Scene13-1
13
部活がしばらく休みと云うだけで小さな夏休みが訪れたような気がするのはなんでだろう。学校へ来るまで、授業を受けているあいだ、そして放課後になっても解放感がなくならない。
「それじゃ、行く?」
「うん、行こ」
俺は渕といつものように昇降口で待ち合わせ、正面玄関をでた。きょうからテスト前期間となり、すべての部活は一時的に休みとなる。そのせいなのか、正面玄関から校門まではいつもより人が多くあふれていて、普段は部室前でよく見るような顔ぶれが、制服姿で歩いている姿が目に入った。
そんななかにいるにもかかわらず、俺は渕といることに抵抗がまったくなかった。まあこれだけ人がいると当たり前だが、俺たちへ目線を向けてくる人がいて、男女共に好奇の色が浮かんでいる。
付き合ってから一ヶ月が経ち、クラスや、部活の先輩などにもすでに知られている。さらには他部活の人達にも渕と付き合っていることがこれでバレるだろう。付き合っていることがどんどん知れ渡ることに恥ずかしさは多少なりともあるけれど、いまはもう開き直って、それがどうしたという感じだ。
「すんごいな、人」
「そうだね」
渕へ目線を移すと、気恥ずかしさはありつつも、もう慣れた感じで俺のそばを歩いていた。そんな彼女の余裕が、上向きだった気分をさらに高揚させてくれる。
「きょう、行ってみたい場所どこかあった?」
「んー。調べてみたけど、行ってから、いろいろ見てみたい、かも。稲田くんは、ある?」
「いくつかあるよ。実はこのあいだ、ちょっとだけ下見してきたんだけど、渕が好きかもってとこも、見つけて」
「そ、そうなんだ」
「あっ、いや。かもだから。なんか違うってなったら、いいから、別に」
「んーん。そこ、行ってみよ?」
「じゃあ……行ってみるか」
「うん」
校門を抜けて駅まで話しながら進んでいく。きょうはこれから久保木という駅へ行く予定だった。久保木駅はさまざまな路線が集まる主要駅で、近辺の駅のなかでは最も大きく、周辺には複合施設や映画館などなど、ここに来ればだいたいのものは揃うくらいに店が充実していて、学校帰りに遊びに行ったり買い物で寄る人も多いところだ。
放課後ということもあり、そこまで時間もなく、凝ったところには寄れないということでここを選んだ。デートとしては無難なところかもしれないが、店も多い分、選択肢がたくさんあり、いろいろと見て回ることができる。渕には事前にここへ行くことは伝えてあり、どこか行きたい場所があれば教えてほしいとは云っていた。
駅へ着き、渕といっしょに電車へ乗る。席は空いていなかったが、久保木駅まではそう遠くないので、俺たちは空いていた隅のほうで立って待つことにした。
「なんか、ふしぎな感じする」と俺は声を抑えながら云った。
渕が首を傾げた。「んー?」
「渕がいると」
「いつも、別々だもんね」
発車手前で制服姿の人達が続々と乗りこんできて、ちょっとだけ奥へ押しこまれる。ドアが閉まって発車すると、反動で身体がわずかに傾いだ。ある程度詰まった距離感だが、渕とぶつかることはなく、俺は踏ん張りを効かせるために両足をすこし広げる。
渕はリュックを前にして角に背中を預けていた。身長と体格差があるせいか、なんか俺が渕を隅に閉じこめているみたいだな、と思う。
電車に揺られながらそんな風に考えていると、渕がふいにこちらを見てきた。露骨さなんて一欠片もない自然な上目遣いで見つめられて、急にぎゅっと胸が縮む。
「ぁ、」
渕が俯くと、黙ったままリュックを抱き締める。無言でしばらくそのままでいると、目に止まったのか、垂れていた俺のネクタイをいじりはじめた。
「なにしてんの」と俺は笑みを浮かべながら小声で云った。
「んー、なんとなく」と渕が小さな声で答えた。「あった、から」
質感を確認するように指で摘んだり、軽く引っ張ったり、先端をくるくる丸めたりするその自由な姿がいつもの渕のイメージと結びつかず、そのギャップに胸がときめいてしまう。心臓が高鳴るごとにすこしずつ身体が熱くなって、俺はシャツを引っ張り、なかに空気を送りこんだ。
一駅過ぎ、人が降りると、渕とのスペースに余裕ができる。だけれども『近い』距離感は維持したままで。車両内ではあまり話せないような空気感もあり、俺たちは会話を交わさず、久保木駅へと到着した。
乗り換えなどで使う人も多いところのせいか、改札へ向かうまでのあいだも人は多く、俺は渕が近くにいることを確認しながら歩いていく。改札を通り抜けて駅ナカを通過し、公共歩廊側へ進むと、天井のない開放的な街並みが広がった。すこし離れたところには広告と店名のついた高いビルがいくつか連なり、眼下ではロータリーをタクシーや乗用車が往来しているのが目に入る。
「とりあえず、東側行ってみないか?」
「うん、いいよー」と渕が云った。「稲田くんは、久保木、よく行く?」
「いや、ほとんど来ないかな。乗り換えでたまに使うくらい。渕は?」
「わたしも。場所は知ってるけど、来たことは、あんまりない」と渕が云った。「買い物とかも、家から近いところで済んじゃうから」
「わかるー。なんかいろいろあるのはわかってるんだけど、わざわざ降りてまで行かないって感じだよな」
「そうそう。だからどんな感じか、愉しみ」と渕が笑みを浮かべながら云った。
話しながら俺たちは自然に手を繋いでいた。見慣れない街並みと、行き交う人々のなかに溶けこめていないような感覚がしていたけれど、渕といっしょにいると、その異物感が薄まっていくように思えた。
一人でぶらついていたときには、こんな気持ちにはならなかった。
渕と手を繋いでいると、なぜだかどこへだって行けそうな気がする。
ペデストリアンデッキを降りて、俺たちは多くの店が軒を連ねる東側エリアへ向かっていった。平日の夕方にもかかわらず、道路にはそこそこ人がいて、歩いていると飲食チェーン店や大きなスーパーなどが目に止まる。
「俺の勝手な想像になっちゃうんだけどさ、渕が好きそうな店とか、たぶんこの先にあると思う」
「あ、うん」
「でも一応、保険かけていい? 正直に云っちゃうと、まだ渕の好みとか、よくわかってなくて。合わなかったらごめん」
「ううん、だいじょうぶ。……え、っと、わたしも、稲田くんの好みのお店、まだ、わかってないから」と渕が云った。「いろいろ、調べてきたんだけど、正直、迷っちゃってて」
渕と付き合って一ヶ月が経った。でも俺は、俺たちは、まだお互いのことをあまり深く知らない。もちろんこれまで話してきて『なんとなく』察するものもあったと思うけど、知らないことのほうが、たぶんずっと多いだろう。
まだ、一ヶ月だ。
なにが好きで、なにが嫌いで、どういうものに興味があって、どういう場所に連れていってほしいのか――わからないことばかりだけど、これから、渕とわかり合えていければいいと思う。
「教えて、そこ。行きたい」と俺は云った。「合う合わないはさ、行ってみないとわかんないし。渕も、入りたいところがあれば、遠慮しないで云って。知りたい、渕の好み」
繋いでいた手に力を入れると、渕もわずかに力をこめて「うん。そうする」と芯の入った声音で答えた。じゃあ行くか、と合図するように俺は渕の手を引く。ただ繋いでいただけの手が、それからすこし、振り子のように動いていた。
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