10話 燃える睦月
6年3組、水野優衣。
彼女は今、学年中から注目をされている。
「ちいちゃん!おはよう!」
県営団地2号棟、606号室の千春の自宅の隣にある605号室。その部屋から優衣が出て来たところにちょうど千春は鉢合わせた。
「おはよう優衣ちゃん」
産まれてから今日に至るまで、2人ともここで暮らしている。言うなれば、揺り籠時代からの仲である。
2人で世間話をしながら階段を降りていると、2階下の4階の廊下から言い争う声が聞こえて来た。
「ちょっと…自分で歩きなさいよ!」
「無理…、もう限界…肩貸して」
「あんたねぇ…強い男になるんでしょ?ちょっと聞いてんの?肩に顔乗せないでよ!」
「………」
「あんた…もし今大阪夏の陣が起こったら真っ先に死ぬね…」
「ひいいっ!!死ぬ!!熱い!!火が!!!」
「耳元で騒がないでよ!!熱いって何?バカなの!?」
声の主の方を見ると、睡魔に負けそうな睦月と里奈が話しながら歩いてくる様子が見えた。
千春は最近うっかり忘れていたが、睦月は元々朝に弱い。毎朝千春に起こされていたくらいの万年お寝坊王子なのだ。
そんな王子が、千姫にふさわしい強い男になるとか言う謎の理由でここしばらくは自発的に起きて来てはいたのだが。
とうとう限界が近づいて来たようである。
「おいムッティ…里奈、朝から痴話喧嘩は止めろよ…」
朝から元気すぎるだろ、と千春が嗜めた。
「千春…あんたこれのどこが痴話喧嘩に見えるのよ…」
「ふわああああ…」
げんなりしている里奈の横で、睦月が盛大な欠伸をした。
千春の後ろからひょっこり顔を覗かせた優衣が手をひらひらと振る。
「ムッティ、里奈おはよー」
「おはよう優衣…」
「おー…おす」
里奈は朝から疲れたと言いたげな声で、睦月はと言うともそもそと目を擦りながら挨拶に答えた。
*
「それでさ優衣、その
学校までの道中、先程までの眠気はどこに行ったのかと聞きたくなるくらいのテンションで睦月は興奮して優衣に歴史の話をしていた。
「救った者には千姫を与えよう」
大坂夏の陣による大坂城落城の際、坂崎直盛は徳川家康の依頼を受け、家康の孫娘で豊臣秀頼の正妻である千姫を大坂城から救出した。
家康から千姫を救出するよう命じられ、その褒美として千姫との結婚を約束された直盛。
顔に大火傷を負いながらも、千姫を救い出す事に成功した。
にも関わらず、その顔の火傷を見た千姫に拒絶され、家康にも約束を反故にされてしまったのだ。
その結果、千姫奪取計画を立てる事件を起こしたと言われている。
(※諸説あります!)
「今で言うストーカー?って言うやつ?」
優衣はふむふむと呟きながら頷いている。
睦月はすっかり覚醒をしたらしく、歩きながら今にも燃え上がりそうな雰囲気を醸し出していた。
「ムッティ…すっかり目が覚めたみたいだけど大丈夫?燃えちゃわない?学校に着いたら水かけてあげるね」
「何でだよ!いらねえよ!!」
優衣の天然じみた発言に睦月は食い気味に答える。
「いいか優衣。坂崎みたいなと言うか、とにかく男には気をつけろよ。最近どうも嫌な予感がする」
睦月は突然優衣に謎の注意をした。
「どうしたのムッティ。優衣にはストーカーはいないよ?」
優衣はキョトンとした顔で首を傾げる。
「…お前が気づいてないだけかもしんねーだろ」
優衣と睦月が話す様子を、後方から千春と里奈は呆れたように見つめていた。
「あいつさ…歴史の話になると本当に饒舌だよな。最初から覚醒すればいいのに…」
「本当に同一人物なのかしら」
千春と里奈は2人揃って同じタイミングではあ…と大きなため息をついた。
「おい千春、里奈…全部聞こえてんだぞ」
「本当の事だろうが!!」
「そうよ!大体あんたは…」
学校の校門付近につくまでやりとりは続いた。
そんな4人の様子を、物陰から複数の人物が恨めしそうに眺めている。
先日の千春と圭介のわちゃわちゃの様子を見ていた6年1組の男子生徒たちである。
「チッ…原田が大丈夫とか言ってたのは誰だ!!」
「仲良く登校かよ…調子に乗りやがって」
「大野はいないけど、やっぱり水野も谷井もあいつらの誰かと付き合ってるって言う事かよ…、どうする
やはり1組の男子たちは優衣と里奈の事が気になっているらしい。
直人と呼ばれた、男子たちの中でも一際体格のいい少年が口を開いた。
「呼び出して締める」
直人の意見に気をよくしたのか、周りの男子たちから歓声が上がった。
「締めるって何するんだ?誰から?」
直人は握った拳をボキボキ鳴らしながら、男子の質問に答えた。
「川崎と原田2人ともだ。…昼休みにやるぞ」
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