第4話

 この部屋には黄金の椅子が一つとその脇に機械が数台乗ったワゴンがあるだけ。

赤い壁に床には赤い絨毯が敷かれている。


 この部屋はネルのために母が特別に作ったものだ。母がネルにこの部屋をプレゼントしてくれた時、うれしかった。初めての何かをしてもらえたから。でもその思いはすぐに打ち砕かれた。


 部屋に入れられると、まず椅子に座らされる。

 それから椅子のひじ掛けと脚から金具が出てきて、手足を固定される。私に魔法を使えたらこんなもの弾き飛ばしてやるし、あの人の魔法だって跳ね返してやれるのに——。

 

 自分の不甲斐なさに落胆していると、ヒール靴の歩く音がこの部屋に近づいて来ていることに気付く。あの女がやって来る。

 

 扉が開き、神経質そうな女が入って来た。眼鏡の脇を指先でくいっと持ち上げ採点でもするようにネルを見回した。ネルはこの女が母よりも嫌いだった。


 彼女の名はナーバラ。ネルの教育全般の責任者だ。長身に細身で逆三角形に尖った眼鏡が彼女のトレードマーク。長くて黒い髪を後ろにピシッとまとめてお団子にしている。服にしわ一つなく、少しの乱れも許さないような完璧主義者。横長の鋭い目に薄い唇、細くて長い尖がった鼻。そしていつも金色の細長い棒を持っている。


 ネルの前まで来るとその棒を振りかざし、肩を思いっきり叩いた。


「ひっ」


 あまりの痛さに悲鳴が出る。

 また叩く。


「んっ」


 今度は耐えて、ネルはナーバラをじっと睨み上げた。

 すると朝メイドたちに整えてもらった髪を鷲掴みにされ真上を向かされた。


「何その眼は?」


 冷たい声。

 だがネルは頑として目を離さなかった。


 ナーバラはそれが気に食わなかったようで両頬を交互に平手打ちをしてきた。唇が切れて血の味がする。壁や床が赤色なのは血を流してもいいようにだと、前にここに来た時にナーバラが教えてくれた。


 今日は父がいない。もしいたらこんな扱いされないのに。


 父はネルにとてもやさしかった。父が城にいるときはこの部屋は閉ざされている。こんなことをしていることをさすがにあの母も知られたくないのだろう。ネルは父に何度も告げ口しようと思ったが、母との戦いに負けた気がして言えなかった。


 父の顔を思い浮かべると泣きそうになるのをグッと耐えた。この女の前で涙を見せたら喜ばれるだけだ。


「お母さまに歯向かったそうね」


 ナーバラは母の子分のようなものだ。母の上品さと気高さと、魔法のきめ細かさに心酔している。


「自分の結婚にモノ申して何が悪いの」


 ナーバラが思い描く母の姿に噛みつくように言うと、また肩を棒で叩かれた。


「あなたの結婚なんて誰も興味ないのよ。それなのにお母さまは気にかけて用意してくださった。感謝しなさい」


「それならずっと放っておいてよ。結婚なんてしなくていい」

 

 今度は太ももを叩かれた。

 痛みがじんわりと体に染みわたっていくのと同じく、恨みもまた体に貯まって行く。


「わからずやね。お姉さまたちはあんなに優秀だったのに。あなたに得意なことなんてないんだから、目立たないようおとなしくしていなさい。あなたがそんなんだから私が怒られるのよ」


 ネルの頭を両指でボールのように抱えるようにして指の腹をグッと押し込まれた。

 あれが始まった。


「あなたは本当に悪い子だから今日はどっちもやるわ」


 頭の中に電流が流れてきた。サバクは電気系統の魔力が得意だ。これは抵抗しようとする心をなくすための処方。もう一つはワゴンの上に置いてある薬のこと。あれを飲まされると頭がぼんやりして数日何も考えられなくなる。

 二つともやると頭の中がドロドロにぐちゃぐちゃになる。

 

ネルも魔力開花の適齢期を過ぎて十三歳になった。適齢期を過ぎた後や大人になってから使えるようになったという話を聞いたことがある。もし、本当にここの子ならば才能がいつ開花してもおかしくはない。どうやるかはわからないけれど、今がその時であってほしいとネルは願った。


 呪文も魔術のかけ方もリムから教えてもらっていて頭に入っている。

 ナーバラはぶつぶつと呪文を唱え、ネルの頭の中に母への崇拝心も電流とともに流してきた。これは絶対に受け入れたくなかった。

 

 ショーンと剣の稽古を裏庭でしていた日のことを思い出した。俺がいるから鍛える必要ないのに、と渋っていたが、ネルのしつこさに負けて教えてくれた時のこと。


 夕日が空や草木を赤く染め上げていた。頭から滴る汗が軽くて柔らかかった。皆が夕食の準備などをしている数十分間ひたすら剣を振った。剣を振り落とすときのビュンと言う音がネルを勇者の気分にさせてくれた。


