Scene13-2
「渕さ、猫って好き?」
あれから渕といろいろと巡り巡って外がすこしだけ暗くなってきた。そろそろ渕も歩き疲れている頃かもと思い、足休めに休憩して、それから帰ることにしようと、俺は歩きながら渕に訊ねる。
「えっ、うん、好きっ」
心なしか、いつもより声が弾んでいるように聞こえる。渕の顔を見ると、なんでわかったんだろうという驚きと、なんでそんなことを訊いたんだろうという疑問が混ざったような表情をしていた。
「いや、スタンプ、猫のやつ多く使ってるから、もしかしたらと思って」と俺は云った。「アレルギー、とかないよな?」
「うん、ない。えっと、家で飼ってる、から、猫」
「え、マジで? そうだったの?」
渕がうなずいた。「実は、ね。云ってなかった、けど」
「じゃあ、だいじょうぶだな。最後にさ、これからカフェに行きたいなって思ってて」
「猫カフェ、って、こと?」
「そういうのじゃなくて、いるらしいんだよ、店のなかに、店主の猫が。調べたら、店にいるときといないときがあるみたいなんだけど、もしかしたら会えるかもしれないし、渕が猫好きだったら、連れて行きたいなと思ってて」
「行く行く。行きたい。行こ行こ」
渕が繋いでいた手をめちゃめちゃ引っ張る。いや思った以上に超食いつくじゃん。でもまあ、いい反応が見れてよかったと、それを見て俺も表情が綻んでしまう。
スマホのマップを見ながら目的地まで歩いていく。人で賑わっていた駅周辺から外れの通りへ移動すると、歩いている人もまばらになってきて喧騒が遠のいていった。さらに奥へ進むと、大きめのエコバッグを持った女性や、子連れの電動自転車で移動している人など、ここら辺に住んでいる人たちの生活圏内に足を踏み入れはじめているのが人の変化でわかる。
「たぶんここのはず、なんだけどな」
俺はスマホから顔を上げた。そこには雑貨屋らしきお店があり、丸テーブルの上に木箱や小物などが並べられている。淡い照明の点いた店内を窓から覗くと、かなり古そうな家具や照明器具、置物などが所狭しとおかれてあり、浅学の俺ではそれらにどれほどの価値があるのかわからないものが陳列されていた。
クチコミでは、ここの二階、らしいのだが。
「あ。ね、稲田くん」と渕が声をかけた。「あれ」
渕の見ていた方へ目を向けると、階段があった。
そして、猫がいた。
白とグレーの混ざった猫で、大きさや顔立ちから察するに大人の猫になるだろう。階下に坐りながら、こちらをじっと見つめていたが、やがてゆっくりとうしろを振り返り、ぴょんぴょんと軽快に階段を上がっていった。
俺は上を見た。窓が明るいので、おそらく営業をしていると思うのだが、看板も店名もなにもなく、コダマ喫茶と比べると、正直かなり入りにくい雰囲気を醸しだしている。
「行くか」
繋いでいた手を深く握る。一人だったら入れなかったと思うけど、渕といっしょなら、ビビらずにいける。
「うん」
渕が俺の手を引いた。招き猫に導かれるようにして階段を上がっていくと、かなり古そうで、踏みこんだら抜けるんじゃないかと思うくらい軋んだ音が鳴った。
上がるごとに、聞こえる音楽が大きくなっていく。
辿り着くと、そこにはこじんまりとしたカフェがあった。いや、カフェと云うよりも、入ったことはないが、たぶんBARに近い雰囲気、かもしれない。窓からの光と、あたたかな灯りに照らされた店内には一際目を引く古そうなミュージックボックスが佇み、ラックにはレコードや小物などがある程度のゆとりを保ちながら飾られている。
「いらっしゃいませ。お好きな場所へおかけください」
カウンターにいたサックスブルーのシャツを着た白髪の似合う老齢の男性が声をかけてくる。カウンター席が数脚とソファー席がふたつしかなく、いまはカウンターに若い男の人が一人だけで、店の雰囲気と音楽を味わうように坐っていた。
俺たちは目配せをして、空いていたソファ席へ坐ろうとすると、ソファの上にさっきの猫が横になっていた。なんだ、来たのかと云いたそうにこっちを見てから、ぐるんと姿勢を変え、テーブルの上へ飛び移る。
「猫は、だいじょうぶですか?」
席に着くと、カウンターから移動してきた店主がおしぼりをおきながら優しく声をかけてきた。「はい」と俺が先に受け答えをすると、渕もうなずく。
「高校生くらいの方ですか?」
「あ、はい。そうです」
「そうですか。うちの猫の毛が制服についてしまうとあれなので、粘着ローラーを貸しておりますから、帰りに云っていただけたらと」
「ありがとうございます。あの、この猫、名前はなんて云うんですか?」
「グリです。お邪魔でしたら仰ってくだされば。あちらがメニューになりますので、お決まりでしたら声をかけてください」と店主がテーブルにあるラミネートされた自筆らしきメニューを手で示した。
