5話 奇声と軍隊の奴隷

8階建ての棟が2つ連なる、山梨県西部にある小さな村の県営団地。

主人公の千春を始めとした幼馴染5人組は全員2号棟に住んでいる。千春と優衣の家は6階でしかも隣同士、睦月と里奈の家は4階である。

残った1人、圭介はと言うと。


「ひいいいいいっ!!!」


とある日の朝、2号棟中に謎の奇声が響き渡った。

ちょうど自宅から出たばかりの千春は、奇声を聞いてため息をつく。

この声の主をよく知っているからである。


「はあ…」


予想通りなら、この後声の主は悲鳴をあげながら階段を駆け降りてくる。

そして自分に抱きついて来るだろう。

一通りの予想をした後、千春は頭を抱えた。

そして千春の予想は、折しも当たる事になる。


「いやああああっっ!!」


「圭介!!うるせえ!!」


声の主とは他でもない、圭介である。

最上階である8階の自宅から6階まで転がり落ちる勢いで階段を駆け降りた圭介は、千春を見つけた瞬間に飛びついて来た。


「千春千春千春!!!助けてぇ!!!」


千春は身体ごと抱きついて来た圭介の重さにバランスを崩しそうになったが、何とか持ち堪えた。


「わかったから!抱きつくな!」


「死ぬ?俺死ぬ!?死ぬ!!殺される!!」


「死なねえよ!!!落ち着け!!!」


圭介は学校では女子たちからモテる方である。

こいつをかっこいいとかほざいている女子たちが今の姿を見たら何と言うだろう。

そう思い辟易としていたら、階段の踊り場から圭介をこんな姿に変えてしまった犯人である一羽の鳩が優雅に空高く飛び去って行くのが見えた。


圭介は鳥類が苦手なのだ。

中でも1番苦手なのが、鳩である。





「はあ…、鳩ねぇ…」


今朝の一連の話を聞いた里奈が呆れたように声を上げた。

昼休み、6年3組の教室。

朝から大嫌いな鳩に遭遇した圭介は、授業中以外は机に顔をうつ伏せたまま。

もはや机と一体化している。

自分たちの住む家が団地なのも要因の一つなのかも知れないが、毎年同じ時期に団地全体で鳩が大量に発生するのだ。


「俺と優衣ちゃん家の階はどの家も去年巣を作られそうになったなあ…そう言えば」


6階に暮らす千春と優衣の家は危うく鳩の餌食になりかけていたが、優衣の家は鳩避けとしてベランダに防鳥ネットを設置、隣の千春の家では防鳥ネットと忌避剤を撒いたところ(優衣の家にも分けた)、全くではないが鳩の到来は少なくなり巣も作られずに済んだのである。


「圭介の家は8階だしなあ…1番上の階だし狙われやすいんだろうな。まあ迷惑な事に変わりはないし、毎日圭介の奇声が聞こえて来るのもなあ…」


「鳩が俺の家の前で陣取っているのが悪い!」


圭介の家でもベランダに対策はしているらしいが、ベランダに入れない鳩たちは別のルートで団地に入り込んでくるのだ。

今朝はドアを開けたら鳩とこんにちは、状態だったらしい。

確かに家の前に前触れもなく鳩がいたらそれは驚くかも知れない。


「トランペットでも習って吹けば言う事聞くんじゃない?」


「ああ!いいかもぉ!パズーみたいに!」


里奈と優衣が有名映画のワンシーンの話をし出した。

あれはフィクションだからいいが、もし実際にやったとしてあんなに上手く行くのだろうか?


「お前らなあ…そんな簡単に楽器が吹けるわけねえだろ。大体全く絵にならない!」


圭介は突然ガタッと立ち上がった。


「あっちはどっかの国の煉瓦造りの家に白い綺麗な鳩なのに、こっちと来たら田舎の団地とそこら辺にのさばってる得体の知れない汚い鳩だぞ!最初から終わってんだろ!!!」


プルプルと震えながら言った圭介の発言は妙に的を得ていた。


「確かにパズーと圭介じゃねえ…シータ的な空から降って来る女子もいないしぃ」


里奈が頬杖をつきながら言う。

里奈の言葉を聞いた圭介は「ああああああッッッ!!!シータぁぁぁぁ!!!」と叫びながら再び机に突っ伏した。


「はあ…しかし最近の鳩ってもったいないよなあ…」


いつの間に用意したのか、分厚い本をペラペラ巡りながら突然睦月が謎の自論を語り始めた。


「もったいないって何だよ」


千春はまた何か始まりそうだな…と思いながら睦月に聞いた。


「上手く飼い慣らして使えば色々出来るのに。飯食って首振って歩くか、子孫増やして後は飛ぶだけとかもうただのニートだろ」


そう言った睦月が読んでいる今日の本は『世界の軍用鳩の歴史』とか言うタイトルだった。


「お前…、何なんだよその本のチョイスは!」


千春は顔を引き攣らせる。

果たしてこの本に書いてある事は今後の人生に本当に必要な内容なのだろうか?


