23話 今は亡き友
塗装屋のおじいさんは、おじさんに家督を譲ったあとは歳のせいもあってぼけてしまったと聞いていた。
それは間違いなかったらしい。
千春を見たおじいさんは、開口一番に千春の事を「千蔵」と呼んだのだ。
千蔵。
今は亡き、千春の祖父の名前である。
どうやらおじいさんは、千春の事を古き友人である祖父・千蔵だと思っているようだ。
「千蔵…お前遊びに来てくれたんか?元気そうだなあ」
千蔵、と呼びながらおじいさんは千春を嬉しそうに見ている。
千春の祖父とおじいさんは若い頃から仲が良かったとは聞いているし、実際に千春も小さな頃に2人が仲が良い様子は見ていた。
しかし、祖父は既に故人なのである。
『千春ちゃん、今日もじいちゃんについて来たのかあ!』
昔祖父と塗装屋に来た時、おじいさんが嬉しそうに小さかった自分の頭を撫でてくれた事を千春は思い出した。
けど、今目の前にいるおじいさんは千春の事を千蔵…祖父だと思っている。
もしかしたらその頃の事も、祖父が故人だと言う事もおじいさんは分からないのかも知れない。
「あ、あの…、」
千春が何と言ったらいいのか分からずにもにょもにょとしていると、横の圭介と里奈におじいさんの視線が移った。
「おお!
どうやらおじいさんは、圭介と里奈の事も誰かと間違えているようだ。
嬉しそうに話すおじいさんをよそに、さすがの圭介と里奈も黙り込んでしまった。2人とも困ったように顔を見合わせている。
「じいちゃん!千蔵さんじゃなくて千春ちゃん!千蔵さんの孫だよ!よく千蔵さんと一緒に遊びに来てただろ!この子たちは千春ちゃんの友達だよ!!」
見かねたおじさんの言葉が耳に届いたのか、ニコニコとしていたおじいさんはハッとした表情をした。
「おお…、おお…!そうか…、本当じゃ、千春ちゃんじゃ…大きくなったなあ…」
間違えてすまんのう、と申し訳なさそうな顔をしたおじいさんはもう一度圭介と里奈を見る。
「千蔵も圭治郎も、真美子もとうに空の上じゃった…」
おじいさんは寂しそうに呟いた。
どうやら千春の祖父以外の2人も故人らしい。
「いかんのう、ぼけちまって。うるさくしてすまなんだ…ゆっくりしていきなさい」
そう言ったおじいさんは、静かに笑ったあとにのそのそと部屋に戻って行った。
「ごめんな皆…昔の友達と間違えたらしい」
おじさんは何も悪くないのに、申し訳なさそうに謝って来た。
「いえ!大丈夫です」
千春はブンブンと手を振りながら答えた。
圭介と里奈はと言うと、いつの間にか再び牡丹肉を愛でていた。
*
牡丹肉をご馳走になったお礼をしたあと、またおいでとおじさんは嬉しそうに言ってくれた。
挨拶をした3人はオレンジ色に染まった夕焼け空の下、帰路に着く。
オレンジと青のグラデーションになった空を見ながら歩いていた千春は、ふとおじいさんが先程言っていた名前を思い出した。
千蔵、圭次郎、真美子。
「千蔵は俺のじいちゃんだけどさ…圭治郎って誰なんだろうな。圭介に名前も顔も似てるなら圭介のじいちゃんとかそれか親戚の事か?」
真美子と言う人物はともかく、千蔵も圭次郎も一部ではあるが千春と圭介と同じ漢字が入っている。ぼけているとは言えおじいさんがその人と見間違えるくらいだ。
千春に関しては完全に血縁者だが、圭介はどうだろうと思い聞いてみた。
しかし圭介は困惑した顔でこう答えた。
「いや…俺ん家のじいちゃんは
親戚にもいないな、と圭介は言った。
「あ…何かごめん…」
千春は圭介の祖父を勝手に故人にした事を後悔した。
偶然似ている人かだった、と言う事か。
「うちのおばあちゃんも2人とも生きてるし、親戚にも真美子って言う人はいないなあ……」
「里奈もか…」
うーん、と唸る千春と里奈をよそに圭介がふわあああ、と大きい欠伸をする。
「まあ他人の空似だろ。世の中には同じ顔の人間が6人いるって言うしなあ」
確かにそんなような話を聞いた事はあるが、6人は多すぎるだろうと千春は思った。
「何それ怖っ!」
里奈がヒイイ、と奇声を上げた。
「言わねーよ!何だよ6人って!!」
千春のツッコミが先程より濃い青になった空中に響く。
ぎゃーぎゃー騒ぎながら帰った3人は、団地に着く頃には全く違う話題の話をしていたからか圭次郎、真美子と言う人物について全員すっかり頭から消えていた。
しかし、かなり先になるがこの名前を再び思い出す時が来るのである。
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