「はい。わかりました。ありがとうございます」
カウンター席にいた男性がタイミングを見計らったように席を立つ。店主が「ありがとうございました」と云って会計を済ませると、店内は俺たちだけになった。
視線を感じる。
じーっと、テーブルにいるグリがこちらを見つめていたが、くるんと渕のほうへ顔を向けた。無害な人間か見定めるように同じように数秒ほど見つめてから、ひょいっと軽快にジャンプして、渕のいるソファへ足を下ろす。
渕が匂いを嗅がせるように、となりにいたグリへ手の甲を向けた。すこし警戒しているようだったが、渕がそっと首のあたりを撫でると、気持ちよさそうに表情を緩める。手を止めると、もっともっととねだるように渕の太ももへ足を乗せ「にゃー」と甘えるような声をだした。
「なぁーに?」
渕が可愛くてしょうがなさそうな声で云ってから、グリとじゃれはじめる。グリが鳴くと渕も同じような声で「にゅあ」と応えたり、握手するように肉球を触ってみたりと、愉しそうにグリとコミュニケーションをとっていた。
俺は邪魔しないようにメニューへそーっと手を伸ばした。店主がすべてひとりでやりくりしているからか、食べ物も飲み物もシンプルなものが多い。このあと夕飯も控えているし、俺はカフェオレだけにしておこう。
「渕。はい」
グリはすっかり慣れたようで、渕の太ももの上で足を丸めてくつろいでいた。俺は渕がなるべく動かないようにメニューを渡すと、グリをやさしく撫でながら「わたし、ブレンド、にしようかな」と告げた。
俺はカウンターへ目を向けた。「すいません」
こちらを眺めていた店主がやってきて「はい。うかがいます」と云ってくる。俺は渕の分も注文を伝えたら「アイスとホット、どちらになさいますか?」と訊ねられた。俺も渕も、ホットで、と答える。
「かしこまりました」と店主が渕へ目を向けた。「すみませんね。重くはありませんか?」
「あ、いえ……だいじょうぶ、です。あったかい、ので……気持ちいい、です」
「はははっ、そうですね。では、少々お待ちください」
店主がふたたびカウンターへ。一段落し、おしぼりで手を拭いていると、渕が口を隠すようにしながらあくびをした。
「疲れた?」
「ちょっと、だけ」
よほどリラックスしているのか、渕の表情がとろんとなる。たぶん、店に俺たちしかいないのもあるのだろう。おまけに店内に漂うコーヒーの香りと、ジャズなのかクラシックなのかはよくわからないが、静かでゆったりと流れている曲がいい具合に眠気を誘うのだ。
その顔を見れて、なぜだか自然と嬉しくなった。ここに連れてきてよかったと、ほっと一安心できた自分がいる。その空気は、渕の太ももにいたグリにも伝わっているみたいで、渕に背中を撫でられながら、心地よさげに目を瞑っていた。
「稲田くんも、触る?」
「いや、いいよ」と俺は云った。「その子、めっちゃくつろいでるみたいだから、邪魔しちゃ悪いし。俺は……渕が愉しんでる姿が見れて、満足だから」
思っていたことを留めずに口にすると、渕がすこしうつむいて「そ、そう……」とつぶやいた。なにかを感じ取ったのか、グリの耳がぴくぴくと反応し、顔を上げてこちらを見てくる。えいやあの別に、渕になにかしたわけじゃないからな?
「わたしが、猫好きじゃなかったら、どうしてたの?」
間を埋めるように疑問を投げかけてくると、俺は考えることもなく「別の店、行ってたかな。ここ以外にも、考えてたから」と答えた。念のために別の候補は考えていた。とは云っても、駅の近くにあるチェーン店なんだけれど。
「そっかぁ。じゃあ、会えてよかったねぇ」
渕がグリの頭を指ですりすりと撫でる。くすぐったそうに頭をくねらせると、伸ばした前足を枕のようにしながら横になった。こっちを見ている横顔が「羨ましいか? お?」となんだか挑発しているように感じるのは俺だけか?
「お待たせいたしました」
しばらくすると店主がやってきて、テーブルにそれぞれ注文したものをおいていく。渕がグリを「ごめんねぇ」と抱きかかえて床におくと、一度渕を見てからぐいーっと身体を伸ばし、弾みをつけるようにお尻を振ってカウンター席へ飛び乗った。
俺はマグカップに指をかけて一口すする。牛乳が多めの、ほんのりとした甘さにコーヒーの苦味がアクセントになったカフェオレだった。牛乳もあたためてあるのだろうか、においが濃く、喉を通るとじんわり熱が広がっていく。
「美味しいね」
「うん、美味いな」
マグカップをおくと、ふたたび視線を感じて、俺はカウンター側へ目を移す。前足をクロスさせて丸くなったグリが、そうだろう、そうだろうと云いたげに、ご満悦な顔でこちらを眺めていた。
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