第9話
二人には、大丈夫だと言ったものの、実際は策なんて何一つないし、魔法もあの時以来使えていなかった。
何もする術がなくただ時間だけが過ぎていく。
あの拷問部屋を壊したときのように、この城をまるごと滅ぼしてしまえたらいいのに――と思うが、もし力が突然発生しても父ほどの力が必要だ。あの拷問の部屋で発揮した程度の力では到底及ばない。
「はあー、無理か」
結婚式は明日。逃げるなら今夜だ。
決戦の日は満月だった。夜なのに明るすぎる。曇っていた方が幸いだったが仕方ない。
ネルは父と会った時に来た武装服に身を包み、リュックを背負った。これは女性に無頓着なリムが似合っていると言ってくれた服。やっぱりこういう服装の女性が好きなのだろう。今回はベレー帽も被って完全装備だ。
ネルは一人で出て行くことに決めた。一時は無理だから諦めようかと思ったけれど、自分たちの都合で無理やり好きでもない相手と結婚させられるなんてやはり納得がいかなかった。
これ以上不自由な思いはしたくない。それにあの男とは結婚しても情なんて湧いてこないし、好きになんてならないときっぱり言い切れる。自分のことしか考えていなくて、強欲だ。本当に好きなら、ネルの気持ちに少しぐらい配慮があってもいい。
ショーンとリムと別れるのは名残惜しいが結婚したらどっちみち会えなくなってしまう。自分のわがままに付き合わせるわけにはいかない。
ただ、力のないネルが出て行くには武器が必要だ。外の世界には魔獣がうじゃうじゃいる。この城の武器庫は地下室にあり、そこには警備もいるがまずはそこへ行こう。
真夜中の皆が寝静まった頃ネルは動き始めた。見回りは二時間に一回やってくる。廊下を歩いていく足音が遠さがって行くのを待ってから部屋の戸を開けた。
夜の廊下は点々と火が灯されているだけで薄暗いが、先ほどまで懸念していた月明りのおかげで視界がよくなっていて、大層歩きやすかった。
ひっそりと忍び足でかけていき、階段を使って地下へと降りていく。下の入り口の前には門番が一人いた。その腰に鍵がぶら下がっていた。
真っ向から勝負しても勝ち目はないし、姿を見られて他の仲間に連絡を取られるのは避けたい。あの男を無能にさせ、次の交代が来る前に武器を取り、ここを去る。それは一撃で気を失わせるということ。魔法も使えない十代の少女が、大の大人のしかも訓練された男を倒すのはほぼ不可能だ。だけどネルには考えがある。
ネルはこの服と同じ店で買った催眠スプレーを握りしめていた。門番の目を欺くために部屋から持ってきていたボールを足元に転がして注意を引き、ダッシュで駆け寄り顔にスプレーをかける――という子供だまし作戦。
これに必要なのは勇気でもなんでもない。人差し指を強く押すことだけ。迷いがあってもダメだ。指でスプレー缶を押すときに間ができてしまうから。一度で眠りにつくほど効くとは思えないから、何回かかけなくてはいけないだろう。
ここからが自由への第一歩となる――と自分を奮い立たせた。部屋でシミュレーションを何度もした。私ならできる。
門番の様子を伺い、眠そうな目をこすり大きなあくびをした時、ボールを転がした。油断していてベストタイミングだと思った。ボールはコロコロ転がり男の足にぶつかり止まった。なんだこれ、とボールを拾おうと前屈みになった時、ネルは走った。男が顔をあげた瞬間、ボタンを押した。プシュー、と出てきた白煙が男の顔を包み込んだ。前が見えなくなった男は闇雲に警棒を振り回した。銃をもっていなくてよかったと今更ながら思った。ネルはそれをよけながら何度も顔めがけて噴射した。
それを何度か繰り返すと、徐々に門番の力がなくなっていき、その場に倒れ込んだ。今までぬいぐるみで練習していたため、人には一度も試したことがなかったがそのスプレーは想像以上に強力なものだった。
