第8話

 来てほしくなかった顔合わせの日がやってきた。

 ショーンはなんだか忙しそうで最近はまともに話せていない。

 

 やってきた男はネルよりもずっと年上の人だった。何度か式典で見たことがあるなと思っていたら、男の引き笑いを聞いて思い出した。ネルにしつこく付きまとっていた人だ。何でこの人が――、と父の方を見ると有無を言わせない笑みで返された。そして、みんなが集まったのを確認すると、父が立ち上がり言った。


「紹介する。彼がジャマント国の第二王子ヒガミくんだ。そしてこちらがわが娘ネルだ」


「ネル様ご無沙汰しております。この日が来るのをずっと楽しみに待っておりました」


 にやつきながらネルのことを舐めまわすように見てきて、ゾッとした。 

 確か彼は四十代で、離婚歴が二度あり、子供が前々回の奥さんとの間に三人とその後の人との間に二人いる。どちらも離婚の理由は横柄で欲にまみれていて、それでいて何もできないところに嫌気がさし、出て行かれたと聞いたことがある。

 

 引き攣った顔で入口に立っているショーンに目を向けるが、ショーンはただまっすぐ前を見つめていた。


「さあ今すぐ婚姻を」と紙を出してきたヒガミを父は一瞬睨みつけ、彼は即座に紙を引っ込めた。


 そして父はネルの方へ顔を向けた。


「今日はただの顔合わせだ。そんな急がなくていい。ネルの気持ちが第一だから」


 この会はヒガミが一方的に話し続けて終わった。

 帰り際にネルの元へ近寄って来たショーンが耳元で周りに聞かれないように囁いた。


「まさかあいつとは驚きましたね。しかも第一じゃなくて第二王子」


 笑うのを耐えているようだ。


「誰でもよかったのよ」


 それからまじめな口調になり、「後で学習室に来てください」と告げ、見送りをしに行く父の後ろを追いかけて行った。



 ネルはドレスを脱ぎ捨て、ラフなワンピース姿で図書室兼学習室へ向かう。

 ここはいつもリムと勉強をするところ。天井まで届く本棚があちこちにあり、本が埋め尽くされている。そしてここはリムが一日を過ごす場所でもある。生涯かけても、ここの本を全て読みつくすのは無理かもしれないと、リムは以前真剣に悩んでいたことがある。


 そこにはやはり、リムがいて、いつも通り本を読んでいた。ショーンはまだ来ていない。


「ショーンにここに来るように言われたんだけど」


「僕もそうだよ」


 それからややあって、リムが聞きにくそうに言った。


「どうだった? 顔合わせは?」


 気にしてくれていたことに驚き、うれしかった。


「どうもなにも、三十個ぐらい上の人だった」


 リムが驚いてネルを見る。


「あの人だよ。ジャマント国の第二王子。しつこかった人」


「何でそんな人が」


「さあね」


 そこにショーンが入って来た。


「おっ、揃っているか」


 ショーンが自分の父――王直属の護衛隊長から聞いてきた話だと、急がなくていいと王は言ったが、実際はもう進んでいてあとは日取りを決めるだけのようだ。ヒガミ王子は旺盛に祝いたいらしく、そこで調整が難航している。それが上手くまとまれば、ネルの意見など関係なしに強行される。だからお前も準備しておけと言われたそうだ。王の執事にもそれとなく聞いたところ、あと二週間ほどあれば準備が整うと言っていたらしい。


 ショーンの父が彼に準備しておけと言ったのは、保護対象のネルが嫁に行くと、ショーンの職が解かれ、新たなネルの親族の護衛につくか、王直属の部隊に加わるかのどちらかになる。前者の場合だと、遠く離れた親戚につく可能性もあるため、この城から離れなくてはいけなくなる場合もある。ショーンがネルの脱走に協力的なのはそれでかもしれないと、今、思い立った。

 

 それにしても顔合わせから二週間で籍を入れるのはあまりにも急ではないか。


「どうしてそんなに急いでいるんだろう」


 と、口にすると、それにリムが答えた。


「それはネルにゾッコンだからじゃ?」


「いいや、それだけではない」


 ショーンがもったいぶって言った。

 何? と先を促すネルに目を向ける。


「あの男はそうだろうけれど、あの国とうちとでまた別の裏取引を多分結んだんだよ。ネルはその献上じゃないかな? その国じゃなきゃいけない理由があってたまたま第二王子がネルを欲していたから。そうじゃなきゃあんな男にこの国の姫を嫁がせないだろう。国の評判が落ちるかもしれないし」


 ジャマント国は小さな国だ。それに比べてこの国マリリアントは世界屈指の強大国。ネルの父がここを守っている限りは誰も争いを仕掛けてこないだろう。お姉さまたちは国内の有力な貴族の家系に嫁ぎに行った。支援をしてもらうためだ。確かに他国と婚姻を結ぶのは何かそうしなくてはいけない理由があるのかも。それも急速に。


 顎に手を当て思考を巡らせていたリムが煮え切らない顔で言った。


「だとしたらこちらから急ぎで何かをお願いしたことになる」


 何日か前に父が言っていたことを思い出した。

 ――封印の力が弱くなってきているのかもしれないね。

 なぜ、この言葉が浮かんできたのかわからなかった。自分の結婚との関係性が見つからない。 


「何で私がその取引に?」


「それはあの次男にはあの国の王も頭を悩ませていたからね。それだけ好きなものを手に入れさせたら、もう静かに暮らすと思ったんじゃない?」とリムがあっけらかんとした表情で言った


