第37話 悪魔の兵器

 噴霧が一面に広がって、それはまるで霧のようであり。

 これまでのように人の体が四散したわけでも、血の雨が降ったわけでもない。

 外傷的にはなんの障害もないというのに、兵士たちは次々に異常な行動を取り始めた。


 ある者は激しく嘔吐しながら倒れ伏し。

 ある者は盲目になってしまったかのごとくフラフラとして。

 またある者は激しく悶えながらのたうち回る。


 無事な兵士は一人としておらず、突撃を繰り出していた千人単位の兵士たちが地面で苦しみ回るという阿鼻叫喚な絵面が広がっていく。


「あと左右に一発ずつ」


 同じものを左翼と右翼に一つずつ落としていき、ほぼすべてが終わった。

 こちらへと戦意を持って向かってくる者は一人としていない。


「何が……起きたの? なんで、彼らは……っ?!」


 深刻な表情となるミリーから言葉が漏れる。


「ピカクエで洞窟攻略のときに見せたでしょ? あんなの人類が作ったものからすれば序の口だって」

「洞窟って……ガスマスクを使った奴?」

「そう。催涙ガスなんて制圧を目的にしてるからしょぼいよ。ただ涙と鼻水が出るだけ」


 うめき声がこちらにまで響いてくる。

 何名もの兵士たちが泡を吹きながら痙攣を起こし、それはもう、生きている状態とは言えない。


「これはまごうことなく、人を殺すための生み出された科学の産物だよ。制圧なんて生ぬるいもんじゃない。どうやったら生物が死ぬかを研究し尽くした上でできあがっているんだ」


 兵士たちが一人、また一人と倒れ伏す。


「毒ガス……ってこと?  でも、そんな……! こんなのっ! 人の死に様じゃないわ!」

「そう。こんなの人の死に様じゃない」

「だって……っ!」


 やがて、痙攣していた者は動かなくなり。

 うめき声をあげていた者は静かになり。

 誰も彼もが先ほどまでの苦しみを忘れた、すなわち死へといざなわれるのであった。


「生き物ってのは意外と頑丈だ。剣で斬られたり、炎で焼かれても、案外生き残るやつがいる。蜘蛛人と戦ったときも無数のナパーム弾を使ったけど、やっぱり一割くらいは生き残った。けど、この兵器の前でのみ、哺乳類は等しく死を迎える」


 その名は――


「サリン。神経の制御を破壊するこの兵器を前に生き残れるものはいない」


 全滅した兵士たちがいる空間は、エアロゾル状のサリンが大量浮遊している。

 だから風向きを気にしていた。


「サリンはガスマスクで防ぐことができない。皮膚からの吸収もあって、一滴垂らすだけで死に至るからね。ごく僅かな量で神経系を破壊し尽くすこの化合物は、人体を何度も何度も解剖した人類でなければ、絶対に見つけ出すことができないよ」


 独り言のようにつぶやく俺の言葉に応える者はいない。


「ナチスドイツもこの毒ガスの開発には成功してたけど、同じく毒ガスによる報復が怖くて使わなかったんだ。この兵器が最も脚光を浴びたのは地下鉄サリン事件。高度に発展した東京における化学兵器のテロは、サリンの凶悪性を全世界に知らしめることになった。けど、地下鉄サリン事件ではサリンの揮発性を頼りにしてたから死者があまりでなかったね。今回のようにエアロゾル噴霧すれば威力は絶大だよ」


 砦の方で突撃せずに残っていた僅かな生き残りたちがこの地獄を呆然と眺めている。

 思わず、ミリーの声が響いた。


「ダメよ……っ、逃げて!!」

「もう遅い」


 症状が出始めたのであろう。

 そいつらも悶え苦しみ始める。


「すべての神経が壊されるんだ。目が見えなくなって暗い中を彷徨い、息ができなくなってもがき苦しみ、体が動かせなくなって逃げることすらできない。自分の体が自分のものでなくなっていく恐怖を味わいながら死ぬ兵器。この世で三番目に凶悪な化学兵器だよ」

