたみたい。

「いやいや、だいぶ衝撃の出会いでしたけど。少女漫画じゃないんだから」

 春ちゃんがボソッと呟く。

「ネクタイ結び直してて前見えてなくて。ごめんな」

「あ、僕は全然大丈夫だから!」

 ……正直、ちょっとだけムッとしたけど。

「優しいな、功太は。えっと……君もよろしく!」

そう言うと、明日は春ちゃんに向かってピースを突き出した。

 春ちゃんは思わずプッと吹き出した。

「ふふっ、なにそれ。俺は隣のクラスの浦田春日」

「春日!?なんかおめでたい名前だな!春分の日生まれとか?」

「え?まあ、そうだけど……」

「良し!ほらな、当たりだろ?あ、じゃあ、俺バイトだから。初日から遅刻出来ないしな。またな、功太、春日」

 明日は満面の笑顔で手を振り、颯爽と自転車で走っていった。

 僕と春ちゃんはしばらくその背中を見つめていた。

「功太、あいつ、なんか変わってるよね?」

「うん」

「イケメンなのに、イメージと違う」

「うん」

 僕は、嫌いじゃない。


 僕ら三人は、いつも一緒に過ごすようになった。

 昼休みになると、春ちゃんが僕らのクラスにやってくる。

「おい、明日」

「ん?」

 明日は焼きそばパンを頬張りながら春ちゃんを見る。

「まーた、俺んとこに女が泣きついてきた!」

「悪い」

「何人目だよ、まだ一学期なんですけど!」

 女子からも話しやすいタイプの春ちゃんは、明日と仲が良いからと相談や苦情がしょっちゅう舞い込むらしい。

「どう思う?功太~!こいつすぐ女捨てるんだよ?」

「明日、付き合うならちゃんとしないと」

「違う、俺が捨てられてんの」

「みんなおんなじこと俺に言ってくるんだわ。杉原くんは私のこと好きじゃないみたい、って!」

 紙パックのジュースを振りかざしながら春ちゃんがヒートアップする。

「相談ばっかでモテに繋がらない俺の身にもなれよ~」

「ごめん、モテて」

 キーッ!と春ちゃんは明日の首を締める真似をした。明日も笑って「やられた~!」と言ってふざけている。

 明日は基本的に告白されたら断らない。だから、女の子たちが言うとおり、「好き」とかそういう気持ちは無いのかもしれない。それで結局女の子の方から辛くなって離れてしまうのだ。でもすぐに告白される。それの繰り返し。

 一度明日に聞いてみたことがある。

「ちゃんと向き合えないのに、どうして付き合うの?」

 明日は少し寂しそうな顔を見せた。

「俺さ、モテるじゃん」

 普通の人が言ったらちょっと引いてしまう台詞だけど、明日の場合、間違いなくそうなのだからしょうがない。

「だからさ、多分俺が彼氏ってのがステータスなんだと思うんだよね」

「ステータス……」

「彼女たちも本当に俺のこと好きなわけじゃないんだよ。だったら、それでもいいか、って誰でも、どうでもよくなる」

そう言って笑う。なんだか切なく、笑う。

 僕はその顔を思い出すと、胸が少し痛んだ。

「てか、よく飽きないね、焼きそばパン。毎日食ってるし」

春ちゃんが呆れたように言う。

「飽きない。美味いもん。夕飯も最近これしか食べてない」

「マジかよ!絶対体壊すって!」

「バイトから帰ると料理する気にならないんだよなー」

「でも、明日、少しは野菜も食べなよ。心配だよ」

「功太、優しい」

「は?俺は?」

「はいはい、春日もね」

「なんだよ、全く」

 明日は一人暮らしをしている。だから料理は得意だと言っていた。両親は小さい頃に離婚し、一緒に暮らしていた母親は小学生の時に亡くなったそうだ。父親は離婚後すぐに新しい家庭を持ったらしい。

