第5話
あの部屋での事件以降、あからさまに周りのネルを見る目が変わった。距離を置かれ、ネルを見つけると、こそこそと話をしている。ここは噂好きの人たちが多い。あの部屋での出来事が瞬く間に広がって行ったのだろう。ナーバラのこともあれ以来見ていない。
コンコンと遠慮がちに部屋の扉を叩く音がした。今日の服を持ってきたのだろう。
「失礼します」
入って来たメイドの手に服はなかった。
「王様がお呼びです」
目も合わせずそう告げて出て行く姿に無礼だなと思いながらもネルは何も言わなかった。このぐらいの距離感がちょうどいいのかもしれない。ここは自分のいるべき場所ではないと物心ついたころから感じ取っていた。自分は姉たちとは違うと。今までは愛人の子だと好奇の目で見られ、今度は得体のしれない畏怖なものとして見られている。
一層孤立した存在となったがそれでいい。優しくされてしまうと、自分がここの子だと勘違いしてしまって、いつかここから出て行ってやるという野望が消え去ってしまうかもしれないから。ショーンとリムがいてくれるからこれまで頑張ってこられた。二人さえいてくれればいい。
ネルは自分の手のひらを見つめた。あれから魔術を唱えてみたり、念じてみたりしたが何も波動しなかった。どうやってあんな威力のある魔法を発動できたかがわからなかった。でも自分がやったという根拠のない確信はある。あの体の感触が忘れられない。
胸につっかえそうになるほどたまっていたドロドロしたものが解放される心地よさ。初めて自分で呼吸をした感じがした。清らかな空気が入り込み、体の通りをよくし、体中の毛穴が開く。見える景色も違って見えた。瞳に張り付けられていた半透明のシートが1枚剥がれたように、あの時はいつもよりも鮮明ではっきり見えた。ナーバラの恐れおののく顔を忘れられない。
十三歳になってやっと魔力が発現したのだろうか。稀に生まれたころに何の顕著もなくて、あとで出てくることがあるが、その場合こんな爆発じみた出方ではなくて、少しずつ出てくる。
発現の仕方もわからないからコントロールができないため、人を傷つける可能性だってある。リムに相談しに行きたかったが、誰とも会いたくなくてネルは数日部屋に閉じこもっていた。
きっと、リムはあの後、母に怒られたのだろう。謝りに行かなきゃと思ってはいたが、合わす顔がなかった。
時折、ショーンが様子を見に来てくれたが、それにもあいまいな対応をしてしまった。やっと念願の魔法を使えたのにショーンもあの時の話には触れないようにしている。きっとよくないことだったのだろう。だからリムも会いに来てくれないんだ。母ともめて塞ぎ込んでいる時、いつもだったらリムが来てくれてこの部屋から連れ出してくれるのに。
ネルは憂鬱な気分を押し殺してベッドから起き上がった。まだ横になっていたかったが、父のことを無視するわけにはいかない。それにリムにも謝らなきゃいけない。
寝巻のまま父に会うのはさすがに憚られる。だからといって、自らドレスを着るのも癪に障る。街中に遊びに行った時に買った服があったはず、とクローゼットの中を探った。
「あった」
さんざん中のものを外にほうりだして、やっと奥の方から出てきた。ネルの後ろには服や靴の山が出来上がっていた。
「これこれ」と満足気に眺めるそれは、ブラウンの膝上のスカートに紺のハイソックス。上は白いシャツに、その上にはボタンが付いたスカートと同じ色のブレザーを羽織る。スカートの裾とブレザーの襟の所と、袖に濃いブラウンの太めのラインが入っているところがかわいい。シャツの胸元にフリルが少しついているがこれくらいなら妥協範囲内だ。それに濃いブラウン色の短めのネクタイを付ければ完成。ベレー帽もこのセットについていたが、今は置いていこう。
この服のいいところは中に武器を隠せるところ。ブレザーの内ポケットに拳銃やナイフをしまえる。手りゅう弾をしまうところだってある。ここに隠せる武器を一つも持っていないことが残念だが。それにセットで買った長ブーツを履く。この中にもナイフをしまえる。これらはサバイバル向けのマニアックな店で買った。リムと本を買いに行っている途中に見つけたお店だ。
リムがこの格好をしたマネキンを興味津々に見ていたからつい買ってしまった。
何で見ていたのかと後で尋ねると、「これは戦闘に全く適していないのに、どうしてこんな堂々と売り出しているのだろうって不思議に思ったから」と神妙な面持ちで言っていた。
ネルはてっきり、リムがこういう服装の女の子が好きなのかと思っていたから少しがっかりした。メイドたちにドレスアップさせられたネルの姿を見ても何も言わないし、舞踏会でおしゃれで可愛らしい子に誘われ踊っても顔色一つ変えないリムが初めて女子という生体に興味を持ったように見えたのだ。
リムは勉強以外に興味がなさそうで――ただネルに興味がないだけなのかもしれないが、これを着れば女子として見られるかもという下心ももちろんあった。
ショーンは初恋の相手で、いつ見てもかっこよすぎてときめいてしまうことも度々――いや、常にあるが、それは恋というより憧れという感情なんじゃないかと数日前、魔力を初めて解放したときに思い至った。ショーンみたいに強くなって誰かを守れるようになりたい、と。
リムにはまた違う感情を抱く。それが恋なのかはまだわからないけれど、二人がネルのことを恋愛対象としては見ていないことはわかる。ショーンは仕事の対象として、リムは幼馴染とか兄妹、家族とかしか思っていなそうだ。
鏡に映る自分の姿を見て恨めしくなる。幼さをまだ捨てきれていない顔に小ぶりな身体。早く成長して大人の女になって、惑わしてみたいものだ。
こんがらがっていた髪をくしでとかしてうっすらと化粧をする。これぐらいは自分でできる。二人には無理だけど、父にはすこしでもかわいいと思ってもらいたい。
何日ぶりかに出る外は眩しくて思わず目をしかめた。
父の部屋に向かう廊下ですれ違う人の目線が気になった。目を向けるとすぐさま逸らされた。好奇な目で見られるのは慣れているはずなのに、心が波立つのはどうしてだろう。どこかで好かれていたいという甘えがあるからだろうか。
その途中でリルを見かけた。お母さまたちとお茶会をしたところよりも小さな真四角の中庭を挟んだ向こう側の通路を分厚い本を持って歩いていた。向こうもネルに気付いて何秒か立ち止まった。手をあげて名前を呼ぼうとしたら早足で行ってしまった。
胸騒ぎがする。いつもだったら、笑いかけてくれるのに。母に怒られてネルに腹を立てているのだろうか。追いかけようかと思ったが、父の執事がやってきて「こちらへ、お待ちしております」と誘導されてそれは叶わなかった。リムの方をもう一度見ると彼の姿はもうなかった。
スカートを握りしめる手に力が入り、まっすぐなお気に入りだった裾のラインが乱れる。こんな服着て来なきゃよかったと思った。どこかで期待していた自分が恨めしかった。
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