「……三番目、なのですか?」


 俺の虐殺に慣れてしまったのか、エリナはわりと平然としていた。

 今にも吐き戻しそうなミリーとは大違いだ。

 サラはこの光景をどこか別世界のことかのように眺めている。


「ああ。まだこの上にマスタードガスとVXっつー毒ガスのクイーンとキングがいるぜ。終わった終わった。さっ、帰ろう」

「ちょ、ちょっと待ってよ! ここに人が踏み入ったら、皆死んじゃうんじゃないの?!」

「大丈夫だよ。サリンは環境中に一日も晒せば毒性を失う。ペルート国のお偉方が俺のメッセージを正しく受け取ってくれればいいけどなぁ」

「メッセージって?」

「……例えば、このサリンがセルムの街の上で爆発するとか、ペルート国の首都メザルアの上で破裂するとか、そういうことを想像してほしい」

「そ、それは――、で、でも、ここにいた人たちはみんな死んじゃったんでしょ!? サリンってのの脅威性は誰にも伝わらないじゃない!」


『見た者はすべて死ぬ化け物』というのが矛盾しているのと同じだ。

 見た者がすべて死ぬのなら、その化け物の存在を伝える者は一人もいないこととなる。


「そうだね。死に様を見て、わかってもらうまで続けるしかないね」


 悲し気な表情を浮かべる彼女を無視して、そのままエミリュラへと帰ることにした。


  *


 しばらくして、ペルート国が攻撃していたメイロン国のリペルガは陥落することとなってしまうのだが、そこからの続報はとくに聞かない。

 ペルート国の国力は周辺国よりも確かに高いし軍事力もそれなりだ。

 だが、俺のつくる未来の兵装を相手に太刀打ちできるわけがないし、それは相手もわかっているはず。

 ならば選択肢は必然的に一つだ。


 と思っていた矢先、ペルート国からの使者がエミリュラへとやってくるのだった。

 門外で馬に乗った使者団十名ほどが来ている。

 対するこちらは門こそ空いたままだが、武装した蜘蛛人と魚人が門を固めており、俺やミリーたちは楼閣からその様子を眺めていた。


「私はペルート国のデーブ・シュロウノ・ペルート国王より命を賜った使者だ! 此度の反乱および、周辺国において起きた件について、国王からのお言葉をロド村の代表に伝えたい!」

「ここで聞くよ。要件はなんだ。できれば手短に頼む」


 使者を招き入れない段階で非常に失礼ではあるが、これは当然の措置だ。


「貴様、無礼だぞ! 王命をこのような場で伝えるわけには――」

「あー、ダメだこりゃ」


 ダァン。


 喋っていたヤツの脳天に弾丸をくれてやり、


「帰んな。お前らわかってないわ」


 という一言だけ伝えて、俺はそのまま立ち去る。


「なっ! 貴様! 使者を殺して、どうなるかわかっているのか!?」

「わかってないのはお前らだよ。リューナ、ライカ、使者が街に入ろうとしたときのみ、戦闘を許可するよ」


 そんな風に申し伝えると、さすがに格上である彼女らに守られていては、使者たちもどうこうするわけにいかず、そのまま亡骸を抱えて帰っていくのだった。


「ちょ、ちょっと、話も聞かないの?!」

「あいつらはまだ自分らが上だと思っている。話にならないね。次が北西の砦かな」

「えっ……?」

「たぶん何かしらの対策をしてきているだろうけど、問題にすらならないだろうね」

「ア、アサヒ、待って!」


 歩いて行こうとする俺の前にミリーが立ちはだかる。


「……ホントにまだやるの?」

「うん。こうなったら徹底的にやらないと、結局あとで問題を引き起こすよ」

「で、でも、そのためにアサヒがまた戦うんでしょ?」

「おいおい、この前の砦のを見てなかったのかよ?」

「み、見てたけど――」

「戦いじゃないって」

「た、戦いじゃ、ない……?」



「俺がやっているのはだよ」



 そう言い放つとミリーは唇を噛みしめながら、立ち尽くしてしまう。

 そのまま無視して行こうとすると、


「……っ、ま、待って!!」


 ミリーが俺の裾をつまんでくる。


「……なに?」

「毒ガス……また使うの……?」

「別に毒ガスじゃなくてもいいよ。もっと凶悪なものでもいい」

「そうじゃなくて! なんで……なんでっ! アサヒだけが……っ!」


 涙を溜めるその瞳ある意味を理解して、俺はことさら冷たく接する。


「――何度も言ってるじゃん。相手が理解できるまでやる。マスタードガスなんかじわじわ効果が出るから、もっと地獄絵図みたいなことになるよ」

「で、でも、それは――」

「アサヒ様、そのマスタードガスについて詳しく教えてください」


 ミリーの言葉を遮ってエリナが興味を持ってきたので、歩きながらエリナに概略だけ説明してやることにした。

 立ち尽くすミリーはその場に置いていかれることとなるのであった。


  *


 残されたミリーは、ただ独り、手を握りしめながら誰にでもなく問いかける。


「アサヒ……あんた、何がしたいのよ……。ネトゲがしたいんじゃなかったの……?」


 風に溶けていくその言葉を聞く者は誰もいないのであった。

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