 父親が金銭的な面で援助してくれてるらしいけど、あまり頼りたくないようで、バイトのシフトがいつもギッシリ入っている。それも彼女からしたら不満だったんだと思う。

 食品の流れ作業の工場で働いていて、おばちゃんたちにモテモテなんだそうだ。

 大変な境遇のはずなのに、いつも明るく笑い飛ばす明日のことを、僕も春ちゃんも好きなのだ。

 それは、勿論、友達として。


 夏休みが近付くと、すでに明日には新しい彼女がいた。春ちゃんにも同じクラスの彼女が出来て、どこに行こうか浮き足立っていた。

 春ちゃんは彼女と過ごす時間が増えたので、帰り道は明日と二人なことが多くなった。

 ダメなんだけど、自転車に2人乗りして川沿いの道をちょっとだけ走るのが僕らの日課になっていた。

「そういえばさ、バイトに行く途中にいつも通る家が凄いんだよ」

「へえ。どんな?」

「色んな花が咲き乱れてて。めちゃくちゃ綺麗なの。そこの家の奥さんがいつも楽しそうに手入れしてて。その一角だけ別世界みたいでさ」

「……それってもしかして市立図書館の近くの?」

「そう!功太も知ってた?」

「それ、僕の中学の友達の家なんだ」

「え?そうなの?世間て狭いな」

「仲良かったんだけどね、卒業してから連絡取れなくなっちゃって。春ちゃんもダメだったみたい」

「え?何で?」

「わかんないけど。家にも行ってみようかとも思ったんだけどね。高校で新しい友達が出来たからもう迷惑なのかなーとか考えたら怖くなっちゃって」

「ふーん。そうなんだ……」

 明日はただただ自転車を漕いでいた。

 僕は川の流れに目をやった。

 夏の強い日差しでキラキラしていた。


 休み時間に廊下で窓の外を眺めていると、すごい剣幕で近付いてくる女子がいた。

「ちょっと!有沢!」

「な、何?」

 明日の今の彼女だ。

「明日に、夏祭りは功太と行くって言われたんだけど!」

「え?夏祭り?」

 全く身に覚えのない話に、僕はどうしたらいいか分からなかった。

「何であんたと行くのよ、おかしいじゃん!」

「し、知らないって。別に僕は夏祭りなんて」

「じゃあアンタから明日に言ってよ!普通彼女と行くもんでしょって!!」

 ものすごい勢いでまくし立てた彼女は、僕を睨み付けると呟いた。

「いつもいつも有沢のことばっかり……」

「え?」

「何でもない!もういい!」

そう言って廊下を走り去っていく。

 一体、何で僕が怒られてるんだろうか。教室を覗いて明日を探したけれど、いない。

「屋上かな」

 僕は階段を上がった。

 夏祭り……そういえば高校の近くの神社で割りと有名なお祭りがあるんだっけ。

 彼女の言うとおり、お祭りって彼女がいるんなら一緒に行くだろうし、高校生であまり男友達とは行かないよね……。

 そもそも明日とお祭りの話したことないし。

 色々考えながら、屋上へのドアを開けた。

 案の定、明日がいた。

 ただただ、空を眺めている。

「あーす!」

「あ、功太、どうした?」

 優しい笑顔で僕を見る。

「どうした?じゃないよ。今明日の彼女に怒られちゃったよ」

「何で?」

「夏祭り、僕と一緒に行くって言ったの?」

「ああ、その話。言ったよ」

「何で?彼女と行きなよ。行きたがってたよ」

「嫌だ、俺、功太と行きたいの。後で誘おうと思ってたのに……あいつ」

「もしかして僕だけ彼女いないから心配してくれてる?だったらそんな気遣いいらないよ」

「違うって。功太は俺と行きたくないの?」

「え?行きたくないとかじゃなくて……」

「じゃあ、いいじゃん」

「でもさ、彼女……」

「功太が金魚掬ったり、わたあめ食べてるの、見たいから」

 明日は笑いながらも真顔で言う。

 僕は恥ずかしくて目を背けた。

「なんだよそれ」

「絶対可愛いじゃん」

 まるで口説き文句みたいなことを言って僕の目を見るので、僕は言葉が出ない。

「一緒に行こ、功太」

 ああ、なんだかもう、悔しい。

「別にいいけどさ……」

 結局、明日のペースに飲まれてしまう。


 夏休みに入り、明日はほとんど毎日バイトに明け暮れていたけれど、夏祭りの夜はシフトを入れなかった。

「彼女、あれからどうしたの?仲直りした?」

「そんなに有沢がいいなら有沢と付き合えば?ってフラれた」

「……それでいいの?」

「俺は功太も大事だし、それが嫌ならしょうがないだろ。あー、祭り楽しみ。俺、何年ぶりだろ」

 そうは言われても、責任を感じる。彼女に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 だけど、楽しそうな明日を見ていると、こっちも嬉しくなってくる。