死んだように横たわっているから、一応息をしているか確認をする。大丈夫だ。もし、これが効かなかったら――と、一度も疑わなかった自分が今になって恐ろしく思えた。やっと自分がこれからやろうとしていることに現実味が帯びてきたのだ。どこかで、どうせ無理だろうと、諦めの気持ちもあったが、今目の前で倒れている男を見て思う。私にもできたと。そして、もう後には引けないと。
念のため、部屋から持ってきていた何枚かのスカーフを使って、口と手脚を縛り付けておいた。そして鍵を取って中へ入って行く。
中はとても広かった。あらゆる武器が揃っている。ここに何度も行きたいと父にせがんだのだが、女の子だから、とか、ネルには必要ないよ、とあしらわれ一度も連れてきてもらえなかった夢の場所。一個一個見ていきたい気持ちが込み上がってきて、足がそわそわし始めるが、それをグッと抑え、本で見た覚えがあるものを取っていった。それと何に使うかわからないけど鞄に余裕があったから小さめの物も何個か突っ込んだ。
そろそろ出ようかと、何気なくあたりを見まわしたら、一番奥に扉がもう一つあることに気付いた。
なぜだかその部屋の中から誰かに呼ばれている気がした。
門番がいつ起き上がるかわからない。だけどネルはそこが気になってしょうがなかった。吸い寄せられるようにして扉の前まで来て、ゆっくりと開けた。罠など仕込まれていませんように、とおそるおそる足を踏み入れていくと、壁にかけられている炎が突然ついた。はっとして素早くあたりを見回してみるが誰もいなかった。
武器庫は常に光が灯されているが、ここは人の出入りが少ないため、人の気配を感知すると自動的に点火する魔法が仕込まれているのだろう。中は狭くて、部屋の中央に白い長方形の入れ物があるだけだった。人が一人入れそうなくらいの大きさで、上は透明のガラスのようだ。まさか、棺桶ではないよね――と思いながら、それを覗き込む。
――息を呑んだ。そのまさかだったのだ。
その中には髪の長い、色白の若い女の人がいた。寝ているようにも見える。肌にはりがあってみずみずしく、死んでいるようには見えなかった。彼女は白いワンピース姿で手に赤い花を握らされていた。誰かの大事な人なのかもしれない。
誰か――。考えるまでもない。ここは父の城。この人は父に関係のある人だ。ふと、母はこのことを知っているのかという思いが胸をざわつかせた。だが、あの人の心配をしてしまう自分の憎さがそれを上回って消し去ってくれた。母からネルに対する情は一切ないのに、ネルはそれを探してしまう。母のちょっとした表情や言動の中に自分が気づいていないだけで、実は隠されているのではないかと。
この白い箱はよく見るとただの箱ではなくて、ボタンや装置などが脇についていた。
部屋の奥の壁のくぼみには、子供用なのかと思わせるような小さな剣が飾られてあった。ネルは何も考えず、それを手に取った。ちょうどいい。大きさも重さも使いやすく、今の自分にぴったりだ。気に入ったためこれも持っていこうと腰に付けた。
部屋の外にある武器は父の物だから、必然的に自分の物になるという極端な考え方を持っていたため、棚から勝手に取ってリュックや服の中にしまい込んだものに罪悪感は湧かない。それに、私はこれからもっとすごいことをしようとしているんだと、こんなことで怯んでいる場合じゃないと奮い立たすが、この剣だけは、この女の人から盗んでいくようで気が引けた。だけど、この女の人はこの剣を使えそうもないし、このままここに飾っておくだけなら自分が使ってあげた方がいいとネルは自分を説得した。
そして、もう一度女の人を見る。美しかった。腰まである黒い髪に透き通るような肌。軽く微笑んでいるようにも見える。
――この人は誰なんだろう。どうしてこんなところに保管されているんだろう、と思ったとき、ドアがノックされた。
振り向くとそこにはリムがいた。
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