第2話

「ネルお嬢様ぁー。お洋服を着てくださーい」

「やだやだやだあー」


 朝から恒例のドタバタ劇が始まった。

 パジャマ姿で王宮内を走り回る女の子。それを追い掛け回す黒のワンピースに白いエプロンを付けた数人のメイドたち。


 その中の一人が、フリルがたくさんついているドレスを手に持ち、女の子を追いかけている。


 家の中でもあんなものを着なくてはいけないなんて耐えられなかった。もっと動きやすくてタイトな服の方が好きだった。

 そう、向こうからやって来る彼のような――。

 

 長い廊下の曲がり角からショーンの姿が見えた。彼はネルのことを見つけると優雅に手を振り「おはようネル」と微笑んだ。彼はいつもそこだけスポットライトが当てられているかのように輝いていた。


 彼女らがその爽やかで知らずのうちにキラキラと光を周囲に降り注いでいる姿に見とれている隙にその輝くショーンの元へ駆け寄り後ろに隠れた。背が高くて細身なのに肩ががっしりとしていて筋肉質な後ろ姿。ここはネルがもっとも安心できる場所。ここにいればどんなことからも守られる気がした。


 ショーンは十三歳になったネルよりも四つ年上の十七歳。ネルの付き人で彼女を守るのが仕事だ。


「どうしたの?」

「私もショーンみたいな服がいい」


 目の前に立つショーンは身体にフィットした青いジャケットに白のパンツスタイル。肌を見せていないところがいい。金色に輝く髪がいつもさらさらしていてつい手を伸ばしたくなる。


「ネルお嬢様、これは戦闘用でお嬢様をいつでも守れるように作られたお洋服です」


 ショーンはしがみ付いてくるネルを見降ろし、ふっと軽く笑った。ドキッとした。    

 顔の余白が少なく、鼻筋がスッとあり、憂いを帯びた瞳が潤っている。彼はここにいる誰よりも美しかった。


 今まで舞踏会などで会ったどこかの着飾ったお嬢様たちよりも美しい。もちろん彼はそのお嬢様たちに言い寄られまくっていて、隣にいたネルは彼女たちにとって憎悪の対象でしかなかったのは言うまでもない。友達ももちろんできた試しがない。近寄って来るのはネルを利用してショーンと仲良くなろうと企む女たちばかりだった。


 ネルには年の離れた二人の姉がいる。見た目だけでなく、ショーンは姉たちがネルを羨むほどの逸材だった。聡明で、戦闘能力も優れていて、まるで王子のような風格さえある。


「私もショーンと一緒に戦う」


 ネルはエアパンチとキックを繰り出してみるが、ショーンに鼻で笑われた。それならば、とショーンの胸に向かってありったけの力を込めて打ち込むが手で軽く押さえられてしまう。


「ネルお嬢様は戦わなくていいのです。俺が守りますから」


 ひざまずき、ネルの手の甲を取り、キスをした。

 彼はさらっと全世界の女子をきゅんとさせるようなことを言う。見ていたメイドたちからうっとりとした溜息が漏れた。もちろんネルも例外ではない。


「ショーン、ネルが顔を真っ赤にさせちゃってるよ」


 そこにショーンの弟のリムがやって来た。彼に見られたことでますますネルは頬を蒸気させた。ショーンの三歳下のリムはまだ幼さが少し残る顔立ちだ。背はネルより少し高いくらいで、細身で青白い。髪はショーンの金髪から色素を失くしたような色をしている。目が丸くて、黒目がち。女の子の恰好をさせたら似合いそうだから、いつかやってみたいとメイドたちがよく話していた。ネルが今着せられようとしているドレスもリムの方が似合いそうだ。


 涙目になっているネルを心配したリムが、熱でもあるのかとネルの額に手を当てた。ひんやりとしていて気持ちよかった。「大丈夫?」と声を掛けられ、伏せていた目を開けると数センチの距離にリムの顔があった。ネルは咄嗟に彼を突き飛ばした。