 神社に向かう途中、春ちゃんと春ちゃんの彼女に会った。二人とも浴衣を着ていて微笑ましかった。

「寂しいお二人さん、じゃあね~」

 そう言って団扇を振ると、彼女と手を繋いで人混みに消えていった。

「浴衣、いいね。お祭りって感じで」

「功太の浴衣か。考えただけで可愛いな」

 子ども扱いしてるからそんなことを言うのか、本当にそう思っているのか、正直よく分からない。

 どちらにしても、嫌だと思わない自分にも、僕は戸惑っていた。

 歩いていると、視線を感じる。みんな、明日を見ている。隣にいるのが女の子じゃなくて、どう思われているだろう。

 賑やかな音とライトに照らされた屋台が見えてくる。家族や友人、恋人たちがみんな幸せそうに笑っている。

「功太、射的したい。行こ!」

 子どもみたいにはしゃぐ明日が可愛くて、ニヤニヤしてしまいそうな自分を抑える。

「よし!」

 最後の一発が的に当たった。

「はい、功太、あげる」

 明日がキャラメルを差し出す。

「ありがとう」

 どうしよう、とっても、嬉しい。

「じゃあ、金魚掬い行こっか」

 明日の笑った顔に、僕の胸がきゅうっと締まる。

 なんだろう、これ。

 楽しくて嬉しいのに、切なくて泣きたくなるような、この不思議な感情は一体、何。

「功太?どうした?」

「あ、ううん。行こ」

 少し先を歩く明日の背中が近くて、遠い。

 もやもやしていた僕だったが、いざポイを店のおじさんに渡されると金魚掬いに夢中になってしまった。

「なかなか、難しいな」

「兄ちゃん、水にあんまり浸しちゃだめだよ」

 おじさんが色々アドバイスをくれたけど、結局掬えたのは二匹だった。

「功太、イマイチだったな。よしよし」

 明日が笑って僕の頭を撫でた。

「難しいんだよ、意外と」

「兄ちゃん、金魚どうする?」

「あ、お世話出来ないから、ごめんなさい」

「はいよー」

「明日、次どうする?」

 立ち上がった明日は小さく呟いた。

「ちゃんと世話してくれる人のところに行けるといいな」

 その横顔があまりにも綺麗で、儚くて、僕は息を飲んだ。

「そうだね」

 僕はなんとかそう答えた。


 夏休みが開けて、僕らにまたいつもの日常が戻る。

 二学期はみんなが学校に馴染んできて、行事も多いからクラスは今まで以上に毎日ガヤガヤ賑やかだ。

「功太、パン買ってくる」

「うん、先に行ってるね」

 今日は僕はお弁当だ。

 春ちゃんは相変わらず彼女と昼休みも一緒にいるので、明日と二人だけのランチがもう定番だ。

 教室で明日を待っていると、後ろから「ギャアア」と聞こえたので、ビクッとして振り向くと、明日が今にも泣きそうな顔で呻いている。

「な、何?明日?」

「功太~!焼きそばパン売り切れだった!ひどいよ~、いつもあるのに~!ヨーコちゃんに残念って言われた~!」

「ちょ、ちょっと落ち着いて!」

 ただでさえ明日といると目立つのに、大きい声を出すので、他の生徒がちらちらこっちを見てひそひそしている。

 明日の辞書には、イメージを保つ、という言葉は無い。

「焼きそばパンじゃないとダメなんだよ~」

「今日くらい、我慢してよ」

「無理~!」

 うなだれている明日をなだめながら、僕はふと思い出した。

「明日、ちょっと待ってて!すぐだから!」

「え?」

「ちょっと行ってくる!」

 僕は急いで購買に向かう。

「ヨーコちゃん!」

「あ、あのイケメンくんのお友達。あの子へこんでなかった?珍しく焼きそばパン早めに売り切れちゃって」

「はい、泣いて暴れてます」

「ホントに?あの子面白いね!顔と中身が合ってないんだよ」

 ヨーコちゃんが大笑いする。彼女は長年この高校の購買で働いているおばちゃんで、みんな親しみを込めてヨーコちゃんと呼んでいる。