 その時の彼の姿も思い起こされた。髪や肌がほんのりとオレンジ気味かかっていて、ふわっと柔らかい表情をしていた。皆の目を盗んでこっそりと秘密の特訓をしていると思うと胸の奥が少しくすぐったくなった。


 剣を振る練習しているネルを見ながらショーンは言った。


「ねえ、ネル。魔力を解放するにあたって必要なことって何だと思う?」


「んー、集中力?」


「それもすごく大事だけどもっと大事なことがある」


「なに」


「自分を信じることだよ。絶対にそれができるって」


「私は元からないから信じたってどうにもならないよ」


「ほら、もう信じてない。ネルはないことを信じてる」


「だってそうだもん」


「俺は信じているよ。ネルはなりたい自分になれるって」

 

 なりたい自分。お姉さまたちみたくなりたいと思うけれど、多分それは周りから植え付けられた思想のような気がする。そうなれればこの国の王の娘だと認められて母からも大切にされると思っていた。こんな扱いされているのは魔力がないせいだと。


 でも認められることが自分の望む姿なのだろうかと疑問に思った。大切に扱われるのはうれしいことだけど、誰かに愛されるように生きるのはその人の望む自分になるようなもの。それは窮屈で仕方がない。ネルはこの巨大な鳥かごから抜け出して自由になりたかった。


 そして私が望むなりたい姿は——ショーンだった。彼のように強くなって誰かを救えるような人になりたい。私の後ろが誰かの安心できる場所になってほしい。


 電流の痛みに負けず集中した。そして強く念じた。

 この部屋をぶっ壊して――と。

 

 母とナーバラにやられた痛みと恨みが黒い塊となって体の中で下から上へと上がって来た。この感覚は初めてだった。


 胸の中央まで到着した時、それが弾けた。すると電流の痛みがすっと消え、うめき声が聞こえてきた。


 目を開けると、足元でナーバラが横たわり悶えていた。しばらく眺めていると動きが止まり、ゆっくりと起き上がった。そして青ざめた表情でネルのことを見ていた。


 部屋にもヒビが入っていく音がした。だがネルは椅子に固定されたままで逃げることができない。天井の破片がナーバラの真横に落ちてきた。それに驚いた彼女は悲鳴をあげて逃げ去って行った。


 締められた扉が歪み始めた。これでは外に出られないし、中からも開けられない。手と足が固定されているため、ここで生き埋めになる。その前に瓦礫の下敷きになるだろう。


 そんな状況だが、ネルにはちょっとした高揚感もあった。 

 こんな状況にさせたのは、ネルの力だ。魔法を使えた解放感と達成感がある。だがこのままここで死んだら、初めて使った魔法で自分を殺したことになる。


 なんて間抜けなことだろう。どうして、まず先に自分の椅子を壊さなかったのかと思うが、どうやって力を使ったのかもよくわかっていなかった。もう一度魔法を使えたのならいいのだが、そんな力は残ってなさそうだった。全身の力が失われ、だらんと椅子に体を預けている。


 ネルの上にあった電球が揺れ始め、天井に亀裂も大きく入った。今にも落ちてきそうだ。


 上からバリンと大きな音が鳴った。死を覚悟していると、突如、扉が壊され、光が走ってきて電球と落ちてきた天井を弾き飛ばした。そして粉砕した扉から待ち望んでいた人が現れた。ショーンだ。彼が助けに来てくれることを何度も願っていた。彼の姿を見ると今まで我慢していた大量の涙が溢れ出てきた。


「遅くなり申し訳ございません」


 この部屋に入れられる度、ショーンがいつか助けに来てくれると信じ、痛みに耐えてきた。こんな屈辱的な姿見られたくなくて言えなかったが、そのうち彼なら気付いてくれるって思っていた。


 手と足を外してもらい、ショーンに雪崩れるように椅子から落ちて行く。


「ショーン、私もうここにいたくない。お願い、この城から連れ出して。誰も知らないどっか遠くの所に行きたい」


「そのつもり」


「え」


 ショーンを見ると優しい顔でネルを見つめていた。近距離で見つめ合っていたせいで顔がみるみる赤くなる。気づかれないように彼の肩に顔を埋めた。


「他の男の所には行かせない」


 冗談を言っているんじゃないか、ともう一度顔を見て、真意を確かめたかったが、ますます顔に熱がこもってしまって上げられなかった。ショーンがネルを抱く力に力が入る。


「俺とリムとで策を練っていますので、待っていてください」


 ショーンの温もりと、リムも――という言葉に張っていた気が一気に緩み、その場で眠るように意識が離れていった。




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