第6話

 王様は今日も偉大だった。

 どっしりとした体形に背も高く、凛々しい顔をしている。特に眉毛が印象的だ。目よりも太くて毛が長い。髪は長くてくせ毛でごわごわしている。にらみだけで虎一匹フリーズさせる力があるのではないかというくらいの威圧感と威厳も持っている。

 

 真剣な顔で机の上でペンを走らせていたが、執事の「ネルお嬢様がいらっしゃいました」という声にぱっと顔をあげ笑顔になった。ネルもつられて笑顔になる。


 父の娘でないとあのお茶会のときに宣言したが、心では父の娘でありたいと願っていた。あの時言ったことが父の耳に入ってなければいい。ネルは優しくて強くて偉大な父が大好きだった。


「やあ、ネル。元気にしていたか」


 最近は遠征が多く、あまり家にいることが少ない。前に会ったのは二週間ほど前だ。


「はい、お父様。おかえりなさい」


 おいでと言われ、ネルは駆け足で近寄り父の膝に乗った。とてもかわいい服だね、と褒めてもらえた。


「今回はどんな旅をしてきたの?」


 ネルは父が外のお話を聞かせてくれるこの時間が大好きだった。


「エメラルドグリーンに輝く湖がある森にね、魔獣が出たってことで、みんなと協力して倒してきたよ」


 森には数多くの野獣や魔獣が生息している。野獣の方は、ある程度の技術があれば、ハンターたちが対処できる。だが、魔獣となるとそうはいかない。父やショーンのような武術に長けた魔法を扱える者でなければ、相手にならない。


 その代わり、それの死骸はかなりの値で取引されるらしく、力に自信のあるワンランク上の立場のハンターたちが狩る。生きたままの取引も行っていて、脱走したり、扱う力がなく、命を奪われたりといった事例も出てきていて、問題になってきている点もある。父が呼ばれるのはそのハンターたちでも退治できないほどの強大な魔獣が現れた時だ。


「誰も怪我しなかった?」


「ああ」


 愛おしそうに目を細めネルの頭を撫でた。


「どんな怪獣だった?」


「首が長くて、イボイボがいっぱいついていて、粘り気もあったし、とにかくデカかったよ」


「あっそれってネシネロじゃない?」


 以前見た図鑑を思い出した。湖に生息していて、首が長くてネバネバしているのはそれしかない。


「おお、そうだよ。すごいね、ネルは」


「へへへ」


 褒められて嬉しい反面、少し残念な気持ちもある。図鑑に載っていない珍獣もいて、それを見つけたら、プレミアム価格で取引が行われるし、名付けることもできる。ネルはいつか図鑑に自分が名付けた魔獣が載ることを夢見ていた。


 ふと、疑問に思った。父の遠征がここ最近多くなってきたことについて。


「お父様はずっと昔に魔獣を一掃したんじゃないの」


 この国の武勇伝として伝えられてきたことだ。父が、魔獣を生み出す根源を倒したことで魔獣がいなくなり、平和が訪れたと。父の仕事が増えたのはここ最近のことだ。以前は平和で家にいることも多く、よく遊んでもらっていた。

 父は少し困ったように眉を下げた。


「そうだよ。封印の力が弱くなってきているのかもしれないね」


「えっ? 生きているの? あの世にも恐ろしい魔女が――」


「ああ」と父は遠いどこかを見つめるように頷いた。


 そんな話は初耳だ。

 これは父の武勇伝を語るうえで外せない有名な話だ。


 この世を滅ぼそうとしている魔女の一族がいた。この国の人たちも魔法を使えるが、物や呪文を駆使して使う。高難易度の呪文を使えるほどの人はまずいない。魔女は物を使わなくても自由に力を操れるし、この世にある呪文は全て魔女たちが作ったもの。その一族から魔力が流れてきて人々も魔法を使えるようになったと言われている。

 

 その一族は生粋の魔女だから、人間の何倍もの力があり、不死身で何百年も生き続けることができて、人数も増えていった。人間たちがその強大な魔力と不老不死欲しさに、力がまだ乏しい魔女の子供を捕まえて実験をしたりして、魔女たちに日に日に人間に対する憎悪が増えてきた。争いが始まるのも時間の問題だった。その一族は不死身で強力な魔法も繰り出すことができるから、人間が絶滅するのは目に見えていた。


 そこで危険を感じたお父様や隣国の人たちがこの世を守るため集まって知恵を絞り魔女たちを根絶させた。その一族の一人を味方にし、不死身の体を殺せる武器を作らせて。その連合軍のリーダーが父だった。