「毎日、コッペパンは余っちゃうんだよ。これも美味しいのにねえ」

「あ、そのコッペパンください!」

 教室に戻ると、明日は窓の外を見ながら紙パックのミルクティーを飲んでいた。

「功太、どこ行ってたんだよ」

「今日ね、お弁当に焼きそばが入ってるの思い出したんだ。だからね 」

 僕は買ってきたコッペパンに箸で切り込みを入れ、焼きそばを詰めた。

「はい、明日、焼きそばパン」

 明日の目の前に即席の焼きそばパンを差し出すと、明日が勢いよく抱き締めてきた。

「功太!嬉しい!大好き!」

 周りの視線が再び刺さる。

「分かったから、ほら、はい!」

 パンを受け取った明日は満面の笑みを見せた。

「う、うま!功太、美味しい」

「お母さんの焼きそば、僕も好きなんだ」

「功太の母ちゃん、最高!」

 明日の嬉しそうな顔が、僕の心をまた揺らす。

 ずっと側で、明日を見ていたい。

 それは、友達としてだろうか?

 僕は、この気持ちの答えが出かかるのを必死に抑えた。

 今のままでいい。

 今の、この距離で、明日と一緒にいられればそれでいいんだ。

 それでいいんだ。


 二年生になり、僕らは三人とも同じクラスになった。春ちゃんは彼女とクラスが離れてしまって残念そうだったけれど、「その分功太がいるからいっか」と言って相変わらず僕を子ども扱いする。

 何も変わらない、いつもの日常。


 だけど、それは、上辺だけだった。

 僕はハッキリと分かっていた。

 僕は、明日に特別な想いを持っている。

 そして、もう一つ、はっきりと分かること。

 明日も、僕に特別な想いを持っている。

 お互いに、それに気付いていることも。

 

 でも、絶対にそれを口にしないし、周りから見ても今までと変わらない僕らだと思う。明日は今までのように告白を受けているし、こんなに近くにいる春ちゃんも気付いていないんだから。

 毎日、気持ちを押し殺して明日と接するのは本当に苦しくて苦しくて、逃げ出したいくらい辛い。側にいたいのに、いたくない。

 想いを吐き出してしまえば、どんなに楽だろう。何度も何度も思う。だけど、そんなことをしたら二度と友達には戻れないだろう。

 僕らは、この恋を自分で受け止められるほど大人じゃなかった。同性を好きになった自分を理解してあげられない。許してあげられない。

 家に帰ると毎晩声を殺して泣いた。

 明日、好きだ、好きだ、好きだ、明日、僕はどうしたらいいんだろう。

 答えが出ないまま、朝が来る。


 三年生になると、三人ともクラスがばらばらになった。寂しいけれど、少しだけホッとしている自分もいた。

 それでも、会えないことにも耐えられない僕らは、相変わらず一緒に下校している。川沿いで二人乗りをするのも変わらなかった。

 六月、今にも雨が降りそうな空の下を僕らは自転車で駆け抜けていた。

 肩に置いた手から明日の体温が伝わる。

 明日の背中が愛しくて愛しくてどうしようもない。

 もう、もう、無理だーーー。

「功太?」

 明日が驚いて自転車を止めた。

 僕が明日の背中に抱き付いたからだ。

「功太……」

「明日、もう僕無理だよ、僕……」

 明日は僕の手を振りほどいて、自転車から降りた。

「だめだ、功太」

「明日、僕は……」

「言うなよ。二度と戻れなくなる」

「だけど、もう……」

「功太……」

 明日が悲しく切ない顔で僕を見る。

 僕は、溢れる涙が止められなかった。

 この想いも、溢れて止められない。

「明日が好きだ……」

 明日は唇をぐっと噛むと、僕を抱き締めようとする手を止めた。

「ちょっと、話そう。うちに行こう」

 そのまま黙って自転車を押していく。

 僕も黙ってついていく。

 