「そんな……」


 だとしたら、勝手すぎる。それではおもちゃではないか。私が生きている人間だということを忘れている。


 でも、父が――、あんなにやさしくしてくれる父が裏取引のために娘を使うなんてことをするだろうか。確かに、理解し難いところもあるけれども、娘をあんな男に渡すなんて考えられない。


 だが、実際そうなっているし、父もそれを望んでいる。自分が見てきた父はとてもやさしくて、たくさんかわいがってもくれたけど、本当は母と同じで私のことが憎かったのかもしれない。

 自分の子じゃないから、力もないから――。


「なら、その別の契約ってなんなんだ」


 しばらく考えていたが思い浮かばなかったようでリムはショーンに当たるようにして聞いた。ショーンはそんなリムに、まあまあ落ち着けと、手のひらを上下に動かした。


「そこまでは知らないよ。ただ、王は何かをしている。しょっちゅう森に行くし、その相手国にも足を運んでいる」


「森に行くのは魔獣を倒すためじゃ?」


「それもあるけど、最近は依頼が来ていないときも森へ出兵しているんだ」


 父の声がまた頭の中をよぎった。

 ――うまく封印できたのかと思ったのだが、実は失敗だったんだ。魂がね、あの瞬間抜けていたんだ。今でも探しているよ。


 父は失われた魔女の力を森に探しにいっているのでは――。魔獣の近くにいるかもと言っていた。それが今回の婚約に関係していると思うと怖くなった。これはただの結婚ではない。逃げられないと思った。


 でもこのことはショーンとリムには言えない。彼女のことを語る父の瞳はブラックホールのように暗く奥が深かった。あの瞳に見つかってしまったらもうこの世には戻れないかもしれないから。


「だけど、我らのかわいい姫をあんな変態ロリコン野郎と結婚させるわけにはいかない。なっ、リム」


 ネルはリムを見た。彼は引き続き険しい顔を維持していた。ネルは彼が次にいう言葉に身構えた。


「……僕らに何ができるって言うんだ。相手は王様だぞ。それに国が関係しているんだろ」


 リムの言う通りだ。この国の王に敵う者などどこにもいない。


「それはお前が考えろ」

 とショーンは当たり前のように言った。


「は?」


「お前の方が俺より頭の面では長けているからな」


 リムはむすっと下唇を突き出した。かわいいと思ったがそれを言うのは憚られる。童顔なのを気にしていて女の子に間違われでもしたら機嫌を損ねて黙ってしまうから。ショーンはたまにリムの体が弱いところをバカにすることがある。


「お前が無理って言うんなら、俺の荒行で突き進む」


 ショーンの決意は固かった。だけどネルはその好意を断った。


「――いいよ。そんなことしたら二人の身を危険にさらすことになるかもしれないから」


 ネルのわがままは母からの懲罰だけで済むが、二人が抵抗するとなるとその程度では済まされない。


「そうだね。確実に僕らは処刑されるだろうね」


 リムは冷静だった。兄の勢いだけの無謀さに呆れていた。それでもショーンはあきらめなかった。


「俺は覚悟の上で言っている」


「ショーン……」


 ここはときめくところなんだろうけど、疑問の方が先だった。ここまで固くなで無鉄砲なショーンは見たことがない。いつもならわがままを言うネルをなだめる役回りだったはず。どう考えてもリムの意見の方が正しい。ショーンだってこの城から離れたところに行かされたとしても、お父さんや歴代の人たちのように与えられた職務を全うするはず。そんなに今の職を解かれるのが嫌なのだろうか。ただのネルの子守のようなものなのに。ショーンは何にこだわっているのだろう。ネルは二人の言い争いを遠くから眺めていた。


「ネルを守るためにこれまで生きてきたし、そのために今まで辛いどんな訓練も耐えてこられたから。きっとそれもこの日のためだったんだよ」


「僕は反対だ。逃げても幸せにはならない。ネルは王族にいた方がいい」


「リム。ネルのことが大事じゃないのか」


「そういうことじゃないんだよ。外は危険だ。ここでの暮らししか知らない僕らに何ができるって言うんだ。ショーンも目先のことばかりじゃなくてもっとちゃんと先のことを考えなよ。その筋肉の塊みたいなつるつるの脳で」


 その最後の言葉にショーンは立ち上がり、リムの胸ぐらを掴んだ。

 リムの手がキラリと光った。――魔術を使おうとしている。


「もうやめて。もういいから……もういいよ」


 その声にリムは力を緩めた。できるのならこれからもそばにいてほしいが、自分のせいで二人に危害が加わることは避けたい。だけどそれは、二人の力ではこの城から出ることは無理だと言っているのと同じだ。


「私大丈夫だよ。魔法も使えるようになったし。自分でなんとかするから」


 ねっと笑顔を作った。リムから手を放したショーンが不安そうにネルを見た。


「なんとかするって……」


「大丈夫。策はあるから」


 ネルはピースサインを作った。


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