 だがその武器を使っても死なない魔女が一人いた。強大過ぎる彼女は一族の神として崇められていた。彼女が怒れば地震が起きるとも言われていた。


 だけど、お父様たちの粘り強さで最後に生き残った魔女を粉砕することに成功。それほど偉大なのだ。ネルの父は。人間を脅かすために魔獣を作っていた魔女もいなくなり、平和な世の中が訪れたはずなのに、生きているとはどういうことなのだろう。


「お父様たちが倒したんじゃないの?」


「――倒してはいないよ。和解を求めたんだ。彼女の力があれば不可能なことも全て可能にできる。ネル、わかるか? 頭に思い浮かべたことが現実にできるということだよ。素晴らしいと思わないか」


 一族を殺しておいて和解なんて――。

 そう言って父がネルを見る目の奥は深くて真っ黒で、この目に吸い込まれてはいけないと目を逸らした。


「なのに、彼女はそれを受け入れなかった。そればかりか我々に歯向かってきたんだ。だからみんなで力を出し合って封印したんだ。彼女は不死身で殺せなかったからね」


 どこか楽しそうに言う父に不信感を抱いた。殺せなかったから封印したのではなく、殺したくなかったからそうしたのではないか。自分のおもちゃを失いたくなくて。


「うまく封印できたのかと思ったのだが、実は失敗だったんだ。彼女はもうすでに抜け殻も同然だった。魔力がなく、ただの人間になっていた。最後の反抗だね。きっとどこかに置いてきたんだ。今でも探している。魔物が増えてきたということはその近くに彼女がいて力を取り戻しつつあるということなんだ」


「封印を解けばその魔女を見つけられるんじゃない」


「もう無理だよ。魔力に敵うように強力の呪文を使ったから。ただの人間の体には耐えられなかった」


 ネルは膝から降りた。自分にどうしてそんな大事な話をしてくれるのだろう。父はたまに理解し難い夢想におぼれることがある。ネルは巻き込まれたくないと思った。

 それを父も感じ取ったのか、話を変えた。


「ところでネル、魔法使えるようになったんだって」


「うん」


「おめでとう」


 ネルはぱっと顔をあげた。誰からも言われなかった言葉。言ってほしかった言葉。ショーンもリルも言ってくれなかったことを父は言ってくれた。時々、父のことがわからなくなるけどこういうところは大好きだった。気にかけてくれていると思った。


 照れくさそうに「ありがとう」と答えた。

 そしてとっさに怒られるかもと思った。


「部屋、壊してごめんなさい」


「いいんだよ」


「……ナーバラさんは大丈夫だった?」


 ずっと気になっていたこと。怖くて誰にも聞けなかった。もし、ネルが傷を負わせていたとしたらと思うと、恐ろしくて聞けなかった。確かに恨んでいたけれど、人に危害を加えることは望んでいない。


「うん、大丈夫。働き過ぎで精神が面の方が不安定になっていたからしばらく休みをとってもらったよ」


 ホッとしたがモヤモヤが心に残ったままだった。父を信用していないわけではないが、この目でナーバラの無事を見るまでは一息付けない。


「あんな部屋あるの知らなかったよ。ネル、ごめんね、気付いてあげられなくて。壊れてよかったんだよ。お母さんにも言っといたから」


「え」


「ネルにあんな目に合わせるなんて母親失格だよ」


 ネルは首を振った。


「違うの。お母さまが決めてきた相手と結婚しないって言ったから、それで」


 このままではますます母に嫌われてしまう。


「そうか。したくなかったらしなくてもいいんだよ」


 希望が突然降ってきたようで、ネルは瞳を輝かせて父を見たが、次の言葉で光を失った。


「でもね、その人すごくいい人なんだよ。優秀で実力もあって、私も一目置いているし、頼りにしている。ネルのことも前から気に入っていてくれているみたいで。いい機会だと思うんだ。いつまでもここにいてもネルもつまらないだろう。せっかくだから試しに今度会ってみてくれないかな。ネルも気に入ると思うよ」


 絶望感に苛まれた。母のネルを追い出すための嫌がらせの策だったと思っていたが、父が進めていたことだったのだ。父に逆らうことはできない。父にまで嫌われたら今度こそどこにも行き場がない。


「……わかった」


「ありがとう。ネルはほんといい子だね」と頭を撫でた。あんなに暖かくて大きかった手が乾燥して朽ちた木の切れ端に取って代わられたような気がした。

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