 明日のマンションに着いてもしばらく会話は無く、淹れてくれた温かい紅茶のカップを握り締めていた。

 二十分くらい過ぎた頃、明日が口を開いた。

「雨、降ってきたな」

そう言って、窓辺に佇む。

「明日、ごめんなさい……」

僕がそう言うと、窓の外から視線を僕に移した。

「功太は悪くないよ。俺も、もう耐えられなかった」

「明日……」

「功太、好きだよ」

 優しく笑ったその顔に、胸の奥が締まる。

 ずっと、ずっと、聞きたかった言葉。

「好きで好きでおかしくなりそうなくらい、功太が好きだよ」

 そして、また視線を窓の外に向けた。

「でも……、もう側にいるのはやめよう」

 その言葉は一番聞きたくなかった。

「嫌だよ!」

「友達には戻れないよ」

「分かってる」

「付き合うわけにはいかないだろ?」

「本当にだめなのかな」

「功太は、親に言えるの?男と付き合ってるって。将来、孫が見たいって言われたら?」

「何それ、分かんないよ」

「この先社会に出たら、二人の関係のせいで辛いことが待ってると思う。それでも平気?」

「分かんない……」

「それに、もしお互いの気持ちが離れたら?今が好き過ぎるから、考えるだけで怖い。友達のままだったら、ずっと……。でも、もう……」

「明日、もう分かった」

「功太……」

「僕らは想い合うのに覚悟が必要な人を好きになっちゃったんだね。でも気持ちだけ先走って、覚悟がついてこなかった。だって、僕自身、どうしようって思ってた。どうしよう、相手は男なのに、って。自分で自分を軽蔑した。僕はおかしいんじゃないかってずっとずっと悩んで……」

「俺も同じだよ」

「きっと恋人になったとしても、周りの目ばかり気にして生きて行くんだろうなって、やっぱり自分は世間からみたらおかしいんだって、そう思って過ごすんだと思う。それで頭がいっぱいになった時、変わらず明日と向き合っていけるかなんて……分からない」