「もうなんなの」


 きょとんとしている二人を背にネルは走って自分の部屋へと戻って行った。

 閉じた扉に体を預け、高まる鼓動を抑えようと深呼吸をする。

 惑わされてはいけない、と心に決めていたのに。


 彼らの父がネルの父——この国の王様の第一護衛の隊長だ。代々その家系の男子がこの国の王族たちを保護することになっている。


 二人の姉もそう。母には隊長のいとこを、十五歳離れている一番上の姉にはいとこの息子を、十歳離れている二番目の姉には隊長直属の息子――長男を、そしてネルには次男のショーンを。末っ子のリムは身体が弱く、武術には不向きなため、主にネルたち姉妹の勉強係として就いていた。リムは生まれながらの天才で頭脳明晰で魔術にも詳しかった。姉たちはもう嫁に行ったため今ではリムはネル専用の先生だ。


 彼らは幼いころから修業が始まり、そして十二歳になると役を与えられる。ショーンとは彼がその年齢になった年、今から五年前のネルが八歳の時に出会った。離れで暮らしていたネルが母屋で暮らすことになって迎えに来たのがショーンだった。


 リムとは、ネルと一歳しか離れていないのと兄たちのような厳しい修行には身体が耐えられないため、幼いころから一緒に育ってきた。兄たちが修行に入っている間、いつも一緒に遊んでいた。


 ショーンはネルの初恋の人。初めて見た時、王子様がやって来たと思った。まあ、あの風貌だからたいていの女子はそう思うだろう。そう思わない女子は今まで見たことがない。ネルもその中の一人。ショーンの特別な人になりたくて頑張ったが彼にとっては好意を寄せてくるその他大勢の一人に過ぎないし、もしかしたら恋愛対象としても思われてなくて、ただの保護の対象でしかないことも大いにあり得る。


 リムに一度、ショーンの恋愛事情について聞いてみたことがあった。すると、リムが言うには、ショーンはモテているのが好きで、自分から誰かに特別な感情を抱くことはないそう。それはそれで安心だが、こだわりもない分、相手は誰でもいいらしい。条件が合う人が現れたら結婚もとんとん拍子に進むだろうと言っていた。


 そして最後にリムは言いにくそうに言った。王族との結婚は禁じられていると。


 扉をノックする音で我に返った。


「お嬢様、どうしても嫌とおっしゃるのなら、今日は外に出ることはできません」

 

 そんなのはもっと嫌だ。外に出ると言っても庭までしか許されていないが、それでも部屋の中でずっと過ごすよりはましだった。


 ネルは扉を開けて、目に入って来るドレスを見て、溜息をつき「それならフリルなんてついてないシンプルなのにしてよぉ」と愚痴りながらもドレスをもぎ取った。


「今日はお母さまとの公友会がありますので、これはお母さまのドレスに合わせたものでございます」


 母とは服装を合わせるような仲ではないし、滅多に会うこともない。だが、こういうイベント時には世間体を気にしてかネルにも参加するように言ってくる。拒否権はなく、もはや強制参加だ。


 あの人はネルのことを娘だと思っていない。ネルも母だとは思っていない。

 ドレスを掴む手に力が入り、白いリボンが歪む。


「お嬢様?」


 心配そうに見てくるメイドに無理やり笑顔を作った。ネルが母親の用意したドレスを拒んだなんて噂になり、母の耳に入ると厄介だ。ここではすぐに広まる。


「わかった。せっかく用意してもらったんだもんね。でも行事がない時はなるべくシンプルなものを用意して」


「はい。わかりました。では、今から準備に入ります」

 

 ぞろぞろとメイドたちが部屋に入って来た。

 お茶会なんかするよりもショーンたちと外で遊ぶ方がずっと楽しいのに。

 

 彼女らの手によって、少女から人形のような作られたものに変わっていった。


 頬にピンク色が入り、口には赤いサクランボのようなみずみずしい色を足される。柔らかな薄茶色の髪はぐりぐりに巻かれた後、頭の上に丸められてタワーを作られ、蝋のようなねっとりしたものでガチガチに固められた。

 

 極めつけはこのドレス。ピンクに白いフリルとリボンがふんだんに使われていて、幼稚な身体には似合っているが、ネルの顔はリムのような可愛らしい感じよりも、年齢の割には少し大人びた顔つきだ。目じりがツンと少し上を向いていて、鼻は小さく丸っこい。だからこういうラブリーな服を着るとちぐはぐな印象を与える。こんな姿あの二人に見られたくなかった。 


 きっとネルには似合わないよって笑われてしまう。

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