「フッ…、鳩はいつからこの世界にいるのかと思ってな」


睦月はドヤ顔で伊達メガネをくいっと上げる。


「とれよそのメガネを!」


千春は睦月の変身道具(?)にツッコミをいれる。


「ねえねえちいちゃん!すごいよ!鳩って紀元前からいるんだって!紀元前!」


睦月の横で本を覗き込んでいる優衣が目を輝かせている。千春はすごいねえ、と優衣にゆるく返事をしながら睦月に質問をした。


「紀元前って昔過ぎてよく分かんねえけど、どれくらい前なんだよ?ムッティ」


「範囲が広すぎる。何とも言えない」


睦月はまたしても伊達メガネをくいっと上げながら答える。


「しかし鳩自体は10000年前からいた、とこの本には書いてある。戦争の時は世界中で伝書鳩として手紙とか重要…?…重要機密書る…、え?……、じゅ、じゅうよう・きみつ・しょるいを運んでいたらしい」


「へえ…」


睦月の多少残念な説明に千春は半笑いで答えた。

大事なとこで噛む辺りが睦月らしい。


「えええ!?すごーい!」


呆れている千春をよそに、優衣がニコニコしながらパチパチと手を叩いた。

その横で睦月が顔を赤らめ、ニヤニヤしながら座っている。

こいつは一体何を喜んでいるんだろう…と千春は睦月に冷たい視線を送ったが、睦月は気付きそうになかった。




「俺は…っ、俺は認めないぞ…」


突然机と同化していたはずの圭介がボソボソ喋り始め、恨めしそうな顔をしながら机をガンガンと拳で叩いた。


「そのまま世界中の軍隊の奴隷でいればいいだろうが!!何で一般市民の居住地を練り歩いてんだよクソ野郎!!」


歯茎から血が出そうなくらいにギリギリと歯を食い縛り、鳩に対する憎しみを露わにしている圭介を見て千春は思わず吹き出した。


「今笑ったか?」


圭介が鳩に対してのままの表情で千春を見つめて来る。


「いや、気のせいだろ」


千春はそう言うが、完全に圭介からは目を背けている。


「俺の顔を見てもう一度言ってみろ」


「やだ」


「ぴいいいいいいい!!!」


千春の返事を聞いた圭介は、朝のような奇声を上げながら朝のように千春に抱きついて来た。


「この口か?この口かそんな事を言うのは!!!」


圭介は両手で千春の頬をプレスする。


「うるせえぞ圭介!!情緒不安定か!!止めろ!!」


鳥が嫌いなくせに、鳥みたいな奇声を上げるとは何事なのだろうか。

全く持って解せない。


わちゃわちゃしている圭介と千春を見て、里奈はため息をつく。

睦月と優衣は全く止める素振りもなく、例の本を読み続けている。


「おい…誰か圭介を何とかしてくれ…!」


千春の呻きは果たして聞こえたのか。

結果、答えは分からないまま昼休みは終わり全員自分の席に戻ったのだった。







放課後。

校庭に続く階段に5人で座り、夕焼けを眺めている。


「という訳で今日の議題は、『鳩をどう撃退するのか!』です」


千春の呼びかけに、睦月以外の3人は唸り声を上げた。


「とりあえず気休めかもだけど、うちの団地の鳩たちは何とか来ないようにしたいよねえ…奴らの苦手なものとかさ、何か分かる?ムッティ」


里奈がぐるんっと顔を向けた先にいた睦月は、昼休みの時と同様ドヤ顔で伊達メガネをかけている。


「任せろ。これに全て書いてある」


ムフフ、と笑いながら睦月は例の軍用鳩の本を鞄から取り出した。

千春は昼休みのようにツッコミを入れる。


「だから何なんだよその本!」


よく見ると、本の裏表紙に『図書室貸出書籍』と記載がある。

まさかこの本、図書室から借りて来た本なのか?

千春は校舎の2階にある図書室の窓を見上げた。


「うちの図書室おかしくないか…?」


「安心したまえ千春くん。紀元前編から平成編まである長編物だ」


ムフ、と再び笑った睦月が持っている本をよく見ると、背表紙の『世界の軍用鳩の歴史』の文字の後に『①紀元前』と記載がある。


「物語みたいに言うんじゃねえ!とにかくだ!圭介の奇行を、…いや、俺たちの平和を戻すためにも!あいつらを撃退しなければ!」


平和な日常を取り戻すために、今はこの謎の本が役に立つかもしれない。


「俺はあいつらを絶滅させるためなら何でもやるぞ」


圭介の物騒な発言が聞こえたような気がするが、千春はスルーする事にした。


「よし、早速ミッション開始だ!!!」


こうして千春の掛け声とともに、鳩との戦いの幕が切って落とされた。


「おー!!」


夕焼け空に向かって5人が拳を突き上げた。

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