「多分、結局別れを選んでしまう日が来るかもしれない。だったら、今日で終わりにした方が……いいんじゃないかと思うんだよ」

 泣きそうなのに優しく微笑む明日が心の底から愛しい。

 僕らは、子ども過ぎてこの想いから逃げることしか出来なくて、だけど子どもになりきれなくて突っ走ることも出来ないのだ。

「功太、おいで」

 明日が座っておいでおいでをする。

「僕、犬じゃないよ」

そう言いながら、僕は明日に抱っこされる。

 明日の体温が、匂いが、体中に染み渡っていく。

「功太、ホント小さいな」

「明日にこうしてもらえるように、小さいんだ」

「可愛いこと言うなあ。おかしくなるくらい」

「なってよ。どうせ最後なら、我慢したくない」

「え……」

 明日が少し驚いた顔をする。

「いいの?」

「うん」

 雨の音が大きくなる。部屋の中がどんどん闇に飲まれていく。

 そっと、明日の唇が触れた。

 すぐに、離れる。

 体の真ん中に未知の感覚が走る。

「ずっと、こうしたかった」

「明日、もっと……」

 再び唇が触れ合うと、僕らは夢中で繰り返した。今まで押さえていた触れたいという気持ちが洪水のように溢れだして止まらなかった。

 ベッドに雪崩れて、上になった明日が僕の制服のネクタイを外した。

「功太、愛してる」

 真っ直ぐに僕の目を見る。

「明日、愛してる」

 ああ、好きだよ、明日。

 お互いの制服がベッドの下に散らばる。

 神様、僕、今死んでもいいです。

 幸せ過ぎてどうにかなってしまいそうです。

 そんなことを思いながら、身体中に明日を感じていた。


 そして僕らは夜明けを迎えた。


 朝になっても、雨は降り続いていた。

 いつの間にか、二人とも眠っていたらしい。

「明日、もう起きなきゃ。学校遅れちゃう」

「学校なんていいよ、行きたくない」

「だめだよ、起きて」

 明日の体を起こすと、キスをしてくる。僕もそれを受け入れて暫く離れられなくなる。

「だめだって……明日」

 その言葉をキスで塞がれる。また明日の温もりを求めてしまいそうだ。

「ほら、おしまい」

 僕だって、ずっと明日といたい。いたいけど。

 制服を拾い集めて、シャツに腕を通す。ネクタイを締めようとした時、明日にネクタイを奪われた。

「明日?」

 明日はネクタイで僕の両手を縛ると、壁際に追い込んだ。

「このまま閉じ込められたらいいのに」

 そう呟く明日が堪らなく恋しくて、今度は僕からキスをした。

 これが最後のキスだった。

 外に出ると雨が強くなっていた。二人の心の中を表しているようだった。

「功太、傘貸すよ」

「いい、返せないから」

「……。でも……」

「コンビニまで走るから大丈夫だよ」

「そう……」

 明日が差し出した傘を持つ手を降ろす。

 離れたくないと叫びだしたい気持ちを押さえつけると、それに比例して涙が溢れてくる。

「功太……」

「あはは……ごめん」

 笑ってみるものの、止まらない。最後の最後は泣きたくなかったのに。

 僕はグッと拳に力を入れた。

「じゃあ、先に行くね」

「……うん」

「バイバイ、明日」

 雨に打たれて、ぐちゃぐちゃに泣いて、無理矢理に笑って、僕はきっと相当ひどい顔をしていたと思う。

 最後に見た明日の張り裂けそうな顔を忘れることはないだろう。

 さよなら、明日。

 大好きだよ。


 途中コンビニで傘を買ったものの、びしょ濡れになってしまい、一度家に帰るか迷ったけれど、僕は学校に向かった。

「功太!?どうしたんだよ、ずぶ濡れじゃん!」

 靴箱の前で春ちゃんと彼女に会った。

「あ、いや、傘を忘れて……」

「傘を?だって、家出るときから降ってたろ?つーか傘持ってるじゃん」

「これは来る途中で……」

「まあ、いいや、ほらタオル」

「ありがと」

「あ、私、部室にドライヤーあるよ!持ってくる!」

 春ちゃんの彼女は水泳部なのだ。

「ありがと……」

 二人の優しさが身に染みる。

 

 チャイムが鳴る。

 気が付いたら放課後になっていた。

 学校に来てからの記憶が無い。

 明日は学校に来ただろうか。

 僕はこれから、どうやって生きていけばいいのだろう。

 

 あれから僕と明日は全く関わらなくなって、屋上で一緒にお昼ご飯を食べることも、帰り道で二人乗りすることも無くなった。

 ほとんど誰とも喋らなくなったし、笑うこともなかった。

 明日がいない世界は、何処までも暗闇だった。

「よっ、功太」

ポン、と背中を叩かれた。

「あ、春ちゃん。なんか久しぶりだね……」

「進路どうするの?大学?」

「うん、一応。やりたいことは無いけど、大学は出といてって親に……。春ちゃんは?」

「俺は指定校推薦受けようと思ってる」

「そうなんだ。春ちゃんならきっと大丈夫だよ」

 春ちゃんにも愛想笑いをしてしまう。

 少しの間僕の顔を見ていた春ちゃんは、急に僕の両頬を引っ張った。

「!?」

「功太、一体どうした?何かあったの?ずっと死んだような顔してさ!余りにもヤバそうだから話し掛けづらいし!明日ともつるんでないし、てかあいつも暗いし、なんなの!?」

 春ちゃんがずっと心配してくれていたのは、勿論分かっていた。

 でも、ごめん、言えないよ。

「う、う……」

「え?ちょっ、功太!?」

 僕は我慢出来ずに大泣きしてしまった。

「春ちゃんの顔見てると安心するぅ。気が緩むぅ!うわあああ!」

 廊下なので声が響く。

「えっ?えっ?功太落ち着いて……」

 春ちゃんがあたふたしている。僕はダムが決壊したように止めることが出来ない。

「ちょっとほら、自販機の陰に。みんな見てるから」

 そして僕の頭を撫でた。

 背が小さいからか、僕は昔からよく頭をポンポンされやすい。春ちゃんの手は大きくて温かくて、だんだん気持ちが落ち着いてくるのだ。

「功太、大丈夫?」

「うん……ごめんなさい」

「いや、いいけど。言いたくないなら言わなくていいけど、少しは俺も頼りなよ」

「ありがとう」

 でも、春ちゃん、ごめんね。

 暗闇から抜け出すことはまだ出来そうにないよ。


 僕は結局、何も変えられないままあっという間に卒業式を迎えた。

 式の後、みんながわいわい写真を撮り合ったり、抱き合ったりしている中、僕は一人校門を出た。

 川沿いの桜はまだ咲きそうにないけれど、蕾は頑張ってどんどん大きくなっている。

 僕よりもちゃんと前を見ている。

 毎日のように明日の後ろで風を感じながら、見ていた風景。もうきっと歩くことはないだろう。

 その時。

 パコーン!と頭を軽く叩かれた。

「???」

 訳が分からずに振り向くと、卒業証書の筒を振り上げている明日がいた。

「なーにひとり寂しく歩いてんの」

そう言って優しく微笑む。

 久しぶりの明日の笑顔。

「明日だあ……」

「何だよ、その顔。鳩が豆鉄砲食らった顔!」

 お腹を抱えて笑い出す。

 昔と変わらない明日に面食らってしまう。

「やっぱり、明日、ボタン全然無いね」

「あー、朝全部取られてさ、式前なのに。ブレザーの前安全ピンで留めて式出たんだぜ?」

「さすが明日……」

 なんだか上手く明日の顔が見られない。

 僕は薄く笑いながら視線を反らした。

「功太、元気でいろよ」

「明日もね」

「今度会える時はちゃんと笑って会えるといいな」

「そうだね……。笑えるといいね」

 そんなの明日がいなきゃ、いなきゃ無理だよ。

 言いたいけれど、グッと堪える。

「功太、バイバイ」

 明日はそう言うとまた優しい笑顔を見せてくれた。そして停めていた自転車を走らせた。

 明日が、行っちゃう。

 もう、会えない。

「明日、バイバイ!」

 明日の背中に叫ぶと、振り返らずにひらひら手を振ってくれた。

 しばらく僕は自転車で走る明日の後ろ姿を見つめていた。

 明日、お願いだから、幸せになってね。

 なってほしくないけど、なってほしい。

 ふとブレザーのポケットに手を入れると、何か固いものが指に当たった。

「あれ?」

 取り出してみると、それはブレザーのボタンだった。

「これ……明日の?」

 明日が僕の知らない間にそっと入れたのだ。

「馬鹿だなあ、ずるいよ、明日のこと考えちゃうじゃん」

 僕はその場でうずくまって泣いた。

 ボタンを握り締めながら。


 早く桜が咲かないかなあ。

 花びらを散らして僕の涙を隠してよ。


 これから僕は明日への気持ちを抱えて、笑えるだろうか。

 いつか、明日への想いを忘れることが出来るだろうか。

 僕の世界が晴れる日は来るのだろうか。


 ねえ、明日、

 明日が僕のために出した結論だってこと、

 痛いほど分かってるよ。

 でもね、でも、本当は、

 本当は、僕は、それでも、

 一緒にいたかった。

 明日のそばにいたかったよ。

 もっと僕が強かったら、

 心配させないくらい強かったら、

 別れを選ばなくても良かったのかな。

 ごめんね。

 ごめんね。

 ごめんね。

 

 僕は顔を上げて空を見た。

 雲が流れていく。

 そして僕はゆっくり立ち上がった。










































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